意気地なしのあなた
だって好きなんだもん

「まあ、由布がいてもいいか。ほれ、あかり」
 お兄ちゃんは賢明にもそう判断したかと思うと、そう言って、わたしの膝の上に、厚手の表紙がついた写真のようなものをぽんと置いた。
 それは、お兄ちゃんがさっき入ってきた時から手に持っていたもの。
「なに、これ?」
 首をかしげ、膝の上のそれを指差す。
「見合い写真」
「……はあ?」
 その突拍子もない言葉に、思わずお兄ちゃんを凝視してしまった。
 お兄ちゃんは背もたれに肘を置き、その上に頭をのせて、さらりとつづける。
「お前もそろそろ年頃だろう。親父が見繕ってきた」
「見繕ってって……。お兄ちゃんもまだなのに」
 写真をつまみあげ、ぴらぴら振る。
 そうと聞いたら、持っているのも嫌になるわ。
 だって、わたしにはこんなもの必要ないもの。いい迷惑だわ。
「俺はいいの。なかなか相手が難しくてなあ。でもまあ、お前なら相手がいないこともないだろう」
 お兄ちゃんはなんだか不遜にけろっとそう言うと、わたしがつまむ写真を取り上げ、胸に押しつけてくる。
 そうされると、さすがに受け取らずにはいられず、渋々写真を持ち直した。
 だから、こういうの、持っているのも嫌なんだけれどなあ。
「ほれほれ、見てみろ」
 しかも、そう急かしてくるから仕方がない。
 とりあえず、表紙を開けるだけはしてあげるわ。
 でも、写真を見るかどうかは別問題なのだからね。
 テーブルの上にはいっぱいお菓子がのっているので、膝の上でのそりと写真を開いてみた。
 それから、視線を落とす前に、ちらっと由布くんを見る。
 すると、由布くんとばっちり目が合い、はっと気づいたようににっこり笑った。
「よかったね、あかりちゃん。うまくいくといいね」
 やわらかい笑みを浮かべ、流暢にもたらされたその言葉に、瞬間、目の前が真っ白になった。わたしの中で、何かがぷつりと切れた。
 同時に、ばっと立ち上がり、ふるふる震える体で由布くんを見下ろす。
 由布くんはあっけにとられたように、ぽかんとわたしを見上げる。
「無神経! 由布くんは、わたしの気持ちを知っているのに、どうしてそんなことが言えるの!?」
 由布くんは衝撃を受けたように目を見開き、そしてばつが悪そうにさっと視線をそらした。
 それはつまりは、由布くんは自覚があるということだね。
 自覚していて、それでいて……っ。
 ひどい、ひどすぎるよ!
 どうでもいいところではいっぱい優しいくせに、どうしてこういう重要なところで優しくないの!?
 ううん、優しいとか優しくないとかそういう問題じゃなくて……由布くんの意気地なし!
 由布くんは困ったように微笑を浮かべる。
「俺じゃあ駄目だから。あかりちゃんも、いつまでも俺になんてかまわず、そろそろ……」
 当たり障りのない言葉を探していたのだろうか、視線を戻したと思ったらそう告げようとする。
 けれど、その言葉の最後を待たずに、わたしは耐え切れなくなり、手に持っていた写真を由布くんに投げつけていた。
「由布くんの馬鹿! どうして、好きでいることも駄目なの!? わたしを好きになってとは言っていないじゃない。ただ、好きでいるだけなのに……」
 とっさに腕で顔をかばい、それは由布くんの顔にあたることはなかった。
 腕にあたり、そのままぽとんと、床に写真が落ちる。
 由布くんは驚いたようにわたしを見ている。
 そりゃあ、振り向いてくれなくてもいいって言ったら嘘になるけれど、まだ茗子ちゃんのことを忘れないうちは、それでも……。
 だって、それ以上は今の状態では望めないでしょう? だから、せめて、茗子ちゃんを忘れられるまで待つくらいは……。
 辛いけれど、我慢する。まだもうちょっとなら頑張れる、……と思う。
 そう覚悟を決めなおしたばかりだというのに、そんなことを由布くんに言われたら、わたし……。
 背で慌てるお兄ちゃんは無視して、困惑したように見上げる由布くんをにらみつける。
「お見合いなんてしないから。だってわたしは、由布くんが好きなんだもん!」
「あかりちゃん……」
 由布くんはぽつりつぶやくと、苦しそうにきゅっと唇をかんだ。
 わかっているよ、由布くんが言いたいこと。由布くんは由布くんで、苦しんでいること。わたしの好意が、余計に由布くんを苦しめることだって。
 けれど、もう無理だよ。とめられない。由布くんを傷つけるとわかっていても、もう奇麗事は言えない。
「お願いだよ、茗子ちゃんのことを忘れなくていいから、わたしを突きはなさないで。わたしは、由布くんが好きなの。由布くんじゃなきゃ嫌なの」
 きゅうと体をかき抱き、どうにかそれだけを言えた。
 やっぱり、横ではお兄ちゃんが何をどう言えばいいのか、声をかけるべきなのか迷い、慌てている。
 深くは考えず自分が持ってきたお見合い話で、こんな事態になっていることに多少罪悪感を感じているのかもしれない。
 いつもなら、お兄ちゃんをフォローをするけれど、今はそんな余裕なんてない。自分のことで精一杯。
 そもそも、わたしが由布くんを好きなのを知っていて、それでいて由布くんの前でお見合い話なんて持ち出したのだから、むしろもっともっと苦しめばいいのよ。それくらい、お兄ちゃんは罪深いことをしたのだからね!
「それでも、やっぱり駄目だよ」
 由布くんは首をふるっと横に振ると、静かにつぶやいた。
「どういうこと?」
 怪訝に由布くんを見下ろすと、じっとわたしを見てくる。
 さっと、由布くんの顔に陰りが降りた。
 それから、由布くんはぎゅっと手を握り締め、苦しげにはきだした。
「だって俺は、鳳凰院だから」
「由布……くん?」
 由布くんはまたさっと視線をそらし、テーブルの上に置いたままになっている、一口分だけかけたプリンへぼんやり視線をやる。
「あかりちゃんも知っての通り、俺が鳳凰院を裏切った事実は変わらない。そして、その名はもはや力を有していない。この名は少なからず、この世界で生きているあかりちゃんには、悪い影響を与えることになるんだよ」
 由布くんは、淋しげに苦しげに語る。
 また、わたしの中で、何かがぶちっと切れる。
 さっきからの由布くん、なんだか煮え切らない感じでいらいらする。
 もっともらしい御託ばかり並べて、核心からのらりくらり逃げているだけ。
 どうして、由布くんはわたしが欲しい返事をくれないの!?
 全部、理由をこじつけて、誤魔化しているようにしか聞こえないよ。
 まったく、由布くんは肝心なところでだめだなあ。
「そんなの関係ないよ。どうでもいいじゃない」
「どうでもよくなんてないよ」
「どうでもいいんだよ。そんなもの、わたしが蹴散らしちゃうから」
 辛そうに言葉を返してくる由布くんに、ガッツポーズをつくって得意げに笑って見せる。
 すると、由布くんは呆れたように目を細めた。
「あのね、あかりちゃん、そんなこと、無理に決まって――」
「絶対に、大丈夫」
 まっすぐ由布くんを見つめ、自信たっぷりにきっぱり言い切る。由布くんのその目を射抜くように、じっと見つめる。
 由布くんは苦しげに見つめ返してきた。けれどやっぱり、すぐにすっと視線をそらす。
 また、わたしの中で、ぶちぶちっと何かが切れた。
「由布くんの意気地なし!!」
 同時にそう怒鳴り、お兄ちゃんを突き飛ばし駆け出す。
 もう我慢できない。由布くんがあまりにもわからずやだから、頭の中が、わあわあでぎゃあぎゃあでむちゃくちゃだよ。
 とにかくもう、この場を逃げ出したかった。
「え!? ちょ、ちょっと……っ。あかりちゃん!?」
 由布くんが慌てて立ち上がり、わたしを追おうとするけれど、すぐにたじろぐように立ち止まった。
 そして、悔しそうにぎゅっと手を握り締める。
 突き飛ばしたお兄ちゃんは、今ようやく体勢を立て直した。
「本当は、茗子のことは、もう……。だけど、駄目なんだよ、俺では」
 リビングの扉を開け放った時、そうぽつりつぶやく声が聞こえたような気がしたけれど、わたしにはそれを聞き返す余裕も、たちどまる余裕もなかった。
 ただただ今は、由布くんから逃げ出したかった。由布くんを見ていたくなかった。
 このまま話し続けたら、わたし、きっと、もっとひどいことを由布くんに言っちゃいそうだから。
 リビングを飛び出してすぐに、茗子ちゃんとすれ違ったような気がしたけれど、それを確認する余裕はやっぱりわたしにはなかった。


* BACK * NEXT *
* TOP * HOME *
update:10/10/04