鬼のカクラン
ダイキライ

 乙女部屋。
 朝食を終え、今日は仕事があるのか、ネクタイをしめ、スーツの上着をはおろうとしている。
 ……ぐうたら社会人でも、時には仕事をすることもあるらしい。
 そんな夏樹の姿を、わたしは後ろからじっと見ていた。
 スマートにすっとスーツの上着を着る夏樹は、後ろから見たら、そう後ろ姿だけは、格好よく見えたりするから不思議。
 そして、少しの距離を感じた。
 ああ、夏樹は、大人の男の人なのだって、少し淋しくなったりもした。
 今にもこの手がのびそうなのを、ぐっとこらえるわたしがいたから奇妙だった。
 ……ねえ、茗子。あんた今、もしかして、夏樹に触れようとした? 触れられたいとか思ったりした?
 ……なに、おかしな感情に支配されているのよ。ばっかみたい。
 こんな極悪男のどこがいいのよ……。
 わたしの……乙女の憧れは、白馬に乗った王子様でしょう?
 夏樹なんて、わが道をいく魔王じゃない。
 夏樹は、王子様なんかじゃ、全然ない――

 わたしはもう、「学校へ行かせろ!」などと騒がない。
 ううん、騒げない。
 だって、知ってしまったから。
 知ってしまったら、何だかもう勝手に行動しちゃいけないような気がした。
 ――もう別にいいわよ。一年や二年、卒業が遅れたって。
 そうすればそうするだけ、夏樹との結婚も遠ざかるし。
 猶予期間が長くなって万々歳じゃない。
 だって夏樹、結婚は……わたしの卒業まで待つって言ったから……。
 ……そうじゃなくて。
 わたしが勝手な行動をとれば、それはさらに夏樹の負担になるだろうから。
 協力すると決めた以上、その点においてだけは妥協してあげる。
 きっとわたしは、大人しくこの屋敷にいていればいいんだ……。
 それが、今の時点で、わたしができる最大の協力。
 そう……大人しく……。
 って、できるわけないじゃない。この茗子さまが!
 一分一秒だってじっとしていられない、茗子さまが!
 ……って、何だか自分で言っていて情けなくなってくるけれど。いい年して。
 まあ、そんなわけだから、仕方ないじゃない。
 こうして、後ろから、恨めしいぞ〜という念を夏樹に送るくらいしか、鬱憤晴らしはできない。
 あと、時折やってくる由布をいたぶるとか……。
 ――ああ、そうか。その由布もたしか、わたしを守ってくれているのだっけ。
 うわあ。だったら、どうすればいいというのよ!?
 このおさえきれないわたしの憂さを、どうして晴らせというのよ!
 んもう。やっぱり、大嫌い。鳳凰院家なんて!! 夏樹なんて!!
 そう思ったが最後、その瞬間、げしっと後ろから夏樹にけりをくらわしていた。
 ちょうど夏樹の腰の辺り。
 同時に、少しがくっと体がゆらいだ。不意打ちをくらい。
 すると夏樹は当然、くる〜りと首をまわし、悪魔な微笑みを浮かべる。
 ……ものだと思っていたのだけれど、そうじゃなくて、わたしの蹴りにみごとやられちゃったのか、ゆらいだ後、ぐらりとよろけた。
 そして、とっさに、横にあったスタンドテーブルに手をついた。
 こんちくしょう。それってば、一体、どういう意味よ!?
 わたしは、そんなに怪力だっていうの!?
 こんの嫌がらせ野郎!!
 そう思った瞬間、二発目の蹴りをくらわしてやろうと足を上げる。
 だけど、そこでやめてしまった。
 だって……夏樹、なんだか様子が少しおかしかったから。
 今朝だって、夏樹の極悪ぶりが、どこか大人しいような気はしていたけれど……。
 もしかして、夏樹……?
「夏樹……? 大丈夫? 具合……悪いの?」
 よろけ、横にあったスタンドテーブルに手をつく夏樹の顔をのぞきこみながら、わたしは夏樹の顔を見上げた。
 すると夏樹は、少し苦しそうににこっと微笑む。
「大丈夫……」
 ――って、ちょっとお待ち。
 その顔の一体どこが、大丈夫という顔なのよ!?
 少し荒い呼吸。そして、紅潮した頬。
 ……夏樹、あんた、もしかして……。
「……風邪ね」
 次の瞬間、わたしはさらりとそう言っていた。
 ったく。極悪なくせして、やわい男ね。
 っていうか、一体、どうすれば風邪をひけるというのよ。
 たしかに、今は季節の変わり目だけれど、でもここのところずっとぽかぽか陽気だし、今日だってこんなにあたたかいじゃない。
 ったく。それってばまるで、夜、何もかけずに寝た――
 ――あ。そうだった。
 たしか昨夜、わたし、夏樹の腕の中で寝ちゃって、そして今朝目覚めたら、ちゃんとベッドの中にいて……。
 それでもってわたし、一人でブランケットにくるまっていて……。
 嗚呼〜っ!!
 ということは、わたしのせい!? わたしのせいなのね!?
 ごめん! 夏樹!!
「夏樹。ごめん。わたしのせいだね。……とにかく、寝よう? ね? あたたかくして……」
 そう言いながら、夏樹のおでこに手を触れさせてみた。
 すると、冗談抜きで、かなり熱かった。
 ……本当ですか……。
 本当に、極悪夏樹が風邪ですか……。
 しかも、熱まであるのですか……。
 ねえ、これってば、あれよね?
 鬼のカクランとかいうの。
 少しうろたえつつ、とにかくベッドへと促そうとするわたしに、夏樹は少し驚いたような表情をみせた。
 そして、ぐっとその場にとどまろうとする。
「夏樹……? あんた、けっこうな熱よ? 立っているのも辛いのじゃないの?」
 怪訝な眼差しを向けるわたしに、夏樹はまたにこっと微笑む。
 心配いらないよって……。
「……いや。大人しく寝ているわけにいかないから」
 そう言って、夏樹はそそくさと乙女部屋を後にしようとする。
 ……ちょっと、だから待ちなさいよ。
 あんたという男は、まったく訳がわからない男ね!
「いいから。とにかく、寝ろ!!」
 腕を引き、強引に夏樹をベッドへ連れて行く。
 夏樹は、やれやれといった感じでわたしを見つめてくる。
 やれやれとは言っているけれど、その辛そうな表情はいまだかわっていない。
 まったく、この男は……。
 大人なのだか子供なのだか、わかったものじゃない。
 ――それにしても夏樹、あんたさっきから……。
 わたしが夏樹の心配――心配? まあ、心配にしておこう。ざまあみろとか少しは思っていることは、この際おいておいて――していることに、この上なく意外そうな顔をしてくれちゃっているわよね?
 まったく、失礼しちゃうわね。
 わたしだって、心配くらいするわよ。
 わたしのこと、そんなに冷たい人間だとでも思っていたの?
 病人に鞭打つことはしないわよ。さすがに。
 いくら相手が、世界でいちばん大嫌いな男だとしてもね。
 そりゃあ、極悪夏樹相手だと、いろいろ悪態もついたりするけれど、好意を示してくれる人にはちゃんと好意で返すわよ。
 ……気づいちゃったからね。
 これまでの嫌がらせの数々、実はそうとれないだけで、そうではなかったのかもしれないって。
 まあ、九九パーセントくらい、わたしが逃げ惑うのを見て、喜んでいたという感はいなめないけれど。
 仕方がないから、今はそれはあっちへおいておいてあげる。
 わたし、誰かさんと違って、緑の血なんて流れていないもの。
 血の色は、ちゃんと赤だもの。

 とにかく、そうして強引に夏樹をベッドへつれていき、そして乙女ベッドに寝かしつけた。
 すると、夏樹はやっぱり、どこか納得していないという顔をする。
 少しすねたふうにむうとして。
 そうかと思っていたけれど、どこか嬉しそうでいて幸せそうでもあった。
 ……やっぱり、この極悪男、訳がわからない。
 風邪をひいて、熱を出して、一体何がそんなに嬉しいの?

 まあ、今はそんなことよりも、このことを久能さんに伝えて、お医者さまを呼んでもらわなきゃね。


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update:04/01/05