復讐エッセンス
(2)

 ダイニングへ足を踏み入れた時だった。
 ぼくの目に、とんでもないものが飛び込んできた。
 だって、テーブルに並ぶは、何故だかきらきらに輝く、とってもおいしそうに見える@ソ理。
 これって……あり得ないよね?
 ちゃんと普通……むしろ、それ以上に見えるのだけれど?
 お、おかしいな。ぼくの目、悪くなったのかな?
 それとも、夢でも見ているのかな?
 まさか、茗子の料理が、まともに見えるなんて……。
 だって、あの茗子だよ!?
 砂糖と塩を間違えちゃうような、オーブンを爆発させちゃうような茗子だよ!?
「め、茗子!? これ、本当に茗子が!?」
 思わず、がばっと茗子に振り返り、あからさまに驚いた顔をしてしまった。
 こんな反応をしては、当然、茗子のお怒りをかってしまうとわかっているけれど。
 だ、だけど、これは、驚かずにはいられないよ!?
「うん。……桐平さんに教えてもらいながらだったけれど……。だけど、作ったのは、全部わたしよ?」
 少し照れたように、はにかみながら素直にうなずく。
 ――意外。茗子から、怒りの鉄拳がお見舞いされなかったよ……?
 ……ということは。
 極度の料理オンチの茗子でも、やればできるということかな?
 すごいね。素晴らしいね。
 愛の力って、ここまでできてしまうのだね。
 不可能だと思っていたことが、可能になってしまっているよ。
 まさか、この身をもって体験しようなど、思いもしなかったよ。
「嬉しいよ! 茗子、ぼくのために、こんなに努力してくれたのだね」
 にぎられた手をそのまま引き寄せ、茗子を抱きしめる。
 すると茗子は、少し苦しそうに、そしてちょっぴり照れたように、その中でみじろぎをする。
「……うん。だから……はやく、食べてほしいな」
 そして、かわいらしい微笑みとともに、ぼくを見つめてくる。
 ちょっぴり上目遣いなその仕草が、ぼくの理性を吹き飛ばしそうになるけれど。
 だけど、とりあえず今は、茗子がぼくのために作ってくれた、この夕食だよね。
 茗子自身は、後のお楽しみということで。
 たっぷりじっくり堪能させてもらおう。
「もちろんだよ!」
 茗子を解放し、そのまま席につく。
 窓際においた、小さなテーブル。
 以前は、茗子に言わせるところの、どこの迎賓館よ、どこの大使館よ、というような、無駄に大きくてゴージャスなテーブルをおいていたけれどね。
 それは、茗子が嫌がったので、こんな普通のものに変えた。
 そしたら、茗子は、むっつり目をすわらせ、だけどくすぐったそうに、口の端をちょっぴり上げていたことを、ぼくは知っている。
 ……本当にもう、素直じゃないよね。
 テーブルの上に並べられているもののうちから一つ選び、とりあえず一口口に運んでみる。
 瞬間、さあっと血の気がひいた。
 同時に、舌が……口の中に、激痛に似たしびれがはしる。
「夏樹? どうしたの?」
 そんなぼくに気づいた茗子が、不思議そうに顔をのぞきこんできた。
 ま、まずい。ここは、平静を装わなければ。
 むしろ、幸せそうな、おいしそうな顔をしなければ。
 そうでないと、茗子が傷つく。
 一生懸命、頑張って、ぼくのために作ってくれたのだから。
 ま、まさか、ふぐの毒にでもやられたような刺激に襲われているなんて、そんなこと、悟られてなるものかっ。
「な、なんでもないよ。とってもおいしいよ。茗子」
 近づいた茗子の顔に、優しく微笑みかける。
 そして、そっとその髪をすく。
 すると茗子は、くすぐったそうに微笑んだ。
 それが、いつものぼくなら、とってもかわいいと思うのだろう。
 しかし、今は、どことなく、脱力感を覚えてしまう。
 ――あ、あり得ない。
 見た目はこんなにおいしそうなのに、どうして……味は、こんなに崩壊している? 壊滅している?
 こ、これは……暗黒料理と言っても過言ではないかもしれない。
 これまでは、嫌がらせのつもりだったのだろう、めちゃめちゃ甘いものがほとんどだったのに……。
 こ、これは、さすがに……。
 人間の食べ物じゃない。
 これだったら、猛毒を混入されていた方が、まだましかもしれない……。
 その味、地獄味。
「本当? じゃあ、たくさん食べてね? 全部夏樹が食べてね? 誰にもあげちゃあ、いやよ?」
 背から首に両腕をまわしきゅっと抱きしめ、ぼくに体重をかけてくる。
 顔のすぐ横にきた茗子の顔が、嬉しそうに微笑んでいる。
 髪と髪がからまるように触れ合い、それだけで頭がくらくらときてしまう。
 ――別の意味で、くらくらきているような気も、しないこともないけれど――
「もちろんだよ。茗子の手料理を、ぼく以外の者に食べさせるなんて、そんなもったいないこと、あり得ないよ」
「夏樹、嬉しいっ!!」
 それから、ちゅっと頬に唇を寄せられてしまった。
 ――ノ、ノックアウトかもしれないっ。
 嗚呼、なんてかわいくて、憎らしいことを言ってくれるのだろうね。
 ぼくの愛しい女性は。
 ま、まあ? こんなに喜んでくれるのなら、こ、これくらい、我慢して食べようではないか。
 その笑顔を見られるのなら、これくらい、簡単だよ。……多分。
 たとえ、人の食べ物とは思えないものでも、とってもおいしいよ。……と思い込もう。
「――だって。久能さん、桐平さん。全部、運んじゃって」
「かしこまりました」
 するりと腕をはなし、ぼくからはなれ、茗子は、パンと一つ手を打った。
 すると、妙にうやうやしく、久能と桐平がかしこまる。
 それから、二人に目配せされた使用人たちが、各々、きらびやかに見える料理を運んできた。
 そうして、ぼくの前には、かるーく十数人分くらいはある料理が並べられた。
 テーブルにのりきらなくなったものは、簡易に用意した台の上にのせて。
 それを見て、ぼくの思考は旅立ちたくなった。
 恐らく、ひきつっていたかもしれない微笑を浮かべ、茗子に尋ねてみる。
 ま、まさかとは思うけれど……。
「め、茗子。こ、これは……?」
「うん。全部、夏樹のもの。夏樹にいっぱい食べてほしくて、一生懸命作ったのよ?」
 ふわりとスカートをまわせ、くるりんとぼくへと振り返る。
 そして、くったくないかわいらしい笑顔を浮かべる。
 その顔は、まさしく、何のまざり気もない、ぼくを信じきっているような微笑みで……。
 ――嗚呼。これではもう、完璧に逃げられない。
 茗子のきらきらとした期待、ぼくには裏切ることなんてできない。
 ……たとえ、この命と引き換えにしようとも。
「そ、そう。嬉しいよ。あは、あははは……」
「わたしも嬉しい。夏樹が嬉しそうに食べてくれるから」
 そうして、両手を合わせ、くすりと肩をすくめる。
 そして、おもむろにぼくの正面の椅子に腰かけ、そこからじーっとぼくを見つめてくる。
 「おいしそうに食べてくれる夏樹を見ていたいの」とか何とか、めちゃめちゃにかわいいことを言ってくれて。
 だけどね、茗子。今のぼくには、茗子のそんなかわいいところも、拷問以外のなにものでもない……かもしれない。
 だ、だってね……。
 ――うぷっ。も、もう、限界っ。
「め、茗子。もうお腹いっぱいだから……」
 おずおずとそう言うと、瞬時に茗子の顔がくもった。
 悲しそうに見つめてくる。
 ――あ、嗚呼。やめて。そんな顔で見られると、ぼくはもっともっと無理をしなければならなくなる。
「いや、その……。食べるよ。うん、食べるよ。全部」
 ほら、だからそうして、結局は、食べ続けることになってしまうわけで……。
 ぼくってなんて、意志が弱いのだろう。茗子に関して。
 だけど、茗子を悲しませるようなことはできないから、たとえ死ぬような苦しみにだって耐えてみせよう。
 願わくは、食べ終わるまで、意識をたもてていますように。
「夏樹? どうしたの? さっきから全然食べていないけれど……。まさか、おいしくない?」
「そ、そんなことは……」
 意識がぼんやりとしてきたぼくに、茗子はやっぱり、不思議そうに尋ねてくる。
 それは、ぼくが、茗子が作ってくれた料理、全て食べきると信じて疑っていないようで。
 まさか、普通の料理だって、一人で十数人分も食べられるわけがないのに。
 そんなことは、最初から、茗子の頭にはないようで……。
 嗚呼、なんてなんて、ぼくの愛しい茗子は、罪深い女性なのだろう。
「なーつき。食べるわよね? もちろん」
 言葉をにごすぼくに、茗子はむっと頬をふくらませ、つめ寄ってくる。
「あ、ああ……」
 だからやっぱり、そのようにしどろもどろに答えるしかなくて……。
 ――そう。一度食べると言ったのだから、食べきらないわけにはいかない。
 そうでないと、茗子を傷つけることになる。
 それは、本意ではない。
 ――っていうか……嗚呼、もうっ。
 ぼく、何かしたかな?
 茗子に、こんな仕打ちをされるようなこと。
 そりゃあ、これまで、散々なことをしてきたとは自覚しているけれど、今まで、こんな仕返しをされたことなんてなかったのに……。
 ――ん? 仕返し?
 ということは、これって……もしかして……?
 いや、絶対、あれだよね!?
「め、茗子。やっぱり、今朝のこと……」
「もちろん、思いっきり怒っているわよ? これくらいじゃあ、生ぬるいくらいにね」
 小悪魔の笑顔を浮かべ、くすりと笑う。
 そして、すっと椅子から立ち上がる。
 そこから、見下すように見下ろしてくる。
「どう? 復讐晩餐のお味は」
 ――嗚呼。や、やっぱり……。
 瞬間、体から、すべての力が抜け落ちたような気がした。
 そ、それにしても、ここまでご立腹だったとは……。
 茗子って、もしかしなくても、本気で怒らせると、すごく怖いとか?
 こんなことをしてしまうくらい。
「桐平さんに、特製復讐レシピを考えてもらったのよ」
 ……え?
「これくらい灸を据えておかねば、わかりませんからね」
「当たり前です。茗子さまの着替えをのぞくなんて、そんなうらやま……いえいえ、ハレンチなこと!」
 めっと、まるでこどもでもしかるかのように、桐平が得意げに語る。
 それにつづけ、久能も、うんうんと首を縦にふりながら、そんな失敬な発言をした。
 ――ほほう。そうか。そういうことだったのか。
 さすがに、茗子一人では、ここまでのことはできないよね。
 そう。いつも詰めが甘い、茗子一人のたくらみでは……。
 久能と桐平もぐるだったのかっ!

 ……でもまあ、ここまで茗子を怒らせることになるのだったら……これからは、着替えをのぞくことだけ≠ヘやめておこうかな。
 復讐晩餐は、もう懲り懲りだからね。
 そして、ぼくは、それほど、学習能力が低いわけではないからね。茗子じゃあるまいし。
 それにしても、茗子って、案外、怖いよね。
 まあ、おもしろがってけしかけているのは、この使用人コンビなのだろうけれど。どうせ。
 だって、この後、復讐が成功したと喜ぶ茗子を、再び怒らせるような罠にかけるのだから。ぼくは。
 やられたままでいるわけがない。
 ぼくの、茗子らぶのプライドにかけて。
 それは、いつものこと。
 そして、これからも、何度も何度も、繰り返されるのだろう。
 そういう点において学習能力のない、茗子のために。
 茗子の復讐が、本当の意味で成功することは、このバトラーがいる限り、あり得ない。
 だって久能は、ぼく――の欲望――に忠実なバトラーだから。
「茗子の料理もいいけれど、ぼくは、それよりも、こっちを食べたいな」
 すっと席を立ち、復讐が成功したと高らかに笑う茗子を、ぐいっと抱き寄せる。
 瞬間、茗子の動きがぴたっととまった。硬直した。
 だって、勝利に笑う茗子の顔のすぐ目の前に、ぼくの顔があったから。その時には。
 そして、そのままその距離をなくすべく、近づけていくと……。
「うっぎゃあっ!!」
 どんとぼくを突き飛ばし、そのままダイニングを飛び出していってしまった。
 顔を、真っ赤にさせて。
 あたふたと慌てながら。
 そんな茗子を、ぼくは、くすくすと笑いながら見送る。
 本当に、茗子って、かわいいよね。わかりやすくて。
 そんなに恥ずかしがることないのに。
 だって、二人きりの時には……ね?
 そうして、ひとしきり笑い終わると、くるりと振り返り、背後で控えている久能と桐平をぎろりとにらみつける。
 そして、有無を言わせぬ絶対零度の声色で言い放つ。
「久能、桐平。もちろん、わかっているよね? 茗子がいつも言っているよね? 食べ物を粗末にしちゃいけないよ。――もったいないおばけがでるからね?」
 にっこりと、笑顔の圧力をかける。
 つまりは、茗子が作った料理を、責任もって片づけろということ。
 少しは懲りるといい。茗子の料理が、どれほど暗黒か、身をもって経験するといい。
 そうしたら、今後は、料理で復讐なんて、そんな安易なことはしなくなるだろうから。
 そう言いおいて、ぼくはダイニングを後にする。
 去り際に、久能と桐平が、
「……くすっ。もとからおいてあったもの以外は、いたって普通の味なのにな?」
「茗子さま、料理の腕をあげ……普通になられたよな?」
 そんなことを言っていたような気がするけれど、その時のぼくの耳には、もう入ってこなかった。
 だって、その時にはすでに、ぼくの意識は、もっと別のところにあったから。
 そう、別のところ。
 たとえば――

 さあって、ぼくは、これからゆっくりたっぷりじっくりと、茗子をおいしく堪能させてもらおうかな。
 逃げ場所は、もちろんわかっているから。
 茗子、覚悟しておいてね?
 ぼくを罠にはめようとしたこと、存分に後悔してもらうからね?
 今後、二度とそんな気が起こらない程度に。


復讐エッセンス おわり

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update:06/01/21