執事が見たヒトコマ2
(1)

 わたしの名は、久能嘉鷹(くのうよしたか)
 鳳凰院本家に仕える、忠実かつ優秀なバトラー。
 ……そのはずだったのだが、近頃は、その地位が危ぶまれているような気がする。
 それは多分に、ある方のために……。そう思えてならない。
 そのある方とは、わたしの主である鳳凰院夏樹さまのフィアンセ、狩野茗子さま。その方。
 彼女にかかっては、わが極悪なる主夏樹さまもかたなしなのだから、わたしが翻弄されても仕方がないのかもしれない。
 わたしは、優秀は優秀のままであるけれど、それは違った意味で……。
 そして、忠実ではあるけれど、それもまた違った意味での……。
 そのような執事になりはじめているような気がしてならない。
 茗子さまのためだけに。
 ――しかし、その変化を決して苦く思っていないことだけは、声を大にして言っておきましょう。


 わたしがお仕えする鳳凰院本家には、憂いを含んだ主人がいる……いた。
 半年と少し前までの主は、微笑んではいるけれど、それは決して心からの微笑みではなかった。
 そう容易にわかる微笑みを持つ青年だった。
 しかし……現在のこの主人ときたら……。
 本当にもう、呆れるほどの、のろけ魔人かもしれない。

 ……あ。ちなみに、こののろけ魔人≠ニは、わたしのからかい甲斐のある、第二の主に今はなっている方の言葉をお借りしたのですが……。
 半年ほど前、主に騙され……いや、脅され?、めでたく婚約した茗子さま。
 妻も子供もないわたしには、彼女が本当の娘のように思えてならない。
 だから……最近では少し、この主が気にいらないと思わないこともなくなってきてしまった。
 もちろん、主人としては申し分のない方だけれど、娘の婿≠ニしては、どうにも許しがたい人物。
 何しろ、この主人、茗子さまのお言葉をまたお借りすると、極悪エロエロ星人≠セから。
 そんな男に、普通の父親ならば、誰が嫁になどやろうと思うものか。
 ……事実、この主人は、気の向くまま思いのまま、茗子さまに、大きな声では言えないようなことをしている。
 しかも、嬉しそうに。楽しそうに。
 最近では、それがすこぶる激しい。
 ――それは多分に、もう抵抗をあまりされなくなった茗子さまに、原因があると思えてならないのだけれど……。
 だからといって、茗子さまを責めるなど、そんなことは絶対にできない。
 茗子さまは、全然悪くはないのだから。
 むしろ悪いのは、このドスケベ極悪主人の夏樹さま。

 そして、またしても、この呆れるくらいのいちゃつきバカップルはやってくれた。
 こっそりのぞくわたしの目の前で。

 前回は、見事に夏樹さまの思惑がはずれる結果となったけれど……果たして、今回はどうなることやら?
 もうお酒はこりごりですよ。
 本当に、思い知りましたから。
 茗子さまの酒乱。
 目をすわらせたり、うつろにしたりと……忙しなく目の表情をかえられる茗子さまに、とんでもないめにあわされたのですから、当然、夏樹さまも学習されていることでしょう。懲りていることでしょう。

 ……いや、この主人は、茗子さまに限っては、学習しない方でした。
 そして当然、懲りもしない。
 同じようなことを何度も何度も繰り返し、その度に茗子さまのお怒りをかっているのだから……。
 年のわりにはよくできた方。
 そう思っておりましたが、最近では、年相応……いや、それよりもはるかにこどもっぽく思えてなりません。
 ことが、茗子さまに及ぶことに限定されますが。やはり。
 その他のことは、悪魔のような所業を、平気でさらっと、無表情でしてのけられる方なのです。この方は。
 ひどい時などは……微笑すら浮かべている始末です。
 夏樹さまの敵である、鳳凰院分家をつぶしていく時の楽しそうなその冷笑ときたら……。
 嗚呼。もう恐ろしすぎて、思いだすのも嫌です。あの顔は。あの冷徹な顔は。
 茗子さまの前では、めろめろに甘い、綿菓子よりも甘くふわふわな微笑みを浮かべておられる夏樹さまですが、いざ敵を前にすると……そのお心は、氷よりも冷たくかたくなるのです。


 茗子さまの大好きな桃のタルトで、いつものように、桐平とわたし、そしてふってわかれた由布さまとご一緒に午前のお茶をした後、茗子さまは愛の巣へと戻っていかれます。
 当然、その後を、気づかれないようにつけていくのは、わたしです。
 だって、絶対におもしろいものが見られるはずですから。
 これまでのお二人の行動パターンから。
 その後を、由布さままでもが、楽しそうについてこられるのは……あえて無視。知らぬ気づかぬふりです。

 本日は、日曜日。
 よって、夏樹さまも、お仕事を休まれておられるのですが、「甘いものが嫌いな夏樹は来ないで。邪魔」などと、あっさりと茗子さまにお茶の席から蹴散らされてしまいました。
 そこで、仕方なく、愛の巣で茗子さまのお帰りを待たれておられるのです。
 半年前の夏樹さまなら、何がなんでも、どんなに汚くてせこい手を使ってでも、我々のお茶会に乱入されるところですが――いや、ぶっつぶされる?――最近ではそれもなくなりました。
 そこに、由布さまがいらしても。
 我々使用人コンビもご一緒しているので、たかをくくっておられるようです。
 まあ、たしかに、いくら相手が由布さまでも、茗子さまにちょっかいを出す悪い虫は許しませんからね。
 茗子さまは、未来永劫、夏樹さまだけのものでいていただかねばならないのです。
 そして、最近の茗子さまも、以前ほどは夏樹さまを嫌ってはおられないようなので、今のところはそれで満足のようです。夏樹さまは。

 大好きな桃のタルトのはずなのに、茗子さまときたら、お茶の間中、そわそわもぞもぞと落ち着かないご様子でした。
 それは多分に、夏樹さまのその存在が影響しているのでしょう。
 「邪魔」と言ったものの、本当は、茗子さまだって、夏樹さまとご一緒したかったでしょうに……。
 まったく、相変わらずの意地っ張りぶりですね。茗子さまは。
 まあ、そこが、茗子さまらしいといえば、茗子さまらしいのですが。
 しかし、そろそろ、少しくらいは素直になられてはどうですか?と、最近では思うようになってきましたけれど。
 それはもう本当、夏樹さまがお気の毒なので。

 お茶を終え、いそいそと愛の巣へと戻られた茗子さまは、扉を開けて驚かれたようです。
 そしてすぐに、ふうと小さくため息をもらされ、ぱたんと扉を閉められました。
 しかし、そんなことで出歯亀を断念するようなバトラーではありません。わたしは。
 気づかれないようにそうっと愛の巣の扉を開け、その中をのぞきます。
 ついてきておられた由布さまも、わたしに倣うように愛の巣の中に視線を移されます。
 ……まったく……。邪魔ですよ。由布さま。
 わたしの楽しみを邪魔しないでください。
 と思うものの、わたしはやはりあえて無視。
 そうしないと、すねた由布さまに、この楽しいひと時を邪魔されかねませんからね。
 それこそ、夏樹さまと茗子さまのもとへ乱入されかねません。
 最近の由布さまは、それくらいの勢いと度胸をお持ちです。
 ……多分に、もともとそういう方なのだと思えてなりませんが。
 再び視線を愛の巣の中へと戻すと、もうソファに行かれていた茗子さまが、ぽつりとつぶやかれました。
 ソファに座るようにぼすんと身を沈め、心地良さそうに寝息を立てておられる夏樹さまを見下ろされ。
「夏樹……? 寝ているの?」
 どうやら夏樹さまは、茗子さまのお帰りを待たれておられる間に、眠ってしまわれたようです。
 このほどよい温度を保つ愛の巣では、それはいたしかたないことかもしれません。
 暑苦しいくらいの夏樹さまの愛の熱も、鳳凰院本家の空調設備は、一掃してしまえるのです。
 夏樹さまは、普段忙しく駆けまわっておられるので、そうとうお疲れがたまっているのでしょう。
 ふっと気を抜かれた瞬間、陥落されたとお見受けいたします。
 茗子さまがお声をかけられてもなお、夏樹さまはぴくりともいたしません。
 安心しきったように、そこで眠り続けておられます。
 そのような夏樹さまをじっと見つめられ、茗子さまは、そこにすとんとしゃがみこまれました。
 そして、夏樹さまのお顔の高さまでお顔をもっていかれると……興味深げに、ちょんちょんと夏樹さまの頬をつつかれます。
 夏樹さまの頬の感触が気持ちよかったのでしょうか、茗子さまは嬉しそうにふにゃっと微笑まれました。
 しかし、それでもなお、夏樹さまは、「んん……」という声すらもらさず、すやすやと眠り続けられます。
 そのような夏樹さまに、茗子さまはまた少し驚きを見せられ、すぐにくすくすと小さく笑われました。
 そしてその直後、とんでもないものが披露されてしまいました。
 にやりと……極悪なる夏樹さまのように微笑む茗子さまのお顔。
 はは〜ん。茗子さま。さては、よからぬことを思いつかれたようでございますね?
 あなたの策略は、いつもあっさりと夏樹さまに蹴散らされるというのに。
 あなたもまだまだ、学習が足りないようですね?
 何しろ、蹴散らされるだけではすまないのですから。いつも。
 毎回毎回、その後に、夏樹さまの報復を見事にくらっているというのに。
 それは、夏樹さまにとってはとても幸せなことで、茗子さまにとってはうんざりなことでしょう。
 まったく……。懲りないお方ですね。あなたも。


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update:04/04/24