魅惑のくすり指
ダイキライ
〜第四部・進化〜

「茗子。左手をだして」
 屋敷に戻り、乙女部屋に入り、乙女カバーのかかった乙女ソファに腰かけると、突然夏樹がそんなことを言った。
 何やら意味ありげに、暑苦しくわたしを見つめながら。
 その目は明らかに、もうわたしの姿しか映していないというくらい暑苦しかった。
 夏樹のその言葉の意図するものがわからず、とりあえず首をかしげてみた。
 そして、訝しげに夏樹を見る。
 ひとまず、今は、この暑苦しい視線はおいておいて……。
 だけどやっぱり、そこは夏樹。そんなわたしにはかまわず、わたしの意思などおかまいなしに、わたしの左手をすっととる。
 触れた夏樹の手は、大きくて、わたしの手なんてすっぽりとおさまってしまう。
 そして、その胸に、腕に抱かれた時と同じで、やっぱり男の人なのだと思った。
 骨ばった、がしっとした手。
 そのすらっとした見た目からは想像もつかないほど、男の人の手をしていた。
 夏樹が触れたところが、妙にくすぐったい。
「そして、こうして甲を上に向けて、手を開いて……」
 夏樹は、その言葉通りに、わたしの左手を自由に扱う。
 そうして、夏樹の左手の上におかれたわたしの左手のくすり指に、するりと奇妙な物体がはめこまれた。
 それは、ほんの一瞬のできごとだった。すきをつかれた瞬間のことだった。
 左手くすり指に、きらきらと輝く、小さな粒。
「何……これ」
 それを目にした瞬間、わたしはひくりと頬をひきつらせていた。
「指輪」
 夏樹は夏樹で、ひきつるわたしにはかまわず、さらっとそう言ってのけ、にっこりと微笑む。
 ……なんだか、頭痛がしてきそう……。
「それはわかっているわ……。だから、わたしが言いたいのは、どうしてこんなものを、人のくすり指に勝手にはめるかということなの!」
 そう怒鳴るやいなや、左くすり指にはめられたその不気味な物体に手をかけ、抜き取ろうとする。
 だけど、わたしの両手は、夏樹の両手に覆おうように握られ、当たり前のようにそれを阻止された。
 夏樹の両手の中に、わたしの両手がすっぽりとおさまっている。
 ……ったく。何を考えているのよ、この男は!
「ぼくたち、婚約しているのだから、当たり前でしょう?」
 ぎゅっとわたしの両手を握ったまま、さらっとそう言った。
 ……あのね、誰と誰が一体、婚約しているですって!?
 だから、わたしはまだ認めていないと言っているでしょう! このゴーイングマイウェイ男が!!
 夏樹は、握ったわたしの手に顔を近づけ、そこへキスをする。
 ちゅっと軽く、左手の甲に。
 ……こ、こ、この、すっとこどっこいの気障野郎がっ!
 その台詞のあとに、その行いか!
 ああ、もう。本当、顔から火がでるくらい恥ずかしいことを、さらっとしてのけないでよね! まったく……。
 でもまあ、そこが夏樹なのだろうな。
 見てよ、この顔。この満足げに微笑む顔。
 ……人の気も知らないでさ……。
「誰がいつどこで、誰と婚約したというのよ!!」
 しかし、わたしもわたし。
 そんなことは、あまんじてだって受け入れてやるものか!
 わたしの手を握る夏樹の手を、思いっきり振りはらってやった。
 夏樹の手は、弧を描いてわたしの手からはなれる。
 まったく、何を考えているのよ、この男は!
 恥ずかしいことをするのじゃないわよ!
 それにこれってば、小さいけれど、れっきとした本物のダイヤだと見受けたわよ!
 左手のくすり指。そこにダイヤの指輪。
 これってば、あれじゃない。あれしかないじゃない!
 問答無用で、売約済みの証じゃない!!
 世間一般ではっ!
「え? していなかったっけ? ぼくら」
 やっぱり夏樹は、少しとぼけて、さらっとそう言ってのけやがった。
 そして当然、にっこりと微笑む。天使の笑顔で。その下に悪魔の微笑みを隠して。
 まったく、全然変わらないのだから、この男は。
 ……そして、言うと思っていたわよ。ええ、ええ、言うとね……。
 あんたの中では、わたしはもうすっかりあんたのもので。それでもって、わたしはそれをもう拒みなどしないとなっているのよね?
 ――たしかに、たしかに、あんたに協力するとは、逃げないとは決めたわよ。だけど、それとこれとは別よ! まだ、あんたのものになるとは決めていない!
 ふざけるのじゃないわよ、この調子のりまくり男! 勘違い早とちり男がっ!!
 大嫌い!!
「死ね!!」
 そう叫んだ瞬間、問答無用でわたしの鉄槌が夏樹にお見舞いされていた。
 だけど、それでもやっぱり、夏樹はとても嬉しそうで。
 にこにこ笑っている。幸せそうに。
 さらには、そんなにこにこ顔のまま、するりとわたしを抱き寄せたりなんかして。
 それでもって、当たり前のように、わたしの髪に触れたり、頬に触れたり……。
 髪にキスしたり、頬にキスしたり……。
 優しい愛撫を繰り返す。
 悔しいことに、何故だか、わたしは抵抗しようとしない。
 夏樹のなすがまま……。
 ――って、だから、どうして抵抗しないのよ、茗子! あんた、このままじゃ、本当に危ないわよ!?
 この極悪エロエロ星人に、好きなようにされちゃうわよ!? いいの!? 茗子!!

 少しうんざり気味に、好きなようにさせていたら、夏樹はさらに調子にのって、左くすり指の指輪にちゅっと口づけた。
 そしてまた、やわらかくにっこりと微笑む。わたしを見つめ。
 ……やばい。ダメだわ……。
 わたし、このままいけば、夏樹のいいように流されてしまう。
 ダメ。それだけは絶対にダメ。
 阻止しなければ、阻止しなければ……。
 じゃないと、本当に大ピンチなのよ〜っ!!

 ……とか思ってみても、やっぱりわたしの体はいうことをきかなくて、そのままずるずると夏樹に身をまかせてしまう。
 夏樹の胸の中で、まだ早い眠りにつく。
 夏樹の胸は、やっぱり妙に心地よくて、落ち着けるから……。

 ――って。
 色気もしゃれ気もない結末で、ごめんなさいね。
 誰も、そんなこと、みじんも求めていないけれど。一応ね。
 今日は本当にいろいろありすぎて……。
 疲れちゃった。
 涼ちゃんに一週間前の夏樹を思わせるプロポーズをされ、八年前のすりかえられた記憶が伝えられ、そして、鳳凰院家のどろどろな部分を知り……。
 でもね、そんな中、気づいたもっとも大きなこと。
 それは、夏樹の腕の中が、胸の中が、とても心地よいということ。わたしにとっては、落ち着ける場所だということ。
 そして、それを手放したくないと思うわたしが、たしかにいるということ。
 それが、もっともわたしを驚かせたこと。
 だからね、夏樹のそばなら、安心して眠れる――

 悔しいけれど、夏樹がキスしたこのくすり指の指輪、もらってあげるわ。
 それは、つまりはどういうこと?なんて聞くのは、もちろん無粋というもの。


 ところで、乙女部屋の外で、乙女部屋の中の様子をうかがいながら、久能さんをはじめとする使用人たちのこそこそとした会話。知っている?
 もちろん、そんなものは、わたしも夏樹も知るはずはないのだけれど、だけどちゃっかり繰り広げられていた。
 当の二人をさらりと無視して。
 それは、わたしがここへやってきてから、この屋敷の中が明るくなったということ。
 それまで、夏樹は微笑んではいたけれど、その目は果てしなく冷ややかだった。
 それが、わたしがきた時から、夏樹の目は生き生きとし、そして楽しそうだった。
 だから、使用人たちも、無条件でわたしを受け入れていた。
 あれは……わたしを受け入れたのは、仕方がなかったからじゃなくて――
 わたしは、そんな死んでいた主人と、どんよりとしたこの屋敷に、再び息を吹き込んだことになるのだって。生を与えたのだって。
 憂いを含んだ夏樹の優しさに心打たれ、夏樹についてきただけあり、夏樹のその変わりぶりはとても微笑ましかった。嬉しかった。
 わたしをからかい、もてあそび、そして時にはエロエロ星人と化す、していることはそんなはちゃめちゃでも、だけど、楽しそうな夏樹を見るのはとても嬉しかった。
 夏樹の笑顔が本物だったから。
 自分たちでは決してかなわなかったそんなことを、わたしはさらっとしてのけてしまったのだって。
 十五年前。
 夏樹がこの屋敷へやってきた時のあの目。あのよどんだ目。
 その目を知っている久能さんは、いつも胸がしめつけられる思いをしていた。
 ずっとずっと、夏樹に心からの笑顔を取り戻してあげたかった――

 そう考えると、夏樹って奴は、けっこう愛されている奴だったのね。
 だったら、わたしが好きになってやらなくても、別にいいよね?


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update:04/01/05