バレンタインキス
(5)

 ――食べられるわけがない。
 当然そんなことはわかっていたけれど、わざとそう言ってやった。
 もちろん、いやがらせ。そして、復讐として。
 ただでさえ人の食べ物でなくなったそれを、甘いものが苦手な夏樹が全部食べられるはずがない。
 だって、その箱の中にはまだ、一口大のチョコが五つも残っているのだから。
 わたしだったら、絶対無理。ひとかけらですらも。
 そんなでろでろに甘いもの、食べられるわけがないわ。
 いくら、甘いものが好きなわたしだって。
 だって、生クリームにメイプルシロップ、はちみつたっぷりよ!?
 想像しただけでも、ぞっとする……。
「……くす。茗子、かわいい。甘えてくる茗子って、最高に贅沢だよ」
 なんて、どこか論点のずれたことをけろっと言ってのけ、この食べ物でなくなった甘いチョコよりもあまく微笑み、一気に残りの五粒のチョコを口へ放りこんだ。
 そして、やっぱり苦しそうに顔をゆがめながら、体をふるわせながら、チョコを全て平らげてしまった。
 ……え?
 夏樹……?
 どうして? どうしてそんな無茶をするのよ!
 あんたのことだから、当然、こんなのたんなるいやがらせで、実行する必要なんてないとわかっているでしょう!?
 なのに……どうして?
 ――もしかして……それは夏樹の優しさ?
 騙されたふりをして、仕返しさせてくれたの?
 それとも……本当に、わたしからのチョコが嬉しかったとか?
 それが、どんなものだとしても。いやがらせであったとしても。
 わたしから夏樹に何かしてあげるなんてないから……。
 そう。今までだって、たった一回だけ。
 たった一回だけの、わたしからのキス――
 あの時の夏樹は、本当に幸せそうだった。嬉しそうだった。
 極上の笑みを浮かべていたわ。憎まれ口をたたきつつも。
 ……不覚にも、思わずみとれてしまうくらい。はずかしくて、くすぐったくなっちゃうくらい。胸の辺りが……。
 きょとんと見つめていると、夏樹ってば、空になった箱を横にやってきていた久能さんに手渡し、ひょいっとわたしを抱き上げた。
 当然、いつものようにお姫様だっこ。
 これしかない。
「な、夏樹!?」
 お姫様だっこされ、腕の中で、ぎょっと夏樹を見つめる。
 でも……抗うことはない。
 ここが、これまでとは少し違うところ。
 抗うのじゃなくて、受け入れるの。
 そして、夏樹の胸を、腕を、わたしだけのものと実感するの。
 夏樹がわたしだけのものと感じる瞬間が、何よりも、好き――

 お姫様だっこ……。
 こんなの、もう今にはじまったことじゃないから、みんな何とも思っていない。
 平然と、その光景を眺めるにすぎない。
 あまつさえ、当然のことというように涼しい顔なんてしちゃって。
 当然、由布もそんな感じ。
 まるで、あの裏切りの告白が嘘のように、由布は以前と変わらぬ態度に戻っていた。いつの間にか……。
 ううん。そうじゃなくて……少し、意地悪になったかもしれない。
 そして、もう隠さない。
 由布が、よせているというわたしへの思い。
 夏樹の前でも平然とそれをだし、そして……。
 由布は、もう終わっているものだからって、からから笑っていた。
 だから夏樹も、たいして気にしていないみたいで……。
 まったく、何なのよ、本当。この男たちは。
 そんな由布だから、当然、邪魔してはくれない。
 いつかのように、「馬……ではなく、夏樹に蹴られる」とか何とかいって、このわたしの不幸な状況を楽しんでいる。
 少し淋しそうに、悲しそうに微笑みながら。
 ――まったく。肝心な時に使えない奴ね。常々思ってはいたけれど。
 そうして、誰も助けてくれないから、当然のようにわたしは乙女部屋へと連れ込まれるわけで……。
 そしてやっぱり、当たり前のように鍵をかけられるわけで……。
 もう鍵をかけなくなった夏樹が、再び鍵をかけるということは、当然そこにはよからぬ思惑があるということで……。
 さらには、ぼすんと乙女ベッドへ放り込まれたりして……。
 放り込まれるといっても、もちろんそこに優しく置かれているのだけれど……。
 ったく、この男は。どこまでもできた男よね!
 こういう明らかにからかっていやがらせして楽しんでいる時でも、わたしを大切に扱うのだから。
 ……ムカつく。大嫌い。
 乙女ベッドに沈められたわたしは、慌てて起き上がろうと上体を起こす。
 だけど、それをすぐに夏樹に阻止されちゃって、またベッドに沈められる。
 ぼすんと、わたしの重み分だけ、いつものように沈みこむ。
 そうして、わたしの体全部に夏樹の影がかかり――
「茗子。わかったよね? ぼくがどれだけ茗子を愛しているか……。茗子が言ったこと、実行したよ?」
 あまいあまい、そんなさっきのチョコよりも甘い顔をして、夏樹はそれをすっとわたしの顔に近寄せる。
 そして、もう避けることも抵抗することもなくなったから、当然のように触れるの。
 夏樹の唇とわたしの唇が――
「……あまい……」
 夏樹の顔が少しはなれると、まだ目の前にいる夏樹に向かって、ぽつりとつぶやいていた。
 当然、顔を真っ赤にして。
 悔しそうに、あまあまの顔をした夏樹をにらみつけて。
 目なんか、うるんじゃったりなんかして……。
 
 そう。甘かった。
 夏樹のキスは、めちゃめちゃに甘かった。
 チョコと生クリームとメイプルシロップとはちみつがまざり合ったような、高級な甘さ。
 まったく……下手に高級なものばかり使っているから、そのキスの甘さも極上。
 本当、めちゃめちゃに高級だったわよ……。

 ああ。もう、わかったわよ。仕方がないわね。
「いじわる……。最初からわかっていたのでしょう? 夏樹」
 ぶうとふくれて、夏樹をにらんでみた。
 少し、恨めしそうに。
 やっぱり、その目はちょっぴりうるんでいたりして。
 ……何故かはわからない。
 だけどね、最近、変なの。おかしいの。
 夏樹に抱きしめられると、キスされると、泣いちゃいたくなるくらい幸せな気持ちでいっぱいになるの。
 胸が……。
 そうして、苦しくなるの。きゅっとしめつけられて。
 だけど、それは幸せな苦しさなの……。
 さらには、ずっとそうしていたくなって……。
 はなれてほしくなくて。触れていてほしくて。
 気づけば、わたしから、触れているの。夏樹に――
 夏樹がそばにいるだけで、幸せな気持ちになるの。同時に、嬉しさで涙が出ちゃうの。
 ……絶対、何かが狂っているのだわ。
「もちろん。茗子のことなら、何でも知っていると言ったでしょう?」
 にっこりと、天使の顔で微笑む夏樹。
 だけどやっぱり夏樹らしく、その下には極悪悪魔な顔をかくしている。
 もう。この男ってばっ。
 大嫌い――
「……はいはい。そうだったわね。それじゃあ、本当のチョコは別に用意してあるって……それもわかっているのでしょう?」
 ぷいっと夏樹から顔をそむける。
 当然、まだまだわたしの顔は赤いわよ。ふんっ。
 だけど、乙女ベッドに沈められ、その上に覆いかぶさられたこの体勢では、すぐに夏樹にその顔を戻されちゃったりする。
 じっと……見つめあうように、夏樹の顔にまっすぐ向けられ。
「当然。……そこのチェストの中に、二日前からこっそりしまっていたでしょう? ビターチョコ。茗子。そういうところ、優しいよね?」
 夏樹はわたしの耳元で優しくそうささやく。
 そして、そのままちゅっとぽっぺにちゅう。
「……たぬき」
 やっぱり、夏樹から顔をそらそうと首を動かそうとするけれど、それは夏樹によってがっちりガードされてしまっているから無理。
 そうして、夏樹のふわふわの髪がわたしの頬に触れ、かぎなれたあの香りがわたしの鼻をくすぐる。
 整髪料とシャンプーがまざったような、あの香り――
「ねえ、茗子。ぼくね、チョコなんかより、もっともっとあまい、そしておいしいものがほしいな……」
「え……?」
 わたしが沈んでいる横に夏樹もごろんと横になり、一緒にベッドに沈む。
 そして、そのままぎゅっとわたしをその胸に抱き寄せた。
 あまくあまく、大切にふわりと抱かれるの。
 わたしは、夏樹の胸の中で、ぽつりとそうつぶやいていた。
 だって、それって、どういう意味?
「くすくす。まだわからない? つまりは……茗子がほしいということ」
 夏樹は甘くそうささやくと同時に、再びわたしにあまいあまいキスをしていた。
 いやがらせなあの極甘チョコなんて比べ物にならないくらい、甘いキス――

 夏樹のこのとんでもない発言と、そのとろとろにとろける甘いキスで、わたしは抵抗という言葉を忘れてしまっていた。
 ……不覚にも。
 でもね、それに流され、言葉にする茗子さまじゃないわよ。当然。
 「好きよ」なんて、まだまだ言ってあげないのだから。
 そんな、まるでわたしが夏樹のものという言葉。
 今、夏樹がいちばんほしいものは、わたしからのその言葉だと知っているけれど……。
 ふふっ。これがね、夏樹に対するいちばんのいやがらせで、そしてダメージを与えられると知っているのよ。わたし。もちろん。
 夏樹からの好きや愛しているが、一万回に達したら、はじめて一回だけ言ってあげる。
 ううん。それとも……来年の今日、バレンタインの日までおあずけを食らわそうかしら?
 その言葉。夏樹がいちばんほしい言葉。
 バレンタインだからもらえるかもしれないって、そんな無駄な期待をよせている言葉。

 好き……。

 夏樹が好きってね……?
 まあ、本心かどうかは別として――


バレンタインキス おわり

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update:04/02/04