二人で迎える朝
ダイキライ
〜第三部・因縁〜

 きらきらと、南に面した窓の東から、秋の朝の清々しい陽光がカーテンの隙間をぬって差し込んでくる。
 心地よい、優しい光。
 秋の太陽に包まれ、わたしはぼんやりと目を覚ました。
 朝のまどろみの中、わたしの手を握り、シーツの海に身を沈め、横で眠る男を見る。
 少し長い前髪が、長いまつげにかかり、そしてほんのり微笑をたたえ眠っている。
 ふわりと、かぎなれた整髪料とシャンプーのまざったあの不思議な香りが、わたしの鼻をくすぐる。
 まるで、抱きしめられているような感覚に陥る。

 ――やっぱり、また何もない。
 あれだけ焦らしてやったのに、何もない。
 それはやっぱり、夏樹の優しさ。
 まだ駄目って、まだ早いって、わたしの心は警告しているの。
 こうして、シーツの海に二人で身を沈め、すぐ横で夏樹のぬくもりを感じていられるだけで、わたしは幸せなの。
 何もないけれど、やっぱりわたしはこれがいちばんいい。
 わたしの横で、安心したように寝息をたてる夏樹が好き。
 だけど、それ以外の夏樹は……一人にしないと誓った時の夏樹以外は、まだ嫌い。大嫌い。
 それが、昨夜のできごと。

 ねえ? 夏樹、気づいているよね? もちろん。
 わたし、今は、それほどあんたのことを嫌いじゃないかもしれないって。
 ずっとずっと、こうしていたいと思っているって。
 ねえ、だから、一晩中手をはなさずに、ずっとわたしの隣で寝ていてね?
 そして、朝目覚めたら、いちばんにこう言って。
 「茗子、おはよう」って。
 その悪魔の微笑みを隠した天使の微笑みでもいいから。ね? お願い。
 不覚にも、昨夜そう思ってしまい、そして一緒に朝を迎えてしまった。


 わたしは、悪魔にさらわれた。
 あっという間につかまり、黒い箱へと押し込まれ、そのまま拉致られた。
 そして、悪魔の口から出た言葉は、「結婚しよう」。
 わたしは、悪魔の花嫁に選ばれてしまった。
 悪魔の名前は、鳳凰院夏樹。二十五歳。
 妙に名字だけは立派な奴。
 そう思っていた。
 だけど、立派なのは名字だけじゃなく、その性格もかなりのものだった。
 鬼畜。悪魔。極悪。
 犯罪めいたことだって、平気でさらっとしてのける。
 拉致。監禁。脅迫。婚姻届偽造。ストーカー。
 何だって、すました顔で事もなげにしてのける男。
 初ほっぺにちゅう。初首筋にちゅう。初おでこにちゅう。初手の甲にちゅう。初髪にちゅう。
 それを奪った男。
 ファーストキスを奪い、七度目までのキスを奪った男。
 そして、わたしにほっぺにちゅうを奪われた男。
 鳳凰院夏樹。
 それは、この世で最も嫌いな男の名――

 この世で最も嫌いなこの悪魔は、この世で最も欲しい言葉をくれた。
 腹立たしいことに。
 この極悪悪魔は、わたしに言った。
 ぎゅっと抱きしめ、優しくわたしを包み込み。

 一人にしない。

 それは、それほどわたしの心を救ったことだろう。
 胸の辺りが妙にくすぐったくて、とてもあたたかな気持ちになったことを覚えている。
 それが昨日のこと。

 だから、わたし……この極悪悪魔夏樹から、もう逃げないと思う――

 一人にしない。
 それは、わたしにとってどれほど大きな言葉だったのか、この極悪夏樹は、果たしてわかっているのだろうか?


 ちらちらひらひら、丸い空から舞い落ちる、真っ白な粉雪。
 それは、すぐに街中に白い化粧をさせた。
 この冬はじめての雪が降った日。
 うっすら積もりはじめた雪は、妙にわたしの心を弾ませる。
 うきうきと、少しうかれ模様。
 そんな白銀に染まりはじめたわたしの世界が、一瞬にしてどす黒く変わった。
 ……ううん、あれは、真紅だったかもしれない。

 気づくと、今まで横で歩いていた人が消えていた。
 きょろきょろと辺りを見まわしてみても、その人はいない。
 街中が明日のクリスマスイヴを控え、ざわついていた。活気に満ちていた。
 こんな人が多い日だから、気をつけていないと、すぐに人の波にのまれ、はぐれてしまうことなんてわかっていたはずなのに、気づけば横にいるはずの人はいなかった。
 ――結局、はぐれてしまったんだ。
 仕方がないから、がさごそと鞄をあさり、PHS(ピッチ)を取り出した。
 そう。はぐれたって大丈夫。
 だって、ピッチという便利なものがわたしにはついているのだから。
 ピピっと音を鳴らせ、メモリを呼び出す。
 あった……。これが、あの人のメモリ。
 そして、通話ボタンに手をかけようとしたその時だった。
 キキー。
 そんな嫌なブレーキ音が、街中に轟いた。
 瞬間、ドン。
 鈍い音がした。
 何かやわらかいものとかたいものがぶつかったような、鈍い音。
 そして、辺りのざわつきが、不気味な空気をはらみはじめる。
 ざわざわざわ……。
 これは、耳に入ってくる音だけじゃない。
 わたしの心もまた、そんな音を上げていた。
 嫌な予感がする。
 人だかりができたそこへ、人の波を掻き分け行ってみると――

 その刹那、雪化粧を施し、白かったわたしの世界が、真っ赤に変わった。
 目の前が、鮮やかな赤に変わる。
 鮮血の赤――
 それが、八年前の冬のできごと。


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update:04/01/03