執事が見たヒトコマ3
(2)

 淡いピンクの桜のシャワーの中、浮かび上がる、同系色の袴姿の茗子さま。
 桜に溶け込むように、だけど決して溶け込んでなんていない、その可憐なお姿。
 あまりにも簡単に目に飛び込んでくるものだから、やはり顔がほころぶ。
 どこにいても、どんな時でも、もうそのお姿を見失うことはない。
 夏樹さまにとっては、茗子さまだけが絶対だから。
 そして、わたしにとっても、主従の思いをこえた、特別な方。
 娘のようで、恋人のようで、だけどそうではなくて……。
 たとえようのない、尊い女性。
 それが、茗子さま。

 こんなことを口にしようものなら、間違いなく、夏樹さまに切りきざまれ、ミンチにされ、果てはハンバークにされてしまいかねないので、絶対に声にはしませんけれど。
 だけど、わたしにとってはもう、それくらいに、茗子さまは、かけがえのない方になっているのです。
 ……いいえ。鳳凰院本家にとって、が正しいでしょうか?
 茗子さまだけが、夏樹さまの幸せの鍵をにぎっているから。


 卒業式を終え、手に卒業証書を持ち、会場から茗子さまが出てこられる。
 もちろん、その横には、当たり前のように由布さまもいらして。
 寄りそうように、守るように。
 楽しそうに、談笑されている。
 鳳凰院のために、平穏な生活を奪われた茗子さま。
 その償いをするように、守る夏樹さまと由布さま。
 この悲しい日常が当たり前になってしまったのは、一体いつからでしょう?
 早く、本当の笑顔を見られる日が、本当の平穏な日々が、やってくることを願わずにはいられません。
 それは、すべての終わりを告げる。
 同時に、すべての希望を意味する。
 そのような、こがれる日常。
 そう遠くない未来、必ずやってくる。

 ……と思いきや、それよりももっと早くに、大きな危険が迫っていました。
 すぐ横で、嫉妬の炎に身を焦がす、この方。夏樹さま。
 嗚呼。
 夏樹さま、ここは、おさえてくださいよ?
 由布さまは、あくまで、茗子さまの護衛なのですから。
 そして、これから待ち受けている、楽しいことのために。
 わたしの楽しみ、奪わないでくださいよ?


「あ〜あ。やっぱり、きていたか」
 面倒くさそうなため息まじりの声が、ふいにわたしの耳にとどいてきました。
 気づけば、いつの間にか、わたしたちの前には、茗子さまと由布さま。
 これでもかというほどうっとうしそうに、由布さまがはき捨てていらっしゃいます。
 あまつさえ、やれやれ、なんてポーズをとられて。
 その横では……怒りやら、驚きやら、喜びやら、いろいろな感情をないまぜにしたお顔で、茗子さまが夏樹さまを凝視されています。
 ……まあ、決して、お世辞にも、歓迎されていらっしゃる雰囲気ではありませんけれどね。
「ど、ど、どうして、夏樹がここにいるのよ〜!!」
 だってほら、そう叫んでいらっしゃいますから。茗子さま。
 青筋がぷっくり浮かんだ手にもつ卒業証書が、悲しくにぎりしめられ、いびつにゆがんでおります。
 ……本日、こちらに夏樹さまがいらっしゃることは、茗子さまには、もちろん秘密でしたから。
「残念だけれど、とっても残念だけれど、ぼく、仕事なのだよね。本当は、茗子の卒業式、行きたかったのにな〜。――さぼろうかな〜」
 なんて、そんな訳のわからないことを言って、茗子さまを惑わされてまで。
 もちろんその後、「ぐうたら社会人がっ!」と、茗子さまにどやされていらっしゃいましたけれど?
 だけど、茗子さま。
 まだまだこれは、序の口ですよ?
 あのことが、夏樹さまから茗子さまに告げられた時の反応が、とっても楽しみです。

「茗子。それじゃあ、行こうか」
 にっこりと、無駄にさわやかな夏樹さまの微笑みが、茗子さまに降りそそがれます。
 先ほどまでの、嫉妬に狂い、不機嫌きわまりなかったそのお姿が嘘のように。
 もちろん、茗子さまだけを暑苦しく見つめるその前に、ちゃっかりさらっとスマートに、お姫様だっこされていらっしゃいますけれど。このご主人さまは。
 そんな夏樹さまに、もうなれてしまった由布さまも、それが当たり前のように、涼しいお顔をされています。
 まるで悟りの境地にでも至ったように、舞う桜の花びらを眺めつつ。
 一人、他人のふり。
「え!? な、夏樹!?」
 茗子さまも茗子さまで、こんな公衆の面前で、恥ずかしげもなくお姫様だっこされてしまっても、それには動じておられません。
 ……嗚呼。なれって、本当に怖いですね。
 そんな慌てたような声をあげられたのは、もちろん、お姫様だっこにではなく、夏樹さまのその言葉。
 「行くって、どこへ!?」と、かわいらしく小首をかしげていらっしゃるのですから。
 ……嗚呼。本当に、なれって怖い。
 茗子さま、お願いですから、やはりここは、夏樹さまのその行動に驚いて、焦ってください。
 当たり前のように、ちゃっかり、夏樹さまの首に腕をまわされたりなどせず。
 ……というか、もういいのですね。
 夏樹さまが、予告なく、突如、この場に現れたことは。
 そちらは、すっかり失念されているのですね。
 あんなに激怒されていたのに。
 まあ、そこが、茗子さまらしいのですけれど。
 そんな茗子さまに、夏樹さまも調子にのって、やはり無駄ににっこりとさわやかに微笑まれます。
 こんな悪魔な言葉とともに。
 いたずらちっくなキスとともに。
「南の島の水上コテージをキープしてあるよ。今から、二時間後の飛行機だよ」
「はあ!?」
 にっこりと微笑む夏樹さまの横で、同じくにっこりと微笑み、パスポート二冊を楽しげに見せるわたし。
 もちろんそれは、夏樹さまと茗子さまのもの。
 わたしの後ろには、ちゃっかりベンツのトランクをあけ、そこに仲良くつまれた二つのスーツケースをみせびらかしている、ドライバーの鈴原(すずはら)を従えて。
 それを目にした瞬間、夏樹さまの腕の中、茗子さまがフリーズしたことを、わたしは見逃しておりませんでした。

 夏樹さまとお二人、らぶらぶ――これは、夏樹さまが勝手におっしゃっていることですが――南の島茗子さま卒業旅行が強行された瞬間でした。
 そうして、茗子さまは、いつものように、問答無用で、夏樹さまにふりまわされるのです。

 ……それにしても、おかしいですね?
 てっきり、烈火のごとく、お怒りになると思っていましたのに。
 これは、まだまだ修行不足ということでしょうか? 茗子さまに関して。
 夏樹さまには、茗子さまのこの反応、手にとるようにわかっていらっしゃったようですけれど。
 見てくださいよ、このにこにこと嬉しそうなお顔。得意満面のお顔。
 まあ、これはこれで愉快なので、わたしとしては、まったくかまいませんけれど。
 ただお一人、かわいそうなのは、茗子さまというだけで。


 ――数時間後。
 鳳凰院本家の一階、南側の庭に面したテラス。
 そこで、青い空を仰ぎ見る。
 そして、ふと思いをはせる。

 嗚呼。
 今頃はきっと、夏樹さまと茗子さまが乗った飛行機は、エメラルドグリーンの島へ向けて、スカイブルーの景色の中を飛んでいることでしょう。

 ……お土産は、お二人の仲の進展……で、お願いします。
 もしくは、意外性をたっぷりこめて、お仕えすべくご主人様がお一人増えている……。
 というのでも、わたしは大歓迎ですよ。
 それは、天地がひっくり返っても、絶対にあり得ませんけれどね。
 ――まだ。


 未来(さき)は、まだまだ長い。
 残された未来は、たっぷりある。
 ゆっくりすすんでいくのも、決して悪いものではありませんね。
 わたしは、もう少しくらいなら、この優しくてあたたかくて愉快な日々を、楽しみたいと思っていますから。

 願わくは、ずっとずっと、傍らで、この方々の幸せを見守り続けていけますよう――


執事が見たヒトコマ3 おわり

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update:05/03/25