もっともっと好きになっちゃう
だって好きなんだもん

「由布さま」
 由布くんと一緒に、会場の奥へ行こうとした時、ふいに背後から声をかけられた。
 同時に振り返ると、そこには目をきらきら輝かせ、うっとりと由布くんを見つめる令嬢が一人立っていた。
 いかにも大切に大切に慈しみ育てられ、この世の汚いものなど何も知らないといった、深窓の令嬢。
 この世界では別段珍しくもない、純真可憐に見えるご令嬢。
 由布くんは首をかしげ、その令嬢が誰であるか思い出そうとしている。
 案外、由布くんて非情だよねえ。
 普通、こういう場合は、嘘でもにっこり笑うものじゃない?
 まあ、下手な愛想をふりまかない辺りは、ある意味計算ずくの上でもあるのだろうけれど。
 由布くんは、しっかり自分の立場をわきまえているから。由布くんのまわりには、敵しかいないって。
 誰も信用しない。そう、こうして仲良くしてくれているわたしですら、きっと由布くんは心からは信用してくれていないんだろうなあ。
 由布くんが絶対の信頼を寄せているのは、夏樹さんと茗子ちゃん、そして夏樹さんのところの執事の久能さんくらいだと思う。
 それくらい、由布くんのまわりには敵がいっぱい。
「あの……先日お渡しした手紙、読んでいただけましたでしょうか?」
 由布くんの返事を待たずに、令嬢が恐る恐る口を開いた。
 あ、そうか。どことなく見覚えがあると思えば、この前のパーティーで由布くんに目をつけて、お兄ちゃんに文使いをさせた、失礼な女!
 一見清楚そうに見えて、実は図々しい厚顔無恥の身の程知らずの女だわ。
 どこの令嬢か知らないけれど、いくら八方美人だっていっても、天下の金郷京也を文使いにするなんていい度胸じゃない!
 何より、わたしの由布くんに恋文なんて……万死に値する蛮行よ!
 だからって、さらさら由布くんをあげる気はないけれどね。
 あんたなんか、由布くんには、全然つりあっていないんだからね!
 由布くんの隣にいてもいい女は、わたしだけなんだから!
「ああ、あの手紙? ねえ、由布くん、あれ、どうしたっけ?」
 由布くんの腕をするりと抱き寄せ、しなだれかかる。
 上目遣いに由布くんを見て、意地悪く口のはしをあげ笑ってみせる。
「え? あ、あかりちゃん?」
 由布くんは、目を丸くしてわたしをぎょっと見つめる。
 どうやら、わたしの意図は、由布くんに伝わっていないみたい。
「ど、どうして、あなたが手紙のことを……」
 令嬢は顔色を真っ青にして、慌ててわたしに尋ねる。
 ふっと小さく笑い、ちらりと令嬢に視線を流す。
「だって、あれ、あなたが手紙を託した相手って、わたしの兄よ?」
「あなたのお兄様……?」
「そう、わたしは金郷あかり。兄は、金郷京也。これがどういう意味かおわかり? あなた、身の程をわきまえて兄に文使いなんてさせたのかしら?」
 由布くんの腕にすっと顔を寄せ、くすくす笑ってみせる。
 何やら、頭上で呆れたような小さなため息がもれている気がするけれど、気にしないわ。
「え? あ、わ、わたしは……っ。し、知らなかったのよ。由布さまのお友達と思っていたのよ。まさか、あの金郷家の方だなんて……っ」
 令嬢はうろたえつつ、どうにかそれだけを言った。
 まあ、見えすいた言い訳ね。
 あながち言い訳でもなさそうだけれど。だったら、もっとたちが悪いわ。
「その程度の認識で、よく恥ずかしげもなくこのような場にやって来れるわね」
 くすりと笑ってそう言い放つと、令嬢は羞恥に顔を真っ赤に染め、目をうるませ、逃げるように駆け出した。
 そして、途中、何度か人にぶつかりながら、会場の外へ飛び出していく。
 その後ろ姿を見送りながら、わたしはあっかんべーと舌を出す。
「おとといきやがれっていうのよっ」
 そう毒づくと、ふいに目の前が真っ暗になった。
 同時に、背後へぐいっと引き寄せられる。
 ぽすんと、たくましくあたたかいものが背にあたる。
「あかりちゃん、もういいよ。まったく、らしくないね」
 そして、あきれたように、耳元でそうささやく声が聞こえた。
 とろけるようなその声が、わたしの脳髄にあまく響く。
 み、耳が熱いっ。
「だ、だって……」
「でも、ありがとう。あれって、俺のためにしてくれたのだろう?」
「ゆ、由布くんっ」
 わたしを目隠ししたのは、由布くんの大きくてあたたかい手だった。
 その手にそっと両手をそえ、ゆっくり目からはなしていく。
 すると、目の前に、困ったように微笑を浮かべる由布くんの顔があった。
 思わず、ばっと顔をそらす。
「だからって、もうしないでよ。あれじゃあ、あかりちゃんが心配でたまらないよ」
 そらした顔をまた勢いよく戻し、じいっと由布くんを見つめる。
 ねえ、由布くん、それは一体どういう意味?
 それって、もしかして、わたしの意図に気づき、そして心配してくれているの?
 でも、ちょっと違うよね?
 わたしは、由布くんのためじゃなく、自分のためにしたもの。
 自分のためにわざと憎まれるようなことを言ったの。由布くんに、あの令嬢の相手をして欲しくなかったから。そして、あの令嬢が二度と由布くんに近づかないように打ちのめしたかったから。
 わたしって、茗子ちゃんや夏樹さんにいい性格しているよね≠ニ言われるような、そんな打算的な女なんだよ?
 由布くんの手が、ぽんとわたしの頭をやさしくなでる。
「大丈夫。断るくらい、俺もちゃんとできるから」
 そう言って自嘲するように由布くんは笑った。
 ずきんと、胸が痛む。
 わたし、やっぱり余計なことをしちゃったんだね。
 由布くんの男のプライドを傷つけた?
 だって、あれじゃあまるで、由布くんを信用していないみたいだもの。あの程度も自分で対処できない男扱いしたようなものだもの。
 ああいう場合は、由布くんを信じて、由布くんにまかせておかなければいけなかったのに……。
 気が急いてしまったばかりに、つい……。
 だって、由布くんが好きだから。
 ど、どうしよう、これじゃあ、由布くんに嫌われちゃう!
「ご、ごめんっ。わたし、考えなしだった!」
 がばっと振り返り、由布くんの胸を両手でがしっと握る。
 迫るようにすがりつくわたしの手に、由布くんはそっと手をそえた。
「いや、そうじゃなくて、あかりちゃんが、買わなくていい恨みを買うことを心配しているんだよ」
「由布くん……」
 由布くんの目が、優しくわたしの姿をとらえる。
 ざあと、あついものがこみ上げてきた。
 じわりと涙がでてきちゃう。
 きゅっと、唇をかたく結ぶ。
 どうして、由布くんはこんなに優しいのだろう。
 きっと、今の由布くんにとって、わたしって面倒でうっとうしい女だろうに、どうしてこんな……。
 こんなに優しくされちゃうと、もっともっと好きになっちゃうよ。
 わたしに恥をかかせないように、そう言ってくれたんだよね?
 今のだって、どう見たって、由布くんをかばったのじゃなく、たんなるわたしのやきもち――。
 わたしにとっては、まとわりつく害虫を駆除したにすぎないのに。
 こんなわたし、由布くんは迷惑だよね? 迷惑じゃないの?
 ちらっとまわりを見まわすと、まだちらちら由布くんを見る令嬢が何人もいる。
 先ほどの様子を見ていただろうに、それでも由布くんに話しかけるタイミングをはかっているみたい。
 気づいていなかっただけで、本当に、最近の由布くんは社交界で人気があるのだろう。
 由布くんはこんなに優しいから、みんなもきっとそこに惹かれて……。
 そう思うと、由布くんが人気があるのは、たんにお買い得物件だからというだけじゃないのかもしれない。
 今だって、由布くんはさりげなく、わたしの涙を隠すように振る舞ってくれている。
 ぎゅっと両手を握り締め、そのままさっと目元をぬぐう。
 このままうじうじ泣いてなんていられない。


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update:10/08/29