十五年前
ダイキライ

 夏樹の過去……。
 というよりは、夏樹のその生い立ちかしら?
 昨日の朝。由布からそのことを聞いて、妙に気になっていた。
 そして、昨日の夕方。夏樹に抱きしめられた。それで感じたこと。
 夏樹は、本当は極悪人なんかじゃなくて……。

 いや、やっぱり、あいつは極悪人だわ。
 だって、今朝も見ちゃったもの。あいつの悪魔顔。
 昨日はたまたま講義がなかったからそれで良かったけれど、今日はちゃんと朝から講義があるの。
 それなのに夏樹ってば、また昨日の朝のように、にっこり微笑み「今日は講義ないよね?」とかほざきやがったのよ。
 知っているくせに。だって夏樹は、わたしのストーカーでしょう?
 今日、朝一で講義があることぐらい、知っているはずじゃない。
 なのに夏樹ったら、学校に行かせてくれない。
 さらには月曜、わたしを拉致った時にわたしが持っていた鞄。あれをどこにやったかわからないと言い、そう言ったかと思うとすぐに、捨てちゃったとか言い出すのよ。
 それで憤慨したわたしが、夏樹の胸倉をつかんだわけよ。
 そしたらまたそのままあいつ、わたしを抱きしめやがって、こう言ったのよ。
 よりにもよって、こう!
「そんなに学校に行きたい? じゃあ、いいよ。行っても。そのかわり、わかっているよね? 行ったその後、どうなるかということくらい。……ねえ、それでも行く?」
 これ以上ないというほど、さわやかにそう言いやがったのよ。
 これまでは、こんな台詞をはく時は決まって、天使の微笑みの下に悪魔の微笑みをたたえていたはずなの。
 それなのに、今日はその悪魔の微笑みが感じられなかった。
 だからなの。だから、余計に恐ろしいのよ。
 そんなさわやかな天使の微笑みで言われるから、かえって恐ろしいのよ。
 しかも夏樹、それをわかっていてやっているのだわ。
 昨日、わたしがあんなことを言っちゃったから、それの仕返しなのよ、きっと。
 本当にもう、なんて奴なの!
 こんの、鬼畜王〜! 極悪人〜!!

 そんなわけでわたしは、もうお昼前だっていうのに、いまだにここ鳳凰院邸にいる。
 こんちくしょ〜。まったく、学校くらい行かしやがれっていうのよ。
 もう婚姻届も出されちゃって、逃げようがないのだから。
 夏樹は今、今朝の悪魔顔はどこへやら、わたしの膝枕で気持ちよさそうに寝息をたてている。
 ――ムカつく。そのすやすや顔を殴ってやりたい……。
 今、わたしは乙女部屋のソファにいる。
 そして、わたしの膝に当たり前のように頭をおき眠る夏樹。
 まったく、冗談じゃないわよ。
 っていうか、こいつ、仕事は!?

 月曜日。わたしを拉致った日。
 夕方から数時間、残りの仕事とやらを片づけに行った。
 火曜日。由布から夏樹の生い立ちを聞かされた日。
 朝から夕方にかけて、抜けられない仕事とやらをしに行った。
 そして今日、水曜日。
 一日オフ。

 って、ふざけるんじゃない! そんなぐうたらな社会人があるか!!
 ――ってまあ、こいつのことだから、別にそれでもいいような気がする。
 だって夏樹は、ここ鳳凰院家のご当主さまとかいうのだから。
 そうやたら仕事なんてないのだろうな。
 よっぽど困った時とか、そういう時に緊急で呼び出されたり……。
 ううん。でもやっぱり、違うよね? 当主っていったら、きっと忙しいと思うの。
 じゃあ、どうして今日一日オフで、わたしと一緒にいるの?
 っていうか、なんで人の膝の上で寝息を立て、わたしを拘束しているの!?
 もう、わけわかんない。
 っていうか、こいつ一体、何!? 何様のつもり!?
 そう言ったらこの男、必ずこう言いそう。
 「俺様」。もしくは、「夏樹様」。
 きい〜! 想像しただけでも、腹が立つ男ね!

 わたしはまだ認めて……認めたくないけれど、しちゃったのよね、結婚。
 まあ、それはおいておいて、とにかくわたしはまだ、こいつを好きになっていない。
 っていうか、むしろ嫌いって言っているのに、それなのに、当たり前のようにわたしの膝をまくら代わりに、気持ち良さそうに眠るって、一体どういう了見よ!?
 あつかましいにもほどがあるわ!
 膝の上で気持ちよさそうに眠る夏樹のこの顔をみていたら、妙に腹がたってきて、思わず髪の毛でも引き抜いてやろうかという気になってしまうわよ。
 そしてやっぱり、夏樹の髪からは、整髪料とシャンプーの香りが……。
 って、待って。今気づいたけれど、このシャンプーの香りって……わたしが使っているものと同じ!?
 いやあ〜!
 やっぱり、ストーカーなのよ。そうなのよ。だから、わたしが使っているシャンプーを知っていて、それでもって同じものを使う!
 ――って、馬鹿馬鹿しい。
 もうやめたわ、こんな馬鹿げた想像。
 夏樹のこの寝顔を見ていると、そんなこと、どうでもよくなってきちゃう……。
 だって、これってば、つまりは、わたしと一緒だと、安心して眠れるっていう顔なのだもの。
 とても幸せそうに寝ちゃってさあ〜……。

 あれ? 今気づいたけれど、夏樹の顔に、髪がかかってる。
 うっとうしくないのかな?
 そう思うより先に、手が出ていた。
 夏樹の顔にかかる髪に、手を触れていた。
 その瞬間、ぱしっとその手をつかまれてしまった。
「……!?」
 一瞬の出来事に、わたしは思わず思考を停止させてしまった。
 頭、真っ白。
 そして次に気づいた時には、夏樹がゆっくりと目を開けていた。
「眠ったふりをしていたわね!?」
 瞬時にそう叫ぶ。
 すると夏樹は、にこっと微笑んだ。
 こんちくしょ〜!
 悔しい。わたしはまた、夏樹にしてやられたのね!!
 眠っていると思っていたのに……。
 起きていると知っていたら、こんなに優しくなんてしてやらなかったわよ!
 こんのたぬき〜!!
「だったら、さっさとどけ〜!」
 そう言って、足をばたばたと動かしてやった。
 すると夏樹の頭も、同時にばたばたと上下運動をする。
 だけど夏樹は、一向にわたしの膝から頭をどけようとしない。
「どけろ」
 足をばたつかせるのをやめ、ドスをきかせてそう言い、がしっと夏樹の頭をつかんでやった。
 もちろん、威圧的に見下ろす。
 今は夏樹の顔の方がわたしの顔より下にあるので、ちょっと強気になれる。
 すると夏樹は、右手をすっとのばしてきて、わたしの頬に触れた。
「聞いたのだろう? 昨日、由布に。ぼくのこと……」
 そして、静かにそう言った。
 夏樹の頭をつかんでいた手を、思わず放してしまった。
 そして、夏樹の頭がわたしの膝に居座ることを許してしまった。
 悔しい。
 どうしていつも、夏樹のいいようにされちゃうのだろう。
 この夏樹って男。わたしがたじろぐタイミングを心得ているみたい。
 さすがは、ストーカーだわ。
「ぼくがね、生まれた家はもうないんだよ」
 夏樹は、ふいに語り出した。
「え……?」
「いいよ。聞きたかったのだろう? 全部話してあげる。だけど、これを聞いたら、君はもう、本当にぼくからはなれられないよ。逃げられないよ。……逃がさない」
 わたしの膝に頭を置き、そこからじっとわたしを見上げる夏樹。
 その射抜くような視線に、言葉を返すことができなかった。
 ただ、こくん……とうなずいていた。
 不思議だった。
 どうしてわたしは、この時うなずいたのかわからない。
 でも、うなずかずにいられなかった。それが本当。
 後のことなんてもう知らない。
 だってすでに、婚姻届を出されちゃっているのだもの。逃げられないも何もないじゃない。
 ただ……十五年前の、あの日の思い出が心にひっかかるだけで……。
 うん。そうだよね。別にいいよね。
 わたしはあと五年すれば、またあの場所にいって、そして謝るつもりだったのだから。もともと……。
 何故かはわからないけれど、決めていた。
 もう結婚できないと謝ることを――
「ぼくの本当の家はね、ごく普通の家だったのだよ。父の愛人とされていたけれど、本当は違う。父は母に、一度も会いに来なかった。――父と母は、父が一族の連中からむりやり本妻と呼ばれる女と結婚させられる前まで、つき合っていたのだよ。愛し合っていた」
「え……?」
 夏樹の目が、わたしをとらえる。
 その瞳の奥に隠された、深い悲しみと、憎しみが――
「そして父は結婚し、母と引き離された。だけどその時にはもう、ぼくがお腹の中にいて……。母は父と別れた後、実家に戻り、ぼくを生んだ。そしてぼくは、母と祖父母のもと、幸せに暮らしていたんだ。それが、今から十五年前までの話」
 夏樹は起き上がり、もうわたしの膝まくらを必要としなかった。
 わたしをすっと抱き寄せ、わたしの顔を夏樹の胸へと押しつける。
 わたしはやっぱり、悔しいことに、抵抗することができなかった。
「だけどその頃、ちょうどその本妻が子供をもうけぬまま病死してしまった。そこで後継ぎに困った一族連中は、ぼくの存在を探し出し、この鳳凰院本家へむりやり押し込めた。その直後、ぼくが住んでいた祖父母の家は火事で全焼し、その焼け跡から三人の焼死体が見つかった。それはもちろん、母と祖父母のものだった……」
「え……!?」
 わたしはそのとんでもない言葉に、予想もしていなかった言葉に驚き、思わず顔をあげ夏樹の顔を見つめようとしたけれど、それを夏樹に阻まれてしまった。
 ぎゅっと胸へ押さえつけられる。
 顔をおさえつけられたそこでは、どくんどくんと夏樹の心臓が早鐘を打っていた。
 夏樹……やっぱり辛いんだ。
 ううん、辛くないはずがない。だって、そんなこと……。
 今もきっと、苦しんでいる。
「もういい。言わなくて……」
 夏樹の胸に顔を埋め、そうつぶやいていた。
 だけど夏樹は、言うことをきいてくれなかった。
「もう少しだから、最後まで聞いて。――いや、聞いてほしい」
 そう言って、夏樹はわたしを抱きしめる。
 また、夏樹の髪がわたしの頬をなでる。
 今度は、整髪料とかシャンプーとかそんなものは気にならなかった。
 だって、その髪と一緒に夏樹の頬がわたしの頬に触れていたから。
 突き放すことも、抵抗することもできない。
 夏樹の思いが……苦しいくらい伝わってくる。
「その火事はね……実は放火だったのだよ」
「……!?」
 夏樹は、これまでの態度を崩すことなくそう言った。
 だけど、わたしは思わず、びくんと体を揺さぶってしまっていた。
 だって、放火って……放火って一体……!?
「だけどそれは、警察では失火ということで処理された。鳳凰院の親族連中が、裏から手をまわしたのだよ。……何しろ、その火事自体、ぼくが愛人……いや、当主が結婚前に愛していた庶民出の女の子供という事実を、この世から葬り去るために起こした火事だったから」
「夏樹……!」
 わたしは思わず、夏樹を抱き返していた。
 だって、だって……。そうしたかったんだもん。
 ううん。そうしなければならない気がしたの。
 このまま放っておくと、夏樹が壊れるって、そう思っちゃったのだから、仕方ないじゃない。
 あまいとは思ったけれど、放っておけなかったんだもん。
「その事実をぼくが知ったのが、一年前。父が死ぬ間際だった。父も……一族連中を恨んでいたようだからね? 十五年前、ぼくがこの家に引き取られてきた時から、父はいつもぼくを守ってくれていた。一族の悪意の眼差しから……。自分たちで引き離した女の子を引き入れたくせに……。――やはり、どこかで認めていなかったのだよ」
 わたしを抱きしめる夏樹の腕にこもる力が、強くなった。
「だからぼくは、奴らに復讐することにした。ぼくにとっては、この鳳凰院の当主であることが何よりの復讐になるんだ。自分の母親と祖父母を殺した鳳凰院に対する復讐だ。だから、今すぐにでもこんな地位を放り出し家を出たいところだけれど、当主の座にいる。この家を、ぼくの思い通りに動かすために。親族連中の思い通りにさせないために。そしてそのために、君が必要なのだよ」
「え……?」
 夏樹は腕の力をすっと抜き、その手をそのままわたしの頬へと持ってきた。
 そして、切なそうに見つめる。
「ぼくの心を……ぼくの心を支えてくれる存在が必要なんだ。この家で戦っていけるだけの、心の支え。それは、この世で最も愛する君でなければできないこと。――ぼくのわがままだってわかっている。だけど、もうどうしようもないのだよ。ぼくは、こんなにも君を愛してしまっているから。もう君以外は考えられないのだよ」
 そしてそのまま、夏樹の顔がわたしの顔に近づき、今度こそ、奪われてしまった。
 わたしの、ファーストキス。
 はじめてのキスの味は、甘酸っぱいとか、レモン味とかいうけれど、わたしの場合は違った。
 はじめてのキスは、しょっぱい味がした。
 わたしの目から流れ出る、しょっぱい涙の味。

 ――やっぱり……こんな自分勝手でわがままな奴、大嫌い……。


* BACK * NEXT *
* TOP * HOME *
update:03/11/28