死なないで
ダイキライ

 鬼のカクランとわたしの血迷いがあった日の翌日。
 あの高熱が嘘のように、夏樹は元気に回復していた。
 もちろん、普段の極悪ぶりも大発揮。
 っていうか、大暴走?

 夏樹は、昨日一日休んでしまったからとか言って、今朝は早くからさっさとでかけていった。
 そして、それに入れ違うようにして、また由布がやって来た。
 退屈しているだろうからといって、腕にバドミントンの道具を一式抱えて。
 それでもって、この密林みたいな鳳凰院家のお庭でバドミントンをしようというのだから、由布もたいしたもの。
 まあ、そんな密林の中でも、玄関前は少しの広場みたいになっているから、そこでできないこともない。
 だから、仕方がないから、由布につき合ってあげることにした。
 そう、あくまでつき合ってあげるの。決して、わたしからすすんでするわけじゃないのだからね!
 ひとまず午前十時のお茶をすませて、とりあえず外へ出てみることにした。
 バドミントンの道具とはいっても、普段、キャンパスでみんなとわいわいとしている安物のおもちゃのような簡単なもの。
 それをわざわざ大学のロッカーからもって来たらしい。
 なんとも、もの好きな男。鳳凰院由布という男は。
 玄関から出るとすぐに、携帯の呼び出し音が響いた。
 その音は、もちろん由布のお尻の辺りから響いてくる。
 だって、いまだ夏樹に携帯とお財布を取り上げられたままだから、わたしの携帯が鳴るはずがない。
「あ。ちょっとごめん、茗子」
 由布はそう言いながら、ラケット二本とシャトルを、わたしへぽいっと放りなげてきた。
 慌ててそれら全てを受け取ろうとしたけれど、それらは見事、全て地面に落下。
 ……って、受け取れるわけないじゃないのよ〜。三つまとめて一緒になんて。
 由布のバカ!
 そうして、半分むくれてラケットとシャトルを拾い上げようと腰をまげた瞬間、由布に乱暴に腕をつかまれ、上体を起こされてしまった。
 ラケットとシャトルは、いまだ無残に地面に横たわっている。
「な、何?」
 もちろん、怪訝に、この上なく不機嫌に、由布をじろりとにらみつける。
 それと同時に、がしっと両肩をつかまれてしまった。
 そして、由布の顔がわたしの顔へと迫ってくる。
 真っ青な顔をしていた。
 ……?
 何か……あったの?
「茗子、落ち着いてきけよ。大変だ。夏樹が……夏樹が乗った車が事故って、夏樹が救急車で運ばれたって!」
「え……?」
 由布の言葉を聞いた瞬間、わたしの体からは全ての力が抜け落ち、そのままがくんとくずおれそうになった。
 それをとっさに由布が助けてくれたから、座り込まずにすんだという感じ。
 ……っていうか、ちょっと待ってよ。
 事故ったって……救急車って……。
 それって、一体、どういうことよ!?
 あの極悪夏樹が事故に遭ったということ!?
 それでもって、救急車で運ばれちゃうほど、大変だということ!?
 いつの間にか、力を失いがくがくと震えだしたわたしの体を由布が支え、そのまま屋敷の中へと逆戻り。
 落ちて無残に散らばったラケットとシャトルをそのままに。
 屋敷の中に戻ると、ちょうど久能さんが電話を切ったところみたいだった。
 そして、わたしたちの姿を見つけると、久能さんもまた蒼白な顔でわたしたちへ駆け寄ってきた。
 わたしの頭の上では、由布と久能さんが何かを言い合っている。
 ……言い合っている。
 わたしには、それしかわからなかった。
 耳に入ってくる言葉全てが、どこか遠い異国の言葉のように聞こえて……。
 ううん。聞こえるだけで、わたしの脳はその言葉の処理を拒否していた。
 頭の中をするりとすり抜け、そして何も残さぬまま、また外へと流れ出す。
 そんな感じだった。

 病院へ向かう途中、あの黒塗りベンツが大破しちゃうほど、ひどい事故だったらしいと、頭のどこかでそれを聞いていた。
 つっこんできた居眠りトラックと衝突……。
 その車体の差には、さすがのベンツでもひとたまりもなかったらしい。
 ――まさかとは思うけれど、これは、おめでたゴキブリ男の仕業……とかじゃないよね?


 そして、次に気づいた時には、ここにいた。
 今目の前で、頭や体に包帯を巻いた夏樹が、ベッドの上で眠っている。
 一体、あれからどれだけの時間が過ぎたのだろう。
 頭がまわらなくなったわたしを、由布がここまで、夏樹が運ばれたという病院まで、連れてきてくれていた。
 ――ねえ?
 目の前で眠るこの極悪魔人、さっきから、少しも動こうとも、目を開けようともしないのだけれど?
 ねえ、それってどうして?
 ねえ、これってありなの!?
 さっきまで、ほんのさっきまで、昨日の風邪が嘘のように、極悪ぶりを暴走させていたあの夏樹が動かないって……。
 ねえ? 何なの? これ。
 ……やめてよ。悪い冗談だよね?
 だってさ、普通。こういう場合、死なないよね?
 普通さ、ヒーローというものは――ヒーローという言葉には、いささか疑問はあるけれど――死なないと相場が決まっているもの。
 だけど、夏樹は動かない。ぴくりとすら。
 そして、何よ。
 さっきからずっと流れつづけている、わたしの頬を伝う水。
 やだ、信じられない。
 わたしが、こんな極悪男のために、泣いているとでもいうの?
 やだ。悪い冗談はやめてよ。
 だけど……だけど――
「夏樹! 夏樹、やだ。死んじゃやだ!! 約束したでしょう!? 誓ったでしょう!? わたしを一人にしないって! なのに……なのに……!」
 ――嫌……。
 そう思った次の瞬間、わたしは叫び、ベッドの上に力なく横たわる夏樹の体にしがみついていた。
 それでも夏樹は、やっぱり動かない。
 夏樹を抱きしめたまま、夏樹の胸に顔をうずめていた。
 そんなわたしを、由布は入り口付近に立ち、辛そうに見ていた。
「茗子……。そんなに抱きついたらいたいよ」
 真っ白の頭に突如、そんな間の抜けた言葉が飛び込んできた。
 驚き、ばっと顔を上げる。
 するとそこには、あの百人中百人とも騙せちゃうような、天使の微笑みを浮かべる夏樹の顔があった。
 ちゃんと目は開いていた。
 そして、にっこりと微笑んでいる。
 ぐるぐる巻きの包帯のその向こうで。
「夏樹!?」
 驚きと同時に、がばっと上体を上げていた。
 そして、まじまじと夏樹を見つめる。
 すると、そんなわたしの耳に、とんでもない言葉が飛び込んできた。
「大丈夫だよ。別にたいしたことはなかったのだから。ただ……念のため、二、三日は入院が必要だとは言われたけれど。それにしても、嬉しいな。茗子が、そんなにぼくのことを心配してくれるなんて。死なないでなんてね? 嬉しくって、昇天しちゃいそうだよ?」
 今、わたしの目の前にあるのは、にやりと微笑む極悪な顔。
 ……やられた。
 またしてもやられたというわけね!? わたし!!
 きい〜っ! 悔しい!!
「……はかったわね。気を失っているふりをして……」
 するりと夏樹の首に両手をかける。そして、威圧的に夏樹を見下ろす。
 しかし、夏樹は相変わらず、ひょうひょうとした態度でにっこり微笑んでいる。
「違うよ。ただ、たまにはこういうのもいいかな〜と思って」
「そのまま昇天しろ!!」
 そう言って、一気に手にこめる力を強める。
 すると、そのわたしの手に、優しく夏樹の手が触れ、包み込んだ。
 おかげで、すぐに力が抜けてしまった。
 まるで崩れるように、ぽすっと夏樹の胸の上に顔をのせ、そこから微笑む夏樹の顔を恨めしげに見つめていた。
 ……おかしい。絶対に、おかしい。
 こんなこと、あってはならないはず。
「たぬき……」
 そして、悔し紛れに、わたしはそうつぶやいていた。
 すると夏樹は、優しく微笑み、わたしの髪をすくようになでる。
 そしてそのまま、ぎゅっとわたしを抱きしめる。
 包帯の巻かれたその両腕で。
「茗子……。大丈夫だよ。ぼくは死なないから……。茗子を一人残しては、決して死なない」
 そんなささやきとともに、かぎなれた夏樹の香りが漂ってくる。
 消毒液の匂いにかき消されそうになっているけれど、だけどこれだけ近くにいれば、そんなものより強く、夏樹の香りはわたしの鼻をくすぐる。同時に心もくすぐる。
 ――よかった……。
 今回ばかりは、素直にそう思えた。

 その後、ようやくわたしを解放した夏樹に、由布がこんなことを言っていた。
「夏樹、どじったね」
 しかも、にっこりと微笑みながら。
 夏樹もそれに答えるように、ふっと微笑み、静かに言っていた。
「ああ」

「笑い事じゃないでしょ、馬鹿!!」
 この時はそう言って、二人の頭をそれぞれ一度ずつ、こつんと殴ってやった。
 けれど、ちゃんとわかる。わかっていた。
 夏樹と由布のその会話から、わたしは悟っていた。
 やはりこれは、鳳凰院の親族連中の差し金だということ……。

 鳳凰院という家は、あの名前だけは妙におめでたい陰険男が言っていた通り、何でもする一族なんだ。
 相手が、自分たちが担ぐ、自分たちの当主であろうと……。
 自分たちのためになら、なんでも――


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update:04/01/05