一人にしないで
ダイキライ

 ……やばい。
 はぐれた。
 夏樹とはぐれてしまった。

 わたしは、わたしと夏樹は、今、約束通り遊園地に来ている。
 食事が終わり、一息ついた頃、夏樹が「そろそろ行こうか」と言って、この都心部から少しはずれたちょっと大きな遊園地へやってきた。
 ここは、絶叫マシーンがけっこうたくさんあることで有名。
 ……やっぱり夏樹、抜け目ない。

 たしか、さっきまで、絶叫マシーン攻撃をしていたはず。
 絶叫マシーンに乗っている間だけは、横に夏樹がいてもどうということはなかった。
 だって、絶叫マシーンのおもしろさの前には、夏樹の極悪ぶりなんてちゃちなものだもの。
 平日とあり、人も少なく乗りたい放題。
 まさしくここは、わたしにとってパラダイス!
 それで、さすがに夏樹の方はまいってしまったらしく、このベンチに座っていたはず。
 今、わたしの目の前にある、この木陰になったベンチに……。
 夏樹が音を上げてしまったものだから、わたしは仕方なく、こうして、ハンカチを水でぬらしてきてあげたのじゃない。
 ムカつくあの夏樹のために!
 なのにあいつ、わたしの好意を踏みにじり、さっさと自分だけどこかへ行ったというの!?
 冗談じゃない! ふざけるな!!
 わたしのかけらほどの情けを、ないがしろにする気!?

 ――ふっ。
 しかしまあ、これはもしかしてもしかしなくても、夏樹から逃げ出すチャンス?
 はぐれたことをいいことに、このまま電車にのって自分の家へ帰っちゃえば……。
 って、ああ!! そんなこと無理! 絶対、無理!!
 だってわたし今、お金なんてまったく持っていないもの!
 夏樹に取り上げられちゃったのよ!
 っていうか、拉致られた日持っていた鞄とその中味は返してもらえたけれど、たったニつ。たったニつだけ返してもらえないものがあった。
 それは、携帯とお財布。
 あんの野郎〜。
 どこまでもちょこざいな奴。
 わたしが決して夏樹から逃げられないように、そんなところにまで手をかけていたのよ。
 くう……っ。
 これじゃあ絶対、何がなんでも、夏樹を見つけなければならないじゃない!
 本当、いけ好かない男ね。どこまでもはた迷惑な男ね!! 鳳凰院夏樹。二十五歳!

 ――というか、本気でやばくない?
 消えたといっても、この近くにいると思って、そうたいして気にしていなかったけれど、夏樹、全然戻ってくる様子がない。
 そして、辺りにもそれらしい姿がない。
 ねえ、どうして?
 嫌だ。やめてよ。まさか、わたし、置いていかれた?
 ううん。そうじゃない。そんなことあり得ない。
 夏樹からすすんでわたしから離れるはずないもの。
 ……じゃあ、どうして?
 どうして夏樹は、ここにいないの?
 どうして夏樹は、帰ってこないの?
 ――やだ。やめてよ。何だかとっても嫌な想像をしちゃうわ。
 でもだって夏樹、あれでも一応、鳳凰院家のご当主さまとかで、そんじょそこらのお金持ちと訳が違う……。
 じゃあ、それじゃあって、そっちの方へ想像がいっちゃうじゃない?
 やだ。本当にやめて。お願い、それだけは……。
 あんな極悪な奴を誘拐したら、誘拐犯の方が魂を抜かれちゃうわよ?

 ……早く戻ってきてよ、夏樹!
 じゃないとわたし、どんどんマイナスの方へと考えていっちゃう!
 一人でいると、不安になる。
 寒くなる。体も心も……。
 だからお願い、早く戻ってきて。一人にしないで。
「茗子? どうしたの?」
 不安できゅっと自分の体を抱きしめた瞬間、そんな聞きなれたムカつく声がわたしの耳に飛び込んできた。
 ばっと顔を上げ、しげしげと目の前にある顔を見る。
 目の前のそいつは、その男は、わたしの不安なんてそっちのけで、にこにこと微笑んでいる。
 ……馬鹿。夏樹の馬鹿!!
「はい。茗子、風船。茗子、昔からこういうのが好きだったでしょう?」
 そう言って、何事もなかったように、真っ赤なハートの風船を手渡そうとしてくる。
 馬鹿……。そうじゃない。そんなことじゃない。
 どうして気づいてくれないのよ。夏樹の馬鹿。
 余計なところには気がまわるくせに、肝心なところで抜けているのだから。
 唇をかみしめ、じっとうつむくわたしを見て、夏樹は何やらぴんときたようで、「は〜ん」と意地悪な笑みを浮かべた。
「何? 茗子、ぼくがいなかったから、淋しかった? 不安になったの? 怖かったの? 駄目だな〜。やっぱり茗子は、まだまだ子供だね」
 ――やめてよ。
 やめて、やめて。
 今、そんなことを言わないで。
 どうして、よりにもよって、こんな時にそんなことを言うのよ。
 どうして、そんな意地悪を言うのよ。
 夏樹の馬鹿。
 わたし……本当に怖かったのだから。
 もしかしたら、このまま夏樹は永遠に帰ってこないのじゃないかって。
 もう二度と、その姿をわたしの前に現さないのじゃないかって。
 ムカつく奴だけれど、いきなりいなくなるのは嫌。だめ。
 もう、誰かがいなくなるなんて嫌。
 わたしのすぐ横から、誰かがいなくなるのは。
 一人にしないで。
 いきなり一人になると、怖くて怖くてたまらない。
 もう嫌だ。あんな思いは、もう二度と……。
 それなのに、夏樹ってば、どうしてそんな意地悪を言うのよ!
 がばっと顔を上げ、きっと夏樹をにらみつけた。
「夏樹の馬鹿! 少しくらい優しくしてくれたっていいじゃない! どうして、いつもそう意地悪なのよ! どうして、わかってくれないのよ。あんた、わたしのストーカーなのでしょう!? 夏樹の馬鹿! 大嫌い!!」
 叫び出すと同時に、わたしの目からはぽろぽろと涙がこぼれ落ちていた。
 ……不覚。
 こんな奴の前で泣くなんて。
 こんな鬼畜、悪魔、極悪。人の心なんて、きっと持ち合わせていないような男の前で泣くなんて。
 次の瞬間、わたしは柔らかく、あたたかく、そして整髪料とシャンプーの香りに包まれていた。
 抱きしめられていた。抱きすくめられていた。
 夏樹に。極悪夏樹に。
 夏樹がわたしを抱きしめると同時に、夏樹の手にあったハートの真っ赤な風船は、夏樹の手から飛び立っていった。
 さよならって……。
 真っ赤な風船は、赤く染まった空へと飛んでいく。溶けていく。
 赤と赤の競い合い。
 風船の赤は次第に小さくなり、最後には空の赤にのみ込まれるように消えていった。
 なんだか、ちょっぴり悲しそうだった。淋しそうだった。
 それはまるで、今のわたしみたい。
 何かとてつもなく大きなものにのみこまれる、不安。恐れ……。
「ごめん……。ごめん、茗子。茗子を不安にさせていたのだね」
「不安なんかじゃないわよ」
 わたしは夏樹の腕の中で、小さな抵抗を試みる。
 だけど、夏樹を引きはなすことも、顔を上げてにらみつけることもできない。
 ただ、震える体を、夏樹に任せるだけ。
 どうして、震えているの?
 それはやっぱり、この目から流れ落ちるものが関係しているの?
「うん。わかっている。ごめん」
「何がごめんよ。訳がわからない」
 それでもやっぱり、わたしは憎まれ口をたたくの。
 今、この手を放されたら、また不安にかりたてられるとわかっているのに、それでも憎まれ口をたたかずにいられない。この極悪夏樹相手だと。
「一人にして悪かった。茗子は……隣にいる人間が突然消えることを、極度に恐れていたのだよね……」
 ……馬鹿。
 今頃気づいても、今頃思い出しても遅いわよ。
 ――そして、やっぱり夏樹は、このことも知っていたんだ。
 わたしの心に刻み込まれている、あの光景。あの残酷な光景。
「もう大丈夫だと思っていたけれど、まだ無理だったのだね。本当に、ごめん」
 夏樹は、夏樹の胸に埋めるわたしの顔をくいっと上げた。
 そして、じっと、わたしの泣きじゃくるみにくい顔を見つめる。
 次第にその顔はわたしへと近づいてきて、そっとわたしの頬に触れた。
 伝う涙をぬぐうように、夏樹の唇がわたしの頬を移動していく。
 それから、やっぱり、最後には唇に到達し、軽く触れた。
「大丈夫。もう絶対、茗子を一人にしない。……誓うよ」
 また、誓い。
 夏樹はまた一つ、わたしに誓いをたてた。
 夏樹の誓いは、まだ違えられたことがないことを、わたしは知っている。
 だって、誓い達成未満だもん。全部……。
 だけど、何故だか、夏樹の誓いだけは信じられる。
 そして、五度目のキスは、優しい味がした。
 夏樹の精一杯の思い、誓いの味がした。

 夏樹の誓いは、わたしと結婚して、幸せにして、逃がさなくて、わたしが夏樹を好きになって、そして、一人にしない。
 これで、五つになった。


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update:04/01/01