モカ味ジェラート
ダイキライ

 今、わたしの目の前では、その山が次第に形をなくしていっている。
 といっても、素早くなく、不規則に。
 まるで、削られた山が宇宙船にのり、ブラックホールへ吸い込まれるように。
 だけどやっぱり、ゆっくりと、不規則に。
 わたしは、さっきからそれをじっと見つめている。
 自分のジェラートなんてそっちのけで。
 ――変なの。
「……? 欲しいの? 茗子」
 夏樹はひょいっとその山を、わたしへ差し出す。
 そして、後からついてくる、透明なプラスチックのスプーン。
 そろそろ真上にさしかかった秋の陽の光を浴び、キラリと光った。
 って、欲しくないわよ。
 ただ見ていただけじゃない。
 オープンテラスは結局人がいっぱいで座れなかったから、その前にあるロータリーに腰かけ、わたしと夏樹はジェラートを食べている。
 何か納得いかないけれど、ぴとっと寄り添って。
 ねえ、これってば、傍からみたら絶対あれよね?
 恋人同士とかいうもの!?
 嫌だわ……。気持ち悪い。
「いいよ」
 夏樹はわたしの返事も待たずに、そう言って、いきなり軽くちゅっ。
 どこって? そんなの決まっているじゃない。あそこしかないわ。
 同時に足元で、べちょっと小さく響く音。

 四度目のキスで、はじめてキスの味がわかった。
 ほんのり苦くて甘い、モカの味……。
 って、当たり前じゃない!
 モカ味のジェラートを食べていたのだから。
 じゃあ、今、唇から伝い、ほのかに口の中に広がるモカ味は、キスの味じゃなくて、ただのジェラートの味じゃない!
 っていうか、どうしてわたしは、そういうどうでもいいところにつっこみを入れているわけ!? 今!
 そうじゃなくて、この状況、この夏樹の行動に、もっと憤るべきじゃないの、茗子!!
 もう、本当、訳がわからない。夏樹も、わたしも!!
 こんな人目もはばからずなんて……。
 夏樹のバカ〜!
 ……っていうか、だから、キスされたことに怒りなよ、自分……。
 ――ああ、もう、わたし、なんだかんだ言って、結局、夏樹が好きなようにすることを認めているということ?
 嫌だなあ……。
「茗子……。ぼくに恨みでもあるの?」
 一人で苦悩しているわたしに、夏樹はそう言って、恨めしそうに自分の足元を指差した。
 「え?」なんて、そんなかわいらしい反応、今のわたしにはできない。
 だって、ちゃんとわたしにもわかっている。
 足元でした、さっきのべちょっという音は、これだったもの。
 夏樹の靴の上には、ちょこんとバニラとストロベリーとミントのジェラート。
 それをみとめた瞬間、わたしの顔から色がひいていく……。
 やばい……。
 なんて、わたしがしおらしい考えに至るとでも思っていた?
 そんなことあるわけないじゃない。
 ――ふん。恨み?
 そんなもの、ありまくるわよ。
 いきなり拉致られ、監禁され、脅され、婚姻届を偽造された。
 初ほっぺにちゅう、初首筋にちゅう、初おでこにちゅう、初手の甲にちゅう。
 そしてきわめつけは、わたしのファーストキスを奪ったばかりか、もうすでに四度もキスを奪いやがったのだから!!
 そんなの恨んで当たり前じゃない!!
 すべて、夏樹が悪いのよ。わたしは、全然悪くないわ!
 だって、まさか、こんなところでそんなことをするとは思っていなかったから、びっくりして、思わず手を放しちゃったのじゃない。
 いきなりキ……キスなんてするから、だから驚いて落としちゃったのじゃない。
 ジェラートを、夏樹のやたら高そうな靴の上に!!
 たしかに、今日の夏樹の格好は、カジュアルだけれど、だけど値段はカジュアルなんかじゃ絶対ないのよ!
 見てよ。この着ているシャツ一枚にしたってそう。
 その辺に売っている、数回洗濯したらもうよれよれになっちゃうような、そんなシャツじゃないわ、きっと!
 このつや、はりを見ればわかるもの。わたしだって。
 もう、本当、嫌味な男よね。鳳凰院夏樹。二十五歳!!
「だって、夏樹が悪いのじゃない! いきなりあんなことをするから!」
 きっと夏樹をにらみつけ、逆に非難してやった。
 すると夏樹は、やっぱり首をかしげ、何がいけないの?と、目で訴えてくる。
「あんなこと? 別に普通じゃない」
 普通じゃない!
 普通なんかじゃない!!
 いきなり、こんな人の多いところで、多いところで……。
 ……って、うわ〜っ! 夏樹の大馬鹿野郎!!
 誰かに見られていたら、どうしてくれるのよ!!
 しかもここ、わたしの学校の近く!
 知っている人の一人や二人、いたっておかしくない。
 こんの野郎、絶対、それをわかっていてわざとしたんだ。
 だから、あんたは鬼畜だって、悪魔だって、極悪だっていうのよ!!
 バカバカバカバカ。
 夏樹なんて、大嫌い!!
 ぐるぐると頭と目をまわすわたしの肩を夏樹は抱き寄せ、そっと耳もとでささやいた。
「だって、恋人同士でしょう?」
 そんなことを言ってのけやがったのよ。
 わざわざ肩を抱き寄せ、耳元で!!
 きい〜! ムカつく。本当、この男。
 どこまでも限りなく、わたしの神経を逆撫でしてくれる男だわ!!
 何を考えているのよ、この男!
 一体、誰と誰が、いつからそういう関係になったのよ!
 ほら、言ってみなさいよ。ほらほら。
 ここに証拠を提示して、きっぱりすっきりはっきりと!
 絶対、そんなことできないのだから。
 ……いや、できちゃう。できてしまう。この鳳凰院夏樹という男ならば。
 この男にかかれば、黒も白になっちゃうのだから。
 さりげなく、決して証拠が残らないように、さらっとしてのけるのよ……。
 ああ、もう。どうしてくれよう、この極悪男!!
「……いちゃつくのはいいけれど、もっと人目を気にしてくれない? 仮にもここ、学校の近く……」
 夏樹の腕に抱かれ、放心状態のわたしの耳に、そんな言葉が降ってきた。
 その言葉に覚醒したわたしは、きょとんと頭上を見上げる。
 するとそこには、呆れ顔の由布が立っていた。
 鳳凰院由布。二十歳。
 この極悪夏樹のいとこで、わたしの拉致に加担した男。
「由布!?」
「やっぱりね〜。こういうことだと思ったよ。茗子、今日学校に来ていなかったから」
 そう言って冷たい眼差しを向ける由布を、夏樹がじろりとにらみつける。
 まるで、いいところで邪魔するなよというように。
 しかし、由布はそんな夏樹なんておかまいなしに、言いたいことを言い続ける。
「でもさあ、夏樹も、もう少し茗子のことを考えてあげ――ああ、無理か」
 由布はそこで言葉を切り、わざとらしく大きなため息をもらす。
 って、そこで諦めるな、諦めるのじゃない!
 その続きが重要なのじゃない。その続きが。
 きっと、それってば、わたしの援護をしてくれる言葉だったのでしょう!? 助けてくれる言葉だったのでしょう!?
 もう。由布の意気地なし!!
「それじゃあ、俺は馬……ではなく、夏樹に蹴られないうちに退散しますよ。すごい目でにらまれているからね〜」
 由布はそう言って、ひらひらと手を振り、やる気なく駅へと歩いていった。
 その後ろ姿を、わたしは呆然と見つめてしまった。
 藁にもすがる思いのわたしは、あっさりと見捨てられてしまった。
 こら〜! 待て!! 蹴られても、殴られても、半殺しにされても、ここから去るのじゃない!
 この極悪スケベ夏樹と二人きりにするつもりか、由布の馬鹿!!
 うう……。せっかくふってわいたチャンスだったのに。千載一遇のチャンスだったのに。
 どうして、最後までわたしを助けてくれなかったのよお。
 言って逃げるなんてずるいじゃない!
 中途半端で放っていかれると、その方がかえって後が怖いのだからね、由布の馬鹿!!

 案の定、この後お迎えの黒塗りベンツがやってくるまで、わたしは針のむしろだった。
 そして、最も恐ろしいのは、夏樹の靴の上にジェラートを落としてしまったこと。
 この後、一体、どんなおとしまえをつけさせられるか……。
 恐ろしすぎて、想像できない。


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update:04/01/01