星に誓った約束
ダイキライ

 今朝の由布との会話の時に、再び鮮明によみがえり、そして今、わたしの心を支配していること。
 それは、十五年前の、幼い日の思い出。約束。誓い――
 誓い。
 その言葉は、わたしにとってはとても大きな言葉。
 だってわたし、その十五年前に結婚の約束をしているのよ。
 星に誓った、約束……。
 そうよ。わたしは夏樹なんかと結婚している場合じゃなかったのだわ。
 わたしは、その男の子と結婚の約束をした。
 とても幼いものだったけれど、だけど本気だった。
 だから、裏切っちゃいけないと思っている。
 そう、だから、夏樹とは結婚できない。
 今からでも遅くないわ。そのことを夏樹に話して……。
 ――だめだ。絶対、馬鹿にされる。馬鹿にされるだけならまだいい。
 ふんと鼻で笑われて、「だから?」なんて、逆に聞き返されちゃうのよ。
 それに……下手をしたら、夏樹、その男の子を探し出しちゃって……ジ・エンド。
 なあ〜んてことはないけれど、それをネタに後々からかって遊ばれるわ。
 ん? 後々って何!?
 わたし、後々って言うほど、この先も夏樹と一緒にいるつもりなわけ!?
 やめてよ。気持ち悪い。
 わたしは、一刻も早く、このふざけた監禁……軟禁?生活から抜け出したいのよ。

「何をそんなに考えこんでいるの?」
 ぼんやりと、窓の外を眺めるわたしの前に、ひょいっと夏樹の顔が現れた。
「……!?」
 驚きのあまり声も出せなくて、思わずのけぞってしまった。
 その瞬間、背にとんと何かがぶつかったような気がした。それは、夏樹の胸だった。
 夏樹はわたしの背後に立ち、頭の上からわたしの顔をのぞきこんでいた。
 夏樹の胸へ倒れこんでしまったものだから、わたしはそのまま夏樹に抱きすくめられてしまった。
 夏樹の柔らかな髪が、わたしの頬に触れる。
 また、あの整髪料とシャンプーがまざったような香りがする。
 抱きすくめられたものだから、当然この後何かあると思っていたのに、何もしてこない。
 どうしたのだろう?
 ただ夏樹は、わたしを抱きしめるだけで、それで十分ということ?
 もう、訳わかんない、この夏樹って男。
「ねえ、聞いていい?」
 わたしは、まっすぐと窓の外を見つめ、そう言った。
 窓の外には、真っ赤な空が広がっている。
 あの密林のような庭の木々にも、真っ赤な太陽が光を放っていた。
 夕方。
 沈み行く太陽。
 何だか、今の夏樹は、それのように感じる。
 沈んでいく、心――
 だから、何か言わずにいられなかった。
 夏樹は、わたしの言葉に反応し、耳元でささやく。
「なに?」
 夏樹がささやくと同時に、あたたかな吐息が、耳、そして首筋をかすめた。
 そこは、昨日、夏樹にキスされた場所。
「どうしてわたしなの? どうして、こんな強引なやり方なの? それに、本当にわたしが好きなの? 好きで結婚する……したの?」
 夏樹はしばらく答えなかった。
 わたしはもう、夏樹から答えをもらうことをあきらめてしまい、ふうっと大きくため息をもらした。
 すると夏樹は、ぱっと腕を放し、わたしを解放する。
 と思ったのだけれど、今度はぐるりんと体をまわされ、夏樹と向かいあわせにされてしまった。
 そして、この展開についていけずあっけにとられているわたしに、夏樹はけろっとした顔で微笑む。
「君を妻にしても、ぼくには何のメリットもないよ? 好きでなければこんなことはしないよ? ……普通」
 恐ろしく遅れて返ってきた言葉がそれ。
 それに、それは、わたしの質問の答えになっていない。
 いや、っていうか、好きでもしないし、普通……。
 拉致とか、監禁とか、婚姻届の偽造とか……。
 そして、わたしの意思など無視して、だまし討ちのようにそれを役所に出さないよ、普通……。
 でもまあ、なんとなく、朝由布が言っていたことは本当のような気がする。
 きっとこの男は、うぬぼれかもしれないけれど、わたしが好きなのだと思う。
 いつ、どこでどのように好きになったかなんてわからない。だけどきっと、そうなのだと思う。
 その目は、真剣だから。
 この答えるまでの妙な間が、少し気になるところだけれど……。
「夏樹。それでもわたし、やっぱりあんたとは結婚できないわ。好きって言われても、わたしはあんたのこと好きじゃないもの。むしろ、嫌い。大嫌い。第一、その好きというのもいまいち理解できないし……。それに……わたしには……」
「わたしには……?」
 わたしのその言葉に、当然険しい顔やら、あの悪魔の顔を見せると思っていたのに、夏樹は妙に落ち着き払った表情を浮かべている。さらには、そこに哀愁なんかも漂わせちゃったりしている。
 嫌味な奴。
 ねえ、これはやっぱり罠?
 それともわたし、本気で傷つけちゃった?
 何か、今の夏樹になら言ってもいいと思えてしまったの。だから、思わず口をついていた。
 そこまで言ってしまったものだから、もうあとは言うしかないわよね。
 後でそれをネタにからかわれたってかまわないわ。とにかく、わたしには夏樹と結婚する気も、好きになる気もないって伝えなきゃいけないのだもの。
「わたしには、将来を誓い合った男の子がいるのよ!」
 きっと夏樹をにらみ、きっぱりとそう言った。
 すると夏樹は、ふ〜ん、どこに?と、今度は天使の微笑みなんかに包み隠さず、悪魔の微笑みをそのまま見せつける。
 う……。もしかして、まずかったかしら。こんなにストレートに言ってしまったの。
 だけどもう、後戻りできないし。ええ〜い、言っちゃえ!
「十五年前!」

 そう。あれは、今から十五年前のこと。
 わたしは、両親と一緒に、有名避暑地に遊びにいったの。
 そしてそこで、男の子と友達になった。
 多分……年はわたしとそうたいして変わらなかったと思う。
 わたしより少し背が高いくらいだったから。
 子供の頃は、女の子の方が成長がはやいっていう。だから多分、小柄だったけれど、わたしより背が高かったから、わたしよりは何歳か年上だと思うのよね。
 友達になった男の子と一緒に遊んだのよ。夜になるまで、雑木林で。
 そして、夜の雑木林で、夜空を……夜空にまたたく星を見上げ、約束したの。
「二十年後、またここで会おうね」
 男の子がそう言った。
 わたしはそれが妙に嬉しくて、すぐに返事をした。
「うん、会おうね。また一緒にお星様を見られるといいね」
 そう言ったわたしに、男の子は優しい微笑みをくれた。
「そうだね。それじゃあ、お星様に誓おう。また会うことを」
「うん。お星様、忘れないでね」
 そして二人、嬉しくなって顔を合わせ、くすくす笑った。
 しばらく笑った後、ふいに男の子は真剣な目でわたしを見つめ、こう言ったの。
「二十年後には、結婚しよう」
「うん!」
 やっぱり、わたしは即答していた。
 もちろんその後、探しに来た両親に怒られたことは言うまでもないけれど。
 あの男の子は、そこで両親に連れて帰られるわたしに手を振っていた。
 両親はもちろん、男の子を家……っていうか、この場合は、別荘よね? 別荘に送るって言ったけれど、男の子はこのすぐ近くだからと言って、それを断ったのよ。
 あの近くに、別荘なんてなかったはずなのに……。
 それが、幼い日の彼とわたしの約束。
 今でも忘れない。忘れられない、約束。
 それから今年で十五年。
 わたしは必ず行く、二十年後。あの雑木林へ。
 ――会いたい。
 あと五年。あと五年すれば、またあの雑木林へ行くわ。
 彼に会いに。
 何故、二十年後だったのかはわからない……。
 ううん、わかっていた。
 だって、その年になれば、わたしたちは十分結婚できる年になっているはずだから。
 そんなませた知恵と、大人びた感情を備えているこどもだったの、二人とも。
 その思いは、こどもだったけれど、真剣だった。
 今はもう、顔も名前も覚えていない男の子だけれど、わたしは、彼に会いに行かなきゃだめなような気がする。
 そして、会えばすぐにわかると思うの。どんなに面差しが変わっていようとも。
 そう、心がいっている。

 そんな思い出が頭をよぎった瞬間、わたしの目から涙がこぼれ落ちていた。
 夏樹は、きっと訳がわからないと思うのに、何も言わず、そっとわたしを抱きしめた。
 そう、何も言わず、そっと……。
 心苦しい。
 わたしは今、別の男の子のことを思っているのに、夏樹はわたしを思って慰めてくれているのだわ。
 ――はじめて、夏樹の本当の優しさを感じたような気がする。
 夏樹の胸から見上げた夏樹の顔は、やっぱりどこか淋しそうだった。
 そんな夏樹の顔は、また昨日はじめて会った人のように思えなくさせる。
 昨日の夜。一人考えて、そしてたどり着いたこと。
 夏樹。あなたは本当に、わたしとは会ったことがないの?
「ねえ、わたしたちって、昨日、はじめて会ったんだよね?」
 わたしは思わず、そんなことを口にしていた。
 すると夏樹は何も答えず、ただ淋しそうに微笑むだけだった。
 夏樹は何も言わない……。
 それが、ちくんとわたしの胸を痛めさせる。
 わたし……本当に、夏樹を傷つけちゃったの?
「夏樹。あんた、その悪魔な顔は、本物? ――それも、もしかして、仮面じゃないの?」
 傷ついたような夏樹の顔に、わたしはまた、そんな余計なことを口走ってしまっていた。
 夏樹はやっぱり、ただ淋しそうに切なそうに微笑んだ。
 余計なことを言ったのに、夏樹はそれをとがめない。
 ということは……図星……?
 夏樹は、わたしの問いかけに関係のない返事をしてきた。
「嫌いでも関係ない。今は嫌いでもいい。だけど君は、必ずぼくを好きになる。そして君は一生、ぼくからは逃げられない。それはもう決まっている。誓ってもいい」
 嫌いでも関係ないって、それはやっぱり、何かを企んでいるから……?
 ううん。そうじゃない。夏樹のこの自信たっぷりの言葉。
「君は、必ずぼくを好きになる」
 それを聞くのは、これで二度目。
 その言葉が妙に確信めいているから、夏樹の中では、わたしが夏樹を嫌いなのはあり得ないのよ。
 憎らしい奴。
 っていうか、またそれ?
 また、逃げられないとか、決まっている。
 というか、誰に誓うのよ。
 また誓い。そればっかり。
 夏樹には、逃げられない、誓ってもいい、決まっているのだよという言葉しかないの? それしか言えないの?
 それにしても、その言葉、誓い。それは因縁の言葉だわ。
 その言葉は、わたしにとって、とても意味のある言葉。
 だけど、何も話していない夏樹がそれを知るはずがない。
 その言葉は、わたしたちがお星様に誓ったその時に、特別な言葉になっていた。
 どうして夏樹は、誓いなんて言葉を使うのだろう?
 その言葉は、普通、とても重い言葉で簡単には使えないはずなのに。
 そんなに、自分に自信があるわけ?
 それとも……それってもしかして、夏樹はわたしに何かを伝えようとしているということ?
 もう、本当、この夏樹という極悪人が、わからなくなってきてしまった。
 天使の微笑みか、それとも悪魔の微笑みか……。
 どちらが本当の夏樹? それとも、どちらも違うの?

 ――本当の夏樹が知りたい……。


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update:03/11/25