あいつの好きな人
だって好きなんだもん

 あなたが誰を好きでもかまわない。
 この気持ち、あきらめられない。
 だって、わたしは、あなたが好きなんだもん。


「あれ? 由布くん?」
 よく晴れた、日曜日の昼下がり。
 小春日和の今日は、とってもぽかぽかであたたかい。
 陽光が降り注ぎ、まるで春のひだまりのよう。
 こんな日は、うずうずしてきちゃって、家でくすぶってなどいられない。
 でも、わたしには、つれづれな時間につきあってくれる友達なんていない。
 ましてや、彼氏、なんてものは考えられない。
 だから、いつものように、一人で街をぶらぶらする。
 近頃は、慣れた……あきらめちゃったので、一人でももう平気。……きっと。
 でも、今日は、そんないつもとちょっと違う。
 暇をつぶす相手がいないわたしにも、一年前にできた、たった一人だけの友達がいる。
 その友達と、これからデートなんだもん。
 んー。こんなにいいお天気になるなんて、きっと、神様はわたしの味方なんだね。
 待ち合わせの場所へ向かって歩いている、そんな時だった。
 洋菓子店のウィンドウをのぞく、見知った男の子、由布くんを発見。
 同時に、思わずそう声をかけていた。
 だってこれって、奇跡なんだもん。
「え? あかりちゃん? 奇遇だね」
 すると、由布くんは振り返り、にっこり笑った。
「えへへっ」
 そのやわらかい笑顔に、思わず顔がくにゃっとくずれちゃう。
 だって、由布くんは、今では、わたしのいちばん好きな男の子でもあるから。
 彼は、お兄ちゃんのお友達のいとこ。
 三人は時々会っていて、そうしているうちに、わたしもつれられていったのが、はじめての出会い。
 知り合ったのは、五、六年くらい前だったと思う。
 そして、一年ほど前、わたしは、それまで何とも思っていなかった由布くんに、恋をしてしまった。
 恋におちるのは一瞬だとよく聞くけれど、まさしくそうだと実感したそんな瞬間だった。
 自分のことを顧みず、一人の女性のためにすべてを投げ出したその瞬間、わたしは彼に嘘のような恋をした。
 だって、まさか、好きな女性(ひと)がいる人を好きになっちゃうなんて。
 その女性は、もちろんわたしじゃない。……悲しいことに。
 だけど、その時の由布くんのゆるぎない眼差しに、わたしではない女性を映す彼の瞳に、わたしはやられてしまった。あっけなく陥落。
 あの時のあの目が脳裏にやきついてはなれない。
 同時に、思いはどんどん募っていく。
 あの眼差しで、わたしも見つめられたい。その瞳に、わたしを映して欲しい。
 そんな思い。
 彼が思うのも見つめるのも、決してわたしではない。
 その現実を目の当たりにするたび、胸にすうと冷たいものを感じ、むなしくなる。
 どうして、わたしは好きな女性(ひと)がいる人を好きになっちゃったんだろう?
 でも、だからって由布くんへの思いをやめちゃうなんてできない。
 思いは、もうそんな次元をとうに超えてしまった。
 理屈じゃない。不毛な恋でもかまわない。
 だって、どうしたって、わたしは由布くんが好きなんだもん。
「ねえ、由布くん、あれからどうしているの? 大丈夫? この前、あまり話せなかったから、ちょっと気になって……」
 ちらりと見上げるように由布くんを見つめながら、ぽつり聞いてみる。
 ――由布くんは、自分の良心、信念を貫くため、すべてを投げ出してしまった。捨てた。
 あの後、どうなったのかは、怖くてお兄ちゃんにも聞けていない。
 大好きなのに、大好きだから、その後のことが、聞けない。
 でも、こうしてばったり会ってしまったのも、何かの導きだと思うの。
 神様なんて信じていないけれど、こういうことがあると、信じてもいいかとも思えてくる。
 それに、今の由布くん、何かを吹っ切ったようになんだか清々しくて、半年前にあんなことがあったとはとうてい思えない。
 ひとつ前に会ったのは、由布くんの大切な女性の結婚式だったから、だから……。
 その時は、笑顔だったけれど、でも、やっぱり苦しそうにも見えた。
 世界でたった一人、すべてを投げ出してまでも愛した女性が、他の男性にもっていかれちゃう結婚式に出席するって、自虐的なその行為、一体どれほどの苦しみだっただろう。どれほど勇気がいっただろう。
 想像するだけで、胸が千切れそうになる。
 彼女も、なんて酷なことをするのだろう。
 いやまあ、彼女というよりかは、その相手の男性なのだけれど。由布くんの気持ちを知っていながら、天使の仮面をかぶったあの悪魔が、勝ち誇ったように由布くんを招待したから。
「ああ、まあ、大丈夫だよ。生活もたいして変わらないし。今は一人暮らしをしているけれどね」
 恐る恐る見つめるわたしに気づき、由布くんは優しげに微笑んでくれる。
 ぽんと、わたしの頭に手をおいて。
 何気なく語っているけれど、きっと内に抱く思いは、決意は、何気なくなんてない。
 そんな由布くんが、わたしの目には、きらきら光って見える。光を放つどんなものよりもまぶしい。
 決して、由布くんの向こうがわに、ぽかぽかのお日様が浮かんでいるからではない。そう見えるのは。
 わたしの頭においていた手をどけて、由布くんはすっと横に並ぶ。
 その時、ふわりと、由布くんの腕が、わたしの腕に触れた。
 ほのかに香る、由布くんの匂い。
 びくりと、心臓がとびはねる。
 腕が、とけてしまいそうなほど熱い。
「相変わらず、夏樹の裏の仕事をしているからね。表の仕事をする人間は別にたくさんいるし、こういうことは、俺と久能さんくらいしか請け負えないからね。――あとは、傍らで、投資をちょっとね」
「そうなんだ、よかった」
 だけど、それには気づかれないように、いつものように振る舞う。
 ちょっぴりおどけたような、いつものその振る舞い。
 でも、もしかしたら、心臓がとびはねたことは気づかれなくても、ほっと胸をなでおろしてしまったことは気づかれたかもしれない。
 一瞬、由布くんの目が、困ったようにわたしを見たから。
「あかりちゃんは? あれからどうしているの?」
 ゆっくり歩き出した由布くんにあわせるように、わたしも慌てて足を踏み出す。
 でも、待って。
 由布くん、わたしが声をかけるまで、洋菓子店のウィンドウを見ていたのだから、もしかしたら、そこに用があったのじゃあ……?
 ――と思ったけれど、違うね、きっと。
 あの時の由布くん、どこか切なそうに見ていたから。おいしそうなスイーツたちを。
 そう、おいしそうな、由布くんの好きなあの女性が、いかにも好きそうなスイーツ。
 由布くんの視線が注がれていたたったひとつのそれは、桃がたっぷりのムースだった。
 ……嫌になっちゃうな。
 きっと、そのスイーツ、彼女に買っていけば喜ぶとでも思ったのかな?
 喜んで、おいしそうにそれを食べる彼女の顔を、思い浮かべていたのかな?
 スイーツを通して、違うものを見ていたんだよね?
 本当、嫌になっちゃう。
 由布くんは、今でも彼女のことが好きなのだから。
 隣に誰がいようと、由布くんの目には彼女しか映っていない。
「んー、わたしも相変わらずだよ。お兄ちゃんの社交界でのパートナー役をしたり。あとは、関連会社の見学。これが楽しいんだよ? わたしが行くとね、普段偉そうにいばり散らしているだけの無能なおじさんたちが、てきぱきと仕事をするんだ。パパたちに告げ口されるのが怖くって。だから、社員さんたちからは、わたし、けっこう人気があるんだよ?」
「あははっ。あかりちゃんらしいね」
 やっぱりおどけたように、けろりと一気にそう言うと、由布くんは吹き出した。
 それから、ツボにはまったように、けらけら笑い続ける。
 そんな横顔を、思わずじっと見つめてしまう。
 やっぱりいいな、由布くんの笑った顔。
 もっともっと、見たいな。
 わたしが知っている由布くんは、あまり笑ったことはない。
 すべてが終わり、そして自由を手に入れたのだから、これからはいっぱいいっぱい笑ってほしい。
 ずっとずっと笑っていてほしい。その笑顔、絶やさずに。
 ……でも、きっと、それは無理なんだろうな。
 今も、あの女性を由布くんは思っているから。
 彼女を思っている限り、由布くんは本当の意味では解放されない。
「それより、由布くんも一緒にどう? これから茗子ちゃんとデートなんだ」
「茗子とデート?」
 きゅむっと由布くんの腕をつかみ、にっこり微笑む。
 すると、どこか訝しげに、由布くんが見てきた。
 それは、一体、どっちの意味での怪訝?
 わたしが、茗子ちゃんとデートをする方?
 デートに由布くんを誘っている方?
 それとも……どちらにも?
 ――うん、そうだよね。この名前には、反応せずにはいられないよね。
 だって、わたしのたった一人の友達は、同時に、由布くんの思い人でもあるから。
 今でも、切ないくらいに思われているその女性が、わたしのたった一人の友達。
 いちばん好きな人は、いちばん大切な友達を思っている。
 それでも、由布くんをあきらめることなんてできない。
 だって、好きなんだもん。
 でも、これって、けっこうダメージ大きいんだよねー。
 だから、これくらいの意地悪、したっていいよね?
 だって、わたし、女の子はいじめられないんだもん。男の子なら平気でいじめられちゃうけれど。
「夏樹さんなら心配ないよ。お兄ちゃんを脅して、夏樹さんをかどわかしてもらったから」
「……あかりちゃん、夏樹に恨まれるよ?」
 お兄ちゃんのお友達が夏樹さんで、そのいとこが由布くん。
 そして、茗子ちゃんのだんなさんは夏樹さんで、由布くんの思い人は茗子ちゃん。
 茗子ちゃんはいちばんの友達で、そんな由布くんをわたしは好き。
 むー。なんて複雑なのだろう?
 けらけら笑いながら言うと、由布くんは神妙な面持ちでそう迫ってくる。
 どきんと、胸がはずむ。
 だ、だって、いきなり、由布くんの顔が間近に迫ってきたから。
 そして、由布くんの目には、わたししか映っていない。
 でも、今は、なんだか切ない。
 だって、由布くんの目に映るのはわたしでも、見ているのはわたしじゃないから。
「大丈夫だよ。もうこれ以上ないというくらい、恨まれているから」
 ばしばしと由布くんの肩をたたきながら、けらけら笑う。
「あははっ。さすがはあかりちゃん」
 すると、由布くんは興を覚えたように豪快に笑い出す。
 うん、やっぱり、いいな。これがいいな。
 由布くんは、笑っていなきゃいけないと思う。……誰よりも。
 大切な人のために、これまでせいいっぱいしてきたのだから。
 だからもう、由布くんは幸せにならなきゃいけないと思うの。
 そのためなら、わたし、きっとどんなことでもしちゃう。
 だって、そんな由布くんが、わたしは好きなんだもん。
 そして、由布くんの幸せの中心に、わたしがいたらいいな……なんて、そんなむなしい望みも抱く。
 でも、わたし、それを望みだけで終わらせる気はないわ。
 絶対にいつか、現実にしてみせる。
 わたしは、しつこいから。
 ううん、だって、好きなんだもん。


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update:10/06/20