暗雲漂うししおどし
ダイキライ

 夏樹は、険しい面持ちで、じっと押し黙っている。
 ここに通されてからずっと。
 何かを恐れているような、そんな感じすらする。
 一体、これから何が起こるというのだろう。


 あの後、わたしたちは車を乗り換えさせられた。
 夏樹の悪趣味な黒塗りベンツといい勝負の、ひとまわり大きなこれまた不気味な黒塗りベンツだった。
 バックシートの、前を向いた方に夏樹とわたしが座らされ、それに向かい合うようにして、さっきのスーツの男が二人座っていた。
 後は運転席と助手席に一人ずつ……。

 そして、しばらく走ったかと思うと、ここへ連れてこられていた。
 しんと静まり返った日本家屋の大きなお庭で、ししおどしが、カコーンと、不気味に鳴り響いている。
 壁と障子で隔離されたこのお座敷は、とても重たい……鉛のような雰囲気をかもし出している。
 息苦しささえ感じてしまう。
 常に、何か大きな力に押さえつけられているよう。
 それくらい、ここの空気はよくなかった。


 夏樹は、床の間を背に、上座に座らされ、そしてその横に、夏樹に守られるようにしてわたしが座っている。
 そこから、不安で仕方がなくて、思わず夏樹の顔をちらっと見上げた。
 ちらっと見上げた夏樹は、険しい面持ちで、じっと何かに耐えているかのようだった。
 真下やななめ下から見上げる夏樹の顔は、ちょこっと好きになりかけていたけれど、今の夏樹の顔は見上げるのが辛い。好きじゃない。……大嫌い。
 その時、わたしたちの前方の障子がしゃっと開かれた。
 その開かれたところから、着物を着た、夏樹と同じくらいの年の男の人が入ってきた。
 そして、わたしたちの前まで歩いてくると、そこに腰を下ろした。
 やっぱり、ししおどしの音が、いやに耳につく。不気味に――
「やあ、夏樹。久しぶり。会いたかったよ」
 腰をおろし一呼吸後、着物の男の人がそう言って、にっこり微笑んだ。
 しかし夏樹は、それに答えようとしない。
 不機嫌そうに、そして険しい顔で、その男の人をにらみつけていた。
 わたしは、この部屋に張り詰められた、ぴりぴりとした空気に耐え切れなくなり、思わず夏樹のシャツの裾をぎゅっと握り締めていた。
 夏樹もそれに気づき、その上に自分の手を重ねてくれた。
 それで、少し気が楽になった。
 まだ怖くて、不気味で、息苦しくはあったけれど。
「俺は、会いたくなかった。迷惑だ。今すぐ帰りたい」
 ようやく口を開いたかと思うと、夏樹の発した言葉はそれだった。
 ぎりりと、着物の男の人を、変わらずにらみつけている。
 しかし、そんな夏樹とは対照的に、着物の男の人は微笑んでいた。
 だけどその微笑みが、わたしにはとても不気味で恐ろしいものに感じていた。
 多分……夏樹もそう。
 こんなに自信のなさそうな、おされ気味の夏樹は、はじめて見るもの。
 それってばつまり、今相手にしているこの男の人が、ただものじゃないと言っているも同じ。
 男の人は、夏樹のそんな暴言に、瞬時に無表情になり、じっと夏樹とにらみ合う。
 やっぱり、この二人の仲は、これ以上ないというほど、険悪なんだ。
 このぴりぴりの空気が全てを物語っているとはいえ、これはかなり危なそう。
 まさしく、一触即発というくらい、仲が悪そう。
 男の人は、夏樹からすっと視線をそらし、その横にいるわたしへと移した。
 そして、またにこっと微笑む。
「ああ。君が、あの思い出の女の子だよね?」
「え……?」
 突然話をふられ、わたしは驚き、ぽつりと声をもらしていた。
 すると男の人は、ずいっとわたしに顔を寄せ、にっこりと微笑む。
「ふふ。僕は、夏樹のことなら、な〜んでも知っているのだよ?」
 もちろん、男の人がわたしに顔を寄せた瞬間、夏樹の気配はいっそうぴりりとしていた。そして、じろりと男の人を見下ろしていた。
 それ以上茗子に近づいたら、ただじゃおかないと、夏樹のその目が言っていた。
 この男の人は、夏樹と握り合っているのと反対のもう一方のわたしの手を取り、きゅっと握り締める。
「ねえ、茗子ちゃん。夏樹なんかやめて、僕にしない?」
 そして、さらににっこりと微笑み、そんなことを言ってきた。

 ――へ?
 ちょっと待ってくださいよ。ちょっと……。
 ねえ、これまでのこの険悪な雰囲気から、それって、その言葉ってないのじゃない?
 ああ〜。もう、本当……。鳳凰院の男たちって、一体……?
 いや。まだこの人が鳳凰院の一族かどうかはわからないけれど、とにかく夏樹とかかわりのある男の人たちって、みんなくせものなのじゃない!?
 夏樹を筆頭に!
「あ……あの〜……。わたし、言っている意味がよくわからないのですけれど……?」
 ぐらりとよろけ、必死に正気をたもつ。
 そして、ようやくそれだけが言えた。
 すると、もういいだろうと言わんばかりに、握られていたその手を、夏樹がすっと奪い返してくれた。
 それからまた、ぎろりとこの人をにらみつける。
「つれないな〜。僕は夏樹のいとこにあたるというのにねえ」
 そして、さらっとそんなことを言った。
 いとこということは、やっぱりこの人も鳳凰院の……?
「茗子ちゃん。僕は、鳳凰院寿(ほうおういんことぶき)。夏樹にあきたら、いつでも僕のところにおいでね?」
「は……はあ〜……」
 やっぱりわたしは、そんな気がない返事しかできなかった。
 あきたらも何も……わたし自身、夏樹から逃れるために、まさに今、夏樹と戦っているのですけれど……。
 ってまあ、そんなことは言わないけれど。
 言ったら言ったで、また事態がややこしくなりそうだから。
「もういいだろう。茶番はそれくらいにしろ。寿」
 相変わらず、わたしと会話を続けようとする――寿……さん?――寿さんに、夏樹は一瞥を下し、語気荒げにそう言った。
 すると、瞬時に寿さんの顔も険しいものとなった。
 夏樹に負けないくらい、極悪な表情を浮かべる……。
 う……っ。
 もしかして、この表情ってば、鳳凰院の血筋とか……?
「はっ。そうかいそうかい。そんなに先を進めて欲しいかい。じゃあ、そうしてあげるよ」
 はき捨てるように、寿さ――ああ、もう。こいつも呼び捨てでいいわよ! なんかムカつくから――は、そう言った。
 そして、夏樹の正面に座りなおし、どかっとそこに腰を落ち着ける。
「夏樹。単刀直入に言う。この女とは別れるのだ。諦めろ」
「嫌だ」
 寿の言葉に、夏樹はそう即答していた。
 そして、わたしをぎゅっと抱き寄せる。
 抱き寄せられ、夏樹の体温を感じ、こんな状況にもかかわらず、どこか嬉しくなってしまった自分がわからない。憎い。
 わたしって、こんなに非常識な人間だった?
 こんな状況で、それどころじゃないのに、自分の幸せに浸れる人間だった!?
 ――自分の幸せ?
 え? わたし、夏樹に触れられて、そのぬくもりを感じて、嬉しいって思うの? 幸せだって感じるの?
 ……わからない。もう、訳がわからない。
 理解不能なわたしのこの感情も、今のこの状況も。
 それに夏樹、即答した。嫌だって……。
 あはっ。おかしい。やっぱりわたし、おかしいよ。絶対、変。
 夏樹のそんな言葉が嬉しいなんて。絶対、変!
「何を血迷ったことを……」
「血迷っているのはお前だろう。俺は俺の決めた相手と結婚する。茗子以外は考えられない」
 夏樹はそう言うと、わたしを支えながら、すっと立ち上がろうとする。
 そんな夏樹に、即座に寿の罵声が飛んできた。
「たわけ! 一族の中にもふさわしい年頃の女はいくらでもいる。それでなくても、一族の決めた女と結婚してもらわねば困るのだよ。これ以上、劣った血を濃くするわけにいかない。それが本家ともなるとなおさらだ!」
 わたしを支える夏樹の手に、一瞬力がこもったのをわたしは逃さなかった。
 ひどい……。
 それにしても、ひどい言葉。
 劣った血だなんて……。
 一体、誰がそんなことを決められるというのよ。血に劣っているも優れているもないじゃない!
 それに、夏樹は夏樹よ!
 そんなことを平気で言ってしまえるあんたの方が、よっぽど人間的に劣っていると思うわ!
 それに、夏樹をむりやり本家に押し込めたのは自分たちじゃない。それを今さら、何言っているのよ!
 支離滅裂にもほどがあるわ!
 そんな怒りがこみ上げ、何か一言言ってやらなければ気がおさまらないと、わたしが口をあけようとした瞬間、それは夏樹の手によって妨げられてしまった。
 そこで夏樹を見上げると、険しい顔でわたしを見つめていた。
 その目は、自分からこれ以上かかわるなといっていた。
 かかわっては、茗子がさらに傷つけられると。
 夏樹はまた、わたしを守ろうとしている。
 悔しいけれど、わたしは夏樹に従うことにした。
 だってきっと、ここでわたしがしゃしゃり出ちゃったら、余計夏樹の立場を悪くすると思ったから。
 だけど、やっぱり悔しい。
 どうして、こんな奴に、ここまでこけにされなきゃならないのよ!
 夏樹は、こんな奴に馬鹿にされるほど、劣ってなんかいないわ!
 ムカつく。大嫌い!!
「……話にならんな」
 夏樹はすうと大きく息を吸い込むと、蔑むような視線を寿に送った。
 そして、今度こそ立ち上がる。
 もちろん、支えながら、わたしも同時に立ち上がらせた。
 わたしは、ただきゅっと、夏樹の腕を抱きしめていた。
 その腕に、背に隠れるようにわたしは夏樹にまた守られていた。
 自分の体を盾として全面的におしだし、体いっぱいでわたしを守ろうとしてくれている。
 そんな夏樹が、とても格好よく、たのもしく見えた。
 やっぱり、不謹慎だけれど、そんな夏樹なら、見とれても、見惚れてもいいと思った。
 そんなぴりぴりとした空気漂う座敷に、またししおどしが響く。
「ちっ。せっかく人が穏便に済ませてやろうと言っているのに、それでもその小娘を選ぶというのか!」
「……黙れ。当主は俺だ」
 夏樹のぎろりとしたにらみが、はき捨てる寿に入る。
 すると寿は、今度は鼻で笑った。
「はん。所詮は、妾の子のくせに」
 そして、くくっと、せせら笑う。
「この女からはなれていけば、簡単なことだったのに。はっきり言って、お前のような下賤な女は、この鳳凰院家にふさわしくない。今すぐ消えろ!」
 わたしにびしっと指差し、寿はそう言ってきた。
 怒りだとか、悔しさだとか、悲しさだとか、そんなものは微塵も感じなかった。
 逆に、さらっとそう言ってのけられる寿が不憫に感じてしまったくらい。
 どうして、平然と、そんなことが言えてしまえるの?
 わたしには、まったく理解できない。
「寿!!」
 怒鳴り、即座にそれを夏樹がとめてくれた。
 今度は、その体全部で、すっぽりとわたしを覆い隠す。
 寿の目に触れないように。
 すると寿は、この上なく不愉快きわまりないとばかりに、舌打ちをした。
 夏樹はそんな寿に向かい、妙に落ち着いて、そして真剣な眼差しをして言い放つ。
 とても強い口調だった。
 誰もそれを阻止することなどできないというような、それくらい強い口調。
「茗子を選んだのは俺だ。口を挟むことは許さない」
 夏樹のその言葉に、寿は一瞬ひるんだような気がした。
 すると夏樹は、わたしの肩をぎゅっと抱き寄せ、歩き出そうとする。
「もういいだろう。不愉快だ。帰る」
「ふん。そうして、また逃げるのか? 別にいいけれどね。だけど、よ〜く覚えておくのだね? 我々鳳凰院一族は、その気になれば、何でもできる。……そう。国を裏から操ることも、何ということはない」
 踵を返した夏樹に、再びそんな言葉が投げかけられた。
「それは昔の話だろう」
 しかし夏樹は、そんな寿の言葉など聞く耳もたないとばかりに、入ってきた障子へと歩みを進める。
 それに、わたしは懸命についていく。
「そうとも言い切れないよ。そうともね……」
 寿は、夏樹の背に向かって、不気味ににやりと微笑んだ。
 そんな寿の微笑を、目の端でとらえてしまった。
 ぞくっとした。
 ううん。ぞくっとどころではない。
 そう言った寿の目にこもる光は、鈍い色を発していた。よどんだ、不気味な色。
 そこには、負の感情しか感じられないような、恐ろしい光――
「せいぜい、その小動物を守ることだね。……守れるならばの話だけれど?」
 寿のその言葉に、夏樹がぴくりと反応した。
「何が言いたい?」
「別に〜……。ただ……十五年前を繰り返したくなければ、さっさとその女と縁を切ることを勧めておくよ」
 寿はそう言って、くるりと踵を返す。
 そして、やれやれと肩をすくめる。
 夏樹も夏樹で、そんな寿をにらみつけ、そしてそのまま障子に手をかけた。
 夏樹に、再び寿の攻撃が降り注ぐ。
「夏樹。鳳凰院はそんなに甘くない。どんなスキャンダルでも握りつぶし、そして追放する。せいぜい気をつけるのだな。そして、庶民の女を選んだこと、必ず後悔するぞ」
 夏樹はその言葉に答えようとせず、そのまま障子を開いた。
 そして、そこから縁へと出る。
 再び、その障子を閉めようとした時、夏樹は振り返り、不敵に笑った。
「肝に銘じておくよ」
 そう言った瞬間、夏樹の手によって、ぴしゃんと障子が閉められた。

 そしてまた、不気味にししおどしの音が響く。
 カコーン――


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update:04/01/03