ちょうどいい距離
(6)

「夏樹! わたし、お花がいっぱいで、海が見える教会がいい!」
「はっ!?」
 いまだ倒れたままの夏樹の上で、夏樹の胸の辺りのシャツをきゅっとつかみ、そう叫んでいた。
 だって、それが言いたくて言いたくて、うずうずしていたのだもの。
 もう復讐ゼリーなんてどうでもよくなるくらい。
 すると夏樹の奴、訳がわからないと、思いっきりおかしな顔をしてくれた。
 ……本当に、失礼しちゃうわねっ。
 わかってよ。これで。
 そうして、夏樹にぎろっとにらみを入れてあげると……。
「くすくすくす。茗子さまは、先ほど、雑誌のウエディング特集の記事を読まれたのですよ」
 にっこりと微笑み、のぞきこむように久能さんが見下ろしてきた。
 主人である夏樹をさらっと見下ろすなんて……。
 やっぱりこの男、普通の執事じゃないっ。
 だけど、夏樹ってば、普通ならここでむっつり怒っちゃうはずなのに、全然そんな様子はなく、むしろにやりと嫌な笑みを浮かべる。
 え? どういうこと?
「ああ……」
 そして、意味深に、そうつぶやいていた。
 そ、その顔が、まさしく、悪魔の顔を隠した天使の微笑みだったりするものだから……ぞくぞくぞくっと、背筋に悪寒がはしってしまった。
 この顔をした時の夏樹に、ろくなことなどない。
 わたしはそれを知っている。
 もう、嫌というほど。
 そんなわたしに追い討ちをかけるように、久能さんが愉快そうにつけ加える。
「本当、茗子さまって、頭に馬鹿がつくほど、素直じゃないけれど素直ですよね〜。単純、と申しましょうか?」
「久能」
 そんな暴言をはく久能さんを、夏樹がきっと見つめ、ぴしゃりと制した。
 ……意外。
 夏樹のことだから、ここは久能さんと一緒になって、意地の悪い笑みを浮かべて、嫌味なことを言ってくると思っていたのに……。
 これってわたし、夏樹にかばわれている?
 さすがの夏樹でも、わたしがここまで言われれば……ということ?
 そう思って、少し、ほんの少しだけ、夏樹を見直してあげたのに……。
「そこがかわいいのだよ。茗子は」
 にっこりと微笑み、あまったる〜い声で、夏樹はそう言っていた。

 ……あ、あり得ない。
 っていうか、少しは否定しなさいよ。そこっ!
 やっぱり、そうじゃない。
 久能さんと一緒になって、夏樹まで楽しんでいる!?
 なんか、本当に、癪に障る主人と執事よねえ!
 大っ嫌いっ!!
「でも、そうか。茗子も、早くぼくと結婚したいのだね」
 にこにこと、もう聞く耳もたないといった感じで、夏樹はそう言ってくる。
 本当に、ムカつくくらいあまくて幸せそうな顔をして。
 その手は、腕は、ちゃっかりわたしを拘束して。
「したくないしたくない。どうしてそうなるのよ〜!」
 これも当然のことで、わたしはそんな夏樹の拘束の中、必死にそれに抗っている。
 このままここにいては、とっても危険なような気がするから。
 ううん。絶対に危ない。
 夏樹の腕の中なんてところにいたら……間違いなく、やられる。
 しかも、気づいた時には、すべてがもう手遅れになっていそうで……。
「……というわけで、茗子があまりにもかわいいので、さらっていこう」
 わたしをきゅっと抱きしめて、夏樹はムカつくくらいさらっと立ち上がる。
 当然、同時に、わたしはいつものお姫様だっこをされていて……。
 どうして……スマートにこんなことができちゃうわけ?
 本当、信じられない。
 これが、今の今まで、床に転がっていた男?
「へ?」
「はい。決定」
 凝視するわたしになんてかまわずに、夏樹はそうして一人勝手に決定してしまった。
 もうこんな強引でゴーイングマイウェイなところなんて、今さらだと知っているけれど……。
 きい〜。悔しいことに変わりないっ。
 あたたかい夏樹の胸にわたしを抱いたまま、夏樹はすたすたと階段を上っていく。
 わたしが苦労して駆け下りていたその階段を、こともなげにさらっと簡単に。
 ……ムカつく。

 そんな夏樹の胸の中から夏樹の顔を見上げると、妙にうかれていて、その目は何かの期待に満ちて、いやにきらきらと輝いていた。
 ……ま、まじですか?
 っていうか、これは、これは……。
 うっぎゃ〜!
 やられるっ。
 間違いなく。今度こそっ。
 またしても、乙女の貞操の危機っ!?
 これで何度目!?

 そんなわたしに気づいたのか、夏樹は意味ありげに、にやっという笑みを落としてきた。
 ……へ?
 って、呆けている場合じゃないわ。これはっ。
 待て待て待て待て待てー!
 この極悪エロエロ星人っ!
 あんた、絶対、とんでもないことを考えているでしょう!!
 いや〜!
 もう、いや〜!
 こんな生活、い〜や〜だ〜っ!!

 そんなうかれまくっている夏樹と、必死の形相で助けを求めるわたしを、階段の下で、ひらひらと手を振りながら見送っている久能さん。
 にやりと……その顔が意地悪く微笑んでいる。
 そして、その後ろでは、桐平さんが、くすくすくすと笑っていたりなんかして……。

 くっ……。
 や、やられた。
 忘れていたわ。
 そうよ。この二人って、そうだったのよねっ。
 この久能さんという執事は……。
 夏樹の忠実かつ優秀な執事だったわっ。
 夏樹が考えている悪巧みなら、言葉なくしても伝わっているという。
 そんな、そういうことに関してだけは、以心伝心主従。
 そして、この桐平さんという料理人も……。
 夏樹の味覚を心得た、優秀な料理人。
 しかも、おだやかな微笑みを浮かべつつ、久能さんと一緒になって、わたしで遊んでいる、そんなとんでもない料理人っ。

 く、く、く〜や〜し〜っ!
 ということは何!?
 こいつら全員ぐるになって、わたしで遊んでいるということ!?
 一致団結して、夏樹という、超危険人物にわたしを売り渡したということ!?
 みんなみんな、こいつらのよからぬ企みに、わたしはまんまと陥れられてしまったということ!?
 わたし、こいつらに、してやられたということ!?
「茗子。愛しているよ」
 憤るわたしの耳元で、夏樹がそうささやいた。
 妙に熱を帯びた、甘いささやき……。
 思いのすべてがこめられた、心からの言葉。
 一瞬、何も考えられなくなってしまうような……。
 一瞬、怒りすべてが消えてしまうような……。
 瞬時に、わたしの顔がぼんと真っ赤になったことは言うまでもない。
 そうして、夏樹は、わたしを、乙女部屋へと拉致っていく――

 っていうか、やっぱり、ここの屋敷の奴ら、全員、大嫌いだ〜っ!!


 ちなみに、この後、あの復讐ゼリーを口にした夏樹は、素晴らしいくらい顔をゆがめてくれた。苦痛に。悲痛に。
 その顔を見る限りは……奇跡的に、わたしの復讐は成功してしまったみたい。
 だけど、その口からもたらされた言葉は――
「しょっぱい……」

 どうやらわたしは、致命的なミスを犯してしまっていたみたい。
 でろでろに甘くしたはずなのに……。
 お砂糖と間違えて、お塩を大量に放り込んでいたなんて……。
 そんな、オチ。
 く……っ。不覚っ。
 そして、なんだか不本意。
 やっと復讐が成功したと思ったのに、純粋にわたしの勝利とは思えないじゃない。
 さすがに、この失敗には、もう立ち直れないかも……。


ちょうどいい距離 おわり

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update:04/11/21