キスはブラックピーチ
ダイキライ

 黒塗りベンツで街へ連れ出された。
 もちろん、こんな怪しげな車が町中を走れば注目の的。
 しかもそれが、こんなところに横づけされたら、それはさらにだわよ。
 黒塗りベンツが横づけしたそこは、ガラス張りで店内が見えるカフェエリアを設けたケーキ屋さん。
 しかも、何というのか、ここは、メルヘンなのだか、ファンシーなのだか……。
「ね、ねえ、夏樹? ここ?」
 かちゃりと扉が開かれ、車から出ようとする夏樹のシャツのすそをくいっと引っ張り、わたしは恐る恐る聞いてみた。
 すると夏樹は、にっこりと微笑み、さらりと答える。
「そうだよ。まずは、お茶にしよう?」
 ……はい……。
 わかりましたよ、わかりました……。
 もう抵抗いたしません。
 っていうか、ショピングじゃなかったのかよ、という感じだけれど、まあ、いいか。
「……夏樹。やっぱりあんた、わたしのストーカーよね〜……」
 車から出て、お店を見上げ、わたしはしみじみとそうつぶやいた。
 すると夏樹は、きょとんとして首をかしげる。
 わたしは、これみよがしに大きくため息をついた。
「どうして、わたしがこのお店が好きなのを知っているのかな〜……なんてことは聞かないし、甘いのが苦手なくせに、よくここへ入ろうなんて思ったよね〜……なんてことも言わないわ」
「それはよかった。ありがとう」
 ムカっ。
 さらりとあっさりと認めるのじゃないわよ!
 ちょっとは否定してよね。ムカつく。
 夏樹はまたにっこりと微笑み、さりげなくわたしの腰に手をまわし、エスコートする。
 もちろん、まわされた手の甲を、ぎりりとつまんでやったけれど。
 ……ったく。なれなれしくするのじゃないっていうの!
 わたしはまだ認めていないのだからね。
 っていうか、よかったって何!? ありがとうって何!?
 わたしは今、思い切り嫌味を言ったのよ!? それなのに、ありがとう!?
 本当、いけ好かない男だわ。そんな嫌味も、さらっと流しちゃうなんて。
 ……ちょっと待って。そっちに気をとられちゃったけれど、たしか夏樹、ストーカーという言葉、まだ一度も否定していないわよね?
 え……? ということは何!? 夏樹、やっぱり、わたしのストーカー!?
 ――ま。いっか。
 夏樹の腕をぐいっと引き、上目遣いに猫なで声を出してみる。
「ね〜え、夏樹〜。わたしね〜、ここの〜、ブルーベリーソースがかかった〜、レアチーズケーキがいいなっ」
 すると夏樹は、少し驚いたように目を丸くしたかと思うと、すぐにまた、あのムカつく天使の微笑みを浮かべた。
「もちろんいいよ。そうだと思ったからきたんだ」
 ……やっぱり。
 くそおっ。そこまで、やはり知っていたのか、この男……。
 ああ、もう。どうして夏樹ってば、こう何から何まで知っているのよ、わたしのこと!!
 なんか、だんだん怖くなってきたわ、本当に……。
 ななめ下からぎろりとにらみつけると、夏樹はそのにらみにまたにっこりと微笑みをかえしてくる。
 ……ったく、この男のこの笑顔は、本当になかなか崩れないわね。
 わたしだってまだ、何度かしか崩れたところを見たことがないわ。
 ……まあ、崩れたところは何度かあるけれど、それは、天使の微笑みではなく、悪魔の微笑みをたたえているから、つまりは同じということよね。
 この何を考えているのかわからない、はりついたような笑顔。
 わたしは、夏樹のこと、まだ全然といっていいくらい知らないのに、夏樹はわたしのこと全てを知っているという感じ。
 なんだか、嫌だわ。わたしばかり知られているというのもそうだけれど、わたしが夏樹のことを全然知らないということが。
 ……っていうか、夏樹、聞いても教えてくれないし。
 はぐらかして、あまり自分のことを話そうとしない。それが、鳳凰院家のことになるとなおさら。
 ……夏樹の……その胸に秘める復讐心、憎しみ……そして望みは聞いたけれど、だけどやっぱり……もっともっと夏樹のことが知りたい。
 甘いのが苦手ということくらいしか、わたし、まだ知らないわ。
「やっぱり、やめた。ねえ、夏樹、他のお店にしよう」
 突然踵を返し、そのファンシーなケーキ屋さんから離れようとするわたしに、夏樹は少し慌てて顔をのぞきこんでくる。
「え? でも、茗子。ここのレアチーズケーキが……」
 のぞきこんできた夏樹の顔をぺちょっと右手でおしのけながら、ぶっきらぼうに言ってみせた。
「だって夏樹、甘いの苦手でしょう?」
「え……?」
 夏樹は押さえつけるわたしの手を握りながら、驚いたように見てくる。
 ふふ。
 そういう顔が見たかったのよ。
 夏樹の笑顔が崩れる顔。
「わかっているわよ、それくらい」
 わたしの手を握る夏樹の手を思い切り振り払い、くるりと夏樹に背を向けた。
 すると、後ろからまた、ふわっと、整髪料とシャンプーの香りに包まれた。
 また……やられた。こんな町中で。人の多いところで。抱きしめられた。しかも、後ろから!
「な、夏樹!」
 夏樹の腕を振り解こうともがいてみたけれど、やっぱり夏樹はその手を放さない。
「……嬉しい。茗子が、ぼくに気をつかってくれるなんて」
「ちっがーう!! 甘いものが苦手な奴と一緒にお店に入ったって、つまらないからよ!」
 さらに夏樹から逃れようともがいてみるけれど、やっぱり夏樹は放してくれない。びくともしない。
 ……っていうか、マジでやめてよう。
 こんな日曜の朝から、人通りの多いところで、こんなこんな……。
 もう、いや〜っ!!
 一体、この男、何を考えているのよ!
 大嫌い!!
「ねえ、夏樹。いい加減、放してってば、うっとうしい!!」
 もがくことをやめ、今度は一発肘鉄を食らわせてやった。
 すると、ようやく夏樹は手を放した。
 と思った瞬間、くる〜りとわたしの体を一八〇度回転させ、夏樹に向き合わせる。
 回転したそこには、めちゃめちゃにとろとろな夏樹の顔があった。
 あ、頭痛い……。
 思わず頭をかかえ、よろけそうになってしまった。
 だから、この男のこういうところ、どうにかして〜!!
「この近くに公園があるから……そこでもいいかな?」
 頭をかかえるわたしの耳に、そんな言葉が入ってきた。
 きょとんと夏樹を見上げると、夏樹はやっぱり微笑んでいた。しかも、めちゃめちゃ嬉しそうに。
 わたしは思わず、こくんとうなずいていた。
 するとやっぱり、夏樹はにっこり笑う。


 夏樹が言う通り、近くには公園があった。
 街の喧騒の中にあるにもかかわらず、どこか落ち着いた雰囲気をかもし出した公園。
 この公園、なかなかに大きなところらしく、少し奥へ入ると池があり、貸しボートなんていうものもあった。
 そして、その手前には噴水もある。
 あまり大きくも小さくもなく、程よい感じの噴水。
 わたしたちは、その噴水の前にある木陰のベンチに腰かける。
「はい。茗子、どうぞ」
 夏樹は、わたしが腰を下ろす直前、そう言って、どこから取り出してきたのか、白い絹のハンカチをベンチの上に敷いていた。そして、そこに座るように促した。
 ……って、だからこの男、どこまでこういう気障なことをスマートにできる男なんだ!
 まったく、一緒にいるこっちが恥ずかしくなるわよ!
 紳士なのだか、ただの気障なのだか、わからないこの行動……。
 っていうか、あんた、一体、いつの時代の人間よ。そんなことを当たり前のようにしてのけるなんて。
 ……まるで、王子様みたい。
 くうっ。これもさりげなく、乙女の憧れなのよね。
 乙女ハンカチ。
 しかし、そんなどこかのおとぎの国の王子様みたいなことをさらっとしてのけた、絹のハンカチに似合わないものが、わたしたちの手の中にはあった。
 この公園に入ってすぐ、自動販売機で買った缶コーヒーと缶ジュースが。
 もちろん夏樹は、ブラック無糖。そしてわたしは、あまったる〜い果汁一〇パーセントのピーチジュース。
 これで、果肉入りとかだったら最高だったのに。
「くすくす。やっぱり信じられない。夏樹がこんなことできちゃうなんて」
 ベンチに腰かけると、缶ジュースのふたを開けようとプルタブに手をかけながらそう言った。
 すると、横からすっと夏樹の手がのびてきて、わたしから缶を奪い取る。
「どうして? ぼくだってこういうこともするよ?」
 そう言いながら、プシュっと音を立てふたを開けて、またわたしの手に戻す。
 ……まったく、本当、嫌味な男ね。
 どうして、こういうことを自然にしてのけるのかしら。
 だから、こういうことをされると、逆にこっちが恥ずかしくなっちゃうのよ。
 こんな気障な優しさも、やっぱり乙女の憧れだって知っている? 夏樹。
 もう、本当、ムカつく男!
 ……だから、お礼なんて言ってやらない。
「信じられない」
 ぷいっと夏樹から顔を背け、ごくごくとピーチジュースをのどへ流し込む。
 すると、口いっぱいに、やっぱりあまったる〜い桃の風味が広がった。
 果汁一〇パーセントといっても、香料やら何やらで、ちゃんとピーチの味がするようになっている。
 まあ、作られた桃の味だけれど?
 そして、わたしの顔の向こうでは、同じくプシュっとふたを開ける音がした。
 しかも、くすくすと小憎らしく笑う声とともに。
 本当、ムカつく。この男。大嫌い!
「……茗子」
 顔をそむけたまま、一向に顔を戻そうとしないわたしに、ななめ上から夏樹の声がかかった。
 何よ。何か用!?
 そう思った瞬間、多少強引にのびてきた夏樹の手が、夏樹の顔へとわたしの顔をぐいっと近づけた。
「いい加減、こっちを向いてよ。これじゃあ、話もできない」
「話すことなんてありません」
 ぎろっとにらみつけると、夏樹は少し困ったように微笑を浮かべた。
 その顔は、「やれやれ。やっぱり、茗子は子供だな」なんて、そんなことをいっている。
 本当、大嫌い、この男。ムカつく!
 ……だけど、夏樹はそんなわたしを、変わらず優しげな瞳で見つめていた。
 や、やめてよ。そんな目で見るのは。
 またぷいっと顔をそむけようとしたけれど、わたしの頬に触れている夏樹の手がそれを許さなかった。
 そして、やっぱり降ってきた。夏樹の顔。
 秋晴れの太陽が降り注ぐ、さわさわとはずれの音がする、そんな噴水の前のベンチで。
 ……これで、九度目。
 やっぱり軽く触れる程度だったけれど、長い長いキスだった。
 触れたそこから、夏樹の思いが、優しさが流れ込んでくるように思えた。
 何故だか、わたしは、逃げることも、殴り飛ばすこともなく、逆にその場の流れに身を任せていた。
 きらきらの陽光と、ちょっぴり肌寒い風の中、この時間がずっと続けばいいとさえ思っていたかもしれない。
 ……もう逃げない。逃げられない。このキスから――
 苦い味と、甘い味がまざり合った。
 大人の味と子供の味がまざり合った瞬間だった。
 その瞬間、夏樹は少し顔をゆがめた。
 それは、夏樹の口の中へ流れ込んだ、甘いピーチの味のせいだってすぐにわかった。
 そして、わたしも同様に、顔をゆがめていた。
 それは、ほろ苦いキスのせい。
 わたしたちは思わず見つめ合い、くすりと笑い合っていた。不思議なことに。

 今度のキスは、何とも言えない微妙な味だった。
 甘酸っぱかったり、レモン味だったりのキスは、まだ知らない。


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update:04/01/03