幸せのカタチ
(2)

「茗子……? 起きている?」
 そうつぶやきながら、うかがうように部屋の中へ入ると、巨大ベッドに身を沈める彼女の姿が目に入ってきた。
 彼女が言うには、このベッドは乙女ベッドらしい。
 ぼくにいわせると、愛の寝台なのだけれど……。
 このベッドは、二人でも十分に寝られるようにと、特別に作らせたもの。
 ――もちろん、下心がないこともない。
 ぼくの問いかけに、彼女は一瞬、びくんと体をふるわせ、ゆっくりとこちらを向いてきた。
 ベッドに半分くらい顔をうずめて。
 どうやら、起きていたらしい。
 ぼくが声をかける度、どこか恐れたようにびくびくとする節が彼女にはある。
 まるで小動物のようにびくびくするから、いつも思わずからかいたくなってしまう。
 別に、とって食ったりはしないのに。
 ぼくこそが、びくびくしているのに。
 彼女に触れる度、嫌がられはしないだろうかと。
 だけどまあ、嫌がられたって、やめる気などないけれど。
 本気で泣かれれば、はなしはまた別だけれど……。
 ……ぼくは……もしかすると、こどもなのかもしれない。
 そんな小学生のようないたずら心がうずくのだから。
 ぼくを見て欲しくて……いたずらをしかける。
 彼女に笑って欲しいはずなのに、だけど、困った顔や泣いた顔もかわいくて、見たくて、ついついいじめてしまう……。
 いつまでたっても成長しない、こどものまま。
 彼女に対してだけ。
「起きていたのだね……」
 そう言いながら、ベッドへ歩み寄り、ベッド脇のベンチボックスの上に、先ほど久能から手渡されたものを置く。
 ことんと、いつかのように、ぼくの耳に心地よい音を運んでくる。
 思い出される。あの時のこと。
 そして、ぽすっとベッドの端に腰を下ろす。
 そうすると、また彼女の体がびくんと反応した。
 それでも、じっと、ぼくをうかがうように見つめて。
 びくびくと、ぼくの動向を探って。
 それが、どうにもたまらなくかわいい。
 そして、くくっと笑いがこみ上げてくる。
 嬉しさのために。
 ……だめだ……。どうもくせになる。
 くすくすとこみ上げてくる嬉しさをぐっとこらえ、ふわっと彼女の頬に触れてみた。
 やはり、彼女は気持ちがいい。
「……あまり……熱くないね?」
「夏樹……。うん。熱はだいぶ下がったから……」
 そう言って、潤んだ瞳でぼくを見つめてきた。
 先ほどまでの警戒はまるで嘘のように、すっとぼくを受け入れる。
 どうやらこれは、警戒していたのではなく……意識していた? ぼくを。
 そう聞くと、彼女は絶対に怒るから。
 今は、この幸福感にひたっていたいから。
 だから、今はからかいたい衝動を我慢するしかない。
 彼女は、本当に、かわいい。
 このあふれる彼女への愛、ぼくにはもうとめられない。

 もちろん、彼女のそれは熱のためだってわかってはいるけれど、そんな瞳で見つめられると、ぐらっときてしまう。
 普段、あまり見せないその表情は、ぼくの理性をぶつんと吹き飛ばす。
 このまま、ぎゅっと抱きしめてしまいそうになる。
 だけど、まだまだ、我慢して。
 罠を成功させるためには。
 そして、彼女は、今は病人。
 あまり無理はさせられない。
「だけど、まだ油断は大敵だからね。夜になると、熱が上がるということも……」
「もう、夜よ?」
 彼女は熱を出しているはずなのに、すかさずぼくの揚げ足をとってくる。
 楽しそうに、くすくすと笑いながら。
 うん。これならば、少しは安心できる。
 ぼくに対抗するだけの元気があるのなら。
 それにしても……まったく……。こういう時でも負けず嫌いなのだから。
 何がなんでもぼくには負けたくないらしい。
 負けたっていいのに。負けて欲しいのに。
 そして、無駄な抵抗なんてやめて、ぼくを受け入れて欲しいのに。
 彼女の負けず嫌いは、ぼくにだけは永遠に続きそうだ。
 だけど、そこがまたかわいいと思えてしまう辺り、ぼくもどうかと思う。
 ……やはり、重症だ。
 そんな彼女に、くすりと苦笑して、肩をすくめてみた。
 すると彼女は、ふふっと笑い、すっと手をのばしてきた。
 ぼくの、だらしなく出した、シャツのすそをきゅっと握る。
 上目遣いに、潤んだ瞳でぼくを見つめて。
 その行為が、本当に本当にかわいすぎて……ああ、もうっ!

 彼女はわかっているのだろうか?
 いや、わかっていないから、平気でこんなことができてしまうんだ。
 まったく、罪作りな愛しい女性だ。
 ぼくのシャツを力なく握る彼女のその手に、触れたい衝動にかられる。
 その衝動で、一瞬、ぼくの表情はゆがんだかもしれない。
 その行為自体に気づいていないふりをして、さきほどベンチボックスの上においたあれを手に取る。
 そう、かつて、ぼくが熱を出した時、「風邪の時に食べる桃缶は一味違うのよ。これ、常識!」と、そんなことを誇らしげに言って、ぼくの口にむりやりねじこんできたそれ。桃の缶詰め。
 ひんやりと冷えた、桃缶。

 ぼくを気づかってくれている……。

 本当は、そうわかっていたけれど、ついつい意地悪したくなって言ってしまった。
 ――いや……。それよりも、あの時、せっかくの二人だけの時間を、久能に邪魔されたから、少しすねていたのかもしれない。
 まったく……ぼくはやはり、まだまだこどもなのかもしれないな。
 彼女を独り占めしたい、ぼくだけのものにしたいと願う辺り、やはりこどもなのだろう。
「……庶民のね」
 その言葉に、彼女はやはり気を悪くしていた。
 それでも、怒った顔もやっぱりかわいくて……。
 まだまだ見たくて。彼女を見ていたくて……。
「茗子。はい。これ食べて。何も食べていないのだって?」
 食べやすいように小さく切った缶詰の桃に、ぷすっとフォークをさし、茗子の口もとまで運ぶ。
 すると彼女は、驚いたようにまじまじとぼくを見つめてきた。
 少し、照れたふうに。ためらったふうに。
 ……やっぱり、かわいい。
「風邪の時は、これなのでしょう?」
 そう言って、微笑みを落とす。
 彼女に言わせると、ぼくのこの微笑は、『天使の微笑みに見せかけた悪魔の微笑み』らしい。
 ――するどい。
 実際、いろいろと思惑があり、それを思い浮かべていることが多いだけに……否定できない。
 全ては、彼女を手に入れるための思惑なのだが……。
 彼女は、恥ずかしそうにぷいっと顔をそむけた。
 彼女の大好きな桃が、目の前にあるというのに。
 だけど、すぐにぐりんと顔を戻してきて、この上なく不服そうに目をすわらせ、ぱくっとそれを口に入れた。
 そして、むっつりと頬をふくらませ、もぐもぐごくんと飲み込む。
 その瞬間、彼女の顔は、幸せそうにふにゃっととろけた。
 よほど、桃がお気に召したようだ。

 ああ……だめだ。
 本当に、かわいすぎる。
 素直じゃないけれど、素直。
 そんな矛盾した彼女が……。
 いや、何よりも矛盾しているのは、ぼくのこの心なのかもしれないけれど。
 愛しければ愛しいほど、いじめてしまう……という辺り。
「えらいえらい。もっと食べる? まだたくさんあるよ?」
 ふわりと彼女の髪……そして頬をなでると、彼女は気持ち良さそうに目を細めた。
 触れた彼女は、当たり前だけれど、とても気持ちいい。
 ふれたそこから、何かがぞくぞくと駆け上ってくる。
 どうにもたまらない。
 ……うん。やはり、この辺りは少し変化……進化したのかもしれない。
 以前なら、問答無用で殴り倒されているところだ。
「夏樹の手……冷たくて気持ちいい」
 ……。
 ……待て。
 はあ〜。結局、そういうことか。がっくり。
 でもまあ、抵抗せずに触れさせてくれるから、これも悪くない。


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update:04/03/06