悪魔からの誘い
ダイキライ

 夏樹はわたしをお姫様だっこしたまま、ダイニングへと連れてきた。
 今日の夏樹の帰りは、ここ三日とくらべて、遅い方だった。
 もう時計の針は、夜の八時と三十分を過ぎたところ。
 これから夏樹は、夕食をとるつもりなのだろう。
 ……そして、わたしもまだ夕食はとっていない。
 バトラーが「夏樹さまが、お先に召し上がっているようにとおっしゃられていましたが……?」なんて語尾をあやふやにして、わたしの意志を確認してきたの。
 まったく、ムカつくわ、ここの使用人って。
 何度も言うようだけれど、よく教育されている上に、夏樹に忠実なのよ。夏樹第一なのよ。
 そんな聞かれ方をしたら、わたし……「じゃあ、先に食べているわ」なんて言えなくなっちゃうじゃない。
 むしろ、そういう場合は、わたしの意志など確認せずに、ちゃっちゃと夕食を用意してくれちゃった方が、先に食べられるというものなのよ。
 きっと、それを知っていて、バトラーはあえてああ言ったのよ。
 わたしが、「ううん。待っている」と答えると確信して。
 まったく、主人が主人なら、それに仕える使用人も腹立たしいったらありゃしないわ! 大嫌い!!
 わたし、こんな人たちと、これからずっと生活していかなきゃならないわけ!?
 ああ〜、もう。想像しただけで、気が重いわよ……。

 ――ってだから、どうして、いつそうなったのよ!
 わたし、これからも夏樹とここで暮らしていくつもりなの? それってば。
 嫌だ。そんなのあり得ない。
 わたしは時期を見はからって、家に帰るつもりなのだから。
 そうよ。わたしの住み慣れた家へ。
 ちょうど都合がいいのよね。夏樹が婚姻届を破ってくれたおかげで、わたしたちはまだ結婚していないのだもの。
 だから、一緒に住む義理も義務もない。
 じゃあ、自分の家へ帰れるじゃないって……。
 帰れるはずなのに……どうしてわたしは、帰ろうとしないの?
 だって、そうじゃない。
 由布の監視がついているのは学校にいる間だけで、そこから一歩出たら、そのまま家へ帰ってもいいわけで……。
 ああ、でも夏樹のことだから、絶対どこかに別の監視役、しかもプロを雇って、それを監視にあてているかも……。
 ――じゃあ、やっぱりわたし、家に帰れないじゃない。帰ろうとしたら、絶対にこの屋敷へ連れ戻されるわ。
 って、ちょっと待ってよ、茗子。あんたの頭の中、今、ぐちゃぐちゃでしょう?
 さっきから、何を言っているのか全然わからないわよ。
 結局のところ、あんたは家へ帰りたいの? 帰りたくないの?
 ……わからない。もう、そこからわからないのよ、きっと。
 どうして?

 夏樹は、いつもの指定席、テーブルの上座に腰を下ろした。
 もちろん、夏樹がそこへ座る前には、角を挟んで、夏樹の左隣にわたしは座らされていた。
「茗子。夕食まだなのだって? 待っていなくてもよかったのに……」
 そんなことを言いながらも、嬉しそうにわたしの顔をしげしげと見てくる。
 その顔には、半分くらいはちゃんと書いてあるわよ。予定通りって!
 ムカつく。
 夏樹。あんた、今の自分の顔、鏡で見てごらん?
 言葉とは違って、あんたの顔、本当に嬉しそうだから。
 それが、残り半分なのでしょう?
 ――もう、頭いたい……。
 どうしてそんな顔できちゃうのよ? それも作っているの? 罠?
 本当にもう、ふにゃふにゃにとろけちゃうほど、あんたの顔、今、あまあまだわよ?
 企みが成功した顔までが、次第にそれに制圧されていっているわよ?
 ――くす。まあ、いいか。

 夏樹が席につくと同時に、夕食が運ばれてきた。
 今日は、一日目のようにフルコースとかじゃなくて、ごく普通の、一般家庭のお料理って感じ。
 四日目にして、ようやく家庭料理にありつける。
 ……と思いきや、やっぱり鳳凰院家。
 家庭料理という感じなのだけれど、使われている食材が違う。手の込め方が違う。そして、最も違うのは、その品数!
 一体、どのようにして、これだけの量を一度に食せっていうのよ!?
 ざっと見ても、おかずだけで二十品くらはあるわ!
 ここは、どこかの料理旅館かっていうの! 料亭かっていうの!
 ……ああ、はいはい。そう言ったら、夏樹、あんたどうせこう言うのでしょう?
 「当たり前じゃない。うちを何だと思っているの?」とか何とか。
 もう想像しただけで腹が立つから、何も言わないわよ……。
「そうそう、茗子。明日、暇だよね?」
 綺麗に飾り包丁が入れられた煮物の小鉢を取りながら、夏樹が思い出したように言ってきた。
「暇じゃない」
 当然、わたしは即答。
 夏樹に一瞥すら与えてやらず即答。
 もちろん、その言葉は嘘じゃない。
 だって明日、講義があるもの。
 っていうか、ストーカー夏樹だもん。絶対、そんなこと知っているはず。
 そして、またしても、知っていてあえてそう言うのよ。
 本当、なんて奴なのかしら、まったく。
 さすがに、そろそろ本気でまずいのよね。
 特に明日なんて、専門科目の講義があったりするから、そう簡単にさぼれやしない。単位が危ないわ。
 だから、もう夏樹の相手なんてしていられないのよ。
「そう。暇だね。よし、OK」
 もちろん、わたしの返事なんて、最初から夏樹には関係なかった。
 結局、そう言うに決まっていたのだから。
 って、ちょっと待て!
 わかっていても、やっぱり腹が立つものは腹が立つわ!
 何一人で納得しているのよ。その満足げな笑みは何!?
 全然OKなんかじゃないのだってば! もうっ!!
 本当に単位が危ないのだってば!
 そんなこと、ストーカー夏樹なら知っているじゃない。
 ずっとずっと、小さい頃からわたしのことを見てきたっていう夏樹なら。
 それなのに、さらりとそう言ってのけられちゃうわけ?!
 本当、信じられない、この男!
 自分さえよければ、それでいいわけ!?
 ――いいのよね、この男は……。
 もういいわよ。わかったわよ。もう、あんたの好きにして。
 どんなに抵抗したって、どうせ無駄なのだから。
 諦めたように大きくため息をもらすと、夏樹はくすりと笑い、わたしの右手を両手でふわりと握った。
「明日、ぼくオフなのだよね? だから、デートしようっ」
 上目遣いに、ねだるようにわたしを見つめてくる。
 だからって、だから何!?
 一体、何がどうなって、だからになるのよ!!
 ――く、く、悔しい!!
 絶対、この男、わかっていてしている!
 ええ、わかっていてしていないはずがない!
 夏樹の行動は、全てにおいて、計算されつくしているのよ。
 相手に有無を言わせぬように。
 ……たしかに、おねだりをしているようには見えるけれど、それっておねだりじゃない。脅しよ、脅し! 脅迫!!
 その目にこもる光は……悪魔の輝きを放っているのだもの!!
 っていうか、だから、夏樹、あんた、仕事しなさいよ、仕事!
 あんた、社会人なのでしょう? 鳳凰院の当主なのでしょう!?
 一体、鳳凰院という一族がどれだけすごいのかなんて、どんな事業を展開しているのかなんてわからないけれど、だけど、とにかくすごい一族なのでしょう? 忙しいのでしょう?
 今朝の運転手の慌てぶりから、使用人の動揺ぶりから、それはなんとなくわかったもの。
 夏樹がいないとまわらない仕事が、きっとたくさんあるのだって。
 その証拠に、今日だってこんなに帰りが遅かったじゃない。
 それって絶対、この三日間、ろくに仕事もせず、わたしにかまけ、さぼっていたからでしょう?
 いいの? そんなにさぼちゃって。
 もう、本当、なんてぐうたらな奴なのよ。
 仕事をほっぽって、デートだってさ!
 ふざけるなっていうのよ。まったく、何様のつもりよ!?
 ああ、そうだったわね。夏樹様でした、夏樹様!!
 もう、好きにしなよね!
「……どうせ、はじめからわたしの意思なんて関係ないって、また言うのでしょう?」
 じとりと恨めしげに視線をやったら、夏樹はにっこりと微笑んだ。
「茗子、すごいよ。よくわかったね?」
 ブチっ。
 もちろん、わたしの頭の血管の二、三本はぶち切れたわ。
 同時に、左手に持ちかえていたわたしの手の中にあったお箸が、ぼきっと音を立て折れた。
 わたしの怒りのために。
 右手は、相変わらず夏樹に握られたまま――

 いつか絶対、ぎゃふんっと言わせてやる!
 そう胸に誓った瞬間だった。


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update:04/01/01