舞い降りた悪魔
ダイキライ

 絶体絶命、大ピンチ!!
 目の前に迫る、銀色に輝く(やいば)
 白くなめらかなわたしの肌から流れ落ちる、真っ赤な血。
 ……って、そこ。
 今、さりげなくつっこまなかった?
 どこが、白くなめらかな肌だって。
 ……ったく、失礼しちゃうわね。
 一応、白くはあるわよ、白くは。
 そこだけは、絶対に譲らないからね。
 それにちゃんと、赤い血よ。緑なんかじゃないわよ。夏樹なんかと一緒にしないでよ。
 さらに言うと、まだナイフの刃が到達していなければ、血も流れていないわよ、どうせ。
 ――って、だから、今はそんなことじゃなくて!
 ピンチなのだってばっ。ピンチ! 大ピンチ!!

 もう駄目って、迫り来る刃のために、思わず両目をぎゅっとかたくつむってしまった。
 つむった目から、同時に涙があふれる。
 その時だった。
「そこまでだ。寿」
 そんな、聞きなれた……普段はあまったるい、だけど今は重圧感のある声が、わたしの耳に入ってきた。
 そこで、びっくりしたわたしは、そろ〜りと目を開けてみる。
 すると、ぎらぎらの銀色の向こうに、やっぱりその声と同じで、見慣れた、普段はあまったるいけれど、今はきりりと引き締まり、鬼気迫るものすら感じる顔があった。
 ――夏樹だ……。夏樹だった。
 あの言葉を発したのは、夏樹だった。
 夏樹の姿を見た瞬間、わたしはどこかほっとしていた。
 何故だかわからないけれど、これでもう大丈夫だって。
 怖くて、恐ろしくて、声すら出ない状態なのに、だけどその姿を見るだけで、何故だかほっとできてしまっていた。
 絶対的な安心を、夏樹に抱いていた。
 ……不思議――
 それでも、目の前にある銀色に輝く物体は消え去ってくれない。
 だって、夏樹とわたしたちの間には、畳五畳分くらいは距離があるもの。
 そんな距離があって、この銀色の物体を夏樹がどうにかできるなんてわけがない。
 いくら極悪悪魔夏樹でも、さすがにそれは無理でしょう。
 ……と思った時、その銀色の物体はわたしの目の前からふっと消えていた。
 それと同時に、わたしの体もふわりと宙を舞っていた。
 そして、浮いたそのままで、次第に夏樹との距離が縮まっていく。
 ――って、ええ!?
 もしかして夏樹。そんなことまでしてのけられちゃうわけ!?
 あんた、それじゃあ、もう人間じゃないわよ!!
「久能。ご苦労だったな」
 ……へ?
「いえ。夏樹さま」
 思わず、ぽかんと馬鹿みたいな顔で、夏樹の顔を凝視していた。
 ……ということは、つまり……。
 今わたしが宙に舞っているのは、銀色の物体がいきなり消え去ったのは……。
「茗子さま? 大丈夫ですか?」
 そう言って、わたしをお姫様だっこしている久能さんが、わたしの顔をのぞきこんでくる。
 ――って、今、ようやくわかりました。
 つまりは、久能さんが、わたしを寿から助けてくれたということね。
 やっぱりまだ頭がくらくらして、体がいうことをきいてくれないわたしを、久能さんはそのまま抱いていてくれる。
 その横で、夏樹は寿に冷たい視線を注いでいた。
 それは、静かに怒り狂う凍えるような眼差し。
「ちっ。手下を使ったか」
 わたしがぼうとしている間に、まんまとわたしを取り戻された寿は、今目の前で憤っている。
 もちろん、あの銀色の物体は、今は久能さんの手の中にある。
 さすがは、夏樹に忠実なバトラー。腹立たしいことに、そこのところはぬかりない。
 ……ったく。最低よね。凶器を使うなんて!
「寿。お前は、もう終わりだよ」
 舌打ちする寿に、夏樹はそう言い放つ。
 そう言った夏樹は、変わらず、どこか冷たく恐ろしいものをはらんでいるようだった。
「はっ。何を偉そうに。お前に何ができる!」
 当然のことながら、夏樹のそんな言葉に寿はぶっちぎれた。
 乱暴にはき捨てる。
 だけど、夏樹はやっぱり、そんな寿なんてまともに相手にしないといった感じで、ふっと微笑んだ。
 そして、多少声を大きくして言い放つ。
「由布!」
「ああ……」
 夏樹の声にこたえるかのように、静かにそう言って由布が姿を現した。
 カコーンと不気味なししおどしの庭に面した縁から。
 そして、すっと夏樹の横に並ぶ。
 由布は、手に何か書類の束のようなものを持っていた。
 わたしは、そんな二人を、一歩後ろに控えた久能さんの腕の中で見ていた。
「由布! 貴様……!!」
 これもまた、当然の反応だろう。
 現れた由布を、寿は憎らしげににらみつけていた。
「ごめんね。寝返っちゃった」
 しかし、由布はそんな寿の怒りをさらりとかわし、ちゃめっけたっぷりににっこりと微笑む。
 その顔がまた、寿ではないけれど、本当に憎らしかった。
 ……ったく。鳳凰院のご子息さま方は、これだから嫌なのよ。
「貴様、正気か!? そんな男につくなんて……!」
 半分たじろぎつつも、寿はまだ強気な態度を貫いている。
 夏樹と由布を同時ににらみつけながら。
「だって、仕方ないじゃない。俺だって、庶民の女とやらが好きなのだから。ねえ? 茗子」
 すっと振り返り、由布はわたしににこっと微笑む。
 極上の笑顔を降り注ぐ。熱いまなざしとともに。
 その瞬間、もちろん、夏樹の肩がぴくっと反応したのを、わたしは見逃さなかった。
 ……って、ちょっと待ってよ、もう!
 お願いだから、こんな時に仲間割れはやめてよね! 仲間割れは!!
 と思ったら、おもむろに夏樹の右手がすっと上げられた。
 まさか、それで由布を殴り倒すとか、そんなことはないよね?
 だって、夏樹。
 わたしに悪い虫がつかないようにって監視をつけているくらいなのだもの!
 ……まあ、それは実は、鳳凰院の親族連中からわたしを守っていたとわかったけれど、だけど、全部が全部そうじゃないということも、なんとなくではあるけれどわかっちゃうから。だから……。
 夏樹が右手を上げると同時に、由布は向き直っていた。
 まるで、上げられた夏樹の手、それが合図のように。
 そして、その瞬間、わたしの目の前は、真っ白い世界と化した。
 ぱらぱらと舞い落ちる白い紙。
 それはまるで、大きさこそ違うけれど、紙ふぶきのようにも、白いシャワーのようにも見えた。
 白い世界――
 そして、それら全てが畳の上に落ちると同時に、再び夏樹の冷たい声が響いた。
「ここに、お前がしてきたこと、全てそろっている。茗子を襲わせたこと。鳳凰院の他の分家を陥れようとしたこと。……そして、俺の母親と祖父母の殺害を命じた、十五年前のこと。全て!」
 静かにたたずむ、由布の言葉を借りると、荒ぶる神がそこにいた。
 体全部でいっている。その抑えようのない怒り。
 ……そういうことだったんだ……。
 夏樹の言葉に、全て悟ったような気がした。
「はっ! それが何になる。そんなものいつだって――」
「無理だよ。もうすでに、分家全てに流してしまっているからね。お前が、分家連中を陥れようとした事実を。多少、大げさに脚色してね?」
 寿の多少馬鹿にしたような言葉をさえぎるように、夏樹は、すこしおどけたようにそう言って、にっこりと微笑んだ。
 その横で、少しあきれたように、じとりと由布が夏樹に視線を注いでいる。
「な……っ!!」
「寿。俺に言ったな? 鳳凰院は甘くないって。その言葉、そっくりそのまま返してやるよ。鳳凰院の……しかも本家は、さらに甘くないとね?」
 冷たく厳しい夏樹の声が発せられた。
 もちろん、その目も冷たく厳しいものだった。
 全てを……全てを凍りつかせてしまうほどの、冷たい眼差しと声――
「もう、終わりだ。寿」
 呆然としている寿に、追い討ちをかけるように、夏樹の言葉の刃がつきささる。
 寿は、その言葉を聞いた瞬間、呆然とその場にくずおれていった。
 そんな寿に、夏樹の冷たい視線がさらに注がれる。

 なんとも、あっけない幕切れだった。
 この時、ぼんやりとそう思ってしまった。

 そして、振り返った夏樹によって、わたしはさっさと久能さんの腕の中から奪われ、当然のように腕に抱かれている。
 ……っていうか、ちょっと待って。
 夏樹、あんたたしか、事故にあって入院していたはずじゃ……。
「な、夏樹! あんた、体は大丈夫なの!?」
「大丈夫だよ」
 夏樹はそれだけ答えて、にっこりと微笑み、ちゅっとわたしのおでこに口づけた。
 ……二度目。
 おでこにちゅうは、これで二度目よ? 夏樹……。
「でも……」
 だけどやっぱり、腑に落ちず、じとりと夏樹をにらみつけてやった。
 すると夏樹ってば、有無を言わせないといった感じで、再びにっこりと微笑む。
 すなわち、こう言いたいわけね?
 「ぼくの体のことなんて心配する必要ないよ? それより、茗子の方こそ大丈夫?」って――
 ……くっ……。やられた。また、やられてしまった。
 結局、夏樹にとっては、わたしがいちばんなんだ! 何をさしおいても。
 それが、今では容易にわかってしまうから腹立たしい!
 悔しい! 大嫌い!
「それで? いつの間にあんなことをしていたのよ……。――ちょっとかわいそうな気もしっちゃったわ……」
「全然かわいそうなんかじゃないよ。だって、茗子を侮辱して怖がらせて、そして泣かせたからね。あれくらいじゃあ、まだまだ足りないくらいだよ。本当はもっと……」
 そこでもったいぶるように言葉をとめ、にっこりと微笑んだ。
 もちろん、そこには、極悪非道悪魔な微笑みをたたえ。
 ぞくぞくっと背筋に冷たいものがはしった。
 そして、ぶるっと身震いまでしてしまった。

 ――鬼……。悪魔……。
 この男、本当に本当の本物の悪魔だわ……。
 世界でいちばん敵にまわしちゃいけない相手だと、この瞬間、悟ってしまった。
 ううん。この世でいちばん敵にまわしちゃいけない男かもしれない……。
 嗚呼〜。
 わたしって、もしかしてもしかしなくても、とんでもない奴につかまっちゃったの!?


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update:04/01/05