どのくらい好き?
(2)

 先ほどの言葉をつぶやいたと同時に、恐らく、ぼくの顔は苦渋に満ちていただろう。
 だってそれは、彼女にかかわることだったから。
 他のことならば、別にどうということはない。どうでもいい。
 だけど、ことが茗子に及ぶなら、話は別。
「……はい。お怪我をされました。それが……」
 一瞬にして変わったぼくの表情に、出迎えた目の前の男、我が家の忠実かつ優秀なバトラーであるところの久能は、言いにくそうに顔を曇らせる。
 今日は、もともとそんなに明るい顔はしていなかったけれど、それがいっそう曇った。
 いつもなら、ぼくが帰ってくるまで、ちゃっかり茗子をいじって遊んでいるから、こんな暗い久能は珍しい。
 そして、久能の暗い顔の理由が、わかった。
「茗子が……!?」
 久能の言葉を聞いた瞬間、ぼくの顔からは色が失せていただろう。
 ぐらりと、めまいを覚えたような気がする。
 それは……もしかして……!?
 いや……。そんなはずはない。
 だって、この本家は、厳重に警備しているはず。
 それこそ、蟻の子一匹入れないくらい。
 全ては、茗子を鳳凰院の魔の手から守るため。
 茗子が怪我をするなんて、ただごとではない。
 一体……何が!?
 どんなに厳重に警備をしても、無理があったということか!?
 とうとう、茗子に危害が及んだ!?
 危惧していたことが現実に!?
「久能……。それは、もしかして……」
 少しでも気を抜けば、がたがたと震えだしてしまいそうな体を必死に奮い立たせ、ぼくはつとめて冷静を装う。
 しかし、目の前のこの久能には、全て見透かされてしまうのかもしれない。
 十六年前、この鳳凰院本家に引き取られてきてから、この男はずっとぼくを見ているから。

 時には父のように、あたたかな目を向けてくれる……。
 ずっと、ぼくのことを気にかけてくれている……。
 そんなことくらい、ぼくにだってちゃんとわかっている。
 どんなに冷めた瞳で、彼を見ていたって……。
 だけど、そんなこと、恥ずかしくて言えるわけがないじゃないか。
 この鳳凰院では、唯一の味方だった父が死んだ時だって、どうにか耐えられたのは……恐らく、この男がそばで支えてくれたからだろう。
 その辺りには、感謝している。
 この男が、どんなに癪に障る男でも。

 この男がいなければ、きっと……今、ここに、ぼくはいなかっただろう。
 この世で最も大切な人の幸せを奪い、自分の幸せを手に入れる……。
 そんな卑劣で卑怯なことをしてのけるぼくは。
 だけど、そんな自分でも、いないよりはましかな……と思えてしまう。
 今が、とても幸せだから。
 愛しい人がすぐそばにいる。
 すぐに抱き寄せられる、抱きしめられる場所にいる。
 そんな幸せな今があるから。

「それが……」
 青ざめたぼくの顔を、気まずそうにちらっと見て、久能はそう口ごもる。
 ということは、やはり?
 そこまで言い渋るということは……やはり!?
 気をつけていたのに……。茗子に危害が及ばないように。
 目の前が、真っ暗になる。

「ダメ〜っ!!」
 ぐらりと視界がゆれ、真っ暗になったその時、屋敷の奥の方から、耳をつんざくそのような叫び声が聞こえてきた。
 同時に、ずだだだだだ……という、なんともけたたましい足音も。
 ……え?
 この声も、足音も、間違いなくあの人のものだけれど……。
 この世でたった一人、大切で愛しい彼女のもの。
 って……じゃあ……一体?
 彼女はたしか、今、怪我をして――
「め、茗子!?」
 般若のごとき形相で、風を切って駆け寄ってきた彼女を見て、ぼくは思わずそう声をもらしていた。
 今の今まで真っ青になっていたぼくの顔色なんて、簡単に吹き飛ばされてしまった。
 だって彼女は……今目の前にいる彼女は、たしかに元気そのものなのだから。
「それ以上言ったら、密林みたいな庭に埋めてやるからっ!!」
 ぐいっと久能の胸倉をつかみ、やはり鬼の形相で茗子は叫ぶ。
 ……ちょっと待って、茗子。
 茗子には、そんな言葉は似合わないよ。
 ……いや。ある意味、似合っている?
 まあ、そんなことは、今はどうでもいいことだけれど……。
 とにかく、これは一体なにごと!?
 そして、そこまで怒るなんて、どういうこと!?
 そりゃあ、いつも、何かと言ってはぷうとふくれている茗子だけれど、これは……?
「ふふっ。それは愉快ですね」
 久能は、ぎろりとにらみつける茗子をさらっとあしらい、つかむ手をゆっくりとはなしていく。
 そして、茗子の体をぽんと軽く押し、ぼくの胸の中へと放り込んできた。
 すると、茗子の顔は、一瞬にして真っ赤に染め上がり、おろおろとぼくを見つめる。
 だから……これは一体?
 どうも、いつもの茗子とは様子が違うようだけれど?
 ぼくの胸の中で、抵抗することなく、真っ赤になる茗子なんて……信じられない。
 そうして、嬉しいけれど、本当はすごく嬉しいけれど、一応は怪訝な顔をつくってみせる。
 そうすると、茗子はますますおろおろとしてしまって……。
 それを見るのが、なんだかとても楽しい、そう思ってしまったことは、茗子には秘密だけれど。
 だって彼女は、天の邪鬼の意地っ張り、素直じゃないから。
 そうわかっているはずなのに、もっともっと彼女に意地をはらせてしまう。
 だってそれは、おかしくってかわいくって……愛しいから。

 茗子の言葉に、久能はふっと微笑んだ。
 それはなんだか……とてつもなく嫌〜なものをはらんだ微笑。
 ぼくでさえ、そう感じてしまった。
「茗子さまに埋められるのは本意ではありませんので、決して言いませんよ。まさか、洗ったばかりの夏樹さまのシャツのボタンがとれていることに気づき、自分がつけるとだだをこね、その結果、針でぷすっと指をさされたなど、そんな愉快なことはねっ」
 久能がそう早口で言うやいなや、ぼくの胸の中の茗子は、湯気をたて、ぼんと爆発してしまった。
「久能さんの馬鹿! 大っ嫌い!!」
 涙をにじませた目で久能を憎らしげにきっとにらみつけ、茗子はそう叫ぶ。
 それと同時に、ぼくから逃れようと必死にもがき出す。
 ふ〜ん。なるほど。
 そういうことだったのか。
 なんだ……。焦った。
 鳳凰院の分家連中が……と、かなり焦ったよ。
 なんだ、なんだ……。そういうことか……。
 くすくす……。
 本当に、よかった……。

 そして、もっとよかったこと。
 それは――
 ふふっ。いいことを聞いたっ。


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update:04/09/05