漁夫の利
(1)

 街外れの大邸宅。
 まわりは木々に囲まれ、もうここまでくるとちょっとした森といっても過言ではない、うっそうと生い茂る木々の中央に、その邸宅は顔をのぞかせている。
 概観も内装もかなり凝ったものになっていて、家主のセンスの良さを感じさせる。
 たとえるなら、かつて社交場として使われていた鹿鳴館のそれのようでもある。
 この屋敷からは、歴史を感じる。
「柚巴……!」
 その屋敷の玄関先。
 柚巴の姿を見るやいなや、庚子が柚巴に飛びついて来た。
 その後から、ゆっくりと多紀が歩いてくる。
「か、庚子ちゃん!?」
「良かった、無事で……」
 柚巴を抱きしめる手にさらに力が加わる。
「庚子ちゃん、苦しいよ……」
 柚巴は恥ずかしいやら少し困ったやら、複雑に微笑んだ。
「うるさい! 少し我慢してな!」
「庚子ちゃん……」
 柚巴はそっと、抱きつく庚子に触れる。
「柚巴ちゃん、もう少し我慢してやって。庚子の奴、相当心配していたから」
 半分ほど開かれた大きく重々しい扉に背をもたれかけながら、腕組みをして困ったように多紀が微笑む。
「多紀くん……」
 柚巴は確認するように多紀をじっと見つめ、優しく笑う。
「我々をみくびってもらっては困るね」
 そんな柚巴の一歩後ろに控えていた竜桐が、棒読みでそう言った。
 少しおもしろくなさそうである。
 ちらりと、柚巴に抱きつく庚子を見る。
 どうやら竜桐は、庚子のこの行為が気に入らないらしい。
 柚巴に抱きつく庚子の行為が……。
 それは半分、やきもちにも似た感情だったかもしれない。
「あ……」
 気まずそうに、多紀が竜桐を見る。
 別に多紀とて、竜桐たちをみくびっていたわけではない。
 竜桐たちなら恐らく、ちゃんと連れ帰ってくれるだろうとわかってはいたけれど、だけど、それと、この抱く感情とはまた別物である。
 どんなに大丈夫だとわかっていても、心配する気持ちはそれに比例しない。
「竜桐さん。多紀くんをからかって遊ぶのはやめてください。多紀くんも庚子ちゃんも、よく知らないのですから」
 柚巴は困ったように竜桐を見て、苦笑いを浮かべた。
「申し訳ありません。姫」
 竜桐がさらりと答える。
 しかし、表情は先ほどとまったく変わっておらず、反省したという様子はない。
 謝る……ということは、柚巴のその言葉を認めたことになる。
 すると、この竜桐という男は、わかっていてあのような発言をしたということなのだろうか?
 普段の竜桐からは想像もできない、おちゃめな一面を垣間見たことになるのだろうか?
 ……だた、その言葉は、おちゃめとは程遠いものであったことは確かだけれど。
「多紀くん、竜桐さんを悪く思わないでね? あまり愛想はないけれど、竜桐さん、いい人だから」
 柚巴がにこっと多紀に微笑む。
 悪びれることなく、さわやかにそう言っていた。
 そんな柚巴を見て、多紀はずるりと扉からずり落ちる。
 そして、頭を抱える。
「……柚巴ちゃん……」
 柚巴は、きょとんとした眼差しを多紀に向ける。
「何? 多紀くん」
「君……けっこうずばっと言うね……。わかっていて言っている?」
 少し呆れたように、柚巴をちろりと見る。
「え……!? うそ? わたし……?」
 何かおかしなことでも言ったのかな?と、柚巴はあわあわと慌て出す。
 柚巴もたいがいである。
 知ってか知らずか、かなりきわどい発言をする。
 あまり愛想がないとは、それはずばっと言い過ぎだろう。
 そこで、多紀のこのような反応が返ってきたのである。
「いいけれどね……。その方が俺は好きだし。……まあ、おおかた庚子の口の悪さが移ったのだろうけれど?」
 体勢を立て直しながら、にこりと微笑む。
 特に最後の「庚子の……」辺りからは、明らかに庚子をからかっているふうな表情と口ぶりだった。
「てめっ……多紀!!」
 それまでひしっと柚巴に抱きついていた庚子だけれど、柚巴からはなれ、多紀につかみかかっていく。
 その様子を見て、柚巴がくすくすと笑う。
 柚巴のその笑顔を確認すると、竜桐は優しげな表情を柚巴へ向けた。
「では、姫。わたしはこれで……」
 柚巴は竜桐に声をかけられ、慌てて竜桐に振り返った。
「あ! ありがとうございました。竜桐さん」
「いえ。礼には及びません。これは、わたしの仕事ですので」
 少し困ったような笑顔でそう言って、竜桐は屋敷の奥へと去って行った。
 竜桐の後姿は、どこか少し淋しそうだった。
 恐らくこの後、本来の自分の主である弦樋のもとへ、柚巴を無事連れ帰ったことを報告しに行くのだろう。
 去り行く竜桐の後姿を、小競り合いをやめ、物言いたげに庚子と多紀は見つめていた。
 そして庚子が、ぼそっともらした。
「……にしても、おっかない人だね〜。あの竜桐って人」
 もっともである。竜桐は、基本的には、必要なこと以外は話さず、そしてしない。
 ……まあ、一部例外はあるけれど。
 それは、柚巴に接する時。
 柚巴に接する時だけは、どこか優しさを感じる。
 自分の主である弦樋に接する時でさえ、このような優しげな微笑は向けない。
「でも、いい人ではあるね?」
 庚子に続けて、多紀が言った。
「え……?」
 柚巴が驚いたように首をかしげる。
 そして、しげしげと多紀を見つめる。
 柚巴にとっては、多紀のこの言葉は予想外で、意外なものだったから。
 いつも竜桐に下される他人からの評価は、『怖い人』、『とっつきにくい人』などといった、あまりよいものではなかったから。
 それを知っていたので、多紀が下した『いい人』という評価は、柚巴を驚かせるには十分だった。
 これまで、竜桐が多紀たちに接したその態度で、どこをどうとれば、果たして『いい人』になるのだろう?
「ああ。だってね、あの人。柚巴を連れ戻してくるからここで待っていろって、わたしたちを招き入れてくれたんだよ」
「竜桐さんが?」
 柚巴は狐につままれたかのような表情を、庚子と多紀へ向ける。
 あの竜桐が、他人をこの御使威家に招き入れるなど、前代未聞である。
「うん」
 庚子がこくんとうなずいた。
 どうやら、この庚子にしても、竜桐の評価は悪いものではないらしい。


 弦樋は自室の窓際に立ち、半分開けられたカーテンに触れ、自らが所有する屋敷の庭の夜の闇に揺れる木々をじっと眺めていた。
 すると、扉がコンコンコンコンと鳴り、竜桐が入って来た。
「失礼します、マスター。お呼びだとうかがいましたが?」
 扉付近に立ったまま、竜桐が弦樋に声をかけると、弦樋は無言で振り向いた。
 弦樋は険しい顔をしていた。
 それを見て竜桐は、一瞬ひるんだけれど、すぐに立て直し、冷静を装い……いや、竜桐の場合、この瞬時の間に平静に戻っていた。
 落ち着いた様子で、弦樋に確認をする。
「ご用件は? 姫なら、只今お友達とお話し中ですが……?」
 険しい表情の弦樋に、こともなげにさらりとそのように聞いた。
「ああ……。すまなかったな。手間をかけた」
 竜桐がそう言うと、弦樋はすっと表情をやわらげ、けれど苦しげに答える。
 どうやら、弦樋は険しい表情の下に、何か知れない苦しみを隠していたのかもしれない。
 それを竜桐は瞬時に悟っていたのだろう。
 さすがは、弦樋の使い魔、竜桐である。
「いえ。それはかまわないのです。姫は、我々にとっても特別な方ですから」
 竜桐はいとも簡単に、たわいもないごく当たり前のことをしたまで……と言いたげに、さらりとした表情でさらりと答える。
 そんな竜桐を見て、弦樋は軽くため息をもらした。
「では、お前も気づいているのか?」
 そして、じっと確認するように竜桐を見る。
「はい……」
 竜桐は静かに答えると、ゆっくりと弦樋に歩み寄っていく。
 気づいている……? それは一体、何に気づいているのか?
 彼らのこの会話からは、そこまではまだわからない。
 しかしそのことは、近いうちに公然の秘密となることを、まだ彼らも、会話の主役の柚巴も知らない。
「それよりも、問題はあの世凪です。何故、姫をさらったのか……。まったくもって理解不能です。あの者は、我々の世界でも謎が多く……。ただ、人並みはずれた力の持ち主だということくらいしか……」
 竜桐が顔色を曇らせる。
 そして、すでに弦樋の横にやって来ていた竜桐は、窓ガラスに右手を触れ、そのままの形でぎゅっと手に力をこめた。
 パキン……と乾いた音がしたかと思うと、竜桐が触れたその場所にひびが入っていた。
 それを、弦樋は困ったように見つめる。
 竜桐は気にもしていないように、無表情で窓の外を見つめている。
 その様子から、恐らく、これはただ事ではないのだろうということが容易にわかる。
 そして、上手い具合に話の方向転換をされてしまった。
 今回のこの誘拐騒動は、もしかしたら、とても大変なことだったとでもいうのだろうか?
 弦樋の表情は、一時やわらいだかと思ったけれど、まだ険しかった。
 何か苦しみを吐き出したいようではあったが、その立場がそれを許してくれず、必死に堪えているように感じる。
 とても辛そうである。
 体中から、それがにじみ出ている。
 そんな弦樋に気づき、竜桐もまた苦しそうな表情を浮かべた。
「……恐らく、まだ柚巴のことは諦めていないだろう。いつまた襲ってくるかわからない。しばらくの間、わたしの護衛は二、三人にまかせて、残りは全員で柚巴の護衛にまわってもらえないだろうか? ――陰からそっと……決して柚巴に気づかれぬように……」
 弦樋はじっと竜桐を見つめる。
「承知しました」
 ようやく自分の思いを表に出すことができた弦樋の言葉に、少しの間もおかず、竜桐が承諾した。
 やはり、竜桐は無表情である。
「それで、今回のことを、柚巴は何か言っていたか?」
 ほんの少し前とは異なり、弦樋はすでに威厳を取り戻していた。
 そして、先ほどまでの苦しさもそこにはなかった。
 もうすっかり、御使威家当主の顔である。
 この変わり身のはやさ。普通では信じられない。
 しかし、竜桐にも弦樋の思いが痛いほどわかってしまうので、弦樋に合わせ平静を装う。
 彼らの心の中では、今も不安が渦巻いているにもかかわらず……。
「いえ、何も……。お話ししてくださろうとはしません。――恐らく……世凪に、何かよからぬことでも吹き込まれたのではないかと……」
 竜桐は、世凪のその名を自ら口にして、また怒りがこみ上げてきたらしい。
 ぎりりと歯をかみ締める。
 そんな竜桐を、やはり少し困ったように弦樋は見ていた。
「まあ、いい。柚巴も考えがあってのことだろう。無理に聞き出そうとはしないでくれ」
 弦樋がそう言うと、竜桐は静かにうなずく。
「承知しております」
 竜桐はさらりと答えた。
 まるで、何事もなかったかのように。
「用件はそれだけだ。もう下がっていいぞ」
「はい。では失礼します」
 竜桐は一礼して、すたすたと弦樋のもとを後にした。
 そして、弦樋はまた、ぽつりぽつりと降ってきた雨のあたる窓越しに、闇夜の森を見つめる。


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update:03/04/25