かどわかし
ダイキライ

「大変だ、夏樹! 茗子が……茗子が寿にさらわれた!」
 くるくると巻き取られた包帯の海の中、夏樹が耳にした言葉はそれだった。
 ベッドからでて、スーツの上着を着た時だった。
 乱暴に病室の扉が開けられ、由布が飛び込んできた。
「……!?」
 突然の予想もしていなかった由布の乱入とその言葉に、夏樹は険しい顔で飛び込んできた由布をにらみつけた。
「ごめん。俺がついていながら……」
 そして、次に夏樹が目にしたのは、そこにたたずみ、ぶるぶると震える由布の姿だった。
 そんな由布にゆっくりと歩みより、夏樹はぽんと肩をたたいた。
「今は、そんなことはどうでもいい」
 そう言って、夏樹は静かに病室を出て行った。
 去る夏樹の妙に静かなその後ろ姿が、由布にはとても恐ろしく思えていたらしい。
 そう、静かに怒り狂う、荒ぶる神のように見えていたとか――
 無表情で、夏樹の真意をよみとることができない。
 それがいっそう、恐ろしかったとか。

 これは、後からわたしが聞いた話。


 夏樹が好き……。
 悔しいけれど、そう認めた次の瞬間、わたしたちの前には黒ずくめの男が数人が立っていて、わたしは意識を失っていた。
 その理由(わけ)を、わたしは今、理解した。
 あの後、何か薬品のようなものをかがされたらしく、めまいをおぼえ、気を失っていた。
 そして、気づけば由布はいなくて、わたし一人がここにいる。
 そう。ここは、とてつもなく見覚えのある場所。
 あの不気味な雰囲気の場所。
 カコーンというししおどしの音だけが、妙に耳につく場所。
 鳳凰院寿の屋敷――

 とにかく、起き上がろうと上体を起こしてみた。
 だけど、まだ頭がくらくらして、うまい具合に立ち上がることができない。
 こんなところ、長居は無用だとわかっているのに、体がいうことをきいてくれない。
 これは、乙女部屋で、バスローブ一枚で夏樹の前に放り出されるよりも、はるかに危険だとガランガランと警鐘が鳴っているのに、どうにもわたしの体はいうことをきいてくれない。
 もう、こんな体、大嫌い!
 それでも、手をつきつつ、とりあえず、ここから脱出しようと這ってみる。
 幸い、何も拘束はされていないし、この部屋にもまわりにも誰もいないようだから。
 逃げるなら、今がチャンスだと思うのよ。
 ようやく縁に面した障子にたどりつき、それに手をかけようとした瞬間、その障子はさっと開かれた。
 そして、わたしの目の前には、男物の着物の裾と、足袋を履いた足。
 これは……すなわち、当たってほしくはないけれど……。
 そう思って、順に上へ視線を移していくと、当たってしまった。
 そこに立っていたのは、鳳凰院寿。その男だった。
「……まったく。どうして君は、大人しくしていられないかな?」
 あきれながらそう言いつつ、腰をまげ、その顔を、見上げるわたしの顔にずいっと近づけてくる。
 同時に、わたしはふいっと顔をそらしてやっていたけれど。
 すると次の瞬間、わたしの体はふわっと宙を舞っていた。
 ……というよりかは、されてしまった。お姫様だっこ!
 よりにもよってこんな奴に!
 そしてそのまままた、部屋の奥へと連れて行かれてしまった。
 床の間を背に、そこに座らされる。
 だけど、まだ頭がくらくらしていて、うまいぐあいにわたしは座ることができない。
 ぐらりとよろけた瞬間、寿の腕がわたしの肩と腰にまわっていて、不覚にも支えられていた。
 同時に、わたしの体全部が、寿を拒絶する。
 がたがたと、わたしの意思など無視して震えはじめる。
「……ふ〜ん。体は意外と正直じゃない? ふるえているよ?」
 そう言って、くくっと肩で笑う。
 もちろん、寿らしい嫌味な笑い方。
「そこで、ものは相談だけれど、君から夏樹にお別れをしてくれないかな? 君からのお願いなら、夏樹だって素直にきくと思うのだよね?」
 わたしの顔をのぞきこむように見てきて、そしてぎろりとにらみを入れてきた。
 だけど、そんなことくらいで、わたしが負けるわけがない。ひくわけがない。
 っていうか、わたしだって、夏樹とさっさとお別れしたいけれど――本当に? 本当に、今でもそう思っている? ……わからない――この男の言うとおりにお別れしてやるのは、どうも癪に障る。ムカつく。
 よって、答えはもちろん――
「誰がそんなことをするものですか! っていうか、別れたくても、夏樹がはなしてくれないのだから。夏樹に言ってよね、そういうことは!」
「相変わらず……腹立たしい女だね。――少しは、自分の立場というものをわきまえるべきだよ」
 ひくっと頬をひきつらせ、ぐっとわたしの首に左手をかけた。
 そして、じわりじわり力をこめていく。
「……馬鹿じゃないの。こんなことしかできないの? わたしを殺したって同じよ? むしろ、悪いかもね? 夏樹を、本気で怒らせることになるわよ?」
 少しの余裕顔でそう言ってみた。
 本当は、苦しいけれど、顔は真っ青になっちゃっているけれど、だけど、この男にだけは負けたくない。
 わたしの心が、この男にだけは、何がなんでも屈しちゃいけないとそう言っているから、だからわたしは戦うわ!
 夏樹のためでも、他の誰のためでもなく、わたしの誇りのために!
「君は……自分は夏樹に、そこまで思われているとでも思っているわけ?」
「当たり……前じゃない……」
 荒い呼吸をしながら、わたしは途切れがちにそれだけを言えた。
 そう。当たり前。
 夏樹には、わたしが必要で。
 夏樹はわたしをはなす気はさらさらなくて。
 それは、夏樹の誓いの言葉で。
 全部、決まっていること……。
 ――それが、全て。真実。

 もう……そろそろ駄目。
 ただでさえぼうっとしていた頭が、さらにぼうっとしてくる。
 この男、本気だ。
 このままじゃ、わたし、本気で殺されかねないかもしれない……。
 まずい……。本気で、ピンチかもしれない!
「つまりは……君を殺したところで、夏樹にダメージは与えられない。ということはむしろ、生かしたまま、君の人生をめちゃくちゃにすればいいということだね」
 寿はそう言って不気味に微笑むと、すっとわたしの首から手をはなした。
 そして、どこから取り出したのか飛び出しナイフを持ち出し、ピンと刃を出した。
「まあ、これといってブスではないけれど、その十人並みの顔、少々傷つけさせてもらうよ」
 そう言って、ゆっくりと、だけと着実に、そのナイフの刃をわたしの顔へと近づけてくる。
 ――やだ。こいつ、もう正気じゃない!
 目がいっちゃっているわよ、完全に!!
 ど……どうしよう。
 まさかこんなことになるとは思っていなかったから、調子にのって挑発しまくっちゃったわよ〜!
 嗚呼〜!
 嫌〜っ!
 どうしてわたしが、あんな極悪男のために、こんなめにあわなきゃならないのよ!
 ちょっと、本当に、どうにかなったら、夏樹! あんた、一生かけて償いなさいよ〜!!

 いや〜っ!
 乙女の可憐な柔肌が、大ピンチよ〜!!
 っていうか、柔肌どころの問題じゃないし、これ!!


 目の前で、銀色の(やいば)が、ぎらりと不気味に輝いた――


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update:04/01/05