婚姻届の罠
ダイキライ

 涼ちゃんに拉致られて、着いた先は、市内の某高級マンション、最上階の一室。
 そこは、わたしの家や涼ちゃんの家があるところじゃない。
 どうやら涼ちゃんは、こっちへは戻ってきたけれど、おじさまやおばさまと一緒には住んでいないらしく、ここのマンションを購入して一人で住んでいるらしい。
 ……これだから、金持ち男って。金持ち男って……っ!

 部屋に入ってすぐ、リビングのソファの上に放り出された。
 もちろん、それまで、お姫様だっこ。
 逃げようともがいてみたけれど、結局無駄な抵抗だった。
 たしかわたし、以前、お姫様だっこは乙女の憧れって言ったわよね?
 それでもって、それは、時と場所と場合と相手によるって。
 とりわけ、相手!
 あの時は、相手がNGだったけれど……今は全てがNGよ!!
 憧れどころか、怒りがふつふつとこみ上げてくる始末よ!
 ソファに放り出され、そしてむくりと起き上がろうとすると、涼ちゃんに阻まれてしまった。
 同時に、わたしをおさえこむようにして、涼ちゃんはソファに腰かけてくる。
 そして、両腕を握られ、身動きできなくなってしまった。
 やばい……。まずい……。
 これは、かつての、バスローブ一枚で夏樹の前に放り出されちゃった時よりも、はるかに、断然、比べ物にならないくらいまずい状況よ〜。
 夏樹は、ああ見えてもやっぱり紳士だったらしく、うろたえるわたしをからかうだけで、それ以上意地悪はしてこなかった。
 だけど、今の涼ちゃんは違う。
 その目が……その目が笑っていないもの!
 妙に真剣みを帯びた光を放っている。
 このままじゃ……わたし……!?

「茗子。あの時から、一人になるのがずっと怖いのだろう? 大丈夫。俺は、ずっと茗子のそばにいるから。だから、茗子。俺にしておけ。絶対、後悔させないし、泣かせない。そして、あんな奴よりかは絶対、お前を幸せにしてやれる」
 そう言って、涼ちゃんの顔が次第にわたしの顔に近づいてきた。
 両手はおさえられていて、使えない。
 手が使えなければ、じゃあ何を使うかって?
 決まっているじゃない。それは、当然……足だー!
 ぼこっと涼ちゃんのお腹に一発、わたしの右膝が見事にミラクルヒット!
 うぐっと少し苦しそうな声をもらし、涼ちゃんはするりとわたしからはなれていった。
 それをチャンスに、がばっと起き上がる。
 このままソファに倒れこんでいたら、この次こそ逃れるチャンスはないかもしれないからね。
 すると涼ちゃんは、少し恨めしそうにわたしを見つめつつも、すぐにふっと微笑んだ。
 そして、ソファの前のガラステーブルの上から、何やらぴらっと一枚の紙を取り上げる。
 気づかなかったけれど、それは、わたしがこのソファへ放り出されるずっと前からそこにあったみたい。
 ううん。わたしがこの部屋に連れてこられる前から、もともとそこにあった。
 そして、その紙を、涼ちゃんはわたしに見せてきた。
 ……って、あれ?
 この紙ってば、何やら見覚えがある紙ね……。
 ……ん? 夫、三橋涼。妻、狩野茗子。
 しかもご丁寧なことに、押印までされている……。
 さらにご丁寧なことに、保証人の欄まできっちり記入。
 保証人は、涼ちゃんのお父様。
 ――って、見覚えがあるはずよ。これってあれじゃない、あれ!!
 極悪夏樹もこれを利用してわたしを脅したという、あれ!
 因縁の婚姻届!!
 っていうか、保証人の欄におじさまの名前って、それってば、つまり、涼ちゃんのパパさんまでノリノリ!? ノリノリなの!?
 もう、勘弁してよ〜っ!
 ……あれ? でもちょっと待って。
 そういえば、夏樹が偽造した婚姻届にも、保証人って書かれていたっけ?
 あの時は、あまりもの驚きように、今みたいにそこまで目がいっていなかったけれど……。
 まあ、いいか。そんなこと。今はどうでも。
 そんなことよりも、今は……。
 ――あんたもか、あんたもなのか、三橋涼!!
 どうしてこう、ちょっとお金を持っていて――夏樹の場合、ちょっとどころじゃないけれど――自分に自信のある男は、すぐに婚姻届を偽造するんだ!?
 いい加減にしてよ、もう!!
 ねえ、わたしの人生って、もしかして、偽造婚姻届に振りまわされる人生だったりするの!?
 ううん。わがまま強引自信過剰の、どうしようもない男に振りまわされる人生が、正解だったりする!?
 って、もうどっちでもいいわよ。
 とにかくもう、いい加減にしてよね!
 もう、いや! いやいや。とにかく全部がいや!
 婚姻届も金持ち男も、みんなみんな大嫌い!!
 婚姻届と金持ち男に憤るわたしに向かって、涼ちゃんはこともなげにさらりと言ってきた。
「あとな、茗子。住民票も移さなければな? ここのマンションの住所でいいな? やっぱり、公文書上、別居結婚というのはまずいと思うから……。ああ、そうそう。新婚旅行は春休みにしような? 冬休みはあまり期間がないから。……学校の方は、まあ、おいおい……というところか?」
 ――待て。思い切り、待て。
 涼ちゃん。あなた最高です。 
 ある意味、夏樹の上をいくわよ、その周到さ。その勘違いぶり。
 夏樹は婚姻届偽造まで。しかし、涼ちゃんはさらにその先まで見据えた……。
 って、そこで何を冷静に分析し比較しているんだ、茗子!
 今は、そんな場合じゃないでしょうに!!
 うっきゃあ〜! 重婚の危機よ〜!!
 ……って、やっぱりそれも違うし。
 何なのよ、この自信たっぷりの金持ち男たち。
 きれいさっぱり人の意思を無視した、ゴーイングマイウェイっぷり!!
 わが道をいくにも程があるというのよ!
 これって犯罪よ! れっきとした犯罪!!
 もういや〜! こんな生活。こんな人生!
 とにかく今は、平穏だったわたしの生活を返してよ〜!

 これもあれも何もかも、全ての元凶は、諸悪の根源は、全部全部あの男。
 すっとこどっこいでちょこざいな男、鳳凰院夏樹。二十五歳。
 あいつよ〜!!
 あいつさえ現れなければ、わたしは、今でも平穏無事に暮らせていたのよー!!

 あんな奴、あんな奴、死んでも好きになんてなってやるものか〜!!
 あらためて、やっぱりそう胸に誓った、秋のある日の午後。


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update:04/01/05