執事が見たヒトコマ
(2)

「久能」
 茗子さまの疑問に答えることなく、夏樹さまはやはり意地悪くにやりと微笑み、わたしの名を呼ばれた。
 当然、わたしは夏樹さまが何をおっしゃろうとしているかなんて百も承知なので、「はい」と返事をし、ぱちんと手をうつ。
 すると、厨房へ通じるその扉から、一人のメイドが、ピンク色の液体が入ったグラスを持ってきた。
 それを、夏樹さまと茗子さまの前に置くようにと指示を出す。
 当然、メイドは忠実にわたしの指示に従う。
 お二人の前にグラスを置くと、メイドは一礼し、この場を去って行った。
 よし。我ながら、よく教育が行き届いているものだ。
 さすがは、忠実かつ優秀なる鳳凰院本家のバトラー。
 ……と、自画自賛。
 その液体は、薄いピンク色をしているが、純粋に液体だけと言えるものではない。
 グラスの底には、小さなつぶつぶとしたものが沈んでいる。
「夏樹? 何? これ」
 目の前に置かれたグラスとにらめっこされながら、茗子さまが怪訝そうに夏樹さまを見つめる。
 こんなことも、当然、いつものこと。日常茶飯事。
 普段、よからぬことばかりされている夏樹さまは、当たり前のように茗子さまに不審げな眼差しをいただいている。
 疑われる。
「ジュースだよ。桃が好きな茗子のために、岡山から取り寄せた桃で、特別に作らせたんだ。そして、そのつぶつぶは果肉。茗子、言っていたでしょう? 果肉入りのピーチジュースが飲みたいって」
 にっこりと、天使に見せかけた悪魔の顔で微笑まれる夏樹さま。
 夏樹さまはそうとは認められないけれど、わたしも茗子さま同様、そう思えてならない。
 とくに、ここ最近の夏樹さまは、それを極めていらっしゃる。
 ただし……茗子さま限定で。
 我々に対しては、相変わらずのお顔を下さるから。
 たしかに、茗子さまがこの屋敷へやって来られるまでは、夏樹さまはぴくりとすら笑われない方であったはずなのに……。
 いや。笑ってはおられたが、その微笑みは明らかに作られたものとわかるものだった。
 ……目が……死んでいたから。
 まったく。人というものは、変われば変われるものである。
 もちろん、わたしは、夏樹さまのこの変化を、この上なく嬉しく思っているうちの一人。
 ……いや。恐らく……この屋敷に仕える者、誰もがそうだろう。
 よい変化ではありませんか。そうは思いませんか?
「また〜。夏樹は。どうして、こう無駄遣いばかりするの?」
 むっすうと頬をふくらませ、しかしやはりどこか嬉しそうに、茗子さまは夏樹さまをにらみつける。
 これもいつもの光景であるけれど……本当、茗子さまは素直ではないのですから。
 嬉しいのに、素直にそうとは決しておっしゃらない。
 夏樹さまに素直になられることが、悔しくてたまらないようである。
 だけど、そんなところが、かわいそうなくらい素直でもあるのですよね。
 ふくれっつらをしながらも、その目は嬉しそうに夏樹さまを見ているのですから……。
 こうも簡単に、その感情が目にあらわれる人も、珍しいと思いますよ? 茗子さま。
 だから、あなたはからかうと楽しいというのです。
 ぷうと頬をふくらませたまま、茗子さまはおもむろにグラスを持ち上げる。
 そして、それを口へと運び、くぴくぴと数口のどへ流し込む。
 それを横目で嬉しそうに見ながら、夏樹さまもグラスに口をつける。
「ん……? ねえ、夏樹。これ、本当にジュースなの? なんだか変な感じがするけれど……」
 最初のうちはおいしそうにグラスの液体を飲まれていたが、次第にその違和感に気づかれたのか、茗子さまは眉根を寄せて、再び怪訝そうに夏樹さまを見られる。
「当たり前じゃない。お酒に弱い茗子に、まさかお酒を飲ませるわけがないでしょう?」
 案の定、にっこりと、やはり天使に見せかけた……極悪非道魔王の微笑みを浮かべ、夏樹さまはそうおっしゃられた。
 すると茗子さまは、「それはそうよね……」とぽつりとつぶやき、あっさりと夏樹さまの言葉を信じられたようで……。
 嗚呼。だから、あなたはからかいがいがあるというのです。
 そして、もう何度となく経験したであろうに、やっぱり素直に夏樹さまの言葉を信じてしまうのですね。
 騙されるのですね。罠にはまるのですね。
 だから、素直ではないけれど、素直というのです。
「あれ……。でも……。ねえ、夏樹……やっぱり変よ〜……」
 そう言って、茗子さまはすがるように夏樹さまをみつめられます。
 当然、茗子さまの前には、にこにこと無駄に微笑みを飛ばす夏樹さま。
 だから……それが、天使に見せかけた悪魔の微笑みだと言うのです。
「茗子? どうしたの? 大丈夫?」
 そう言いつつ、心配そうに夏樹さまは茗子さまを抱き寄せられる。
 すると茗子さまも、「大丈夫じゃない……」とか何とか言って、ぽてっと夏樹さまの胸に寄りかかられる。
 嗚呼もう。本当、あなた方は。
 仲がいいのか悪いのか、はっきりしてくださいよ。まったく……。
 ……まあ、何やかやといって、ここ最近は、何かとよい雰囲気ではあるようですけれど……。
 だけど、夏樹さまのいたずらは相変わらずで、茗子さまの意地っ張りなど一生続きそうな勢いで……。
 そのようだから、お二人には、それがいちばん合っているのかもしれませんけれど。
 見ているこちらは、時々もどかしくなってしまいますが。
 特に、茗子さま。
 いい加減、夏樹さまに屈服されてはいかがです?と思わずには……。
 それでも、そんな意地っ張りな茗子さまを、かわいいと言って、楽しまれているのは夏樹さまなので……。
 まだしばらくは、お二人に進展など見込めませんね。
 ぽてっと夏樹さまの胸に倒れこまれたかと思うと、茗子さまは、そこでそのままこてっと眠りに落ちてしまわれました。
 そう。すやすやと。赤い顔をして。
 ここまで、絵に描いたように気持ちよさそうに眠ってくださる方は、はじめて見ましたよ。
 あれくらいのことで。
 あんな弱いもので。
 そのような茗子さまを、夏樹さまはにっこりととても嬉しそうに抱き上げ、お姫様だっこ。
 いつものことながら、決まりきったようにお姫様だっこをされる。
 そして、この後は当然、屋敷の二階、お二人の愛の巣――夏樹さま命名。まったく。ろくでもないネーミングセンスですね――とやらへ運ばれる。
 瞬間、にやりと極悪に微笑む夏樹さま。
 すやすやと腕の中で眠る茗子さまのまぶたに、そっとキスを落とされる夏樹さま。
 そして……そんな夏樹さまのまわりには、「下心」が乱舞しているように見えるのは……恐らく、わたしだけではないでしょう。
 乱れ飛んでいますからね。
 夏樹さま……。お気づきですか?
 今のあなた、明らかに、あからさまに、ドスケベ魔人。
 茗子さまに言わせると、極悪エロエロ星人ですよ?
 まったく……呆れてしまいますね。あなたのそういうところ。
 茗子さまにかかれば、かたなし……というところ。
 茗子さまに、めろめろなところ。
 誰が見てもこう思うはず。
 夏樹さまの世界は、茗子さまだけでまわっている、と……。
「夏樹さま……。これはやはり、少しやりすぎでは?」
 茗子さまを抱き、愛の巣へ向かおうとする夏樹さまに、わたしは一応そう釘をさしてみる。
 当然、無駄だとはわかっているけれど。
 しかし、これは本当に……少しやりすぎかと思うので。
 いつものように手を貸した手前、あまり大きなことは言えませんが……。
 まさか、お酒の弱い茗子さまに、ピーチジュースに見せかけたピーチカクテルを飲ませるなんて。
 しかも、そのカクテルの中に、ほんの少しではあるけれど……睡眠薬を混ぜ込むなんて……。
 まったく、あなたって人は。
 それでは、茗子さまに「犯罪者」とののしられても仕方がありませんよね。
 わが主ながら、茗子さま限定で、犯罪をさらっとやってのけられるあなたのその神経、天晴れですよ。
 嘆息してしまいます。
「こうでもしないと、大人しく抱きしめさせてくれないだろう?」
 わたしの言葉に、当然のように夏樹さまはそう答えられる。
 非難めいた目で、じろっとわたしをにらみつつ。
 ああ。もう、はいはい。お好きにどうぞ。
 もうとめはしませんよ。
 無駄だとわかっていますからね。
 ――それにしても……そんなこと、あっさりと当たり前のように言わないでくださいよ。

 やはり、あなたって人は……最低ですね。


 そうして、茗子さまを抱き、夏樹さまは愛の巣へと消えていかれる。
 そして、これは余談ですが、愛の巣へと立ち入りを禁じられたわたしには、あくまで想像の域を脱しないのですが……。
 その後、愛の巣からもれてきた、夏樹様の雄たけびによって、ある真実を悟ることになるのです。
 愛の巣まで茗子さまを連れ込むまではよかったのですが、その後、茗子さまをぎゅっと抱きしめようとしたその瞬間、茗子さまがぱちっと目を開かれたのです。
 どうやら、睡眠薬の方は、早々にきれてしまったようです。
 それに驚き一瞬動揺した夏樹さまに、目をすわらせた茗子さまのアッパーカットが華麗に炸裂。
 そう。どこか、正気を失ったような目をした茗子さまの、見事なまでのアッパーカット。
 同時に、夏樹さまのわたしを呼ぶ声が屋敷にとどろく。
 わたしは、何事かとひとまずは愛の巣まで足を運ぶのだけれど……。
 そこで嫌〜な予感がして、ノックをせずに、そうっと愛の巣の扉を開け、中をのぞき込む。
 すると、当然のように、乱れ飛ぶ、クッション。まくら。テディ・ベア。
 それを必死にとめようとされている夏樹さま。
 飛びかうものの一つ、大きなテディ・ベアが、わたしがのぞく扉にぼすっと体当たり。
 よって、全てを悟り、全てを諦め、即座に愛の巣の扉を再び閉めるわたし。

 なるほど……。
 今ので、よ〜くわかりましたよ。
 茗子さまって……茗子さまって、酒乱だったのですね。
 たしかに、お酒に弱いということですが……そういう弱さですか。
 やはりあなたは、どんな時でも楽しませてくれます。
 そして、夏樹さま。
 それは、罰があたったのですよ。
 よしておけばいいのに、お酒に弱い茗子さまを眠らせて、いかがわしいことをされようと企むから……。
 だから、本日は、めいっぱい、暴れる茗子さまに困ってください。
 そして、叩かれまくってください。
 わたしは、こちら、扉の外から、そっと……ご無事をお祈りしておりますので――

 そうして、鳳凰院家の忠実かつ優秀――に見せかけた――バトラーのわたしは、困ったご主人さま方を放置し、さっさと、すたすたとその場を去っていく。
 その夜、一晩中、絶叫じみた夏樹さまの助けを呼ぶ声が屋敷にとどろいていたことは、我々の胸にそっとしまっておけばいいこと。
 他の使用人たちは、どうかは知りませんけれど。
 自業自得なのですよ。夏樹さま。
 そして、恐らく……今夜の出来事は、明日になると、茗子さまはころっと忘れられていることでしょうね。
 ご苦労さまです。夏樹さま。


 これは、鳳凰院家の忠実かつ優秀なバトラーが見た、ある春の夜のできごと。


執事が見たヒトコマ おわり

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update:04/04/13