おはようの願い
ダイキライ

「茗子、おはよう……」
 目を覚まし、ベッドから抜け出ようと身を動かすと、夏樹が目を覚ました。
 ゆっくりと開けられた夏樹の目は、瞬時にわたしの姿をとらえた。
 そして、つないだままの夏樹の手が、ぐいっとわたしの手を引き寄せる。
 その瞬間、ぐらりと体がよろけ、夏樹の上へと倒れこむ。
 そんなわたしを抱きしめ、夏樹はこう言った。
 気だるそうに。嬉しそうに。

 夏樹は、わたしの昨夜の願いを、こともなげに叶えた。
 ……やっぱり、いけ好かない男。

「……おはよう。とにかく、この手、放してくれない? つながれたままじゃ、わたし、動けないのだけれど?」
 ぐいぐいと夏樹の体を押しながら、夏樹から逃れようとする。
 だけどやっぱり、夏樹ってば、嬉しそうに微笑み、きゅっとわたしを抱きしめる。
 まるで、自分のもののように、わたしを抱きしめるの。
「いいじゃない。今日は土曜だし……もうちょっと寝ていよう……」
 そんな子供じみたわがままを言って、夏樹はまたゆっくりとまぶたを閉じた。
 やっぱり、近くで見ると、夏樹のまつげは長かった。
「……ったく。何なのよ、この男。本当、調子にのって!」
 夏樹の腕の中で、もがいてみせる。
 だけどやっぱり、びくともしない。
 この男、寝ようとか言っておきながら、さっぱり寝る気なんてないのよ。
 ただ、何か口実を、理由をつけて、わたしに触れていたいだけなのよ。
 ええ。傍から聞くと、とてつもなく自信過剰な言葉に聞こえるかもしれないけれど、この場合、自信過剰なんかじゃ全然ないのよ!
 見てよ、この顔!
 嬉しそうな顔の裏に隠れた、悪魔の微笑み!!
 ……ったくう。また、夏樹にいいように扱われているのよ、結局、わたし!!
 その時だった。
 乙女部屋の扉がコンコンコンと鳴った。
 助かった!
 助けが来た〜!!
 そう思ったわたしは、夏樹の胸の中で力いっぱい叫んでいた。
「どうぞ!!」
 わたしの叫びに、扉の向こうで、ノックの主が、一瞬びくっと驚いたような気配がここまで伝わってきた。
 だけど、そんなことにかまっていられない。
 とにかく今は、この図体の大きいこどもを、何とかしなきゃならないのだから。
 わたしの返事に、扉の向こうから言葉が返ってくる。
「……? 失礼します……?」
 そんな、疑問形の言葉だった。
 がちゃりと扉が開き、バトラーが入ってきた。
「ああ。開いちゃいましたね〜……」
 そして、のんきにそんな言葉をもらす。
 開いちゃいましたね〜って、開くに決まっているじゃない!
 ……え?
 ということは、バトラーは、いつも夏樹がこの乙女部屋に鍵をかけていることを知っていたということ?
 じゃないと、「開いちゃいましたね〜」なんてのんきな台詞はでてこないわ。
 ちょっと、どうして知っているのよ、そんなこと!!
 っていうか、あんたは知っていて、今まで知らないふりをしていたの!?
 んもう〜、本当、ここの使用人って、その主人と一緒で、ことごとくムカつくわね! 大っ嫌い!!
 だけど、とりあえず、今はこれ。
 我慢。我慢。
「た、助けて〜。久能(くのう)さ〜ん。夏樹、起きてくれないのおっ!」
 ぐいぐいと夏樹を引きはなしながら、わたしはベッドの中で、バトラー――つまりは、久能さん――に助けを求める。
 すると久能さんは、やれやれと深いため息をこぼし、ベッドまでゆっくりと歩いてくる。
「……夏樹さま。失礼します。お楽しみのところ申し訳ございませんが……」
 って、ちょっと!!
 楽しんでない!!
 楽しんでなんか、全然ない!
 むしろ、困っている!
 困りまくっているのよ〜っ!!
 と叫びたいところ、必死にこらえ、久能さんに助けを求めるように視線を送る。
 すると久能さんは、あっさりとそんなわたしの視線をかわし、言葉を続ける。
「少し……面倒なことが起こってしまったようで……」
 目をつむる夏樹の耳元に顔を近づけ、そうささやいた。
 その瞬間、夏樹はぱっと目を開け、わたしを解放して、じっと久能さんを見つめる。
 久能さんもまた、真剣な眼差しを夏樹にむけ、こくりとうなずいた。
 ちょっとちょっと、何なのよ、この異様な雰囲気。
 見る人が見れば、そうなっちゃうわよ?
 い〜や〜! 禁断の愛だわ、禁断の!!
 ……だから、どうしてわたしはすぐ、こうして脱線するのよ。
 もう、嫌になっちゃう。わたしのこの頭。
「……わかった。すぐ行く」
 久能さんの言葉に答え、夏樹はむくりと起き上がり、ベッドから出て行く。
「な、夏樹?」
 訳がわからず、とりあえず夏樹の名前を呼んでみた。
 すると夏樹は振り返り、すまなそうに微笑みを向けてくる。
「ごめん、茗子。今日は一日中、一緒にいられるはずだったのだけれど……。今すぐに、でかけなければならない用事ができてしまって……。――かわりと言っては何だけれど、あとで由布をよこすから、とりあえず朝食をすませておいてくれる?」
 そう言ったかと思うと、夏樹はすいっと顔を近づけ、ちゅっと、また軽くわたしに口づける。
 ……これで、八度目。
 だけど、今度のキスは、嫌。
 だって、今度のキスは、何だか、罪滅ぼし……の感じがするから。
 そんなキスは……嫌。

 非難するように、訴えるように夏樹を見上げた。
 すると夏樹は、やっぱり困ったように微笑む。
 だけど、ここで夏樹を引き止めてはいけないことくらいわかる。
 っていうか、どうしてわたしが引き止めるのよという感じだけれどね。まあ、一応、そう言っておいてあげるわよ。いくら大嫌いな夏樹でもね。
 夏樹が、すぐに行くということは、それ相応のことが起こったに違いないということよね。
 だったら、わたしの返事は決まっている。
「さっさと行けば? あんたがいないと思うと、せいせいするわ」
 そう言って、しっしっと、犬を追い払うように夏樹を扉へと促す。
 そしたらやっぱり、夏樹は困った顔でわたしを見るの。
「本当に、ごめん……」
 そう言い残し、わたしに背を向け、そのまま去っていった。
 何のためらいもなく……。
 どうして、行っちゃえるの……?
 そんな思いが、何故だか心をかすめる。
 夏樹はわかっている。ちゃんとわかっている。
 わたしを一人にしないと誓ったこと。覚えている。
 この場合、仕方ないものね。
 だから、素直に見送ってあげるわよ。
 それに、さっき言ったことはあながち嘘じゃない。
 夏樹がいない方が、ある意味ほっとする。
 一緒にいたら、いつ危険にさらされるかわからないもの。乙女の貞操が!

 ――だけどやっぱり、わたしの心は、行かないでって言っているのかもしれない。
 だって、今、心にぽっかり穴があいたような気がするから……。
 夏樹の去った後のベッドは、まだぬくもりが残っているはずなのに、何故だか冷たい。

 ねえ、どうして?


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update:04/01/03