はじまりの警鐘
(1)

 ――時が刻まれはじめた。そして、歯車がまわりだす……。


 どこにでもありふれた、一般的な私立高校。
 ただひとつ異なるところは、この高校はいわゆる、良家の子息がたくさん通っている、普通でいて普通とは少し違うというところ。
 だから、その建物もどこか近未来的で、不思議な様相をしている。
 この高校の名は、『私立 翔竜崎(しょうりゅうざき)高等学校』。
 世間でも名の知れた、進学校である。
 その校舎の一角で、少女の威勢の良い声が響く。
柚巴(ゆずと)、遅い〜! おいていくよ!」
 庚子(かのこ)多紀(たき)は、柚巴より一足先に廊下を行き、そこから手を振り柚巴を呼んでいる。
 柚巴のいる方から見ると、朝日に照らされ、直視できないほど、二人の姿は輝いているように見える。
 もちろん、まぶしいと感じるのは太陽の所為ではあるけれど、柚巴の心を支配するこのまぶしさは、太陽のまぶしさだけでは説明できない。
 ――二人の内からにじみ出てくるその輝きにも、まぶしさを感じている。
 自分は持ち合わせていない、魂からのそのまぶしさに、輝かしさに、憧れを抱いているからかもしれない。
 友達にもかかわらず、どこか自分とは異なった世界の住人であるかのように、羨望の眼差しを向けている。
 柚巴という少女は、そんな少女。
「ま、待って。庚子ちゃん、多紀くん!」
 庚子のその呼びかけに我に返り、慌てて庚子と多紀のもとへ駆け寄よろうと、小走りで廊下を駆ける。
 その時、ちょうど死角からすっと現れた蒼太郎(そうたろう)と、柚巴は勢いよくぶつかってしまった。
 どしん……と、鈍い音が響く。
「あ……っ!」
 それを目撃した庚子と多紀が、やってしまった……と言いたげに小さく声を上げた。
 柚巴はよろけて、その場に倒れこんでしまった。
 そして、痛そうに腰の下をさする。
 どうやら、ぶつかってこけた時に、しりもちでもついてしまったよう。
 その倒れこんだ柚巴を、蒼太郎は助けようともせずに、仁王立ちで、どこか馬鹿にしたように見下ろしている。
「どこ見て歩いているんだ。この、のろま、ぐず!」
「ひゃっ……」
 柚巴はしりもちをついたまま思わず頭を抱え込み、そんな声を上げた。
 それを見ていた庚子と多紀は、柚巴に駆け寄り、蒼太郎に詰め寄る。
「それは、こっちの台詞だよ。どこ見て歩いているんだ、蒼太郎!」
 庚子が蒼太郎の胸をどんと押す。
 すると蒼太郎は、少しよろけ、ぎろりと庚子をにらみつけた。
 しかしもちろん、そんなことで、庚子が動じるはずがない。
 変わらず、じろりと蒼太郎をにらみつけたまま。
 ――このようなやり取りは、今にはじまったことではない。
 今までも、何度も同じようなことを繰り返している。
 どうやら蒼太郎は、柚巴をよくは思っていないらしい。
「そうそう、女の子は大切にしなくちゃ。……まあ、なかには、庚子みたいに例外もいるけれど、たいていの女の子は、柚巴ちゃんみたいにか弱いのだから」
 庚子の一歩後ろで、庚子の頭越しに、ひょうひょうと多紀が言った。
「てめ……っ。お前もつぶすぞ」
 多紀のそのような暴言を耳にし、庚子は蒼太郎から多紀へとぐるりんと頭をまわし、にらむ。
 それでも、多紀のひょうひょうとした態度は崩れることはない。
 楽しそうに庚子に笑顔を向ける。
「庚子ちゃん、多紀くん。わたしは大丈夫だから……」
 柚巴がそんな庚子と多紀の不穏な空気に気づき、仲裁に入るように慌てて立ち上がった。
 柚巴は知っていたから。
 この二人をこのまま放置して、口喧嘩がエスカレートしたその後の悲惨な結末を。
 柚巴が知る限り、彼らは過去二度ほど、口喧嘩の末引き起こされた、一ヶ月にも及ぶ、そこにいるはずのない人間<Qームをしていた。
 お互いに無視し合う……。
 それがまた凝ったもので、本当にそこにお互いが存在していないかのように、見事に相手の存在を無視しきっている。
 その間に立たされた柚巴は、たまったものではない。
 一度目はそうとは知らず、ただおろおろとしていた。
 そして二度目に、やっとそれが庚子と多紀の喧嘩の仕方だと気づき、それに至るまでにとめた方が二人のため。しいては自分のためであると学習した。
 ――だから、まだ三度目はない。
「……まあ、柚巴がそう言うなら……。――おい、蒼太郎。今度からは気をつけろよ!」
 先ほどまで、たしかに多紀と口喧嘩をしていたはずなのに、柚巴のその一言で、庚子のターゲットは、また多紀から蒼太郎へと移る。
 庚子にとって、柚巴の一声は鶴の一声らしい。
 庚子にとっての柚巴は、庚子の心を救ってくれた、唯一無二の大切な存在だから。
「それはこっちの台詞だ。そののろまなペットを、しっかりとしつけておけ。できないなら、首輪でもつけて、常に連れ歩け!」
 蒼太郎はそう言い放って、朝日に溶け込むように、そのまますたすたと廊下の向こう側へと歩いて行った。
「相変わらず、胸糞悪い奴だな」
 去る蒼太郎の後姿を見ながら、庚子がそうぶつぶつとつぶやく。
 いわば溺愛をしている柚巴を侮辱されれば、憤慨するのはごく当たり前のこと。
 いや、庚子の中では、柚巴をいじめてからかって遊んでいいのはわたしだけ≠ニいう、そんな矛盾した感情が九割方占めているのもたしか。
 柚巴と多紀は顔を見合わせ、苦笑した。
 ちょうどその時、予鈴のチャイムが、朝日の差し込む廊下に響いた。


 その日の昼休み。
 珍しく、庚子と多紀とは別に、一人で教室にいた。
 柚巴のいるこの教室は、ホームルームで、木漏れ日が差し込む中庭に面した東棟の最上階、四階のちょうど右からも左からも五番目の場所に位置している。
 この東棟は、普通教室ばかりが入っている校舎である。
 錆ついた鉄製の窓枠にひじをつき、ぼうっと窓から外を眺めていた。
 柚巴が眺める先では、早々と昼食を終えたのか、それとも午前中の休み時間のうちにすませてしまったのか、すでに男子が数人、きれいに整備された中庭で、サッカーボール相手に格闘を繰り広げていた。
 昼下がり。
 中天から少し西にずれた初夏の日差しは、とても目に厳しい。
 まぶしそうに目を細めているにもかかわらず、それでも中庭を眺めることはやめない。
「ねえ、(みやこ)さん。ちょっといい?」
 中庭を眺める柚巴の背後から、そんな声がかかった。
 柚巴が振り向くとそこには、四、五人の女子が、少し柚巴をにらむように立ち、見下ろしていた。
 物言いたげである。
 柚巴はというと、「またきたか……」とでも言いたげに、うんざりといった様子。
 ということは、この状況も、蒼太郎同様、今にはじまったことではないということだろう。
「な、なに?」
松原(まつばら)さんと、九条(くじょう)くんは?」
 一人の女子が、確認するようにきょろきょろと辺りを見まわす。
「庚子ちゃんと多紀くんは、今、パンを買いに行っているよ」
 面倒くさそうに答える。
 柚巴は、いつもおかかえシェフの作る特製弁当を持参している。
 庚子と多紀も、もちろん望めば似たようなことはできるけれど、彼らのその性格から、持ってくるのが面倒くさい≠ニいう、たったそれだけの理由で、学生食堂の一角で細々と売っている焼きたてパンを購入し、それを昼食にしている。
 もしくは、登校途中で、一般の学校の生徒のように、お店に寄ってお昼を購入……ということも、パンに飽きた時はしていた。
 だから、彼らがパンを買いに行く間は、柚巴はいつも、一人教室で待つか、一緒について行く。
 今日は、一人で教室に残ることを選んでいた。
「そう。じゃあ、さっさとすませちゃうわ。ねえ、あなた、どうしてあんな人たちとつき合っているわけ?」
「え?」
「だってそうじゃない。あの二人って、どこかおかしいじゃない? 型破りっていうか、その……あなたとは釣り合わないと思うのよ。早々に、はなれちゃった方がよくない?」
「そうそう。ねえ、わたしたちのグループに入れてあげるから、あんな人たちとは――」
「……ありがとう。でもいいの。わたしは、好きで庚子ちゃんたちといるから……。入れてもらうようなグループは、わたしには必要ないよ。――それに……庚子ちゃんも多紀くんも、いい人だよ?」
 言葉を遮るかのように、柚巴はきっぱりとそう言った。
 その目は、まっすぐと、女子たちの姿をとらえている。
 すると、もちろん……。
「な……っ! 人がせっかく誘ってやっているのに! あんた、あの二人に騙されているのよ……!」
 逆上した女子がそう怒鳴り、ばっと右手を振り上げた。
 振り上げたということは、その後の展開は容易に想像がつく。
 恐らく、それをそのまま振り下ろし――
「てめーら、何している! まさか、また柚巴に絡んでいるんじゃないだろうな!!」
 逆上した女子のその行動を目撃した庚子が、教室の出入り口付近から、教室中に響き渡るほどの大声で叫んだ。
 どうやら、庚子と多紀は、ちょうど教室に戻ってきたところのよう。
 教室中が、何事かと庚子に注目する。
 庚子の後ろでは、多紀が、相変わらずの我関せず顔で、ひょうひょうと事の成り行きを楽しむかまえでいる。
 むしろ、楽しんでいる。
 ……やはり、敵にまわしたくないタイプ。
 恐らく、ここが多紀も庚子同様、遠巻きにされてしまう所以の一つなのだろう。
「か、庚子ちゃん……!」
 ずしどしと、庚子が、机の合間をぬって柚巴たちのもとへ歩いてくる。
 そして、柚巴のもとまでやって来ると、さっと柚巴の腕を引っ張り、自分の方へ引き寄せた。
「柚巴に、少しでもおかしな真似をしてみろ! てめーらも()るぞ!」
 すごみをきかせ、女子たちをにらみつける。
「な、なんなのよ、あんた! 言いがかりはよしてよ! 本当、馬鹿じゃないの!? なんでも脅せばすむと思って。これだから、脳みその足りない奴って嫌いなのよ」
「あんたたちなんかに、好かれなくて結構」
 見下すように、庚子が女子たちを見る。
 事実、庚子は見下している。
 こういう群れをなして行動する人間を、反吐が出るほど嫌っているから。
 おさななじみの多紀の他、柚巴と出会う以前は友達のいなかった、一匹狼の庚子にとって、それはごく自然のこと。
「さっきのあれ、見ていたのよ。佐倉(さくら)くんとの一件。がらが悪いにも程があるじゃない。あれじゃまるで……」
 間が悪かったのだろう。よりにもよって、この女生徒たちに、佐倉……蒼太郎とのことを見られていたなんて……。
 彼女たちには、とにかく、何でも良いので、庚子に言いがかりをつけられるネタが必要だった。
 だから蒼太郎との一件は、女子たちに良い機会を与えてしまったらしい。
「そうそう、このクラスのいい恥さらしだわ!」
 女子たちはくすくすと嫌な笑いをはじめる。
 それも、勝ち誇ったような陰湿な笑い。
 それまでその様子を見ていたクラスメイトたちは、またはじまったというように、もう自分たちの世界に戻りはじめている。
 手をとめていた、食べかけの昼食へとまた手をのばす。
 この様子から、どうやらこれは、またしても、今にはじまったことではないらしい。
 いつもいつも、チャンスさえあれば、この女生徒たちは、庚子と多紀に因縁をつけているのだろう。
 そして、そのやり合いに、柚巴も必ずといっていいほど巻き込まれる……といったところだろうか?
「……多紀……。こいつら、つぶしてもいいか?」
 庚子は視線を送り、静かに多紀に同意を求める。
「俺はとめないけれど、殺さない程度にね?」
 頭の後ろで手を組みながら、楽しそうに多紀が答える。
了解(ラジャー)!」
 庚子は、柚巴を多紀に預け、にやりと微笑む。
 柚巴は多紀に預けられたまま、庚子をとめようと試みる。
 しかしそれは、楽しそうに多紀に阻まれる。
 このような時だけ、庚子と多紀の連携プレイが発揮される。
 柚巴はどうしようもなくなり、一人おろおろしていた。
 庚子の不敵な笑みを確認すると、女子たちはその危機を悟ったのか、たじろぎ、捨て台詞をはき、足早にその場を去って行く。
 途中、机の角にぶつかるなどしたその様子から、相当動揺しているのが見てとれる。
「暴力女……!」
 そう叫び、女子たちはいそいそと廊下を駆けていく。
「……」
 庚子は無表情で、女子たちの去った廊下をにらみ、
「負け犬の遠吠え」
ぼそっとそうつぶやいた。
「か、庚子ちゃん!」
 やっと多紀から解放され、柚巴が庚子に駆け寄る。
 すると庚子は、何事もなかったかのように、にこりと柚巴に微笑みかけた。
「ああ、柚巴。大丈夫だった?」
「う、うん。それより、庚子ちゃんの方が……」
 心配そうに、庚子の顔をのぞき込む。
 庚子は、さらににこっと微笑み、柚巴の頭にぽんと手をおく。
「わたしはいいんだよ。柚巴に何もなくて良かったよ。いい? これからは、何かあったら、必ずわたしに言うんだよ?」
「庚子は、柚巴ちゃんを愛しちゃっているからね?」
 多紀が冷やかすように、心配そうに庚子を見つめる柚巴の顔をのぞき込む。
「そういうことっ!」
 庚子は得意げに、にんまりと微笑んだ。


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update:03/04/01