桃缶ラプソディー
ダイキライ

 とりあえず、やはりいたおかかえの医者の診察を受け、夏樹は今、ひとまずはおとなしく乙女ベッドで寝ている。
 だけど、寝ているけれど、眠っているわけではない。
 しっかりとその手にわたしの腕をにぎり、じっとわたしを見つめている。
 その熱におかされた潤んだ瞳で。
 ……こんちくしょう。
 病人に乱暴できないのをいいことに、調子にのりやがって。大嫌い。
 治ったら、絶対、蹴りの二発や三発や四発や五発はくらわしてやらなきゃね。
 だけど、憤りながら、ちらっと見た夏樹の顔は、やっぱり苦しそうだった。
 ……だから、気持ちの勢いがなえてくる。
 ――当たり前じゃない。
 だってこの男、三八度五分という高熱を出していたのだから。
 よくそんな高熱で、今まで平気で立っていたものだわ。
 信じられない!
 やっぱり、極悪悪魔は、人並みはずれているのね。その体力も、精神力も!

「夏樹……。いい加減、はなしてくれない? この手」
 うんざりという感じで、夏樹にそう言ってみた。
 だけど夏樹は、相変わらずじっとわたしを見つめたまま。
「……だめ」
「だめって、あんた。わたしに風邪をうつす気?」
 そう言って、べしっと夏樹のおでこをひっぱたいてやった。
 一瞬触れた夏樹のおでこは、やっぱり熱かった。
 こんなに熱いのに、どうしてわたしは、さっきキスをされた時、この熱に気づかなかったのだろう?
 やっぱり、冷静に振る舞ってみても、胸の鼓動はフル稼動していたから?
 ……それにしても。まったく、何なのよ、この男。本当。
 そりゃあ、風邪をひくと、多少はこどもっぽくなるとは聞くけれど、だけど夏樹のこのこどもっぷりは何よ?
 普段、あれだけ極悪っぷりを発揮してくれちゃっているくせにさ〜……。
「うつす……。それもいいね。そうしたら、今度はぼくが看病してあげるよ」
 夏樹はにこりと微笑んだ。
 そして、うっとりとわたしを見つめてくる。
 まるで、その時を思い浮かべ、楽しんでいるように。
 ……この男は……もうっ!
「そして、また夏樹にうつって、それでもってまたこうしてわたしをはなさない気でしょう? それじゃあ、同じことの繰り返しじゃない」
 うんざりという感じで、脱力してしまった。そして、頭を抱える。
「大丈夫。茗子の風邪は、ぼくにはうつらないから」
「はあ!?」
 まったく訳のわからないこの男の言いように、わたしはさらに訳がわからなくなった。
 ――ま。仕方ないか。
 今の夏樹は、熱におかされ、きっとまともな思考をしていないだろうから。
 ……っていうか、もちろん、普段からまともじゃないけれど。
 でもまあ、こんな夏樹だからこそ、もしかしたら、普段聞けないこととかも聞けちゃうかもしれないわね。
 そう。たとえば、ずっとずっと気になっていることとか――

「ああ、婚姻届を破いた本当の理由? そんなの決まっているじゃない。押して駄目なら引いてみろってね? ああすれば、ぼくは本当に茗子と結婚したいのかって、茗子、不安になるでしょう?」
 ずっと気になっていたわたしの疑問に、返ってきた言葉がそれだった。
 なんとも拍子抜けというか、予想通りの言葉というか。
 まったく、この男ってばっ!
 っていうか、思いっきり図星をつかれたみたいで、なんだか腹が立つ。
 たしかに、わたしだって、一時はそう思ったこともあったわよ。
 この男、本気でわたしと結婚したいのか!?って――
 だけど、不安にはならなかったわ。不安には……。
 これだけは、否定させてもらうわ。
 それにしても……。きい〜。悔しい。それも作戦のうちだったというわけね!?
 なんて男なの。大嫌い!
 じろりとにらみつけていると、夏樹はやっぱりまた天使の微笑みを浮かべ言葉を続ける。
「つまりは、作戦だよ。茗子の頭の中をぼくでいっぱいにするための。どう? 少しはぼくのことを考えた?」
 ……殴る。殴ってやる。このいかれ男を。
 少しどころじゃなくて、あんたに拉致られてからというもの、わたしの頭の中はあんたでいっぱいだったわよ!
 決して、あんたが言っている意味ではなく、別の意味でね!
 限りなく果てしないあんたに対する怒りという意味でね!!
「本当に、茗子がぼくを好きになるまで待つと思った? ぼくがそういう人間だと? まだまだだねえ、茗子も」
 本当に愉快そうに、ベッドに身を沈め、この極悪男はそう言いやがった。
 く、く、悔しい!
 病人でなければ、今すぐ殴り倒しているところよ。
 ……いや。病人でもかまうものか。相手は極悪犯罪者だ。
 殴ろうが蹴ろうが誰もとがめはしまい。
 ――にしても、この極悪病人。
 よくもまあ、ここまで達者に舌がまわるものだわ。
 本当に、三八度五分の高熱を出している人間!?
 たしかにさっき、ぶすっと注射を打たれてはいたけれど……。
 それにしても、回復早すぎじゃない!?
 ……まったく……。
「ねえ、夏樹。もう一つ、気になっていることがあるのだけれど。どうして、わたしには、そうやっていじわるをするの? 他の人たちみたいに、いい人を演じてくれないの? 少しは、優しくしてくれたって……」
 そう言った瞬間、何だか胸にずきっとした痛みを覚えた。
 ……そうじゃない。そうじゃないのよ、きっと。
 いい人を演じて欲しいわけでも、優しくして欲しいわけでもなく、ただ、わたしは……。
 そのような聞き方しか、わたしにはなかった。思い浮かばなかった。
 この疑問の返事がくるまでには、かなりの時間を要した。
 言おうか言うまいか、迷っているようだった。
 だけど、夏樹は諦めたように微笑むと、枕に沈んだその顔で、真剣にわたしを見つめてきた。
「茗子には……茗子にだけは、本当のぼくを知っていて欲しいから。ぼくだって、ちゃんとわかっている。決して、性格がいい方ではないとね。まあ、ある意味、いい性格はしているけれど?」
 そして、にっこりと微笑む。
 ……ったく、この男は。
 そこで茶化さないでよね。
 でも、その答えは違うでしょう?
 いじわるをするのが、本当の夏樹じゃない。
 たしかに……それも夏樹の一部ではあるだろうけれど、本当の夏樹は、もっとずっと――
 でもいい。
 何も言わない。今は。
 それは、夏樹が自然に、自分から言いたくなった時でいいよ。
 だって、その体いっぱいで、まだ聞かないで欲しいといっているのがわかってしまったから。
 だから……まだ聞かないでおいてあげる。
 ……うん。それに、やっぱり、嫌いじゃないよ。もう……。
 あんたに、こうしてからかわれるのはね。
 あんたは、大嫌いなままだけれど。

 その時だった。
 コンコンコンと乙女部屋の扉がノックされた。
 すると夏樹は、即座に不機嫌な表情を浮かべる。
 せっかくわたしと二人きりだったのに、邪魔が入ったと言わんばかりに。
 ……ったく。この男は。
「は……はい。どうぞ!」
 だからわたし、そんな夏樹なんて無視して、そう返事をした。
 だってわたし、今扉をノックしたのが誰か、ちゃんと知っているもの。
 そう、扉をノックして入ってくるのは、この人。久能さん。
 その手に、桃の缶詰めを持ってね。
「茗子さま。言いつかっておりましたものを持って参りましたが……。一体、これをどうするおつもりですか?」
 そう言いながら、夏樹に腕をつかまれ身動きのとれないわたしのもとに、桃の缶詰めを持ってくる。
 よく冷えた桃の缶詰めを、透明なガラスの器に入れて。銀のフォークを添えて。
「うん。風邪の時は、やっぱり桃缶よね。風邪の時に食べる桃缶は一味違うのよ。これ、常識!」
「……庶民のね」
 夏樹は、得意げに語るわたしに、不機嫌この上ないと言った感じでぷいっと顔をそむけ、そうつぶやきやがった。
 当然、その後に夏樹にお見舞いされるものは決まっている。わたしの華麗なる平手打ち。
 ぺちんと気持ちがいいほど軽快な音をたて、夏樹のおでこはわたしに叩かれた。
 おでこに、わたしの手の形が、ぽっかりと赤く浮き上がってくる。
 それと同時に、久能さんはかなり呆れたように、やれやれなんて肩をすくめ、桃缶を置いて、さっさと乙女部屋を出て行ってしまった。
 ……やっぱり、ムカつく。ここの使用人も。ここの主人と一緒で。
「ったく。いいから、食べなさい。桃缶!」
 そう言って、怒りにまかせ、夏樹の口にむりやり桃をねじこんでやった。
 すると夏樹ってば、苦しそうに顔をゆがめる。
 ……ああ。そうか。夏樹、甘いものが苦手だったわ。
 くふふっ。忘れていたけれど、わざとじゃないけれど、これってば、一つ仕返しができたということ?
 してやったり。
「もう、茗子。そんなのはどうでもいいから」
 夏樹はわたしの手から桃の入った器を奪い取り、ベッド横のベンチボックスの上にことんと置いた。
 そして、わたしの腕をにぎったままのその手に、少し力を加える。
 同時に、もう一方の手がわたしの頬に触れていた。
 そのすぐ後に、降りかかる、夏樹の熱い眼差しと、甘い吐息。
 とろとろにとろけそうなほど、あまったる〜いささやき。
「ねえ、茗子。キス……していい?」
「は!?」
 夏樹のいきなりのその言葉に、わたしは思わずのけぞっていた。
 っていうか、あんたは、いつもそんなことは聞かずに、平気でちゅっちゅちゅっちゅしてきたでしょうが!
 本当に、訳がわからないわ。今日の夏樹!
「ど、どうしていきなり、そんなことをきくの?」
「なんとなく……」
 病人のくせして、夏樹のわたしの腕をにぎる手の力は変わらず強かった。
 どうしたって振りほどけない。
 そう思っていたら、いきなりぐいっと引き寄せられていた。
 そして当然、降り注いだ。
 キス……とやらが。
 十一度目のキス――
 もう、予想通りの行動すぎて、今さら驚きも何もあったものじゃない。
 もちろん、今度のキスの味は、さっき夏樹が食べた白桃の味。
 ちっ。わたしが桃好きなのを知っていて、わざとだな。
 さすがは、わたしのストーカーだわよ。
 ったく……。
 これじゃあ、本当に、わたし、風邪がうつるじゃない。
 かと思ったら、キスをされたそのままのかたちで、今度はベッドの中に引き込まれてしまった。
 そして、気づけば夏樹の顔がすぐ横にあった。
 整髪料とシャンプーの香りと、そして夏樹の香りに包まれる。
 いつの間にか、夏樹の腕の中にわたしはいて、そして一緒になって眠っていた。
 わたしの左手くすり指では、今もはずされることなく、小粒のダイヤがきらきら輝いている。


 ――おかしい……。絶対、何かがおかしい……。


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update:04/01/05