復讐エッセンス
(1)

 屋敷に帰ると、何故だか満面の笑みで、茗子がむかえてくれた。
 ……とても嫌な予感がする。
 たしかに、いつも、茗子はぼくを出迎えてくれるけれど、それは、うちの忠実かつ優秀なバトラー久能に、むりやり玄関へつれてこられ、渋々といった感じで。
 不満めいっぱいの表情をつくってみせても、本当は、そうではないことくらい、当然わかっているけれど。
 だけど、そうして、素直じゃなくふるまってみせるのが茗子なので……。
 だから、この笑顔には、間違いなく裏がある。
 ――あぶない。とっても危険な香りがする。
 一体、何をたくらんでいるの?
 まあ、何かたくらんでいたところで、すべて返り討ち≠ノあわせてきたけれど。これまで。
 そして、今回ももちろん、返り討ち≠ノあわせる。
 ぼくとしては、返り討ちではなく、愛情表現なのだけれど。
 茗子がそう言うから、ひとまずはそういうことにしている。
 茗子がぼくのためにしてくれることなら、どんなことでもすべて、ぼくに幸せを運んでくれるなんて、茗子は知らないのだろうね?
「め、茗子? 何かいいことでもあったの?」
 とりあえず、そのように、気づいていないふりをして、尋ねてみる。
 これは、絶対に、よからぬことをたくらんでいる。
 しかし、それらすべてが、ぼくにとっては、幸せを感じさせてくれるものなので、心弾んでいるのもたしか。
 こうして茗子が何かしら仕かけてきてくれるのは、とても嬉しい。
 それはつまりは、かたちはどうあれ、茗子がぼくのことを考えてくれているということだから。
 そして何より、茗子は天の邪鬼。
「ううん。別に。――ただ……夏樹が帰ってくるのを、待っていただけ」
 うつむき加減にちらっとぼくを見上げ、すすっと歩み寄ってくる。
 そして、遠慮がちに、ぼくの胸元へと手をのばしてきた。
 それから触れる。茗子の手が。ぼくの胸に。
 触れた瞬間、飛び出しそうなほど心臓がはねた。
 こ、これは、ある意味、体に悪い。そして、拷問。
 こんなことをされては、ぼくの理性は……っ。
 た、頼むから、せめて、愛の巣へ茗子をつれこむまでは、もってくれよ……?
 胸にそっと触れる茗子の手に、ふわりと手を重ねてみる。
 とてもあたたかい。
「ねえ、夏樹。今朝のこと、もちろん覚えているわよね?」
 そんなぼくに気づいているのかいないのか、茗子はそのまますっと顔を寄せてくる。ぼくの胸へと。
 そして、そこからまた、上目遣いにぼくを見つめてくる。
 無意識のうちに、ごくりとつばを飲み込んでいた。
 き、危険だっ。本気で危険だっ。
 こんなにかわいらしい……いやいや、艶かしい?茗子を見せられては、本気でぼくの理性が危ない。
 これはもう、いつぶっつんと切れてもおかしくない。
 ――いや。それ以前に、茗子、今、とっても気にかかることを言わなかった?
 とっても、嫌な予感がする……。
 そういえば――
「今朝のこと……って、茗子の着替えをのぞいたこと?」
 思わず、頬をひくりとひきつらせてしまった。
 なんだかとっても、雲行きがあやしくなってきたような……?
 これでは、このまま、茗子を愛の巣へ連れ込むという、ぼくのささやかな野望が危ない。
「……そう。さすがにね、反省しているのよ。もう結婚しちゃっているし、それくらいで、蹴りを十発、往復ビンタを十五発もお見舞いしちゃったこと」
 胸に手を触れたまま――まあ、ぼくが逃れられないように、握っているせいもあるけれど――体を少しねじらせ、そこでもじもじとしながら茗子がつぶやく。
 それはまるで、茗子にとっては、とても不服なことを言っているかのように。
 まあ、たしかに、茗子にとっては不服きわまりないだろう。
 だってそれってばまるで、ぼくを……ぼくへの気持ちを認めているようなものだから。
 茗子は、意地でも、ぼくへの思いを認めるような発言はしない。
 胸の内では、どんなに思ってくれていようと。
 そこが、いじらしくてかわいくて、愛しいのだけれど。
 本当に、素直じゃないけれど、素直なのだから。
 ――それにしても、まだ、そんなことを気にしていたのか……。
 別に、今さらだから、そんなに気にすることもないのに。
 だって、恥ずかしがった茗子が、ちょっぴり暴れ馬になっちゃうことなんて、いつものことなのだから。
 そしてやっぱり、そこが、かわいくて仕方がない。
 そういう恥ずかしがりやで、ちょっぴりおてんばな茗子も、ぼくは好きだから。
 ……まあ、もともと、茗子の着替えをのぞいたぼくもぼくだったし。
 ――茗子が怒るとわかっているのに、あえてのぞいたからね――
 だけど、愛しい女性の着替えをのぞきたいという、ぼくの男心も理解して欲しいなあ。
 ――そんな男心なんて理解したくもない。この変態! 犯罪者! とか言うのだろうけれど。茗子なら――
 茗子のためなら、格好悪いことでも何でもするよ。
 だって、茗子……いまだに、ぼくのものになってくれないし。
 そういう意味≠ナ。
 結婚して、もう何ヶ月もたつのになあ。
 はあ……。一体、いつまで、こうして生殺されていればいいの?
 ある意味、茗子って、ぼくよりも極悪だよね?
「いいよ。ぼくは気にしていないから、茗子も気にしないで」
 もじもじとする茗子をそっと抱き寄せ、耳元でそうささやく。
 茗子でも、反省することがあるなんて、ちょっぴり新鮮。
 そして、やっぱりかわいい。
「うん。そうする。でもね、夏樹。少しは気にしてほしいな」
「え?」
「っていうか、気にしろって感じ? むしろ、のぞくな、犯罪者って感じかな?」
 ばつが悪い時のこどものように、ぷっくりと頬をふくらませて、ちらりとぼくを見てくる。
 ……ちらりのはずなのに、その瞳の中に、妙に殺気めいたものを感じるのは、気のせいだろうか?
 そしてやっぱり、何やら、雲行きがあやしいような……?
 ――ま、まさかね。
 本当に珍しく、茗子が素直だからって、そんなことはない……よね?
「でもね、だからといって、乱暴してもいい理由にはならないよね。だから……」
 ほら、やっぱり。
 茗子はちゃんとわかっている。
 こういう少しずれたところで真面目なのも、また茗子の魅力だよね。
 そして、ぼくは、そんな茗子に、めろめろにやられちゃっている。
 ぼくの胸にあてる茗子の手をにぎる手に、もう一方の手をそえてきて、そのままぎゅっとにぎりしめてきた。
 そして、ぐいっと自分の方へ引き寄せる。
 今度こそ、心臓が飛び出してしまう。
「夏樹、来て。お詫びにね、腕によりをかけて、今夜の夏樹の夕食は、わたしが作ったんだ。いっぱい食べてね?」
「……え?」
 両手でぼくの手をぎゅうっとにぎり、天使の微笑みを向けてくる。
 きらきらと輝いて、汚れなど知らない無垢なその微笑み。
 しかし、微笑みに反して、逃がさないぞとばかりに強く握ってくるその手は……な、何だろうね?
 もう、ぼくの胸、ドッキドキだよ。
「そうですよ、夏樹さま。我々も、見ていて泣けてまいりました。よもや、あそこまで、茗子さまは夏樹さまのことを思われていたのかと思いますと……。普段、とっても虐げていらっしゃるのにね。とても、一生懸命でしたよ」
 そうして、忠実で優秀なはずのバトラーが追い討ちをかけてきた。
 にっこり笑顔で。
 ――余計な言葉が、あちらこちらにちりばめられているのは、この際無視して――
 こ、これではもう、逃げられない。
 まあ、しかし……。逃げる気なんて最初からなかった……はずだけれど?
 だって、茗子の手料理だよ?
 何がなんでも、他の奴に食べさせることなんてできない。
 すべて、ぼくが食べなければっ。
 ――死人がでかねないとかそんなことは、決して思っていないからね!?――
 嗚呼、これこそまさに、愛妻弁当ならぬ、愛妻晩餐……というもの?
 とっても危険な香りがするけれど。
「ね? だから、夏樹。お風呂にする? ご飯にする?≠ネんて聞かないわ。絶対に、先にご飯にしてね? あたたかいうちに食べてほしいの」
 ほんのり頬をそめ、上目遣いにぼくを見つめてくる。
 すりっと体をすり寄せて。
 あまえるようなその仕草に、思わずくらりときてしまう。……いろんな意味で。
 握る手には、やっぱり異常に力がこもっているような気がするけれど。
 ――嗚呼。それにしても、どうしてそこで、それとも……わ・た・し?≠ニ言ってくれないのかな?
 そう言ってくれたら、問答無用で、即座に、茗子≠ニ答えるのに。
 そしてそのまま、愛の巣へ連れ込むのに。超特急で。
 他の選択肢なんて必要ないからね。
 まあ、茗子がそんなことを言うなんて、地球が爆発してもあり得ないけれどね。
 だって茗子は、恥ずかしがりやだから。
「う、うん。わかったよ、茗子」
 ねだるように見つめてくる茗子に、思わず頬の筋肉がゆるんでしまう。
 やっぱり、かわいいなあ。茗子って。
 茗子に促されるまま、腕をひっぱられ、ダイニングへと歩いていく。
 それにしても、茗子がぼくのために夕食を作ってくれるなんて……こんなに嬉しいことってないよね。


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update:06/01/21