白雪舞う婚姻届
ダイキライ
〜第二部・逢瀬〜

 ぱらぱらぱら……。
 目の前で舞い落ちていく、白い雪……。
 じゃなくて、白い紙!!
「一体、どういうことよ!? どうして、破いちゃうわけ!?」
 夏樹ってば、せっかく出そうとしていた偽造婚姻届を破いちゃったの!
 一緒に駆け出したまではよかったのに、ぐいっとわたしの手を引き、すぐに立ち止まっちゃったの。
 そして、わたしが持っていた婚姻届を奪い取り、今、まさしく今、わたしの目の前で、それをびりびり破いてみせた。
 そして、そのびりびりの紙を、ふわっと宙に舞わせた。
 それが、まるで雪のように、わたしの目の前を舞っている。
 一瞬、思わず、「きれい……」とか思って、みとれてしまった。
 ……不覚。

 夏樹ってば、一体、どういうつもり!?
 あれほど、わたしと結婚したがっていたくせに。
 拉致って、監禁して、脅して、婚姻届を偽造しちゃうような奴が、そうまでして結婚をおし進めようとしていた奴が、どうして今さらこんなことを?
 たしかに夏樹は、わたしが本当に夏樹のことを好きになるまで待つと言った。
 だから、わたし自ら、出しに行こうと言ったのじゃない。行動で示したのじゃない。
 まあ、そこに、九九パーセント、夏樹への嫌がらせがあったことは否定しないけれど。
 ……じゃあ、あとの一パーセントは?
 そんなの、わたしにもわからない。
 だけど、だからって、どうして、そんなことをしちゃうわけ?
 夏樹、それが嬉しかったのじゃないの?
 わたしとの結婚を望んだのは、夏樹じゃなかったの?
 ……もう、わからないよ。
 まさか、この期に及んで、怖気づいたとでもいうの!?
 ――それはあり得ない。
 あの極悪夏樹が怖気づくなんてことは、天地がひっくり返ったってあり得ないことなのよ。
 人を騙しても、拉致っても、平然としている夏樹が、この程度で怖気づくわけがないわ。
 夏樹は、白い雪の降る中、目を細め、ふっと微笑んだ。
 その微笑はもちろん、天使の微笑みでもなく、悪魔の微笑みでもなかった。
 時折見せる、夏樹の心の微笑み。
 その微笑が、わたしの姿をとらえる。
「やっぱりね……せめて、茗子が大学を卒業するまで待とうと思って……」
「卒業って、あと二年はかかるわよ? いいの? それでも、あんたは待てるの!?」
 ふうと大きなため息をもらし、わたしは試すように夏樹を見た。
 「できるものなら、してみなさいよ」と、挑発するように。
 と言っても、わたしも、もうこれ以上、何も言おうとは思わないけれど。
 だけど、一応は言わなきゃ、何だか癪じゃない?
 だから、言っただけ。
 夏樹がそれでいいなら、別にわたしもそれでいいわ。
 もともと、この偽造婚姻届の提出だって、夏樹を困らせてやろうと思ってしたわけだし。
 思惑通り、今、困っている夏樹の顔を見られたから、わたしはひとまずはそれで満足だもの。
 だけど、どこかしっくりこない。
 あんなに嬉しそうだったのに……。
 どうして、今さら破いちゃうわけ?
 わたしが大学を卒業するまでって……それが待てないから、二十年が待てないから、だから拉致だの監禁だの婚姻届偽造だのと、犯罪めいた行為に及んだのじゃなかったの? ……ねえ、夏樹。
 ……それとも、夏樹のことだから、また、何か企んでいるとでもいうの?
「うん……。待てるよ。今は気持ちだけで十分。茗子のその気持ちだけでね?」
 そう言って、夏樹はふっと優しい微笑みをのぞかせる。
 やっぱり、天使の微笑みでも悪魔の微笑みでも、まして二つ一緒の微笑みでもない。
 わたしを惹きつける、あの思い出の微笑み。
 まったく……。

 やっぱりこの男、訳がわからないわ。
 支えが欲しいと言っておきながら、どうして、すぐにわたしを解放しちゃうわけ?
 せっかく、婚姻届というもので、わたしをしばれていたというのに。
 それがなくなったら、わたし、逃げちゃうかもしれないわよ? いいの?
 夏樹には、わたしが必要なのでしょう?
 ……あ。
 それとも何? もしかして、もうわたしが夏樹から逃げないとでも思っているわけ?
 うわっ。何よそれ。それって、めちゃくちゃ自意識過剰じゃない?
 調子にのっていない? 何様だっていうのよね。
 ――過剰じゃない……。
 たぶん、わたしも、もう夏樹からは逃げないと思う……。
 って、だからそうじゃなくて、今は偽造婚姻届よ、問題は!
 やっぱり疑わしそうに眉を寄せにらむと、夏樹は少しもじもじとしながら口を開いた。
「そうじゃないとね……その……。ぼく、自分の思いをおさえきれなくなりそうで……」
「はあ!?」
 顔をゆがめるわたしに、夏樹はちらっと視線を送ってくる。
 意味がわからない。
 自分の思いがおさえられないって、それのどこが婚姻届と関係があるというの?
 相変わらず怪訝な表情を浮かべるわたしに、夏樹はさらにもじもじし、言いにくそうにわたしに目で訴えてくる。
「だから、茗子……。察してよ」
 そして、そう言って、恥ずかしそうに頬をぽっと赤く染めた。
 ――って、待て。
 その言葉。その反応。
 あんたはまた、何かよからぬことを考えたな!?
 一体、何を考えているんだ、何を!!
 そんなの聞かなくたってわかるわよ、もちろん、このわたしにでも!
 これまでの夏樹の言動と、恥じらう乙女のように頬を染めたこの夏樹を見ればね!!
 こいつが今、考えていることは、ただ一つ! あれしかない!! 男の事情ってヤツ!!
 うっきゃ〜! 嫌〜っ!!
 だからあんたは、色情魔だというんだあ!!
 こんの好色一代男!!
 ――やっぱり、使い方違うかもしれないけど、まあそんなことはどうでもいいわ。この際――
 やっぱり、最低だ。最悪だ。この男!
「察せるか! おばか!!」
 夏樹のみぞおちに、一発拳をお見舞いしてやり、またすたすたと屋敷の中へ戻っていく。
 そんなわたしを、みぞおち辺りを押さえながら、苦しそうに、だけどどこか嬉しそうに、夏樹が見送っていた。
 ……後に、この時そばにいた運転手から、わたしはそう聞いた。
 ――ふん。だから何なのって感じ!
 だけど、聞いた時、何だか心がぽっとあたたかくなったような気もした。
 ねえ、これって、やっぱりあれかなあ?
 まずいな〜……。
 わたし、どんどんはまっていくみたい。この訳のわからない男に。
 うん。やっぱり、夏樹って訳がわからないわ。

 鬼畜。悪魔。極悪。
 そう思っていたのに、今では、何だかそれすらも夏樹の優しさに思えてしまう。
 ……え?
 ということはつまり、わたしの考え方が変わったということ?
 嫌だ。そんなわけあるはずがない。
 鬼畜。悪魔。極悪。加えて犯罪者。
 それの一体どこをどうしたら、優しさになっちゃうのよ。
 それにやっぱり、わたしは夏樹が大嫌いだもの。
 そう簡単に好きになれるわけがない。
 いくら十五年前のあの男の子が夏樹だったからといっても、わたしは五年後、謝りに行くつもりで……。
 謝りに……。
 でも、いつからだった? そう思うようになったのは。
 わたしは、ずっとずっと、思い出の男の子に会いに行こうとは思っていたけれど、その後のことは考えていなかったような気がする。
 そこまでは、考えが及ばなかった?
 わたし、会ってどうするつもりだったのだろう?
 本当に、結婚するつもりだった?

 まだ、たったの四日間。
 そんな短い間で、世界でいちばん大嫌いな奴を、好きになれるわけがない。
 ううん。どんなに時間をかけても、一生好きになれそうにないわ。この男だけは。
 だって、生理的にムカつくもの、この鳳凰院夏樹という男。
 うん、やっぱりそうよ。
 なんだ、そう思うと、やっぱり、夏樹に偽造婚姻届を破かれて正解だったじゃない。
 ……ん? でも待って。
 もともと、その婚姻届だって、夏樹が偽造したものなのだから……たとえ一枚破こうが、後から何度でも、いくらでも、作り直すということも可能なわけで……。結果は、同じということで……。
 ってことは、何!?
 別にあれを破いたからって、夏樹は痛くもかゆくもないってことじゃない!!
 必要になれば、何度でも偽造できるのだから。
 じゃあ、またしてもやられたということ!?
 ああ、そう思うと、何だかまた腹が立ってきたわ!
 結局また、夏樹のいいようにされたということじゃない!!
 きっと夏樹、わたしの反応を見たかっただけなんだ。わたしをためしただけなんだ。
 今、わたしの気持ちが、どうなっているかって。どこまでいっているかって。
 それで、夏樹としては、きっと満足のいく結果だったはず。……悔しいけれど。
 本当、なんて奴なの!!
 くう〜! ムカつく! 大嫌い!!


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update:03/12/07