もう逃げない
ダイキライ

 寿の屋敷を出ると、こそには夏樹の黒塗りベンツがとまっていた。
 そして、その車の前には、心配そうにこちらをうかがっている運転手の姿があった。
 その運転手に、夏樹は柔らかく微笑みかけ、ぽんと肩をたたいた。
 すると、運転手は苦笑いを浮かべ、車の後部扉を開ける。
 まずはわたしが促されるまま車へ乗り込み、それに続き夏樹も乗ってきた。
 それから、ゆっくりとその扉は閉められた。

 そんなことが、わたしにはとても微笑ましく思えてしまった。
 主人を心配する運転手。
 そして、心配する運転手を思う主人。
 きっと……夏樹の家の使用人が夏樹に忠実なのって、よく教育されているわけじゃなくて、この辺りが影響しているのかもしれない。
 ふと、そう思った。
 使用人たちは、夏樹に騙されているのじゃなくて、きっと夏樹の心を感じ取っていたんだ。
 だから、夏樹につくしていたんだ。
 ただ……わたしは、夏樹のそんなさりげない優しさに、今まで気づかなかったというだけ。
 この憂いを含んだ優しさに――

 わたしは、そんな夏樹のために、一体、何ができるだろう?


「ごめん。こんなことに巻き込むつもりはなかったんだ。茗子には、本当に申し訳ないことをした」
 車に乗り込むと、夏樹はわたしの両手を取り、申し訳なさそうに見つめてきた。
「まったくよ」
 だけどわたしは、そんな夏樹に容赦なくそう言い捨てる。
 そして、ぶんと夏樹の手を振り払った。
「そんな……。みもふたもない……」
 夏樹は、ずんと落ち込み、肩を落とす。
 そんな夏樹の姿が、妙にかわいらしく思えてしまった。
 やっぱり夏樹、「い〜や」「だ〜め」と言った時みたいに、子供っぽいところがけっこうあるんだ。
 新発見。
 なんだかちょっぴり嬉しかったりする。
 もう仕様がないな〜。夏樹ってば、本当、子供なのだから。
 そう思ったら、夏樹の頬へと、自然に手がのびていた。
 すると、のばされたわたしのその手が、夏樹の頬に触れた。
「茗子……?」
 夏樹は、突然のこの行動に少し驚いたように、わたしを見つめてくる。
 夏樹の頬に触れたわたしの手に、そっと手を重ねながら。
 わたしも、夏樹を見つめていた。
 そしてそのまま、夏樹の胸へと倒れこむ。
 すると夏樹は、さらに面食らったみたい。
 だけど、すぐに、少しためらいがちに、そのままわたしを抱きしめる。
 それが、やっぱり、何故だか嬉しく思えた。
「ねえ、夏樹。わたしを守ってくれるのよね? 一人にしないわよね?」
「茗子?」
 夏樹は首をかしげていた。
 わたしの言っている言葉の意味がわからないとばかりに。
 うん。わかっている。わかっていて、あえてこう言っているの。
 まわりくどいって、遠まわしだってわかっているけれど、だけどこんなこと、恥ずかしくてストレートになんて言えないわよ。
 わたしは、あんたみたいに気障じゃないもの。
「約束して。約束してくれなきゃ、わたしこのまま……」
 そう言うと、ぐりっと夏樹の胸に顔をおしあてた。
 すると夏樹は、小刻みに震えるわたしの肩に気づいたのだろう。さらに腕に力をこめ、いっそうわたしを抱きしめる。
 夏樹のぬくもりと、整髪料とシャンプーの香りが、わたしの心をくすぐる。
 そして、わたしの耳元に顔をもってきて、あまい吐息とともに優しくささやいた。
「約束する。茗子はぼくが守る。決して一人にしない。……誓うよ」
 そう言った瞬間、わたしはがばっと顔を上げ、じっと夏樹を見つめた。
「うん。その誓い、絶対に破っちゃだめだからね!」
 夏樹はわたしのこの言葉を聞き、にっこりと微笑んだ。
 ……どうやら、これで、夏樹にはわたしが言いたいことが、ちゃんと伝わっているみたい。
 そして、わたしの気持ちを、夏樹は受け入れた。
 この瞬間、二人の間には、もう距離はなくなった。
 二人の間の壁は取り払われた。
 夏樹もわたしも、そう確信した――


 決めた。
 わたし、決めたわ。
 これから、夏樹と一緒に戦っていく。
 だって、わかったような気がするから。
 夏樹の言った言葉の意味が。
 夏樹のまわりは常に敵だらけ。
 そう、血のつながった親族ですら……。
 いいえ。その親族がいちばんの敵なのよ。
 夏樹のお母さん、そしておじいさん、おばあさんを死においやった、鳳凰院一族。
 それは、夏樹の敵。
 だから夏樹は、これから戦場へ行くと言ったんだ。そして、わたしに戦友になって欲しいと……。
 それは、鳳凰院一族からわたしを守るため。
 夏樹は、わたしの身の危険を知っていたけれど、だけどわたしを諦めなかった。
 だから夏樹は、自分のわがままだと言ったんだ。
 わがままだけれど、わたしでなければ駄目だと……。
 まだ、夏樹を好きかどうかはよくわからないけれど、わたし、鳳凰院一族は好きじゃない。だから、夏樹に協力する。
 夏樹の、十五年前、そしてこれまでの苦しみを思えば、夏樹に協力せずにはいられない。
 本当、最低よね。鳳凰院とかいう一族は。
 そして、そんな中でも、由布が言っていたように、由布だけは特別だったんだ。
 どうして、由布が夏樹に協力するのかはわからないけれど……。
 そりゃあ、庶民出の彼女のことも多少は関係しているだろうけれど、それだけで、鳳凰院全てを敵にまわしている夏樹につくのは分が悪すぎる。
 それでも、由布は夏樹に協力している。
 だから夏樹も、由布はそばにおいているんだ。

 今、はじめて、鳳凰院家をわかったような気がする。
 夏樹が、一人にしないと、守ってくれると言ったから、だからわたしは夏樹のそばにいて、夏樹の言うところの心の支えになるわ。

 もう逃げない。

 大嫌いだけれど、それ以上に大嫌いなものができたから。
 だから、もう逃げない。夏樹から逃げない。

 いつも、強引で自分勝手で、犯罪だってさらっとしてのける夏樹なのに……なのに、今の夏樹はこんなに弱々しくて……。
 ううん、そうじゃない。今の夏樹は、とても勇ましいんだ。
 それはまるで、これから戦場へ向かう騎士の顔つき。
 今まで見たことのない夏樹。
 勇ましいけれど、どこか苦しそうで切なそうな夏樹。
 わたし、この夏樹のためなら、何だってできるかもしれない。
 ……そう。このあたたかな、夏樹の腕の中という、わたしの居場所を守るために。
 夏樹のぬくもりは、わたしだけのもの。誰にもわたさない――


 だから、もう逃げない。
 夏樹からも、鳳凰院家からも――


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update:04/01/03