泣けてきちゃうよ
だって好きなんだもん

 都心の高級ホテルの上階。
 フロアの半分ほどを占領した大きな宴会場がある。
 今日はそこで、どこかの会社の創立記念パーティーが開催されている。
 お兄ちゃんのつき合いでパーティーはよく出席するから、いちいちどこのどんなパーティーなんて把握していない。
 今日だってやってきて案内板を見てはじめて、どこかの会社の創立記念パーティーってわかったくらい。
 ついてきても愛想をふりまいているだけで、仕事向きの話は一切しないからそれで十分。
 いつものように、わたしを一人置いて、お兄ちゃんはあいさつまわりに行った。
 今日もやっぱり壁の花をしようと、壁際へ移動していく。
 だって、知らないおじさんとか色目を使う軟弱男の相手をするのって面倒だし、疲れるんだもん。壁際でぼんやりしているのがいちばん楽ちん。
 まあ、それでも話しかけられたら受け答えくらいはするけれど。
 いつもはそれでも、せっかくだからお料理くらいは堪能しようとしたりするけれど、今日はそんな気にもなれない。
 だって、由布くんと喧嘩をしてから、まだ二日しかたっていないんだもん。
 こんな気分で、どうやってふりでもパーティーを楽しめるっていうの?
 由布くんに何度も連絡しようとしたけれど、できなかった。そして、由布くんからも何の音沙汰もない。
 あーあ、やっぱり、今回ばかりは、完全に呆れられちゃったかな?
 よくよく考えれば、あれは八つ当たりだったような気がしてきたし……。
 由布くん、きっと気分を悪くしただろうなあ。
 さすがにもう、嫌われちゃったかな? 嫌気がさしちゃったかな?
「金郷あかりさん?」
「……え?」
 のそりのそり壁際に歩いていると、ふいにそう声をかけられた。
 振り向くと、そこにはおっとりとした三十代前半くらいの男の人が立っていた。
 その雰囲気と相反し、仕立ての良いスーツをびしっと着こなしている。
「はじめまして、賀集院高明(がしゅういんたかあき)です」
 その男性は、すっと右手を出し、そう名乗る。
 どこかで聞いたことがある名前のような……。
「あっ……」
 つられるようにその手に手を出し、慌ててさっとひっこめた。
 だ、だって、その名前って、その名前って……!
 さっと引いた手に賀集院高明は眉尻を下げ微笑し、何事もなかったように差し出していた手をすっと引いた。
「その、急な話で驚かれたと思いますが……」
「いえ、わたしも金郷の娘です。立場はわきまえているつもりです」
 わたしの無意識のうちの無言の拒絶に気づいたのだろう、賀集院高明はとりあえずこの場を取り繕おうとする。
 わたしも、ここで下手に反応してはさらに失礼になる。
 いくら歓迎していないこととは言っても、この人に否はない。これ以上失礼なこともできないし、何事もなかったように振る舞う。
 ひきつっているかもしれないけれど、とりあえずにっこり作り笑いをして見せる。
 この対応に少しは安堵したのか、賀集院高明の強張っていた表情がゆるんだ。
「そうですか、それはよかった……。まさか、正式な場の前に、お会いできるとは思っていませんでした。実際、お会いしてもお綺麗ですね」
 賀集院高明は微笑を浮かべて、さらりとそう告げた。
 思わず、わたしの顔がひきつりそうになる。
 うわっ、歯が浮くー。
 わたし、こういうことをさらっと言っちゃう男って嫌いー。
 これじゃあ、由布くんのことがなくたって、お断りだよ。
 だって、生理的に好きじゃないんだもん。
 そう思うと、一気にこれまで抱いていた罪悪感が不思議と消えた。
 だって、嫌いなんだもん、生理的に受けつけないんだもん、これじゃあ、仕方ないよね?
 早く話を切り上げて、逃げて帰っちゃいたい。
 パートナー役で来てあげているのに、お兄ちゃんはわたしを放置しっぱなしだし。まったく失礼しちゃうなあ。
 それにやっぱり、パーティーなんて気分じゃない。
 思わず、きょろきょろ辺りを見まわし、見知った顔を探してしまう。
 知り合いがいたということにかこつけて、この場から逃げ出したい。
 うん、もちろん、立場はわきまえている、それは嘘じゃないのよ。
 金郷家の娘だもの、いつかはって、ちゃんとわかっている。
 でもでもでも、今のわたしには好きな人がいるから、割り切れないのよ。だって、わたしはやっぱり、由布くんが好きなんだもん。
 そりゃあ、望みがまったくなければ、諦めてあてがわれた人と結婚もあるかもしれないけれど、でも……。
 嗚呼、そうじゃない。そうなんだよね、百パーセントとまでは言い切りたくないけれど、望み薄にはかわりないかあ。
 由布くんを呆れさせちゃったし。
 由布くんは、まだ茗子ちゃんが好きだし。
 わたしに優しくはしてくれるけれど、まだその目に映ることはできない。
 そう考えると、むなしくなるなあ。
 なんだかわたしって、不憫っぽくない?
「あ、あの、それで、よろしければ、あちらで二人でお話でも……」
 賀集院高明は恥らうようにそう提案してくる。
 けれど、必死に顔見知りを探すわたしは、その言葉をまともに聞いていなかった。
 目のはしであちらこちら見ていると、ふいに手をつかまれ、ようやく事態をのみこめた。
 手をつかまれたかと思うと、ぐいっとひかれ出入り口へと引っ張られる。
「あ、あの、ちょっと……っ」
 慌てて、乱暴にならないように、ひかれる手を振り払うように引き戻す。
 すると、賀集院高明は振り返り、不思議そうに首をかしげる。
 どうやら、見合い話が持ち上がったというだけで、すっかりわたしとゴールインすると思い込んでいるみたい。
 人は悪くないのだろうけれど、勘違いが入っていて、強引すぎる。
 わたしが拒否の意を示すことが不思議でならないよう。
 けれど、それ以上強くは、わたしも拒否できない。
 叫びそうになった口を、必死に引き結ぶ。
 わたしには、金郷の名がある。金郷の名を傷つけることはできない。
 この程度で、無様に騒ぎ立てるなんて言語道断。
 でも、このままこの男に連れられて、二人きりで話すなんてしたくない。
 気持ちの悪いぞくぞくしたものが、体中をかけめぐる。
 拒否してはいけないけれど、拒否したくてたまらない。
 金郷という名と、気持ちの間で、ぐるぐるぐるぐるわたしの思考は駆け巡る。
「あ、あかりちゃん」
 その時だった。
 賀集院高明につかまれていた手が、乱暴にひかれた。
 その勢いのまま、賀集院高明の手からわたしの手がはなれる。
「茗子ちゃん」
 はっとして顔をあげると、少し険しい顔でわたしを見る茗子ちゃんがいた。
 茗子ちゃんが、わたしの手を賀集院高明から奪い返してくれていた。
 それに気づき、思わずふにゃっと顔をくずしてしまった。
 あれほど必死に顔見知りを探しても見つからなかったのに、どうしてここに茗子ちゃんが……?
 これは、わたしの願望が見せた幻とか?
「ちょうど良かった。あっちで一緒にデザートの食べくらべしよう。もうっ、夏樹ったら、わたしのことをほっぽったまま愛想をふりまいているのよ。失礼しちゃうわよね」
 そんなとぼけたことを考えていると、茗子ちゃんはむうと頬をふくらませ、そう不平をもらす。
 それから、賀集院高明からわたしをかばうように、さっと体を間に割り込ませた。
 茗子ちゃんが指差す方向には、たしかに夏樹さんがいる。
 出入り口辺りで、次から次に話しかけてくるおじさんたちの相手をしている。
 先ほどまで茗子ちゃんたちの存在を確認できなかったのは、まだ来ていなかったからなんだ。きっと、今来たばかりなんだね。
 ということは、今ここにいる茗子ちゃんも、幻なんかじゃない。
 ほっと胸をなでおろしていると、茗子ちゃんは妙ににっこりした笑みを賀集院高明に向ける。
「それじゃあ、ごめんなさい」
 その目は、否を言わせない威圧感があった。
 言葉をつげず、ただ圧倒されたようにそこに立ちつくす賀集院高明にさっと背を向け、茗子ちゃんはわたしの手をぐいぐいひっぱっていく。
 わたしは半ば呆然といった様子で、茗子ちゃんにずるずるひっぱられていくことしかできない。
 ふと気づき、ちらっと夏樹さんを見ると、さっと目配せしてきた。
 ああ、茗子ちゃんも夏樹さんも、わたしが困っているのに気づき、助けてくれたんだ。
 本当なら、夏樹さん、茗子ちゃんを片時もそばからはなしたくないだろうに。
 これはなんだか高くつきそうだね、と憎まれ口をたたく余裕もないよ。
 ……やだ、なんか泣けてきちゃうよ。
 どうして、茗子ちゃんも夏樹さんもこんなに優しいのだろう。
 先ほど茗子ちゃんが言った通り、デザートが並ぶテーブルの前に連れてこられた。
 それから、茗子ちゃんは盛れるだけたっぷり小皿にデザートをのせ、それをぐいっとおしつけてくる。
「あかりちゃん、嫌な時ははっきり嫌って言いなよ。黙っているなんて、あかりちゃんらしくないわよ」
 もうひとつ同じ皿をつくり、茗子ちゃんがフォークを入れていく。
 どうやら、デザートの食べくらべは、その場しのぎの誤魔化しじゃなく本気だったのね。
「で、でも……」
 茗子ちゃんはいちごを刺したフォークを、わたしの口へぐいっと押し当てる。
「わかっている。金郷の名があるから、邪険にできないのでしょう? あの人って、たしかあれでしょう? お見合い相手の……」
「え? 茗子ちゃん、どうして知って……」
 いちごをぱくりと食べ、じっと茗子ちゃんを見る。
 すると、茗子ちゃんは視線をさまよわせ、困ったように笑った。
「まあ、いろいろつてがあるのよ」
「ああ、お兄ちゃんか。お兄ちゃんが、夏樹さんに?」
 すぐにそこに思い至り、探るように茗子ちゃんを見る。
 茗子ちゃんは少し考え、こくんとうなずいた。
 それから、食べるつもりはないだろうに、小皿のチョコケーキにぶすっとフォークを刺した。
「あかりちゃん、わたしが言うのもあれだけれど、……無理しちゃ駄目だよ。今のあかりちゃん、痛々しくて見ていられないよ」
「茗子ちゃん……」
 茗子ちゃんは悲しげにわたしを見ると、すぐ横のテーブルの上にお皿を置き、わたしの背に腕をまわしてくる。
 そしてそのまま、きゅっと抱きしめられる。
「あかりちゃん、大丈夫だよ。みんな、あかりちゃんの味方だから。信じていて」
 わたしの耳元で、茗子ちゃんがそうささやいた。
 けれど、わたしにはその言葉の意図するものがわからず、首をかしげることしかできなかった。
 茗子ちゃんは一体、何を伝えようとしているのだろう?
 そんなの、言われなくてもわかっているのに。
 茗子ちゃんも夏樹さんもお兄ちゃんも、……そして由布くんも、きっとわたしの味方だってことくらい。
 何故だか、無条件にそう信じられる。
 わたしも片手に小皿を持ち、もう一方の手を茗子ちゃんの背にまわそうとした時だった。
 茗子ちゃんは、わたしの耳もとに顔を寄せたまま、ぼそりつぶやいた。
「なんか嫌な感じね」
 その言葉にはっとして、視線だけをまわりへ向けてみると、ちらちらこちらを見ながら、こそこそ話している令嬢たちに気づいた。
 たしかに、茗子ちゃんの言う通り、なんだか嫌な視線をこちらに向けている。身を寄せ合い、ぼそぼそ何かを言い合っている。
 ――そろそろかな? そろそろ、本気で仕掛けてくるつもりかしら?


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update:10/10/14