めでたいゴキブリ男
ダイキライ

 鳳凰院寿。
 名前だけは、妙におめでたい奴。
 そう思っていた。
 だけど違った。
 こんな悪魔……夏樹よりも極悪でたちの悪い奴が、この世にいたなんて、まだ信じられない。


「まったく……。ゴキブリのような男ね」
 翌朝。朝食の席。
 今日の朝食は、和食。
 もう省略しちゃうけれど、それはそれは鳳凰院家の朝食なだけあり、とんでもないものだった。
 何がとんでもないって、そんなの決まっているじゃない。
 その食材、品数、手の込めよう……。
 朝からご苦労さまって感じ?
 黒豆をお箸の先でちょいとつまみ、口に運ぶ夏樹。
 夏樹が黒光りする黒豆を口にいれた瞬間、わたしはそうぽつりとつぶやいていた。
 同時に、夏樹はごほっと苦しそうにむせる。
「ゴキブリ?」
 少し涙目になりながら、胸をとんとんと叩きつつ、お茶の入った湯のみに手をのばす。
 そして、首をかしげ、わたしの顔をのぞきこんできた。
 ……まあ、たしかに、タイミングはとてつもなくよかったわよね。
 絶妙なタイミング。
 何しろ、黒光りする黒豆を口に運んだ瞬間だったのだもの。
 ふふっ。なんだかちょっぴり、してやったりという感じで嬉しくなっちゃう。
 ……って、そうじゃなくて、今はこれだったわ。ゴキブリ男!
 パリポリとたくあんを食べつつ、つんとすまして夏樹の問いに答える。
「ええ、そうよ。鳳凰院寿。名前だけは妙におめでたい男。ゴキブリというのは、原始時代よりその姿をほとんど変えていない、図太い生き物だっていうじゃない? そして、現在では嫌われもの。まさしく、それという感じじゃない?」
「うまいね。的を射ている」
 わたしのその言葉に、ごくっとお茶をのどへ流し込み、夏樹が感心したように言った。
 たしかにそう。的を射ているはず。
 原始時代より、ほとんどその姿を変えていないというのは、鳳凰院家そのもの。
 平安の世から続いているという家柄らしいこの家。
 決して政治の表舞台には現れないけれど、いつの時代も暗躍していた。
 そして、それが今でも続いている――
 それは、あの時、寿が言った言葉で確信してしまった。
 妙に自信に満ちていて、真実みを帯びた言葉。

 そうとも言い切れないよ。そうともね……。

 その含みのある言いは、それが真実だと語っていた。
 そして、図太い生き物。嫌われもの。
 それはまさしく、寿そのもの。
 どうして、あんなに平然と、人を貶めることを言えてしまえるのだろう?
 かわいそうなくらいに。
 それは、ただ黒光りして不気味な生き物というだけで嫌われている――もちろんわたしだって、この上なく大嫌いだけれど――ゴキブリのように、哀れに思うほど、ゆがんだ人。
 どうして、鳳凰院という家は、このめでたい男をはじめ、夏樹を苦しめるの?
「なに妙に感心しているのよ。あんたも似たようなものなのよ」
 感心する夏樹に、多少馬鹿にするように、ずばっと言ってやった。
 すると夏樹は、またお茶をのどへ流し込み、あははと愛想笑いをする。
 それは、夏樹が自分自身を理解しているということ。
 愛想笑いで誤魔化すようなことを、散々してきているということ。
 だけど、それでもわたしは、もう夏樹を憎めない。
 夏樹の心を、夏樹がおかれた立場を、知ってしまったから。だから……。
 ――っていうか、夏樹。
 あんたたしか、甘いものが苦手なはずだったのに、よく黒豆を食べられるわね。
 そう思いつつ、わたしも黒豆を口に放り込む。
 そして、気づいた。
 ……ああ、そうか。これ、全然甘くないや。
 黒豆というものは甘いものだと思いこんでいたけれど、さすがは鳳凰院本家の厨房をあずかる料理人。
 夏樹の味覚を心得ている。
 甘さひかえめで煮てあるんだ、この黒豆。
 ――嗚呼。だから、そうじゃなくて、今はゴキブリ男なのだってばっ!
「やはり、ゴキブリ退治には、あれよね。巣へ持ち帰りいちころ。ううん、それとも……泡でかためて身動きできなくさせるスプレー?」
 真剣に悩み、首をかしげるわたしを、夏樹は不思議そうに見てくる。
「いちころ? スプレー?」
 ……ったく。これだから、お金持ちは。
 庶民の強い味方をわかっていないのだから!
「どちらも、ゴキブリ退治の必須アイテムよ。今時、紙でできたお家なんてお呼びじゃないわ」
 ずばっと得意げに、わたしはそう言ってのけた。
 すると夏樹ってば、かなり呆れたように「ああ、そう……」なんてつぶやきやがったの。
 まったく、失礼しちゃうわよね。
 本当に重宝するのだからね。特に、じめじめの梅雨の時期から夏場にかけて!
 わかっていないわね、夏樹ってば!
「ちっちっ。これだから、金持ち男は。夏樹、わかっていないわね。巣へもちかえっていちころということはね、つまりは罠にかかったゴキちゃんがそのまま巣へ帰って、そして仲間のゴキちゃんと一緒に巣まるごと全滅ということよ。やっぱり、この方法がいちばんきくと思わない? もとから絶たなきゃ」
「なるほど。それはいいね」
 わたしの言葉に、夏樹はようやく同意した。
 ええ、もちろん、そこにはもうあきれたような顔はなく、むしろ何やら企みを思いついたような不気味な顔だった。
「でしょう? 邪魔者を一掃できてよ?」
 さらにわたしがそう続けると、夏樹は驚いたようにわたしを見てくすりと笑う。
 鳳凰院家をゴキブリにたとえた、わたしの談義を聞いて。
 そうして、やっぱり二人一緒に、しばらくくすくすと笑ってしまった。

「ったく。だけど本当、おめでたゴキブリ男は、陰険ねちねち大魔神ね」
 デザートの抹茶プリンを食べながら、わたしは気づけばぶつぶつとまたそう言っていた。
 するともちろん、夏樹はまた首をかしげる。
「茗子……」
 そして、もうそれくらいにして……と、呆れたようにわたしを見てくる。
 しかし、そんなもので、抹茶プリンをほおばり、勢いづいたわたしをとめられるはずがなかった。
「あ。ちなみに夏樹。あんたは、極悪ドスケベ大明神だから。極悪エロエロ星人でもいいけれど」
 抹茶プリンをのせたスプーンで、すっと夏樹を示す。
「それは、どうも」
 夏樹はそう言いつつ、わたしの示した抹茶プリンがのったスプーンを、ぱくりとくわえやがった。
 そして、わたしの目をじっと見つめ、にやりと微笑む。
「嗚呼〜っ!!」
 同時に、わたしの悲鳴に似た雄たけびがダイニングに轟く。
 よくも……よくも、わたしの抹茶プリンを食べやがったわね!
 一口だって、許さないわよ!
 このいじわる大魔人!!
 食べ物の恨みは、すごいのだからね!
 抹茶プリンを横取りされ、恨めしそうににらみつけるわたしに向かって、夏樹はにっこりと天使の微笑みを見せる。
 ――え……? それってば、限りなく嫌な予感……。
「仕方がないな〜……。それじゃあ、ご期待にこたえまして」
 その言葉と同時に、ぐいっと腕を引かれ、キス。
 ちゅっと軽く、唇が触れる。
 ……これで、十度目。
 もう十度目。
 出会って……ううん、再会してまだ九日目の朝だというのに、もう十度目までのキスを奪われてしまった。この極悪男に! 大っ嫌い!!
 ……この野郎。
 絶対、絶対、絶対、土下座でごめんなさいと言わせてやる!
 絶対、いつか!!
 十度目のキスの味は、当たり前だけれど、抹茶プリンの味。
 ……もう。どうして、わたしが味わうキスの味って、ほとんど、何か食べものの味と一緒なわけ?
 うう……。頭いたい……。
 一度でいいから、一度だけでいいから、甘酸っぱかったり、レモン味だったりを教えてよ。
 ――って、違〜う!!
 だからって、決して夏樹に教えて欲しいわけじゃないからね! もちろん!
「こんのドスケベ!!」
 どんと夏樹の胸を押し、突き放す。
 すると夏樹は、どうして?なんて首をかしげた。
「だって、茗子がして欲しそうだったから」
 にっこりと、悪魔の微笑みを隠した天使の微笑みをのぞかせやがった。
 こんのくされ外道〜!!
 大嫌い!!
「ほら、茗子。あ〜んして」
 ふるふると怒りに震えるわたしなんてまるで目に入っていないとばかりに、夏樹はそう言いながら、まだ手をつけていない自分の抹茶プリンを一口分スプーンにのせ、わたしの顔の前にもってきた。
 そして、そんなことを言いやがった。
 ……ばくっ。
 もちろん、目をすわらせ、そのスプーンをくわえてやった。
 さっきの仕返しよ。お返しよ。わたしの一口分の抹茶プリンを取り返しただけなのだからね!
 そして、一口の抹茶プリンをおいしくいただいた後、もちろん、下してやったわ。
「天誅!!」
 その言葉と同時に、夏樹の足は、わたしの足の下にあった。
 だんという大きな音とともに――


 そうして、清々しい秋晴れの朝食の席には不似合いな会話が、とても素晴らしく、まだまだ繰り広げられていく。
 横に控えている久能さんが、思わず顔をゆがめるくらいに。


* BACK * NEXT *
* TOP * HOME *
update:04/01/05