略奪キス
ダイキライ

「ごめん。涼ちゃん。そういうことなの。わたしと夏樹の間には、そういうことがあって……。それで……」
 わたしは、十五年前のことを涼ちゃんに告げていた。
 今まで誰にも言わなかったわたしと夏樹だけの秘密だったけれど、再会して、そしてわたしは夏樹のもので、夏樹もわたしのものになった今、それはもう秘密にしておく必要はなくなったから。
 淡い思い出は、たしかに現実として、現在進行形で発展している。

 夏樹を嫌っている――まあ、無理もないけれど――涼ちゃんに少しでもわかってもらうには、もうこれしかなかった。
 あきらめてもらうには、十分な理由だと思うのだけれど?
 十五年前のことを告げると、涼ちゃんはとても苦しそうな表情を浮かべた。
 わたしはソファに腰かけ、そのすぐ下に涼ちゃんが座っている。
 涼ちゃんはそこから、切なそうにわたしを見つめている。
 その眼差しがあまりにもまっすぐで、そして熱かったから、わたしは涼ちゃんの顔を直視することができなかった。
 涼ちゃんは、何かを言いたそうだけれど、適切な言葉が見つからないといった感じ。
 ……無理もない。
 だって、憎いはずの鳳凰院家を、しかもそこの当主を、わたしは好き……かもしれないと告げたのだから。
 夏樹に言わせたら、絶対こう言うはず。

 茗子とぼくは、星に誓った、運命の恋人同士。
 茗子がぼくを好きになることは、必然だよ。
 二人が結ばれることは決まっている。誓ってもいい。

 ……癪だけれど……わたしも今ではそんな気がする。

 涼ちゃんと二人きりの沈黙したこの時間が、空気が、重たくて、とてもここにいずらい。
 もう、どういう顔で涼ちゃんと向き合えばいいのかわからない。
 だから、わたしは思わず、ふうっとため息をもらしてしまった。
 すると、その時だった。
 急に怒ったような顔をして、涼ちゃんが勢いよくわたしに振り返っていた。
 そして、またしてもぐいっと両腕をつかまれていた。
 次の瞬間。
 わたしの頭は真っ白になっていた。
 一体、何が起こったのかわからなかった。
 目を見開くわたしの目の前には、涼ちゃんの顔があって……。
 そして、触れていた。唇と唇が。
 それは、まるでぶつけるように乱暴なキスだった。
「や……やめ……っ」
 どうにか涼ちゃんを引きはなし、ぐいっと唇をぬぐう。
 だけど、ぬぐってもぬぐっても、その感触が払拭されることはない。
 いつまでたっても、生ぬるい感触がそこにある。
 ぼろぼろと涙を流しながら、わたしは執拗に唇をぬぐい続ける。
 するとまた、そんなわたしを見た涼ちゃんに強引に抱き寄せられ、された。
 ……キス。
 今度は引きはなせない。
 とても強い力で、抱かれ、そして唇を押しつけられ。
「あんな奴のところへなんか、茗子をやれない。茗子は、俺のものなんだ!!」
 そう言って、とめどなく涙を流すわたしの顔に、また涼ちゃんの顔がかさなった。
 どんなに引きはなそうとしても、抗っても、もう涼ちゃんははなしてくれない。
 キスが攻撃してくる。
 奪われた。十ニ度目のキス。
 そしてさらに奪われた、十三度目、十四度目のキス。
 どれも強引で、優しさのかけらですら感じられなかった。
 それはまるで、欲望のままに、悔しさのままに奪われたキスのようだった。
 略奪された……。
 そんな感覚だった。
 ――悔しい。こんなかたちで奪われるなんて。
 悔しすぎて、涙がとまらないじゃない!

 ……いやだ。やだ。
 夏樹とじゃなきゃいやだ。
 夏樹とのキスだっていいわけじゃない。
 だけど、夏樹のキスは、決してこんなキスじゃなかった。
 優しかった。
 時にはふわりとかすめるような、時には触れたそこから優しさや愛しさが伝わってくるような……。
 だから、不思議と嫌じゃない。
 ……そう。はじめからそうだった。
 どれもこれも不意打ちすぎて、驚きや、悔しさや、腹立たしさはあったけれど、こんなに悲しくなることはなかった。
 ――気持ち悪い。
 夏樹じゃない人にキスされちゃうなんて。奪われちゃうなんて……。
 どうして、大嫌いな極悪夏樹のキスは嫌じゃなくて、大好きな幼馴染みの涼ちゃんのキスは……こんなに気持ち悪いの?

 恋しい……。
 また、その腕で抱きしめてよ。
 また、その胸に抱き寄せてよ。
 お願い……夏樹。
 今すぐこの場に現れて、そしてその胸でわたしを癒して――

 ……って、わたし今、何を考えたの?
 訳がわからない。こんなことを思うわたしが、もう訳がわからないわよ!
 一体、どうしちゃったらそうなるのよ、茗子!
 相手はあの夏樹よ! 極悪夏樹!
 拉致監禁なんて何のその、婚姻届だって平気で偽造しちゃう。
 さらには、人を使ってストーカー。
 そんなあいつは、そんな極悪悪魔なあいつは、あんたが世界でいちばん大嫌いな男のはずでしょう!?
 なのにどうして、そんな男のぬくもりを求めるのよ。欲しがっているのよ!
 本当、もう、訳がわからない!!
 夏樹なんて、大嫌いじゃなかったの!?

 ……まあ。悔しいことに、好き……と気づいちゃっているけれど。
 だけどやっぱり、大嫌いなことには変わりないもの。


 一体、あれからどれだけの時間が過ぎただろう。
 もう抗うことを諦めてしまった頃。何も考えられなくなっていた頃。
 わたしは、強引に押し倒されたソファの上で、しゃくり上げるように泣いていた。
 それで、涼ちゃんもようやく正気に返ったらしく、そこでわたしを解放した。
 やっぱり、とても辛そうで切なそうな表情を浮かべて。
 ……だけど、許さない。
 そんな顔をしたって、もう騙されない。
 わたしの唇を奪ったことは許せない。
「茗子……」
 そう言って、おずおずとわたしにのばされた涼ちゃんの手を、ぱしんと払いのけてやった。
 そして、この上なく恨めしげにぎろりとにらみつける。
 すると当然、涼ちゃんはさらに辛そうに顔をゆがめる。
 その時だった。

 玄関の扉が破られるような大音響が聞こえてきた。
 それと同時に、リビングの扉が乱暴に開けられた。
 そして、現れたのは、悪魔――
 顔色を失い、言葉にならないくらいすごい怒りの形相の悪魔。
「な……夏樹!」 
 悪魔の顔を見るなり、わたしは叫んでいた。
 そして、涼ちゃんをおしのけ、思わずその悪魔へ駆け寄っていた。
「茗子!!」
 悪魔に駆け寄ると、奪うように抱きしめられた。
 その瞬間、体から力が全て抜け落ちるような脱力感に襲われてしまった。
 がくっとくずおれるわたしを悪魔は支え、そしてお決まりのお姫様だっこ。
 その感じるぬくもりで、これまでのこと全てを忘れられるくらい、安心してしまった。
 略奪されたキスのことも――
「……茗子は、返してもらう」
 悪魔はそう言うと、くるりと踵を返した。
「ま、待って、夏樹! 婚姻届。偽造婚姻届を取り返さなきゃ!」
 悪魔の胸に抱かれ、踵を返した悪魔に、わたしは慌ててそう叫んだ。
 これまで、さんざん頭の中をかき乱され、正気じゃなかったけれど、何故だかこの悪魔の顔をみた瞬間、ほっと安心して、そして頭が少しずつまともに働くようになっていたから、どうにかそれだけは考えられていた。
「偽造……婚姻届……? 汚い奴だな」
 わたしの言葉を聞き、悪魔はこの上なく不愉快といった感じで顔をゆがめる。
 そして、はき捨てるようにそう言った。
 ……いや。ってだから、ちょっと待って。
 それ、あんただし。
 あんたもしたじゃない。婚姻届偽造!
 しかもあんたの場合、婚姻届偽造どころじゃなくて、拉致、監禁、脅迫、ストーカーのおまけつきとまできちゃっているし。
 どちらかというと、婚姻届偽造だけの涼ちゃんの方が、いくらかましだし。かわいいものだし……。
 って、違〜う!
 そうじゃなくて。
 とにかく、婚姻届。
 今は、偽造婚姻届を取り返さなくちゃ。
 それが何よりも優先すべき事柄!
 じゃないとわたし、涼ちゃんと結婚させられちゃう!!
 そんなの、嫌! 絶対、嫌だからね!!
 
 そう思っていると、夏樹はいきなりひざまずき、わたしを自分のすぐ横に下ろすと、何やら一枚の紙切れをするりと拾い上げていた。
 それは、涼ちゃんにむりやり両腕をつかまれた時、その手から抜け落ちていた偽造婚姻届。
 何とも運のいいことに、夏樹のすぐ足元に落ちていた。
 夏樹が偽造婚姻届を拾い上げると、涼ちゃんが悔しそうに顔をゆがめた。
 そして、相変わらず、憎らしげに夏樹をにらみつけている。
 夏樹は拾い上げると同時に、その偽造婚姻届を、いつかのようにびりびりに破った。
 それから、それを天井へ放り投げる。
 それは、いつかどこかで見た光景。
 まるで真っ白い雪が舞い降りるような、そんな光景。
 白雪舞う光景。
 びりびりに破り捨てられた、偽造婚姻届のシャワー。

 雪が降りやむ前に、夏樹はまたわたしをお姫様だっこし、そして今度こそ玄関へと向かう。
 それを、ただ一人、呆然と涼ちゃんが見送っていた。
 それはまるで、全ての希望に見放されたような姿だった。
 悪魔に生気をすいとられたような、そんな無残な姿だった。
 絶望の果ての姿――


 そして、わたしは見てしまった。
 恐らく、見てはならないだろうものを。
 玄関までやって来た時。夏樹の腕の中で。
 ちょうど真ん中から下の辺り、ぼこっと大きくくぼみ、蝶番(ちょうつがい)が壊れて、そこに横たわる鉄の扉――

 ……悪魔だ。
 この男、本当の悪魔だ――
 またしても、そう思った。そう確信した。
 ――この男、もう誰にもとめられない……。

 世界最強最悪の悪魔だ――


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update:04/01/05