あの日の光景
ダイキライ

 彼の名は、三橋涼(みつはしりょう)
 わたしより三歳年上の、二十三歳。
 今年の春、大学を卒業したばかりの社会人一年生……。
 とは建前で、本当はもうずっとお仕事をしている。
 それをわたしが知ったのは、四年前。
 ちょうど涼ちゃんが大学に入った頃。
 涼ちゃんは、八年前までお隣にいた、幼馴染みとかいうもの。
 全寮制の高校へ行っちゃって、それきり会っていない。
 どうしてそんな高校へ行ったかというと、それは、涼ちゃんの家に大きくかかわること。
 涼ちゃんの家は、実はどこかの企業の社長さんらしく、大学入学と同時に、お父様のお手伝いをしていたらしい。
 それを知ったのが、四年前。涼ちゃんのお母様から聞いた話。
 そして、今年、涼ちゃんが入った会社も、もちろんお父様の会社。
 それで今まで、これまでの経験もあり、支社を任されていたみたいだけれど、この度、本社へようやく戻ってくることができたみたい。
 支社を任されるって、それってば、すごいことだよね?
 やっぱり、お父様が社長さんだから?
 ううん。そうじゃなくて、涼ちゃんがすごい人だから。
 てきぱきとそつなく仕事をこなし、すでに若社長と言われているらしい。
 それもまた、涼ちゃんのお母様から聞いた。
 昔から、涼ちゃん家とうちはお隣同士ということもあり、結構親しいおつき合い。
 涼ちゃんが全寮制の高校へ行ってからも、涼ちゃんの家とはおつき合いがある。 
 だから、わたしも度々、涼ちゃん情報を入手し、すごいな〜とか思っていた。
 そんな涼ちゃんが、この度帰ってきた。

「そ、それよりも、涼ちゃん。八年ぶりね!」
 とにかくこれまでの話題からそらそうと、そう言ってみた。
 告白だとか、今わたしは夏樹の屋敷にいるとか、夏樹に拉致られ、監禁され、偽造婚姻届に、ファーストキスだとか……そういうのを全部誤魔化すために。
 すると涼ちゃんは、少し悲しそうな顔で、困ったように微笑んだ。
「そうだね……。あれから八年……。あんな別れ方をしたから……」
 そう言って、涼ちゃんはわたしを見つめる。


 そう。あれから八年。
 八年もたった……。
 八年もたったけれど、だけどわたしは忘れることができない。
 あの光景を。
 一瞬にして目の前が赤く染まり、そして真っ暗になった日のことを。
 八年前のクリスマスイヴ前日、一緒にわたしと歩いていたのは、この涼ちゃん。
 二家族そろってクリスマスパーティーをしようということになり、わたしたちは、次の日の買出しを頼まれ、一緒に街へ出ていた。
 そして、気づいた時には、涼ちゃんはわたしの横からいなくなり、次に見た時には、赤い海と化した道の上に倒れていた。
 奇跡的に涼ちゃんは助かった。
 あんなに大量の血を流していたにもかかわらず……。
 どうしてあんなことになったのか、わたしは知らない。
 そして、涼ちゃんもそれを語らぬまま、怪我が治るとそのまま、高校へ入学してしまった。
 理由を聞いたけれど、「聞かないで欲しい」という涼ちゃんの言葉で、結局わたしは聞けないままに終わっていた。

 多分……この頃はわたし、まだ小学生だったから、だから夏樹の監視もそう頻繁にはなく、そして幼馴染みということもあり、監視の目も甘かったのだと思う。
 さらには、わたしが中学に上がると同時に、もう涼ちゃんはわたしのそばからいなくなっていた。
 だから、多分、夏樹はもちろん涼ちゃんを知っているだろうけれど、由布は知らなかったんだ。

 それから八年。涼ちゃんとは一度も会っていなかった。
 それが今、再会した。
 今でも、あの時の恐怖は、衝撃は、鮮明に思い出される。
 そして、寒くなる。
 凍えてしまいそうに、寒くなる。
 体も、心も……。
 もう嫌。
 隣にいた人がいきなり消えちゃうなんて、もう嫌。
 あんな、あんあ光景は、もう二度と見たくない。


 ぽろぽろぽろ……。
 気づくと、わたしの目からこぼれるものがあった。
 まただ……。
 また……あの日のことを思い出すと、今でも涙が出てくる。
 そしてまた、寒くなる。
 涙を流し、さらには真っ青な顔で、ぶるっと身震いしたわたしを見て、由布も涼ちゃんも顔をゆがめた。
 由布にいたっては、どうして今、わたしがこんなことになっているのかわかっていないみたいで、険しい顔でわたしの様子をうかがっている。
 だけどやっぱり、涼ちゃんにはわかってしまう。
「茗子……」
 涼ちゃんは苦しそうにそうつぶやくと、またすいっとわたしを抱き寄せた。
「ごめん、茗子。まだ、お前の心は癒えていなかったのだな。無理もない。あんな光景を目の当たりにしたのだから。……だけど大丈夫。俺は死なない。何があっても死なないから。そして、あんな光景、もう二度と茗子に見せたりしないから……。だからもう、あのことは忘れていいのだよ。ほら、現に俺は、こうして今、茗子の前にいる。な? 大丈夫だよ」
 涼ちゃんはそう言って、わたしの頬を伝う涙をくいっと手でぬぐった。
 少し、乱暴に。だけど優しく。
 ……大丈夫。
 わかっている。
 わかっているけれど、まだ駄目なの。
 わたしの心はあの日のまま、悲鳴を上げたままなの。
 どうしても不安になる。
 そこにいるはずの人がいなくなると……。
 由布はやっぱり、そんなわたしたちを険しい顔で見ていた。
 ……訳がわからないと――

 涼ちゃんはその後、用がないなら一緒に家へ帰ろうと言った。
 だけど、一緒に帰ることなんてできない。
 だって、わたしが帰る家は、今はもう、狩野家ではないから。
 わたしが帰る家は、鳳凰院邸。
 きっと、狩野家に帰ろうとしたら、わたし、その場でつかまって、連れ戻されちゃう。
 そんなことをしたら、全てが涼ちゃんに知られてしまう。
 まだ……駄目なの。知られては……。

 ううん。そうじゃない。
 わたしは、夏樹のところへ帰らなきゃ駄目なの。夏樹のところへ帰るの。
 だって、約束したもの。
 わたしは、夏樹の復讐に力を貸すって。
 そして、夏樹も誓ってくれた。
 もう、わたしを一人にしないって。
 だから、だからわたしは、夏樹のところへ帰るの。約束を守るため。
 拉致ったり、監禁したり、脅迫したり、婚姻届を偽造しちゃったり、ストーカーだったり、そんな危なくて犯罪者で、極悪だったりする夏樹だけれど……夏樹は、それでも……ううん、それだから、誰よりもわたしのことをわかってくれている。
 だから、わたしは、今は夏樹のそばにいてもいいと思う。
 夏樹なら、そういう点においては信じられると思う。
 ……そりゃあ、乙女の貞操が常に危ないということはあるけれど、そういうところをのぞけば、夏樹は信用できる奴かもしれない。
 夏樹が誰よりもわたしを好きということは、わたし、ちゃんとわかっているから。
 でも、わたしは、あんな極悪悪魔なんて、大嫌いだけれどね?

 涼ちゃんに誘われ困っているわたしに、由布はようやく助け船を出してきた。
 この後、大学の友達と約束があるとか何とか言って、由布はその場からさっさとわたしを連れ出してくれた。
 涼ちゃんには悪いけれど、少しほっとした。
 やっぱり……涼ちゃんの顔を見るのは、嬉しいけれど、まだ辛い――
 涼ちゃんを見ると、あの日の光景が鮮明によみがえってくるから。
 あの血の海に身を沈めた、すぐ近くにいるはずの人の光景が……。
 もう、大好きな人が、そばにいる人が、そういうめにあうのは見たくない。
 そして由布は、涼ちゃんと別れた後、わたしにこう言ってきた。
「茗子の家にも手をまわして、茗子が今、鳳凰院邸にいることも、夏樹とのことも、誰にも話さないように、もう一度念を押しておく」
 どうやら、これまでの一連の夏樹の強行は、ごく内輪だけしか知らないことみたい。
 由布の言葉でそれがわかった。
 ……それはつまり、まだ、知られてはまずいということなのかな?
 鳳凰院家のこともまだよくわからないし、夏樹が言っていた戦場や戦友という言葉も、いまいちよく理解できていない。
 だって夏樹は、鳳凰院家のご当主さまでしょう? 何でもできると言ったじゃない。鳳凰院家で夏樹に逆らえる人はいないと言ったじゃない。
 なのにどうして、戦わなきゃならないの?
 夏樹がわたしと結婚すると言っちゃえば、すむ話なのじゃない?
 ……そう思ったけれど、やっぱりそうじゃないのだと思う。
 きっと、鳳凰院家という家は、わたしが思っている以上に、複雑で、危険なのかもしれない。


 ところでわたし、結局、涼ちゃんに返事をしていないや。――告白の……。
 ……返事はもう決まっているけれど、どうしよう?


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update:04/01/03