はじまりの警鐘
(2)

 柚巴は、庚子も多紀も大好きだった。
 人と上手くつき合えずに悩んでいた柚巴に、声をかけたのが庚子。
 恐らく、柚巴はとても嬉しかっただろう。
 庚子は、普段噂されるほど恐ろしい人ではなく、むしろ誰よりも純粋な性質の持ち主かもしれない。
 同情でも哀れみでもない、くったくのない笑顔を柚巴に向けたのが庚子だった。
 だから、人見知りがちだった柚巴は、そんな庚子に惹かれたのかもしれない。
 そして、庚子の昔からの悪友だった多紀。
 多紀は、校内でもその名を轟かせる変わり者だった。
 その類稀な頭脳を持ち合わせていることも災いしたのか、頭はいいのに……と多紀をそしる者も少なくなかった。
 しかし柚巴にとっては、そんな多紀もまたいい人で……。
 庚子と多紀と出会ってからは、よく三人で行動するようになった。
 そのうちに、柚巴はすっかり、悪友の仲間入りをしてしまっていた。
 まわりからはあまり良くは思われていないようだけれど、それでも柚巴は、庚子と多紀が好きだった。
 柚巴にとっては、本当にいい人たちだから……。
 事実、人をあまり寄せつけようとしないこの二人が、むしろ自分たちから近づいていったのがこの柚巴である。
 二人は感じていたのかもしれない。その野性的とまでいえる勘で。本能で。
 柚巴は恐らく、彼らにとって、特別な存在になるだろうことを……。

 人に何を言われようと関係ない。
 柚巴は、庚子と多紀と一緒にいることが何よりも好き。
 二人が大好き。


「ん? どうした? 柚巴」
 教室移動からの帰り。
 午後の日差しが、南に面した廊下にオレンジ色に差し込む。
 そろそろ、時刻は夕方をさす頃だろうか。
 いつも、柚巴が庚子と多紀より一歩遅れて歩くのは当たり前だけれど、今の柚巴は、遅れるのではなく、廊下でそのまま立ち止まっている。
 少し柚巴と距離ができ、それに気づいた庚子が、振り返り、柚巴に声をかけた。
「え? ああ、うん。何でもないの。今行くね」
 上の空でそう言って、またすぐに、庚子と多紀には駆け寄らず、廊下の一点をじっと見つめる。
 柚巴たちが今いるこの校舎は、特別教室ばかりを集めた西棟と、柚巴たちのホームルームのある東棟を結ぶ、理事長室、校長室、職員室などが入った中央棟である。
 柚巴のそんなおかしな行動を見た庚子と多紀が、首をかしげる。
 そして、柚巴の視線の先に、自分たちの視線も移す。
 柚巴の視線の先には、理事長室があった。
「はりゃあ〜、めっずらしい! あれ、理事長じゃん。久しぶりに見たよ。……あれ? なんか他にもいるな……。あれは、理事長の客ってところか?」
 いつの間にやって来ていたのか、柚巴の後ろから庚子がひょこっと顔を出し、そう言ってのける。
「それにすごいよ、あの客。おつきを三……四……五……六人?七人?も連れてるいるぞ。もしかして、あれ全部、ボディガードとかいうのじゃないの?」
 またしても、いつの間にやって来ていたのか、多紀も庚子と一緒になって、柚巴の後ろからひょこっと顔をのぞかせる。
「か、庚子ちゃん、多紀くん?」
 柚巴は驚き、庚子と多紀の顔を、交互にまじまじと見つめた。
「馬鹿。全員、ボディガードなわけないだろ。あれだけ引き連れているのだから、一人や二人は秘書ってのだろ?」
「そりゃそうだな。……しかし、全員向こうを向いてちゃ、確かめようがないじゃん。こっちを向いててくれればわかるのにな。――眼鏡をかけている奴が秘書だ!」
 多紀が右手を目の上に持ってきて、遠くを眺めるような仕草をして言った。
「あんた……。どういう判断基準しているんだよ……」
 庚子は、どこか論点のずれたことを言う多紀にあきれたよう。
 どっと肩を落とす。
 そんな楽しんでいる様子の庚子と多紀とは違い、柚巴の表情はどこか沈んでいる。
 険しい眼差しを、その理事長室にやって来た客に向けている。


 放課後の女子更衣室。
 そこが、いつの頃からか、柚巴、庚子、多紀の三人のたまり場となっていた。
 何故女子更衣室なのかは不明だけれど、柚巴が、庚子と多紀と知り合うずっと前から、そこが二人のたまり場になっていたらしい。
 それに、柚巴が加わったというのが本来の構図。
 そして、この学校の更衣室は少し変わっていて、その形がL字型になっている。
 よって、つきあたり左一番奥は、出入り口から見通すことができない。
 もしかしたらこの辺りも、たまり場にした一因かもしれない。
 そして何よりも、放課後は誰もここには近寄らない。
 柚巴と知り合った頃には、すでにまわりから(うと)まれていた庚子と多紀にとって、ここは、普段の学校生活における煩わしさから解放される、絶好の場所だったのかもしれない。
「OK! じゃあ、今度の日曜にでも行こうか? なあ、柚巴も行くだろ?」
 いつものように女子更衣室一番奥を陣取り、そこで庚子が柚巴に確認をとる。
 今までの庚子と多紀の会話を上の空で聞き、ぼうっとしていた。
 だから、いきなり庚子に話しかけられ、柚巴は慌てる。
 そんなことは、庚子も多紀も気づいていたけれど、気にはしていないよう。
 柚巴がぼうっとするのは、いつものことで、これといって珍しいことではないから。
「う、うん。遊園地なんて、わたし久しぶりだよ」
 柚巴は、かすかに耳の端に入っていた会話を思い出すようにして、どうにかそう答えた。
「そうなの? 楽しみだなあ〜。柚巴の泣き叫ぶ姿」
 庚子は、にやりと嫌な笑みを柚巴に向ける。
 これは、柚巴からかいモードに入る前触れである。
 もちろん、そんなことは、柚巴は百も承知。
「もう、庚子ちゃんの意地悪! 言っておくけれど、わたし、こう見えても、けっこう絶叫マシーンには強いのよ?」
「へえ、柚巴ちゃんがでちゅか〜?」
 庚子が楽しそうに、とうとう柚巴をからかいはじめてしまった。
「そういう庚子は、それ系全般だめだよな」
 にやりと笑い、多紀が庚子を見る。
 どうやら、今回の多紀は、庚子と一緒になって柚巴をからかうのではなく、庚子を標的にしたらしい。
 多紀のターゲットになってしまったら、もう逃げることはできない。
「てめ……。多紀! お前、それは言ってはならないことだろう!」
 腰を下ろしたまま庚子が、横に座っている多紀につかみかかる。
 多紀も同様に、庚子につかみかかり、そこで小さな乱闘がはじまった。
 それを、柚巴は少し淋しそうに眺めている。
 この辺が、おさななじみのいただけないところ。
 互いの触れられたくない過去を握り、または握られ合っている。
 よって、おさななじみという存在は、気のおけない存在と同時に、気の抜けない存在かもしれない。
 ――そして、そんな三人を見つめる影がある。
 しかし三人は、そのL字型に隠れた場所から見つめる影に気づくはずもない。
「さてと。多紀いじめも飽きてきたことだし、そろそろ帰ろうか?」
 庚子はあっさりと、多紀の胸をつかんでいた手を放すと、立ち上がり、柚巴にそう言った。
「庚子。お前、俺は無視か?」
 多紀が目をすわらせて庚子を見上げる。
 そして、服についたほこりを払うようにパンパンとパンツをたたきながら、立ち上がる。
 もちろんそれは、まだ座ったままの柚巴にほこりがいってしまわないように、十分配慮されている。
 多紀という男は、こういうところにもぬかりがない。
「当たり前じゃん。わたしは、柚巴の方が好きなのだから」
 庚子はにやりと多紀を見ながら、柚巴に手を差し出す。
 手を差し出された柚巴の表情が、一瞬はなやいだ。
 そして、何のためらいもなくその手をとり、庚子の手をかり立ち上がる。
「お前、本当嫌な奴だな」
 呆れながら、多紀がじとりと庚子を見る。
「なんとでも〜。多紀に何を言われても、こたえないよ」
 庚子は楽しそうに微笑をもらす。
 言っていることはむちゃくちゃだけれど、これは彼らにとっては、一種の愛情表現らしい。
 互いに信じあっているからこそ言える暴言。
 そんな会話をしながら、柚巴たちは、女子更衣室の出入り口に向かう。
 すると、ちょうどL字の角まで来た時、三人の前に人影が現れ、立ちはだかった。
 うっすらと暗くなりはじめた更衣室にいきなり人影が現れたので、柚巴たちは一瞬、どきっと肝を冷やした気がした。
 見れば、その人影は蒼太郎だった。
 先ほどから三人を観察……もとい、監視していたのは、蒼太郎だったらしい。
 その人影が人≠セとわかり、柚巴たちは蒼太郎に気づかれないように、ほっと胸をなで下ろす。
「へえ〜、なるほど。お前たちのたまり場は、ここだったのか」
 そう言って蒼太郎は、いきなり庚子と多紀の間にいる柚巴の腕をつかみ、自分の方へ引き寄せた。
 もちろん、そんなことは予想もしていなかったので、柚巴も庚子も多紀も、驚きを隠せない。
「きゃ……っ」
「蒼太郎!!」
 庚子は、ぎろりと蒼太郎をにらみつける。
 いきなり何しやがるんだよ!!と、非難の色をあらわにして。
 しかし蒼太郎には、庚子のそんなにらみは通じていないよう。
「……しかし、もう少し場所を考えろよな。よりにもよって、女子更衣室(こんなところ)だなんて……」
 蒼太郎が馬鹿にしたように、庚子と多紀を鼻で笑う。
「てめーには関係ないだろ」
 庚子は、けっとはき捨てた。
「それに、柚巴を放せよ」
 蒼太郎は庚子の言葉は無視して、じっと自分の腕に抱く柚巴を見る。
 無視された庚子はかちんときて、蒼太郎につかみかかろうとする。
 しかし、多紀の手が庚子の腕にそっと触れ、さりげなくとめる。
 多紀はもう少し、事の成り行きを見る腹積もりらしい。
 それを庚子も、多紀のその様子を見て理解した。
 悔しそうに、腕を引き戻す。
「京。こんな奴らと、いつまでつき合っている気だ?」
 蒼太郎は、とうとう、柚巴に絡みはじめた。
 柚巴は蒼太郎の腕の中で、ぎゅっと唇をかむ。
 その時だった。
 夏だというのに黒いコートに黒いサングラスをかけた、おまけにコートの中まで黒のスーツに黒のシャツを着込み、黒のネクタイを締めた、全身黒ずくめの男が数人、どすどすと更衣室に入ってきた。
 それに気づいた四人は、ぎょっとする。
 瞬間、柚巴をつかまえていた蒼太郎の手の力が弱まった。
 その隙をつき、柚巴は蒼太郎からばっとはなれる。
 そして、庚子と多紀の腕の中へ飛び込む。
「あ……! 京……!」
 蒼太郎がそう言うか言わないかのうちに、その黒ずくめの男たちは、チャンスとばかりに、無言で柚巴に襲いかかってきた。
 その瞬間、庚子と多紀を巻き添えにはできないと、柚巴は二人を突き放し、襲いかかってくる黒ずくめの男たちをきっとにらみつける。
 だけど、そんなことで、黒ずくめの男たちがひるむはずがない。
「柚巴……!!」
 そんないつもとは違う果敢な柚巴の姿を見て、悲鳴に似た庚子の叫び声が女子更衣室に響く。
 果敢でも何でも、所詮は非力な少女が、大の男に敵うはずがない。


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update:03/04/04