バレンタインキス
(3)

 しばらくすると、いい具合にお湯もわいてきて、それでもってうまい具合に湯せんもできたりして、チョコはとろとろに溶けた。
 同時に、ぷ〜んとチョコの甘い香りが厨房に広がる。
 思わず、ふにゃっと頬がゆるんでしまいそうなくらい、いい香り。
 ふふっ。さすがは、鳳凰院本家の厨房を預かる料理人、桐平さん。
 いいチョコを仕入れやがりましたわね。
 わざわざベルギーから、有名などこぞのチョコメーカーのチョコを、直輸入なんて……。
 恐るべし。鳳凰院家。
 同時に、鳳凰院の連中って、もしかして……ある意味馬鹿?とか思ってしまったことは秘密だけれど。
 何もそこまでしなくてもねえ? たかだかバレンタインのチョコごときに。
 それを聞かされた時、あらためてそう思ったわよ。心から。
 そして、やっぱり、わたしは逃げられないと悟らされたわよ。嫌というほどに。
 まあ、もう逃げる気はないけれど……。
 ただ、まだ夏樹に負けたわけじゃないし、嫌いなものは嫌いで、戦うものは戦うの。
 そう。わたしはまだ夏樹が大嫌い!
 それは変わることはないわ。不変よ!
 ただね、あの極悪悪魔夏樹以上に嫌いなものができちゃったから、だから一緒にいてあげているだけ。
 夏樹以上に嫌いなものがなくなれば、また夏樹がいちばん嫌いになるのよ。
 ただそれだけのこと。
 そんなこと、当たり前すぎて今さらだけれど。

 聞くだけで絶句しそうなそんな高級チョコを、おしげもなく、摩訶不思議、おぞましい食べ物に変化させられるのはこのわたし。
 そう、このわたしだけ。
 ふふっ。これぞまさしく、天賦の才というもの?
「め、茗子さま!?」
 そうどもる、顔を複雑にゆがめる桐平さんがそこにいた。
 とろとろに溶けて、なんともよい香りを漂わせるチョコに、これまたあらかじめ用意していた生クリームをたっぷりいれてやったから。
 もちろん、桐平さんがどこかから仕入れてきた、一級品の生クリーム。
 このチョコ。もともとミルクチョコ。甘いです。ええ、もちろん。当然。
 そこへ生クリーム。しかも大量。
 チョコと生クリームのその比。一対二。
 ……え? 入れすぎ?
 ふふ。まだまだよ。
 そこに、これまたどこから現れたのか、わたしの手にはメイプルシロップの瓶とはちみつの瓶。
 しかも、これまた高級品。一級品。
 ……まったく。桐平さんに頼んで用意してもらったら、いつもこうなのだから。
 無駄にいいものばかりそろえやがって。
 ムカつくわ。
 いくら、半年、ここ、鳳凰院家で暮らしていても、わたしの庶民根性はそう簡単には抜けないのだから。
 そんなもの、そこら辺に売っている、一山いくらで十分なのにね。
 ……そう思うと、やっぱりこの辺りもムカつくわ。大嫌い。
 とにかく、そんなぎっとぎとに甘い高級食材たちを、生クリームたっぷりのとろとろにとけたチョコの中へ放り込む。まるまる一瓶、全て。
 え? そんなに入れたら、かたまらなくなるじゃないって?
 ちっちっ。いいのよ。そんなこと。どうでも。
 かたまらないなら、冷凍庫に入れちゃえばいいのよ。
 カッチンカッチンに凍らせて、チョコ氷……なんちゃって?
 そんな、高級食材を使って、とうてい人の食べられるようなものではないものを作り上げていくわたし。
 その光景を、久能さんも桐平さんも呆然と眺めていた。
 うっ……と、このあまいあまいあまったる〜い匂いにやられつつ。
 むせかえるような甘い香り。
 ははっ。さすがにわたしも、この匂いには、ちょっと……いや、かなり気持ち悪くなってきたけれど……。
 だけど、ここでやめるわけにはいかない。
 これは、わたしからの夏樹へ対するお礼なのだから。
 そう。これまで、よくも散々もてあそんでくれたわね!というお礼!!
 手作りチョコとみせかけて、手作り爆弾をお見舞いしてやるのだから!
 甘いものが苦手な夏樹にとっては、このチョコ――そう。わたしでさえも、そのあまったる〜さに吐き気を覚える――は、実に効果絶大な爆弾になるだろう。
 だって、手作りチョコよ?
 しかも、夏樹が大好きなわたしからのチョコ。
 ふふっ。これを食べないわけにはいかないでしょう。
 夏樹なら、極上の笑みを浮かべ、幸せそうに食べるわ。食べつくすわ。
 どんなにおぞましく変化してしまった食材でも。
 どんなに極甘なチョコでも。
 くすくす。その時を想像すると、とてつもなく楽しくなっちゃう。
 夏樹の、とっても困った顔を想像するとね。
 そうして、鼻歌まじりにラッピングの用意をしていく。
 かわいいクラフトの箱に、まだかたまっていないふにゃふにゃチョコを入れて。
 一口大の大きさに丸めた、でろでろチョコ。
 そのようにラッピングした後、レッツゴー冷凍庫なのよ。
 順番が逆のような気がするのは、それは、チョコがカチカチに凍るのを待っていたら日が暮れちゃうからよ? だから触れちゃダメ。
 もちろん、わたしだって知っている。
 普通は、こうして作るのじゃないということ。
 ……念のため言っておくけれど……。


 綺麗にラッピングも済み、冷凍庫にいれ、ぱたんと扉を閉めた時だった。
 なんとも苦しそうな、もだえるような声が聞こえてきた。
 それは、やっぱり聞きなれた声。
 いつもすぐ近くで聞いている声。
 だけど、あの癪に障る夏樹の声じゃない。
「うっ……。何これ、茗子。今度は一体、何をしでかしたの?」
 そう言って、気持ち悪そうに胸の辺りをおさえながら、由布が厨房に入ってきた。
「由布? 決まっているじゃない。この漂う香りをかいでわからない? チョコを作っていたのよ。チョコ」
 なんて、やっぱりわたしもこのにおいにたえられなくて、顔をゆがめているけれど。 
 だけどもちろん、声は楽しそうだったりするから、わたしもなかなかにくせものかもしれない。
 ……事実、楽しんでいるし。
「え? 茗子が夏樹に……? ねえ、それ、何のいやがらせ?」
 由布は神妙な顔をし、ずいっとわたしに詰め寄ってくる。
 がしっと両肩をつかまれたりなんかしちゃって……。
 しかも由布ってば、夏樹に同情したような表情をしちゃったりして……。
 そんな由布の後ろでは、うんうんと、妙に真に迫って、久能さんと桐平さんが激しく首を縦に振っていた。
 ……ったく。失礼しちゃうわね!
 みんなみんな、大嫌い!
 とは、今回は言わないわ。
 だって、まさしくその通りなのだもの。
 これはいやがらせ。夏樹に対するいやがらせ。
 またの名を、復讐!!
 復讐チョコをくれてやるのよ!
「くすくす。ねえ、これを夏樹に渡す時、由布も一緒にいていいわよ? これまで見たことのない夏樹の情けない姿を、おがめるかもしれないわよ?」
「茗子……。わかっている? そんなことをしたら、後がどれだけ怖いかって……。何をされるかわからないって……。夏樹のことだから、茗子ならきっと……その体で償えとか何とか言ってくるよ? しかも、すごく嬉しそうに」
 ふうと大きなため息をもらし、呆れたように由布が言った。
 「茗子、夏樹のこと、まだまだわかっていないよね……」なんてつぶやいたりもして。
 うっ……。
 そう言われると、そう思わないこともなくなってきたような……。
 でもでも、今さらやめるわけにいかないし、それにやっぱり復讐したいのよ。復讐!
 いつもいいように扱われている復讐!!
 ――っていうか、由布。あんた、今何かとんでもないことをさらっと言わなかった!?
 とうてい由布の口からは出ちゃいけないようなそんな言葉……。
 それが夏樹の口からだったら、まったく違和感がない、そんなとんでもない言葉……。
 た、た、たしか、体が何とかって!?


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update:04/02/01