ちょうどいい距離
(3)

 さんさんと朝日が差し込む、鳳凰院本家のダイニング。
 ここへやってきた頃は、この無駄に広いダイニングに、これまた無駄に大きな縦長のテーブルが置かれていたけれど……。
 それは、わたしが嫌だと言ったら――だって、なんだかそれって、距離を置かれているみたいで、淋しいじゃない?――いつの間にか、窓際に置かれた普通のファミリータイプのテーブルに化けていた。
 本当、夏樹のすることって極端。
 だけど、そういうところ、悪くないと思う。
 わたしの何気ない一言を、ちゃんと聞いてくれているのだって、そう思えるから。
 それが、ちょっとだけなら、嬉しいから。
 まあ、やっぱり、夏樹の場合、行動が極端にはかわりないけれど。

「夏樹。今日は、何時に帰ってくるの?」
 すぐ目の前、真正面に座る夏樹に何気なく聞いてみる。
 これも……いつものこと。
 何故だか、毎朝、夏樹の帰りの時間を確認してしまう。
 すると、これもやっぱりいつものことだけれど、口につけていたコーヒーカップを少しはなして、にっこりと微笑む。
「早く帰るよ。ひと時でも茗子とはなれていたくないからね」
 ……って、その後の言葉、余分です。
 これも、いつも思うことだけれど……。
 本当、夏樹って、どうしてこうなの?
「ばか……」
 だから、わたしも、ぷいっと顔をそらし、窓の外の密林みたいな庭に視線を移す。
 右からは、くすくすくすと、まるでそんなわたしを楽しむような夏樹の笑い声が聞こえてくる。
 香ばしいコーヒーの香りにのって。
 夏樹は、コーヒーはブラック派だから、お砂糖もミルクもまざっていない、純粋なコーヒーの香りをさせている。
 その香りをかぐのが、毎朝、とても楽しみだったりする。
 この香りをかぐと、夏樹がそこにいると思えるから。
 こうして、顔をそらしていたって。
 夏樹がそばにいると思えるのは、夏樹の香りを感じた時だけれど、それ以外にも、夏樹の存在を確かめられる香りがあるのは、なんだかくすぐったい。
 こうしてゆったりとした時間が、ずっとずっと続けばいいのに……。
 だけど、時間というものは無情で、すぐに夏樹がでかける時間になってしまう。
 ……夏樹じゃないけれど、もう少しだけ、こうしていたい。


「茗子。夕方には帰るからね」
 そう言って、見送りに出たわたしに軽いキスをして、夏樹は黒塗りベンツでさらわれていく。
 それを、わたしはいつも、ぼんやりとした気持ちで見送っている。
 さっき……夏樹の唇に触れられたそこに、そっと手を触れさせながら。
 ……本当に……早く帰ってきてよね? 夏樹……。

「さあ、茗子さま。中へ入りましょう」
 夏樹がのったベンツが消えていった先を見ていると、ぽんと肩に手をおかれ、そんな久能さんの優しい声が聞こえてくる。
 だから、わたしは、ななめ上にある久能さんの顔をじっと見つめる。
 すると久能さんは、にっこりと微笑むだけ。
 これを、一体、何度繰り返しただろう。
 こくんと素直にうなずき、促されるまま、屋敷の中へ入っていく。
 ……何故だか、抵抗する気になれなくて……。
 夏樹がいないだけで、どうしてこんなにおかしな気分になるの?
 なんだか、ぽっかりと心に穴があいたような……。

 本当は、夏樹じゃないけれど、今日は、お休みして、ずっと一緒にいてほしかったような気がする。
 ずっと、きゅっと抱きしめていてほしかったような……。
 でも、それはわたしのわがままだから、絶対に言わない。
 ううん。そうじゃなくて、なんだか悔しいじゃない。そんなことを言うの。
 それってまるで、わたしが夏樹に陥落しちゃったようで……。
 夏樹の思い通りになっているようで……。
 だから、言わない。意地でも。

「茗子さま。今日は、何して遊びましょうか?」
 屋敷の中へ戻ると、厨房からひょこっと顔をのぞかせた桐平さんが、そう笑いかけてきた。
 これも、いつもの光景。
 今日はとっている講義がないから、一日中フリー。
 そんな日は、決まって、この使用人コンビが、わたしの遊び相手をしてくれる。


 夏樹と再会して、一年とちょっとがすぎた。
 一年前は、こんな日がやってくるなんて思いもよらなかった。
 一年前は、こうして当たり前のように夏樹と一緒にいるなんて思ってもいなかった。
 あの頃は……本当に大嫌いだったから。
 だって、由布をそそのかして、黒塗りベンツでいきなり拉致って、その場でプロポーズよ!?
 しかもその後は、この鳳凰院本家で軟禁されちゃって……。
 さらには、婚姻届まで偽造されちゃって……。
 有無を言わせず、わたしのファーストキスを奪ったばかりか、いっぱいいっぱいキスを奪っていった。
 数なんてもう数えられないくらい。
 ……一体……夏樹と何度キスしたのかわからない。
 途中までなら……十とちょっとくらいまでなら、数えられていたのに……。
 なんだか、数なんてそんなのはどうでもよくなっちゃって……。
 思えば、きっとあの時に、わたしは夏樹を受け入れちゃっていたのかもしれない。悔しいけれど。
 数なんて必要なくなった時、その時、わたしの心も夏樹を認めちゃっていたわけ?
 これは、つけ上がるから、夏樹には絶対言ってやらないけれど。

 夏樹のことを考えていると、なんだか淋しくなって、きゅっと自分を抱きしめてしまっていた。
 ……少しは、このとりとめのない淋しさを、まぎらわせるかもしれないと思って……。
 だけど、そうして自分で自分を慰めてみても、この淋しさをうめられるはずがなかった。
 だって、ここには……夏樹がいないから。


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update:04/10/30