クルージングデート
ダイスキ

 波間を颯爽と駆け抜ける、観光船。
 しかも、帆船型。
 例の悪趣味な黒塗りベンツで、約一時間高速を走ったかと思えば……ついたのは、何故だか……海。
 もちろん、黒塗りベンツの中では、執拗な夏樹のキスと抱きつき攻撃。
 もう慣れちゃったから、これといって抵抗などしていなかったら……。
 それが次第にエスカレートしてきちゃって……。

 ……思い出したくもありません。

 あ、危なかった。本気でっ。


 ふわりと体中に、海の風を受ける。
 潮の香りを多分にふくんだ、さわやかな風。
 髪をなでていくその風が、少しくすぐったい。
 甲板から、船の航行のためにしぶきを上げる海を見る。
 そして次は、遠く水平線の彼方へ視線をはせ……。
 はあ、なんだか、のんびりとした気分。
 そう。ちょうど今、隣にもまわりにも、あの極悪エロエロ星人がいないから。
 いつもまわりをちょろちょろされているから、たまにはこういうのもいいかもしれない。
 ……まあ、いなかったらいないで、なんだか淋しいような気もするけれど。
 いたらいたで、べたべたべたべたうっとうしいけれど。
 夏樹ってばもう、空気のような存在なのよねえ……。
 ――はっ。わたしってば、一体、何を血迷ったことをっ!!

 そうして、一人百面相をしているわたしの耳に、ふっとふきかけられる生暖かい吐息。
「はい、茗子。オレンジジュースでいいよね? 残念だけれど、ピーチジュースはなかったから……」
 そういって、ひょいっと目の前に出される、紙コップのオレンジジュース。
 気づけば、例のあれが、まるで背中からわたしを抱きしめるように、顔と手をだしていた。
 そして、そのさし出されたジュースを受け取ると……待っていましたとばかりに、そのままハグ。
 あ、あのねえ、夏樹。
 あんたは本当に、人目があってもなくても、することはそれ?
 ……にしても……どこまでもわたしの味覚を心得ているわね。夏樹ってば。
 これじゃあ、どこかのご主人さまの味覚を心得た料理人と、いい勝負かもしれないわよ?
 ……ううん。それ以上?
 まあ、夏樹の場合、わたしのストーカーだから当たり前だろうけれど。
 はあと思いっきりため息をもらし、首だけをひねり振り返る。
 すると、やっぱりそこには、予想通りに夏樹の顔。
 しかも、極上に甘く微笑んでいる。
「……ありがと。夏樹でも、こういうの買うのね?」
 なんだかくらりとめまいを覚えつつ、また顔を海へと戻す。
 そして、こくっと一口ジュースを口に含む。
 あ、あまい。
 これ、果汁一〇〇パーセントじゃないじゃない。
 ……まあ、いいけれどね。
 でもね、ストーカーなら覚えておいてよね。
 わたしは、果汁一〇〇パーセントじゃないと嫌なのよっ。
 って、きっとそんなことはもちろんわかっていて、だけど売っていなかったのだろうけれど。
 それにしても、わざわざ自分で買いにいくなんて……。
 夏樹にしては、珍しいじゃない。
 でもね、そういうのが嬉しいって、夏樹、知っている?
 他人にさせるのじゃなくて、夏樹がしてくれるということが嬉しいのだよ?
 どんな些細なことでも。
 夏樹がわたしのためにしてくれるというその気持ちが、わたしは嬉しいの。
 だけど、悔しいから、そんなことは言ってあげないし、素振りもみじんですらみせてあげない。
 だってわたしは、天の邪鬼茗子さまだもの、ね?
「ん〜。もとは買わなかったけれどね。茗子に倣ってみた」
 そうしてにっこりと微笑み、当たり前のようにわたしに軽いキスを落とす。
 ……あ。お茶の味。
 しかも、ウーロン茶。
 やっぱり、こういうところの飲み物って、コーヒーでも紅茶でも甘いから……。
 夏樹には無理みたいね。
 約一時間かけて近海をめぐる、普通の観光船だもの。
 っていうか、それってさりげなく……わたしのために、夏樹の行動が庶民化している……と、そう言いたいわけ!?
 本当に、どこまでいってもムカつく男ねっ。
 悪かったわね。わたしはどうせ、庶民ですよーだ。
 でも、そういう庶民がいいって言ったのは、夏樹なのだからね?
 わたしじゃないと駄目って言ったのは、夏樹なのだからね?
 そうしているうちに、わたしの手から、オレンジジュースのカップが奪い取られ……。
 そして、すっぽりと夏樹の腕の中にいた。
「やっぱり、外はちょっと寒いね?」
 なんて、耳元で妙にあまくささやいて、またキスをしてくる。
 ……なんだか、この上なく、夏樹の思い通りにされているようで、ムカつく。
 大嫌い。

 船内に入り、窓際の席を陣取り、残りのジュースをこくこくと飲む。
 その視線は、潮で汚れた窓の向こうの海原へ向き。
 しかし、横のこの男はどうもそうじゃないみたい。
 だって――
「夏樹。いい加減、景色を見れば?」
 さっきからずっとずっとず〜っと、わたしを見ている。わたしだけを見ている。
 頬杖をついて、うっとりと。
 景色なんかより、こっちを見ている方がだんぜんいいと。
 そして、まさしくその視線通りの言葉もお見舞いしてくれた。
「ん。そのうちね……」
 なんて生半可な返事。
 しつこいくらいに、暑苦しい視線をわたしに向けてくる。
 その視線だけで、今にもとって食べられちゃいそう。
 とろとろにとかされちゃいそう。干からびちゃいそう。
 ああ、本当に、この男ってばっ。
 なんて暑苦しい視線を注いでくれちゃうのかしら。
 ……つ、疲れる。
「だから、そうしてわたしの顔ばかり見ていたら、わたしが落ち着かないのよ!」
 はあと盛大にため息をもらしつつ、飲んでいたジュースを夏樹の顔にぐいっと押しつける。
 じゃあ、これでも飲んでいなさいって。そして、わたしを見るなって。
 夏樹は、もうちゃっかり、さっきのお茶を全部飲み干しちゃっていたから。
 飲み干しちゃったものだから、手持ち無沙汰にじいっとわたしを見つめて。
 だったら、また飲み物を与えれば、しばらくは大人しいでしょう?
 ――だけど、そんなに、この夏樹という男は甘くはなかった。
「ん〜……。でも、茗子を見ていたいから」
 突き出すカップをわたしの手ごとぎゅっとにぎり、にっこりと微笑む。
 そしてそのまま、カップの中の残りのジュースをぐいっと飲み干す。
 「あ、あまいね」なんて、ちょっと辛そうに顔をゆがめて。
 だったら、最初から飲まなきゃいいじゃない。最初から。
 甘いってわかっているのだから。
 いくらわたしが差し出したからって、飲む必要なんてないのに。
 そう呆れつつ、ぽつりとつぶやく。
「……クルージングの意味がないじゃない」
 すると夏樹ってば、そのままぐいっとわたしを抱き寄せて、耳元でぽそっと「間接キスだね」とささやいた後、そのまま唇まで奪っていきやがった。
「意味はあるよ。こうして、茗子と二人きり」
 唇がはなれた瞬間、そうにっこりと微笑む。
 極上に甘く。
「……じゃないわよ。まわりをよ〜くご覧!」
 もちろん、夏樹のその言葉に即座に反論してやる。
 頬がほんのり赤くなっているのは、この際無視よ。
 っていうか、そんなの、本来はあってはいけないのだけれど。
 だって、この男相手よ?
 この男相手に、乙女ちっくにときめいたりなんて、絶対に絶対に絶対にしてやらないっ!
 ……なんかムカつくから。
「ん〜。気にしちゃだめだよ。そんなこと」
 やっぱり夏樹はそう言って、にっこりと微笑む。
 まわりにいる家族連れだとか、カップルだとか完全に無視して、わたしをぎゅっと抱きしめて。
 そしてやっぱり、またキスをして。
 その言葉通りに。

 嗚呼、もう、本当に……。
 この男、一体、いつからこうも見境がなくなったの?
 ……もとから見境がなかったような気も、果てしなくするけれど。
 だって、会って数日で奪うような奴だから。
 キスを。
 わたしだって……こうして人前じゃなければ、別に――

 そうして、夏樹同様、もう海を見ることなんて忘れちゃって、ぽすんと夏樹の胸に頭をもたれかけてしまった。
 不覚にも。
 これじゃあ、常々嫌だな〜と思っていた、電車の中のいちゃつきバカップルとかわらないじゃない。
 人前で、恥じらいもなく、こんなことをしちゃうなんて……。
 ――いや。恥じらいがないのは、夏樹だけだけれど――
 でも、ここは好きなのだよね。落ち着くから。
 あたたかくてふわふわしていて……優しい。
 ここにだったら、何分でも何時間でもいていられそうな感じ。
 だから、今ではもう、抵抗なんてできない。
 大人しく夏樹に抱かれていてやったら、ふいにあまくささやく声が聞こえてきた。
「ねえ、茗子。キスしていい?」
 なんて、限りなく今更だと思えるそんな言葉。
 ……はい?
 キスしてもいいも何も、あんた今の今まで、見境なくキスしてきたじゃない。
 いつも断りなく、ちゅっちゅちゅっちゅしてくるじゃない。
 そのままの顔で、ぎょっと夏樹を見つめると……。
「じゃあ、いいのだね?」
 なんて嬉しそうに、にっこりと微笑みやがった。
 しかも、無駄にやわらかく。
 そして当然、その言葉とともに、すっと顔を近づけてきて……。
 ――むぎゅっ。
 その顔を、ぐにっとおしのけてやる。
 このまま夏樹の思い通りになるのも、なんだか癪だから。
 だけど、それはすぐに拘束されちゃって……。
 やっぱり、こうなる。
 がっちりと手首をつかまれ、優しく唇に触れて。
「……甘い」
 不服そうにそうつぶやく。
 っていうか、ちょっと待て。
 甘いって、あのね……。
 あんた、オレンジジュースを飲んでから、何度キスしやがったと思うのよ。
 それを今さら、その言葉!?
 ふざけるのじゃないわよっ!
 あまりにも夏樹のふざけた思考に、頭痛をおぼえはじめていると、どこからともなく、すっとブラックの缶コーヒーを取り出してきた。
 そして、プシっとプルタブをあけ……ごくごくと、一気のみ。
 その行動の意図するところがわからなくて、ぽけ〜っと夏樹を見ていたら……。
「これで、もう甘くないよね?」
 なんてにっこりと微笑む。
 そして再び、その顔を近づけてくるから、
「待て待て待て待て〜! このすっとこどっこいっ!!」
思わず、そう叫んでしまっていた。
 だってそうでしょう!?
 それはつまりは……また、キスしようということでしょう!?
 しかも、さっきまでは甘いオレンジジュース味のキスで夏樹好みじゃなかったから、今度は苦いだけのコーヒー味のキスを所望していると……。
 っていうかさあ、今さらだけれど、夏樹、あんた……。
 甘くても苦くても、ただわたしにキスをする口実が欲しいだけなのじゃないの?
 ――そう聞くのは、あえてやめておくけれど。
 だって、その答えが、嫌というほど予想できてしまうから。
 もちろん、答えはYES。それ以外あり得ない。
「……茗子。口が悪くなったよね?」
 体全部で夏樹のキスを拒否したら、ぼそっとそうつぶやかれた。
 もちろん、その目は不服そうにわたしをとらえている。
 って、だから、わたしが普通であって、そこであんたが不服そうにするその意味がわからないのだってばっ。
 どこまでも限りなく、その思考すべてが、自己本位にできている男なのだからっ!
 ……まあ、そういう奴だと知っているけれど。
「誰のせいだと思っているのよ。嫌なら、もうわかれよう。ついでに、婚約も破――」
「それは駄目だよ」
 ぐいっと夏樹の胸に両手をおしあて、その腕の中から逃れようともがいてみる。
 その言葉をつけて。
 だけど、それは最後まで言い切らないうちに、あっさりと却下されてしまっていた。
 そして当然、同時に、しつこくキスをしてくる。
 やっぱり、人目なんてはばからず。

 ……ちぇっ。
 勢いで、OKするかと思ったのに。婚約破棄。
 この男、やっぱり侮れないわよね。
 そして、あらためて気づく。
 夏樹ってば、本当に、わたしとわかれることなんて、まったく念頭においていないのよね。
 それだけは、あり得ないのよね。
 まあ、それは当たり前だけれど。
 だって夏樹ってば、本当にわたしが好きだから。
 わたしだけしかいらないから。
 どんなに抗っても、きっとこの男は、一生わたしをはなさない――


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update:05/09/04