バレンタインキス
(4)

 その事実に気づいた瞬間、わたしの顔からさあっと色がひいていった。
 それはもう、楽しいくらいきれいさっぱりと。
 そして、くらりとめまいを覚える……。
 いつかどこかで感じたあのめまい。
 次の瞬間、気を失ってしまったあの時のようなめまい。
 しかも、極悪魔人の胸の中だったような――
 そ、そういえば、これまでだって、何度も仕返しを試みたけれど、全て全て、ことごとく、ムカつくことにさらっとかわされ、逆に罠にはめられていたような……。

 その時だった。
 厨房の外から、何やらざわざわという嫌なざわつきが聞こえてきた。
 このざわめきが起こるということは……これまでの経験を考慮して……。
 ぐるぐるまわる頭を正常に機能させようと修復していたら、突如、きりりとした顔つきになり、久能さんがすっくと立ち上がった。
 これまでのどこかふざけたような、わたしをからかって遊んでいるような表情を一新して。
 ……ムカつく。
 そして、確信してしまった。したくなどないけれど。久能さんのその行動から。
 どうやら、ここの主人、この忠実なるムカつく男たちのご主人様が帰ってきたよう。
 まだまだ夕方にはほど遠い、今。
 やっぱり、やってくれたのよ。あの夏樹は。
 いつものように、「早く仕事が終わって……(以下略)」なんて言うに決まっているわ。
 わたしの姿を見つけた瞬間。
 満面の笑みを浮かべて。
 ――やっぱり、想像するだけで、この上なく腹立たしくしてくれる男だわ。あの鳳凰院夏樹。二十六歳という男は!
 大嫌い!!
「茗子さま。まだ凍っていませんが、とりあえずこれを……」
 なんて余計なことをしてきた。桐平さん。
 さっき冷凍庫へ入れたばかりのラッピングしたチョコ。
 それをぐいっとわたしに手渡してくる。
 今まさに、由布の口からとんでもないことが飛び出たというのに、気にとめていないように。
 そして、そんなわたしの手を、由布が楽しそうに引き、玄関へ向かっていく。
 長い長い、鳳凰院邸のこの廊下を……。

 待て!
 待つんだ、由布!!
 あんた、わかっていてしているでしょう!
 さわやかそうににこにことした、だけど実際はお尻に黒く長いしっぽのはえた、その微笑が何よりの証拠よ!
 もう、もう、もう、もう、もう〜っ!
 なんて奴、なんて奴、なんて奴なのよ〜!
 大っ嫌い!!
 あの時、あの裏切りの告白をした時の由布は、どこへいったのよ!
 最近では、夏樹と一緒になって、わたしをおもちゃにして遊びやがって〜!
 く〜や〜し〜い〜!
 みんな、大嫌い!
 今に見ていなさいよ。絶対、痛い目にあわせてやるのだから!!
 ――と言いつつ、実際にあわせられているのは、わたしのような気がするから複雑……。
 もちろん、由布は自ら手を下すことはない。
 ただ、夏樹にいいようにされているわたしを傍観しているだけ。
 でも、その傍観というのがくせものなのじゃない!
 そこで見ているなら、夏樹の思惑に気づいているなら、助けなさいよ。由布!
 あんたはやっぱり、あの極悪男の共犯者だわ!


 由布に引っ張られ玄関に行くと、そこには夏樹が立っていた。
 今まさに嫌味な黒塗りベンツから降り、玄関ホールへと入ってきたところだった。
 夏樹と一緒に、ぴゅうと冷たい風が舞い込んでくる。
 やっぱり……冬なのだって、そんなことを実感させられたりする。
 本当に、ここのお屋敷は、どこもかしこもあたたかいから。
 極悪主人に似合わず。
 そんな夏樹は、由布に手をひかれ、渋るようにやってくるわたしに気づき、極上の微笑みを向けてくる。
「ただいま、茗子。会いたかったよ」
 なんて言いながら。
 会いたかったも何も、つい何時間か前まで、うっとうしいくらい一緒にいたじゃない。
 何なのよ。この男は。本当……。
 夏樹はそうして、ゆっくりとわたしへと歩みを進めてくるの。
 それがまた、天使の微笑みを浮かべ、本当に嬉しそうだったりするから、わたしは思わず後ずさる……。
「ん? 茗子。その手に持っているものは何?」
 夏樹はそう言って、にっこりと微笑む。
 とろんととろけた微笑みで。
 さっきわたしが湯せんしたチョコよりも、とろとろで甘〜い甘〜い顔をして。
 わかっていて、あえて言っているのだから。
 それが嫌味なほどわかってしまうから、ムカつくというのよ! 大嫌い!
 わたしは答えず、ぐっと黙り込む。
 答えたが最後、問答無用でやられる。
 黙ったまま、くるりと踵を返し、脱兎の如く逃げさる!
 ……としようとした瞬間、ぐいっと腕を引かれた。
 ずっとずっと由布に握られていたその腕を。
 わ、忘れていた……。ふ、不覚……。
 由布、よりにもよって、この極悪夏樹に協力するつもりなのだわ!
 こ、こ、こんのたぬき〜っ!
 あんたも、たぬきなんだな。あんたもー!!
 ぐいっと手を引かれ、どうにか逃れようともがくわたしの手から、夏樹がひょいっと例のチョコの箱を取り上げた。
 それがまた、嫌味なくらいスマートにあっさりと。
 そして、にっこりと微笑む。
「ありがとう。これ、ぼくにだよね? 茗子」
 なんて、本当に嬉しそうに言って。
 ――やっぱり、わかっていたのじゃない。……ったく、もう……。
 ……ムカつく。
 答えず、じっと夏樹をにらみつけてやった。
 当然、恨めしそうに。
 ほんのりと頬を染めたりして。
 すると夏樹の奴、くすっと笑い、おもむろにその場でラッピングをほどきはじめた。
 そして、ぱかっと蓋を開ける。
 その瞬間、なんともかぐわしい、わたしでさえも吐き気を覚えるくらいあまいあまい香りがこの場に充満する。
 当然、夏樹なんて、う……と苦しそうに顔をゆがめている。
 夏樹ってば、当然普通のチョコと思っていたよう。
 ――このわたしからのものにもかかわらず。
 普通のチョコなら、夏樹だって、無理すれば食べられないことはないと思う。
 だけど、このチョコ。普通のチョコじゃない。わかりきっているけれど。
 そんなチョコを夏樹が食べられるわけがないのよ。わたしでさえも無理なチョコなのだもの。
 だけど夏樹の奴、それでもぶるぶるふるえる手でチョコに手をのばし、一つをその手につまんだ。
 やっぱり……生クリーム、メイプルシロップ、はちみつがたっぷり入ったそのチョコは、でろでろで形をなしていない。
 どうにか、不細工に球体の形をたもっているにすぎない。
 そんなおぞましい、食べ物だけれど食べ物じゃないブツを、ひょいっと口へ放り込んだ。
 その瞬間、わたしはぎょっと目を見開いていた。
 ま……まじですか!?
 当然、口へ放り込んだまではいいけれど、夏樹の奴、何度も何度も苦しそうに声をもらしている。
 そして、ぎゅっと目をつむり、ごっくんとのみこんでしまった。とうとう、それを。
 さらには、その後すぐに、「ありがとう、茗子。とてもおいしかったよ」なんて半分青い顔をしながら言ったりして……。
 その瞬間、わたしはわかってしまった。悟ってしまった。
 あることに。ある事実に……。
 それは、再確認させられた……といった方が正しいかもしれないけれど……。
 夏樹の奴ってば、夏樹の奴ってば……もうっ。
 その顔が、目がいっているわ。
 「茗子が作ってくれたものなら、何だっておいしいよ。――いや、その行為自体がとても嬉しいから、何だっていいのだけれど。茗子の気持ちだけでお腹いっぱい」
 なんて……。
 そんな、とろとろにあま〜いことを。
 ――どこか、馬鹿にされていると思わないこともないけれど……。
 もう。夏樹の、バカ――
 そして、そんな思いとともに、わたしのあふれんばかりのいたずら心に火がついてしまった。
 さっきの夏樹の暴挙に呆然としていた由布の手から、ちょうどよい感じで力が抜けていたのでその手をするりとはなし、夏樹へと歩みよる。
 そして、すっと夏樹に触れてみた。
 ぴしっとスーツを着こなした、その胸の辺りに。
 ふわりとかすめるように。
 それだけでも……伝わってきた。夏樹のぬくもり。
 そして、ちろっと上目遣いで夏樹を見て、ぽつりと言ってみる。
 すがるように、甘えるように。
 うっとりと夏樹を見つめ。
「……ねえ、夏樹……。本当にわたしのことが好きなら、そのチョコ、全部食べてくれるよね? それ、手作りなのよ? 一生懸命作ったのよ? 愛しているなら……食べられるよね? いくら苦手な甘いものでも……」


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update:04/02/04