乙女心は雨模様
だって好きなんだもん

「いやまあ、わかっていたけれど、まさかあそこでああも堂々と宣言しちゃうとは……」
 アイスコーヒーのグラスにささったストローをくるりとまわしながら、由布くんがどこか疲れたようにつぶやいた。
 からんと、氷が動く音が響く。
 グラスは、今日の天気を反映しているのか、すでに汗でびっしょりになっている。
 あの後、茗子ちゃんは夏樹さんにお持ち帰りされてしまった。
 だからお兄ちゃんに、夏樹さんを拉致するように頼んだのに、本当役立たずなのだから。
 夏樹さんをどうにかしないと、茗子ちゃんとおちおちデートもできやしない。
 その役立たずなお兄ちゃんは、役立たずぶりを極めるかのように、かかってきた電話で呼び出され、慌てて仕事に戻っていった。
 きっと、トラブルか何かが起こったのでしょうね。まあ、わたしには関係ないことだけれど。
 そうして、結局、由布くんと二人だけで、ぽつんと取り残されてしまった。
 だからって、なんだかそのままバイバイするのも味気ないし、行く予定だったカフェにこうしてやって来た。
 窓際の席に座り、窓の外を眺めながら、二人だけのまったりした時間を楽しんでいる。
 時折かわす会話に、いちいち胸がどきどきいっちゃっている。
 さっきまでは、由布くんと二人だけでも平気だったのに、今はこんなに緊張しちゃう。
 やっぱり、思い切って思いを伝えちゃった後だからかな?
 はっきりと、わたしは由布くんが好きって、由布くんにわからせた後だから、こんなに胸が落ち着かないのかな?
 由布くんが、きっちりわたしの気持ちをわかってくれている前と後では、心持が全然違う。
 由布くんがふと見せる陰りを帯びた眼差しに、わたしの胸がきゅんとなく。
 片肘をつき、ぼんやり窓の外を眺める由布くんの姿に、どことなく憂いを感じ、そして胸がざわざわ落ち着かない。
 今、由布くんが眺める世界は、空模様があやしくなってきている。
 さっきまで晴れていたのに、どんより曇り空。
 今にも雨が降り出しそう。
 今日の天気予報では、晴れ時々曇りだったのに、嘘つき。
 これじゃあ、曇りのち雨って感じじゃない。
「どうして? おかしい? 好きなんだから、好きって言って何かいけない?」
 わかっているけれど、あえてわかっていないふりをして、くいっと首をかしげてみせる。
 すると、由布くんはさっと視線をそらし、あきれがちにつぶやいた。
「いや、そういう問題じゃなくね……。京也さんの目の前で言っちゃうのはあれでしょう? けっこうショックを受けていたみたいだし。かたまって動かなかったじゃないか」
 それだけ言い終えると、由布くんはようやく、少しだけ視線を戻してきた。
 そして、アイスコーヒーと一緒に頼んだ、ニューヨークチーズケーキにフォークをさし、ぐりぐりまわす。
 ケーキを切り分けようとしているのじゃなく、何か気になることを誤魔化すように手を動かしている。
「あー、あれは違うよ。ただ、びっくりしていただけだから。お兄ちゃん、ふいの出来事にめっぽう弱いんだよね」
 パフェスプーンをふりふりふりながら、おざなりに答える。
 実際、お兄ちゃんはびっくりしていただけで、ショックは受けていなかったと思うよ。
 だって、別に、わたしが誰を好きだろうと何とも思わないだろうし。ただ、それが由布くんだったから驚いていたって感じ。
 たしかに、半年前のわたしのお婿さん#ュ言をお兄ちゃんも聞いていたけれど、あれから随分たつし、そういう素振りを見せてこなかったら、たんなる冗談かと思って流していたと思うのよね。
 それが今になって、あれは本気だったって理解したから、それで……。
 まあ、だからって、やっぱり、本気で由布くんをどうにかしようと思っているなんて、思っていないだろうけれどね。
「そういうあかりちゃんは強いよね。というか、突拍子ないというか……」
「うふふ、それがあかりです」
 微苦笑を浮かべ、由布くんはぐちゃぐちゃになったチーズケーキをひとかけ、フォークにさす。
 そんな由布くんの向かいの席で、わたしはむんと胸をはる。
「それに、今回がはじめてじゃないでしょう? わたし、半年前にも言っているよね」
 にっと笑みをつくって、探るように由布くんを見る。
 すると、由布くんは、フォークを持つ手をぎくりと揺らした。
 ははーん、その反応は、やっぱりちゃんと覚えているじゃない。
 覚えていて、なかったことにしようとしていたなあ。
 まあ、そうなるとは思っていたけれどね。
 さらに追い詰めるように、上体を由布くんへずいっと突き出す。
 それにあわせるように、由布くんの上体が少しだけ後ろへのけぞった。
 けれど、はっと気づき、慌ててそこで動きをとめる。
 本当、由布くんは優しいなあ。
 そこでわたしをさけたら、わたしが傷つくって思ったんだね。
 その優しさに、わたしはつけ込んじゃうんだけれどね。
 由布くんの気持ちは理解しているつもりだから、それくらいでわたしは傷ついたりしないよ?
 それくらいで傷ついていたら、これからどんどん攻められないしね。
 すっと片手をのばし、少しだけうろたえた様子の由布くんの頬にそっと添える。
「ねえ、由布くん、あかりのお婿さんにならない=H」
「……やっぱり」
 由布くんは一瞬目を見開いたかと思うと、すぐにがっくり肩を落とした。
 ほーら、やっぱり、由布くんはわかっていた。
 これくらいでうろたえるなんて、怖気づくなんて、意気地がないなあ。
 ふふふと笑いながら、もう一方の手ものばし、両手で由布くんの両頬を包み込む。
 まっすぐに、射抜くように由布くんを見つめる。
「やっぱりです。わたしは、本気だからね」
 由布くんはまじまじとわたしを見つめ、諦めたように肩をすくめた。
 そして、頬に触れるわたしの手をゆっくりほどきとり、ぽすんと背もたれにもたれかかる。
 なんだかとってもお疲れのようね、由布くん。
「あかりちゃんは、本当強いよねー。自信たっぷりというか、いつどんな時だって、にこにこ笑って明るい」
 その言葉を聞いた瞬間、ずんと重いものが胸にのしかかる。
 思わず、さっと由布くんから顔をそらしてしまった。
 突き出していた上体をゆっくりもどしていき、椅子にさっと座りなおす。
「強くなんてないよ」
 それから、うつむき、ぽつりつぶやいた。
「え?」
 由布くんは、そんなわたしを不思議そうに見ている。
 さっきまで、押せ押せどんどんだったわたしが急にひいたから、訳がわからないみたい。
 うん、由布くんの戸惑い、わかるよ。
 わたしだって、相手にこんなに急変されたら、戸惑っちゃうもん。
「強くなんてないよ。弱いから、笑っていなきゃだめなの」
 すっと顔をあげ、まっすぐ由布くんを見る。
 由布くんの顔が強張り、曇る。探るようにわたしを見ている。
 由布くん、わたし、本当は強くなんてないよ。
 常にそうあろうと心がけているだけ。
 本当は、一瞬でも気を抜けば、すぐに崩れ落ちそうなほど、押しつぶされそうなほど、いつも不安でいっぱい。
 それを悟られないように、強がっているだけ。
 こんなこと、由布くんには言えないけれどね。
「そうか、ごめん」
 由布くんは眉尻をさげ、それだけを静かにささやいた。
 由布くん、優しすぎるよ。
 普通、こんなに急に態度を変えられたら、その理由を探ろうとしない? これだけで納得しないよね?
 けれど、由布くんはそうしようとはせずに、そっとしておいてくれるんだね。
 ずるいよ、これじゃあ、ますます好きになっちゃうよ。
 思わず、由布くんにすがりつくように見つめてしまう。
「そうだよね、女の子がいつも元気に笑っているのがどれほど大変か、俺忘れていたよ」
 つづけて、由布くんは何かを得心したように、ひとりごちるようにそうつぶやいた。
 どこか淋しそうに微笑む。
 ずきんと、わたしの胸が痛んだ。
 ねえ、由布くん、それは彼女のこと? 茗子ちゃんのことを言っているの?
 茗子ちゃんも、命を狙われる中、懸命に強がっていた。
 そんな茗子ちゃんを、由布くんはずっと、傍らで見てきたから……。
 だから、大変だって言うの?
 それって……ひどいよね。誰のことを言っているのか、誰を見ているのか、わたしが気づいていないと思っているんだよね。
 本当、由布くんの優しさは、残酷だなあ。
 諸刃の剣とでも言うの? 紙一重とでも言うの?
 その言葉の剣は、わたしを喜ばせると同時に、残酷に胸を切り刻む。
 さっと顔をそらしたわたしに気づき、由布くんは意を決したように小さく息をひとつ吸った。
 そして、わたしをまっすぐ見る。
「あかりちゃん、どっちつかずもいけないから、はっきり言うよ。俺は、君のお婿さんにはなれないよ」
 瞬間、呼吸がとまったような気がした。
 答えなんて、はじめからわかっていた。
 けれど、まさかこんなに早く、そしてこうもきっぱり、答えがくるなんて……。
 由布くん、こういうところでは別に、迅速じゃなくたっていいのに。
 答えはわかっていても、心の準備はまだもうちょっとできていなかったのに。
 もう、顔を上げられない。
 顔をあげちゃったら、そのまま目から余計なものが流れ落ちてきてしまうから。
 それは、いつも元気なあかりちゃんには、似合わないもの。
 それに、ここでそんなものを流したら、卑怯なような気がする。
 ぎゅっと両手をにぎりしめる。
 窓に、ぽつりぽつり、雨粒があたりだした。
 でも、このまま逃げるようにうつむいていたって埒が明かない。
 ここは顔をあげて、由布くんに微笑みかけなきゃ。
 笑いながら、「うん、わかった」って言わなきゃ。
 ……うん、わかった? 本当に、そう言うの? わたし。
 ううん、そうじゃない、そうじゃないでしょう。だってわたしは、あきらめが悪い金郷あかりなんだもん。
 わたしが用意している言葉は、それじゃあないよね?
 だってわたしは、由布くんが好きなんだもん。
 ぐっと手をにぎりしめ、ぎゅっと唇をかみ、思い切って顔をあげようとした時だった。
「俺は、どうしても茗子を忘れることができない」
「由布くん……」
 その答えはわかっていたことだけれど、フェイントだよ。
 茗子ちゃんを忘れられない、その言葉で片づけようとするなんて……ひどい。
 そんなの、由布くんに言われなくたって、わかっている。
「だから、あかりちゃ――」
「それでもいい」
「え?」
 最後のとどめをさそうとばかりに告げる由布くんの言葉をさえぎり、きっぱりと言い放つ。
 そして、ばっと顔をあげ、挑むように由布くんを見つめる。
「それでも、わたしが由布くんを好きという事実は変わらないから」
 あっけにとられたようにわたしを見たかと思うと、由布くんは口元をゆるめた。くすりと笑う。
「やっぱり、あかりちゃんは強いなあ」
 感心したように、由布くんはつぶやいた。
 由布くんの向こうで、波紋のように窓に雨がぶつかり、流れ落ちていく。
 由布くんの言う今度の強いは、さっきの強いとは違う。
 この強いなら、受け入れてあげるよ。
 だって、由布くんは、ちゃんとわたしの思いを受けとめて、それでも強いって言ったのでしょう?
 わかった上で言う強いは、わたしを嬉しくさせる強いだね。
「当然! だって、最後に愛は勝つからね!」
 由布くんはまた目を見開き、わたしを見つめる。
 それから、「またそれ?」とでも言いたげに、あははと楽しげに笑い出す。
「あかりちゃんは、やっぱりあかりちゃんだなー」
 そしてそう言って、由布くんは壊れたように笑い続ける。
 わたしはただ、由布くんの言葉に、微笑み返すしかできなかった。
 顔は笑っているけれど、きっと目は笑っていない。
 窓にあたる雨粒が、次第に勢いを増しはじめた。
 雨の打ちつける音が、轟音にかわっていく。
 窓の外では、行き交う人々が、屋根の下に逃げ込んでいる。
 車のヘッドライトが、雨にぼやけて映る。
 ゲリラのように、豪雨がやって来た。
 それはまるで、今のわたしの心を代弁しているよう。
 表面上はどうにか取り繕うことができても、心は誤魔化せない。


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update:10/07/28