思いのカケラ
(5)

 俺は、知っている。
 夏樹の思い。
 この十五年、どれだけ夏樹が茗子のことだけを思って生きてきたか。
 茗子だけを希望に生きてきた……。

 茗子がそこにいるだけで、今まで見せたことのないような柔らかい微笑みを浮かべる夏樹。
 茗子がそこにいるだけで、至上の幸福を手に入れたように微笑む夏樹。
 そんな夏樹を見せられては、俺には手が出せないと思い知らされる。

 二人は、互いに惹かれあっている。
 俺のつけ入る隙すらなく――

 それでも、やっぱり悔しいから、茗子への思いはかわらないから、ついつい邪魔してしまう。意地悪してしまう。
 だけど、結局最後は、夏樹に協力している。
 俺って……矛盾の塊の人間だよね。
 結局……俺は、何をしたいのだろう?
 
 ああ……。茗子が幸せならば……もうなんだっていいよ。

 そうこうしているうちに、夏樹と茗子は心を通わせてしまった。
 茗子が夏樹に折れるかたちで。


 今は、春。
 キャンパスだけでなく、街中のあちこちで、桜の花びらの雨が降る季節。
 それはまるで、桜のシャワー。
 この桜を見ていると、彼女の顔がぼんやりと浮かんでくる。

 三回生になったばかり。
 茗子は、「別にいいよ。無理に学校に行かなくても」とそう言って、辞退を申し出たけれど、俺も夏樹も本当の気持ちは知っている。
 学校へいきたいという茗子の気持ち。
 茗子は、学校で友達とはしゃぐのが好きだから。
 俺もふくめ、茗子のまわりには、男女問わず、常に友達がいる。
 わがままだけれど、それは嫌なものではなく、ついつい言うことをきいてあげたくなる。
 茗子は、そんな女の子。
 甘え上手……とでもいうのだろうか?
 気づけば、いつも誰かが茗子にかまっている。
 からかうと本気になって怒ってくるから……きっと、みんなそれが楽しいのだろう。
 ……俺も、茗子のそういうところでは遊ばせてもらっているし。
 そこで、茗子はあきらめていたみたいだけれど、どうにかして学校に来れるようにお膳立てをした。
 これまで以上に、茗子の護衛は強化されたけれど……。

 今でも茗子が好きだから、「もう過去のこと」なんていってみても、思いは簡単には消えないから……。
 茗子が望むなら、俺は何でもしてあげる。
 たまに意地悪もさせてもらうけれど。
 やっぱり、何だか悔しいからね。
 簡単に夏樹に陥落なんかしたから。
 本当は、もう少しねばってほしかったのだけれど。
 俺にもチャンスがほしかったのだけれど。
 やっぱり……まだ認められないな。二人の仲――


「茗子ちゃん。彼氏でもできたかな?」
 パックジュースのストローを口にくわえ、うりうりともてあそびながら、男友達の一人が俺にそう言ってきた。
 午前の講義が終わり、昼休みに入ったばかり。
 この男は……全てに目をやることの難しい階段教室をいいことに、最後列のいちばん端の席を陣取り、そこで早々に昼飯に突入していた。
 そして、終了のチャイムとともに、ごちそうさま。
 まったく……俺の友達には、ろくなのがいないようだな。
「はあ?」
 男友達の言葉に、俺は当然そうして怪訝な声をもらす。
 もちろん、浮かべる表情も怪訝そのもの。
 本当に、この男はいきなり何を言い出すんだ?
「だってほら〜。最近、急にきれいになっちゃってさ〜……」
 いまいちとりつくしまのない俺に、男友達は「どうしてわからないのだよ?」とでも言いたげに、言葉をつけ加えてくる。
「……」
 俺は、その言葉に、思わず絶句していた。
 何しろそれは……俺も最近感じていたことだから。
 たしかに……今の茗子は、きれいに入る部類になってきた。
 今まではかわいいだった茗子が、きれいになった。
 夏樹に言わせると、それでもまだ、茗子はかわいいのままということだけれど……。

 女は恋するときれいになる。

 とはよく言ったものだ。
 そして今は、その言葉がこの上なく腹立たしい。
 茗子の変化に、あの夏樹が多分に影響しているということが特に。
 ……ムカつくな。

 急に不機嫌になった俺にかまわず、隣のこの男は、帰り支度をはじめている。
 まったく、本当に調子がいい男だ。
 たまにはまじめに講義くらい聴いてやらないと、講師が泣くぞ?
 そんな時だった。
 階段教室の下方、つまりは前方の扉から、今話題の人、茗子がひょっこりと顔をのぞかせた。
「あ。由布、まだこんなところにいたの? 帰るわよ〜!」
 桜のように、かわいく、きれいに微笑む茗子。
 体の半分だけを教室に入れ、ぶんぶんと手を振っている。
「ああ。わかった。すぐに行く」
 手をふる茗子に、俺は叫ぶようにしてそう答える。
 この広い教室では、それくらいしないと茗子まで声が届かない。
 特に、ざわつく休み時間ならばなおのこと。
 俺の返事に、茗子はぴたっと手を振ることをやめ、そこでじいっとこちらを見つめはじめた。
 そんな茗子をかわいいなんて思いながら、俺は帰り支度をはじめる。
 あまり待たせると、あのわがまま娘はすぐにすねるから。
 まあ、そんなすねたところもかわいい……おもしろいのだけれど。
 そのような茗子を、横のこの男はぼんやりと見つめ、ぽつりとつぶやきやがった。
「やっぱりいいよな〜。俺、狙っちゃおうかな?」
「駄目だよ。茗子はもう人のものだから」
 瞬間、頭の血管のどこかがぷつっと切れてしまった俺は、即座にそう返していた。
 本当に、こいつは一体何様のつもりだ!?
 茗子を狙おうだなんて百年……いや、三途の川を渡っても早すぎる。
 俺だって……あまり表立って狙えないのだから。
 素直じゃないけれど素直な茗子は、一度に二つ以上の愛情――男からの、恋愛の愛情――をかけられると頭がパニックを起こし、仕舞いには暴走をはじめるから。
 だから、仕方なく我慢して、様子を見つつしているのに……。
 そんな時に、訳のわからないところから横槍を入れられるなんて、まっぴらごめんだよ。
 ただでさえ、とてつもなく手強い相手を敵にまわしているのだから。
「え!? それって、お前……」
 俺のその言葉に、この男は瞬時に反応しやがった。
 まったく……そういうところも早いみたいだね?
 いわゆる、早弁というやつだけじゃなく。
 答えずに、にらむようにじっと見ていると、何やら一人合点がいったように、続けてつぶやいた。
「なんだ。結局、お前たち、つき合っていたのか?」
「……」
 やっぱり俺は、それにも答えられなかった。
 肯定も否定もできない。
 肯定。それは間違いだから。
 否定。それは認めたくないから。
 ただ、複雑に苦く笑うだけ。
 ――どうやら、この男は、勘違いをしてくれたらしい。
 まあ、別に、俺は困らないからいいけれど。
 そうして会話をしていると、また前方から声がかかった。
 今度は多少怒気をはらんだような叫び声。
「由布! 早く早く! 遅い〜!!」
 ……ああ、もう。まったく。
 本当に茗子は、こらえ性がないのだから。
 もう少しくらい待てないの? 茗子。
 まあ、そこが茗子らしいのだけれど。
 荷物をまとめた鞄を持ち、席を立つ。
 そして、とんとんと階段をおりて茗子のもとへと向かっていく。
 その後を、慌てて男友達が追いかけてきた。
 「待てよ。おいていくなよ」なんて言いながら。
 悪いけれど、今の俺、あまり機嫌がよくないのだよね。
 お前がおかしなことを言うから。
 そして、茗子のもとまでたどりつくと、容赦なくすねたにらみをお見舞いされた。


* BACK * NEXT *
* TOP * HOME *
update:04/05/29