告げられた計画
(1)

 神に選ばれし人の子よ。お前に、この世界の運命がかかっている――


「ん……」
 世凪と呼ばれていた使い魔に連れ去られ、気を失っていた柚巴が目を覚ました。
 おもむろに顔を上げると、目の前には、片手に弓を持ち、背には真っ白い羽をはやした、物語によく出てくる、天使のような風貌の者がそこに立っていた。
 それ以外、柚巴の目に入ってくるものはない。
 真っ白な、どこともわからない、底知れぬ不安が押し寄せてくるように感じるそんな場所で、その天使のような風貌をした者だけが、妙に青白い光を発し浮かび上がって見える。
 ――気味が悪い……。
 神々しさとともに、柚巴はそう感じていた。
 むくりと起き上がる。
 ごくりと一つつばをのみ、恐る恐る声をしぼり出す。
「あなたは……誰?」
 じっと天使のような風貌の者を見つめる。
「お前の運命は告げた。あとは、全てお前にかかっている。心して行え」
 その者は柚巴の問いには答えず、それだけを残して、すうと白に消えていった。
「……!!」
 次の瞬間、辺り一面漆黒の闇。何も見ることができない。
 柚巴は、今自分の身に何が起こっているのか理解できず、恐怖を感じた。
 ほんの少し前までは、一面白。そして、今は黒……。
 一体、何が起こっているというのだろう?
 しばらくすると、目が闇に慣れたのか、闇が薄くなったのかはわからないけれど、少しはまわりの様子を見ることができるようになった。
 そこで、少しでも恐怖をやわらげようと、何か手がかりになるものはないかと、辺りを見まわしてみる。
 するとそこは、聖堂のようなものの中なのか、彫刻が施された壁の中に、点々と存在するステンドグラスの窓に、天井にはどこか奇妙な、フレスコ画のような壁画が施されているドーム状の建物であろうことがわかった。
 天井に施された絵は、奇妙でありながらどこか美しさも感じさせた。
 この暗がりの中では、それをしっかりと見ることはできないけれど。
 女性……。それはまるで、女神のような姿かたちだとぼんやりとわかる。
 しかし、出入り口らしい扉はどこにも見当たらない。
 天井、壁、そしてステンドグラスの窓。
 柚巴のいるその空間には、それしかない。
「やっと目を覚ましたか」
 柚巴の背後でそんな声がしたので、慌ててその声の方を振り向いた。
 するとそこには、あの黒マントの長髪男、世凪が、柚巴を見下ろすようにふてぶてしく立っていた。
 不本意だけれど、世凪のそんな姿を確認すると、ほっとした。恐怖がやわらいだ。
 どんな人間……いや、この場合は使い魔だけれど、どんな者でも知っている者がそばにいれば、幾分かは救われる。気分は楽になる。
 柚巴は今、それをひしひしと感じている。
「こんなことくらいで目をまわすなんて……。本当に、お前は力がないな」
 世凪は相変わらず、柚巴を馬鹿にしたように見下ろしたまま。
「え……!?」
「それで? 一体、誰と話していたんだ?」
 座り込んでいる柚巴に目線を合わせるように、世凪は腰をまげて柚巴の顔をのぞき込む。
「誰って……別に……。――弓を持った天使のような人だったのだけれど、あれって一体……」
 柚巴は首をかしげる。
 もうすっかり恐怖は消え去ったよう。
 今は普通に世凪と会話をしている。
 柚巴のそんな言葉を聞き、世凪は一瞬狐につままれたかのような表情を見せる。
 しかし、すぐに優しげな微笑を浮かべた。
「……ばーか。床をよく見てみろ」
 そして、柚巴のすぐ横の床を指差す。
 柚巴は素直に床に目線を下ろした。
「あ……!!」
 床を見て、これまでのことを悟ったような気がした。
 そんな柚巴を見て、世凪はまたあの腹立たしい表情へ戻っていく。
「床に彫られた彫刻。お前が言っているのはそれだろう? まわりもよく見てみろ」
 柚巴が見た床には、一面、弓を持った天使を中心に、分厚い書物のようなものを持った天使やら、角やら牙のある姿のもの、天使の姿や不思議な姿をしたものが、全部で八体、描かれるように彫られていた。
 これは何かの……いや、神の彫刻である。
 柚巴はどこかでそう悟っていた。
 床に彫刻……とは、常識的に考えておかしなこと。
 何しろ、直接足で踏むのだから、その彫刻を、ましてや神の彫刻を、そんな粗末に扱うなど尋常ではない。
 しかし、床に彫刻……。それも納得できるような仕かけがここにはあった。
 彫刻と柚巴の間には空気の層のようなものがあり、それが影響して、直接彫刻と触れることはない。
 そうやって、彫刻は守られている。
 だから床に彫刻でも、この場合、まったく不思議ではない。むしろ不思議なのは、その空気の層である。
 柚巴は驚いたような、不思議そうな、複雑な表情で世凪を見上げる。
「これって……?」
「お前、本当にわからないのか?」
 呆れたように世凪が言う。
「だって……」
 わかってはいるけれど、だけどそれが事実だとは信じられないと、不安げに世凪を見つめる。
「ここに彫られているものは、全てこの世界の神だ。その中でも、お前が今いる弓を持った天使……いや、正確には神なのだが、それが最高神・シュテファンだ」
「シュテファン……?」
 柚巴は何とも言えぬ表情で、そっとその天使……最高神・シュテファンに手を触れる。
「ああ」
 世凪は無表情で、柚巴に触れられる最高神・シュテファンを見下ろす。
「じゃあ、ここは……限夢界(げんむかい)……」
 険しい顔で、ぽつりとつぶやいた。
 そして、最高神・シュテファンに触れていたその手を、ぎゅっと握り締める。
「わかっているのなら話ははやい。ほら、立ちな」
 そんな動揺しているような柚巴にかまうことなく、世凪は柚巴の腕をぐいとつかみ、半ば強引に立ち上がらせる。
「な、なに?」
 柚巴はもちろん驚き、世凪を凝視する。
「何って、行くんだよ。ぐずぐずするな」
「え……!? い、行くってどこに!?」
 訳がわからずおろおろしていると、それに気づいた世凪が、意味ありげににやりと微笑んだ。
「王子様のところ」
「はあ!?」
 柚巴はすっとんきょうな声を上げる。
 無理もない。いきなり「王子様のところ」と言われて、「ああ、そうなの……」とすぐに納得できるわけがない。
 ただでさえ、柚巴はここが限夢界であるということだけでも驚かずにはいられないのに、これから、限夢界でも王の次に位の高い、とうてい柚巴程度では一生会うことすらかなわない、そんな人のところへ行くというのだから……。
 それ以前に、何故柚巴がそのようなところに連れていかれなければならないのだろうか?
 この世凪という男、ますます訳がわからない。一体、何者なのだろうか?
 世凪は戸惑う柚巴を見て、さらに混乱に陥れる言葉を発する。
「お前は、王子様の妃になるのだよ」
 世凪は不敵な笑みを浮かべていた。
 たしかにその表情の下では、何かよからぬことを企んでいる。
 そんな誰にでも容易にわかるような表情だった。
 その時にはもう、いつの間にか暗がりから、光が差し込み、春の陽だまりのような明るさになっていた。
 世凪との短い会話の間に、さらに不思議な現象が起こっていたらしい。
 柚巴は世凪のその表情から、その言葉が嘘でないと悟り、一瞬のうちに頭が真っ白になり、顔色を失った。
 まったく、とんでもない事態になってきたものである。


 崖を背に、そびえ立つ王宮。
 どうやらここは、限夢界の中心、王のいる限夢宮(げんむきゅう)のよう。
 そして、その王宮の最奥にあたる、最も高い位置にある塔の最上階に、柚巴は連れられて来ていた。
「待って、世凪! こんなところに、わたし一人おいてどこに行くの!?」
 不安そうに、柚巴が塔の最上階の部屋から去ろうとする世凪に言った。
「心配するな。誰もお前をどうにかしたりはしない。――ただし……おとなしくここにいればの話だがな」
 世凪はそんな怪しげな台詞を残し、柚巴のもとからあっさりと去っていった。
 後に残された柚巴は、再び不安に襲われる。
 本当に柚巴は、王子様の妃にされるのかという不安。これから柚巴は、一体どうなるのかという不安――
「一体……わたし、これからどうなるの? 王子様のって、何なの、それ……。訳がわからないよ」
 そのまま泣き出してしまった。
 押さえ切れない不安が、柚巴を襲う。
 隠しきれない恐怖が、柚巴をのみ込む。
 そして、しばらくの後、柚巴がいる塔の最上階の部屋の扉が、コンコンコンコンとたたかれた。
「失礼します」
 柚巴が返事をするかしないかのうちにその扉は開かれ、一人の男が入ってきた。
 その男は、輝くような銀髪をしていて、どこか威圧的な空気をかもしだしている。
 柚巴はその男の姿を見て、びくびくと怯え出した。
 どことなく、行き着くことのない冷たさをその男に感じてしまったから。
 目が……目がとても冷たい。
 右は赤、左は銀のオッドアイ。
 右目の赤は情熱を感じさせ、一方、左目の銀は果てのない凍えるような冷たさを感じさせる。
 奇妙な色、そして印象を与える瞳である。
 しかし、その男はそんな柚巴には一向にかまわないといった様子で、たんたんと話しはじめる。
「はじめまして、柚巴さま。わたくしは、世凪さまにお仕えしております梓海道(しかいどう)と申します。以後お見知りおきを」
 男は手を胸にあて、いかにも貴族に仕える執事……といった優雅な動作で、挨拶をした。
「……」
 柚巴はその振る舞いにも驚いたけれど、どう答えればよいのかわからず、おどおどとしているばかり。
 やはりそんな柚巴にはおかまいなしに、梓海道と名乗ったその男は、反論の余地さえ与えない様子で、たんたんと事を進める。
「では早速、こちらのお召し物にお着替えください。わたくしは外で控えておりますので、着替えが終わりましたら声をおかけください」
 梓海道は柚巴に一礼をして、扉の外へ出て行った。
 冷たく、ぴしゃりと扉が閉められる。


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update:03/04/09