カウントダウンキス
(1)

 忙しなくかけまわっていた昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。
 まあ、さすがに、この時間になって、まだきゃあきゃあ言いながらかけまわられたら、それはそれでいろいろと問題があるような気もするけれど。
 だって、そろそろ、国営放送で、紅と白にわけての歌合戦がはじまった頃だから。
 でも、それなのに、夏樹はまだ帰って来ない。
 よりにもよって、こんな日に、こんな時間までお仕事も何もないじゃない。
 わたしを放っておいてお仕事なんて、本当、いい度胸よね?
 でも、夏樹ものりのりで、今朝までは、今日一日、そして明日もまったりすごすつもりだったようだけれど。
 わたしの迷惑なんておかまいなしに、わたしを独占して。
 本当に、お仕置きしなくちゃね、これは。
 どこの誰だか知らないけれど、大きなミスをしたから、その尻拭いに夏樹を呼びつけるなんて。
 ……ううん。わたしがお仕置きしなくても、もうたっぷりされているかな? 夏樹から。
 だけど本当、あれだけ騒がしかったのに、今はすっかり静かになっている。
 使用人の半分ほどは、数日前からお休みに入っているのよね。
 別に、全員お休みしてくれたっていいのに、律儀にも残って働いている人たちもいる。
 まあ、その最たるものが、いちばんお休みでも何でもとって、永遠に顔を見せないでもらいたいものだわと思わずにいられない使用人コンビ。そして、プラス一人。
 そのプラス一人は、夏樹についていっちゃっているから今はいないけれど。だって、運転手だから。
 それにしても、迷惑なことに居残り組みのあの二人は、一体、どこにいるのかしら?
 いつもは、夏樹がいない時は、うっとうしいくらいにかまってくるのに、今この時に、どうしてわたしを放置?
 大晦日のこの時間って、ただそれだけでちょっぴりしんみりしちゃうのに、一人で放っておかれたら、なんだか淋しいじゃない。
 本当、わかっていないわねー、自称、忠実で優秀のくせに、肝心なところが抜けているわ。
 こうして、わたしに――認めたくないけれど――探させるなんて、いい度胸しているわよねー。
 夏樹が帰ってきたら、たっぷりお仕置きしてもらわなきゃっ。
 わたしをこんな気持ちで一人きりにしているなんて、夏樹に言わせれば、万死に値するものね。
 きょろきょろ辺りをみまわしながら、廊下を歩き、ちょうど厨房の前を通りかかった時だった。
 扉の隙間から、光がもれていることに気づいた。
 いまいましいことにぴんときちゃって、勢いよく扉を押し開ける。
 すると、そこでは、何故だか、料理にいそしむ桐平さんが……。
 あれ? どうして今時分に?
 夕食のかわりの年越しそばは、もう食べちゃったわよね?
 お腹がすいたーってだだをこねたら、使用人のみなさんも一緒に食べてくれたわよね?
 だって、夏樹がいないのじゃ一人になっちゃうし、一人で食事をするのは味気ないもの。
 やっぱり、大晦日の年越しそばも、ただそれだけでしんみりしちゃうから、一人で食べたくないもの。
「桐平さん、何をしているの?」
 扉をしめながら、厨房の奥の方で手を動かす桐平さんに声をかける。
 ふとその横に視線を移すと、……いた。
 いないと思ったら、こんなところにいたのね。
 とってもとってもその主に忠実なバトラー、久能さん。
 暇があれば、お友達の桐平さんのところに遊びに来ているのだから。
 椅子の背を前にして、そこに両肘をおいて座っている。
「ああ、茗子さま。おせちを作っているのですよ」
「おせち……?」
 障害物――椅子に座る久能さん――をわざとらしく大きくよけながら、桐平さんの作業をする手元をのぞきこむ。
 するとそこには、飾り切りされたにんじんが、けっこうな数転がっていた。
 向こうの方には、面取りされた大根や里芋が、それぞれにわかれお鍋の中でぐつぐつと踊っている。
 横から、わたしに邪魔者扱いされたのがよほど悲しかったのか、久能さんがずいっと身を乗り出してきた。
「桐平は桐平で、いろいろとすることがありますからね。毎年、この時間になってようやく手をつけられるのですよ」
「そうなんだ。大変だね、桐平さん」
 得意げに語る久能さんをちらっとみて、すぐ上にある桐平さんの顔を見る。
 すると桐平さんは、どこか困ったように微笑を浮かべた。
「いえ、まったく大変ではありませんよ。これがわたしの仕事ですし」
「うわっ。なんかすっごいかっこいい。働く男って感じ!」
 気づけば、思わず、わたしにしては素直に、思ったままを口にしてしまっていた。
 ――くっ。失態だわ。
 夏樹同様、この使用人コンビにも、ののしる言葉以外は言わないって決めていたのにっ。
 むしろ、この男たちには、ののしり以外は必要ないわ。
 桐平さんってば、恥ずかしそうに肩をすくめている。
 ふと気づくと、椅子の背にのっぺりもたれかかる久能さんが、恨めしそうにわたしを見ていた。
 って、ちょっとそれ、もしかして、すねているの?
 桐平さんだけ、ほめたから。
 でも、今の久能さんのその姿じゃあ、百歩譲ってもほめられないと思うけれど?
 そんな久能さんに気づいたのか、桐平さんはわたしににっこり笑いかけてきた。思いっきり久能さんを無視して。
「茗子さま、期待していてくださいね。腕によりをかけて、茗子さまのお好きなものをたっぷりご用意しますよ」
「そしてもちろん、夏樹の好きなものもたっぷりと、でしょ?」
 にこにこ笑う桐平さんを横目で見て、ため息まじりにつぶやいた。
「ええ、もちろんです」
 すると、さも当然とばかりに、桐平さんは大きくうなずいた。
 ……やっぱり。
 さすがは、その味覚までも心得た、主に忠実な料理人だわ。
 まあ、お抱え料理人をしているくらいだから、それくらいじゃなきゃあ駄目なのだろうけれど。
 今ではすっかり、わたしの味覚まで把握されているみたいだし。
 でも、そういうところは本当、仕事に一生懸命って感じがして、すごいと思う。
 横で、ただ癪に障ることばかりを言っているバトラーにくらべたらね。あくまで、このバトラーにくらべたらだけれど。
 ……あれ? でもちょっと待って。
 桐平さん、今、おせちを作っている最中なのよね?
 最中ということは、まだ出来上がっていないということで……。
 この状況って、もしかしなくても、千載一遇の好機とかいうもの!?
 うふふっ。いーいことを思いついちゃったっ。
 思わずがっくり落としていた肩を、嬉々として持ち上げる。
 そして、胸の前で両手を握り合わせ、ちらりと上目遣いに桐平さんを見る。
「ねえ、桐平さん。お願いがあるのだけれど……」
「お願い? 何でしょう?」
 どことなく困ったように眉尻をさげ、桐平さんはくいっと首をかしげる。
 どうやら、とんでもないことを予想しているようね。
 ううん、わたしのことだから、想像の範囲を大きくこえるとでも思っているのかもしれない。
 桐平さんは持っていた包丁を置き、わたしに向き直る。
 うん、そうよね。
 茗子さまのこのおねだりポーズに、桐平さんが逆らえるはずないものね。
 もちろん、横にいる久能さんだってそう。
 そして誰より、あの男、夏樹なんていちころよ。
「それ、わたしも手伝っちゃ、だめ?」
 すっと作業台を指差し、やっぱり上目遣いにじいっと桐平さんを見つめる。
 すると、桐平さんも、そして横の久能さんも、狐につままれたように目を見開く。
 って、ちょっと、失礼しちゃうわね。
 わたしが手伝うって言うのは、そんなに驚くようなこと!?
 そりゃあ、壊滅的に素晴らしい料理の腕前だって、自分自身でもわかっているけれど……。
 でも、最近は、少しはましになったって思っているのよ?
「な、何よ。そんな化け物でも見たような顔をして。二人とも、失礼しちゃうわ!」
 そう言い捨てると、ぷうと頬をふくらませ、恨めしげに桐平さんと久能さんを交互に見てやる。
 本当、失礼しちゃうわ。
 そんなに驚かなくたっていいじゃない。
 っていうか、久能さん。わたしを見るその目が如実に語っているわよ。
 よもや、わたしがこんなことを言うなんて、これはもう、まさしく、天変地異の前触れかってね。
 ――ふっ。でも、あまいわね。
 わたしが、こういうことを言うのは、これがはじめてじゃないって気づいている?
 そして、その過去に何度もあったこれは……。
「駄目ではありませんよ、もちろん。茗子さまお手製のおせち、夏樹さまがとっても喜びますね」
 どうやら、桐平さんは気づいてくれたようで、楽しげににっこり笑う。
 そう、茗子さまお手製おせちよ。
 そこを見落としてもらっちゃあ、困るわ。
 茗子さまお手製という言葉の裏に隠されていることを、見落としてもらっちゃあね。
 茗子さまお手製ということは、つまりは……。
「やったー! 今度は、どんな罠をしかけようかなっ」
 両手をぱんと打ち鳴らし、力いっぱい喜びを表現する。
 そう、わたしが料理をする時は、半分以上の確率で、夏樹に罠をしかける時、復讐をする時なのよ!
 使用人コンビもそれに気づき、いたずらを思いついた子供のように、楽しげに笑っている。


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update:08/01/01