幸せのカタチ
(3)

「よし。全部食べたね。それじゃあ、あとはゆっくり眠って。ぼくは外に出ているから……」
 そう言って、とてつもなく嫌だったけれど、おしいけれど、すっと立ち上がる。
 本当は、まだまだ彼女のそばにいたいけれど……。
 もっとずっとずっといつまでも彼女のもとにいたいけれど……。
 そうすると、彼女の熱がまたぶり返してしまうと思ったから、仕方なく。
 しかし、立ち上がり、動き出そうとした時、くいっとシャツのすそがひっぱられるような感じがした。
 ……あ。
 そういえば、彼女はずっとぼくのシャツを握ったままだった。
「茗子? 放して? 放してくれないと、ぼく、いけないよ?」
 心にもないけれど、一応そう言ってみる。
 彼女が引き止めてくれるなら、ぼくは手放しで喜んで、いつまでもここにとどまろう。
 彼女はぼくのことを、「性格は別として、紳士よね〜」と時々つぶやくから、仕方なくぼくもそれを装ってあげる。
 本当は、そんな奴じゃないけれど。
 嫌がったって泣いたって、ぎゅっとこの腕の中に茗子を抱きとどめておきたいけれど……。
 でも、これ以上嫌われるのは嫌だから、その衝動はこらえる。
「夏樹……。行かないで……」
 ……きた。きてしまった。
 きゅっとぼくのシャツを握り、そしてベッドに身を沈め、さらには潤んだ瞳でそんなことを言われると……。
 嗚呼〜。ぼくの理性が、がらがらと音を立てて崩れていく――
 彼女はこの熱から、少し不安で、いつもとは違って情緒不安定だとわかっているけれど……そんなもの、もうかまうものか。
「いいよ。茗子。ぼくに風邪をうつしてもいいから……」
 そう言って、再びベッドに腰を下ろした。
 当然、熱く見つめ……。
 ――彼女に言わせると、暑苦しい、らしい。普段は――
 そして、ふわりと彼女の頬をぼくの手で包み込む。
 先ほど、冷たくて気持ちいいと彼女が言ったぼくの手で。
 触れた彼女は、少し熱かったけれど、やはり柔らかくて気持ちがいい。
 いつまでも触れていたい。
 そして、間をおかず……顔を彼女の顔に近づけてみた。
 それでも、抵抗する様子はなく、そんな彼女に、ぼくは胸の内で思わず苦笑いを浮かべていた。
 ぼくの衝動に、欲望に、彼女が抗おうとはしないから……。
 恐らく彼女は、ぼくの内なるこの醜い心など、浅ましい思いなど知らないだろう。
 彼女は最近、時々、まるでぼくを彼女の理想の王子様のように見つめる時があるから。
 そんな目で見られると……歯止めをかけられる。
 だけど、ぼくのこのあふれる思いは、そんな歯止めもものともしない。
 そうして、風邪を患った無抵抗な彼女に容赦なく落とす。
 ぼくのキスを――
 甘い、甘い、キスを。
 甘い甘い、桃の味がするキスをした。
 多少嫌がる茗子にかまうことなく。
 多少驚く茗子にかまうことなく。
 ……もう、我慢の限界なんだ。
 ぼくの心は茗子でいっぱいで。
 そして、茗子をめちゃめちゃにしたくなるほど愛していて……。
 ぼくのことしか考えられなくさせてしまいたくて。
 彼女の中を、ぼくで、ぼくだけでいっぱいにしたくて。
 そんな思いを込め、キスをする。

 ――病人に対して、酷い仕打ちだ。
 そう思うけれど、やはりやめられない。
 気づけば、いつもぼくは彼女に翻弄されている。彼女を感じ。
 キスをする度……。
「……わたしの風邪は、夏樹にはうつらないのじゃなかったの?」
 キスを終え、彼女から少し顔をはなすと、彼女はそう言ってきっとぼくをにらみつけてきた。
 それは当然、キスに対する非難の眼差し。
 本当は、嫌がってなどいないくせに……。あまり。
 まったくもう、本当にかわいいのだから。

 覚えていてくれたんだ。そんなことも。
 彼女はぼくの言葉、何一つ忘れず覚えていてくれる。
 時々、自分に都合の悪いことは、忘れたふりをしてとぼけてみせるけれど。
 だけど、それはぼくも同じだから、何も言わない。言えない。おあいこ。
 そうして、ぼくの言葉を覚えていてくれる彼女が愛しい。
 また、思わず抱きしめたくなる。
 キスをしたくなる。
 だけど、今度はぐっとこらえる。我慢する。
 それでもやはり、我慢には限界があって……。
「そうだったね……。じゃあ、添い寝をしてあげる。ぐっすり眠れるように。うつらないから大丈夫っ」
 そう言って、がばっとベッドの中にもぐりこむ。
「もう、夏樹の馬鹿! よけい眠れないじゃない!!」
 そのようにはかない抵抗を試みる彼女を無視する。
 当然、さらっと。
 そして、もぐりこんだそこでは、当たり前のように彼女をぎゅっと抱きしめる。
 やはり、ぼくの腕の中で小さな抵抗を試みる彼女。
 だけど、それはすぐにやんで……ぽすっとぼくの胸に顔をあずける。
 そんな彼女がやはりかわいくて、愛しくて、もうたまらない。
 だから、思わず、さらに力をこめてしまう。彼女を抱く腕に。
「茗子……。愛している……」
 ふわりと彼女の髪にキスを落とす。
 瞬間、当然彼女の体はびくっと反応するけれど……。
 瞬間、彼女からとてもいい香りが漂ってくる……。
 それで、ぼくの心も頭も、もうくらくら。
 そんなもの、はかない抵抗など、かまうものか。
 ぼくの幸せのために、我慢してもらおう。
 もう少し。ほんの少しだけ。


 茗子は、知っているのだろうか。
 ぼくは、茗子がいるだけで、茗子に触れているだけで、幸せなのだって。
 ただそこに茗子がいて、微笑んでいてくれるだけで、幸福感に包まれる。
 そして、彼女がほんの少しでも歩み寄りをみせてくれたら……ぼくはもう嬉しすぎて昇天しちゃうよ。
 いつかおどけてそう言ったように。
 おどけたふりをしていたけれど、あれは紛れもないぼくの本心だった。
 なのに、彼女はいまだ、それに気づいていない。
 本当、酷い女性だ。
 だけど、そんな彼女が愛しくてたまらないぼくは、もうどうしようもない。手の施しようがない。
 それほどの愚か者。

 彼女がそこにいるだけで、そこでぼくを見つめていてくれるだけで、ぼくは幸せなんだ。
 どうすればこの思いを伝えることができるだろう。
 ……いや、伝える必要などない。
 彼女の存在自体が、ぼくの幸せだから。
 それだけで、もう十分。
 それが、ぼくの幸せのカタチ――


幸せのカタチ おわり

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update:04/03/06