漁夫の利
(2)

 御使威家の屋敷の一角には、使い魔たちの居住区が設けられている。
 屋敷のいちばん奥にあり、複雑にいりくんだ通路を通ってしか、そこへ行くことができない。
 つまりは、限られた人間だけが立ち入りを許された、特別な場所、外界から隔たれた場所ともいえる。
 御使威家のこの使い魔の秘密は、一部では有名な話だけれど、ほとんど世間では知られていない。
 また、下手に知られても困るので、このような扱いになっている。
 もちろん、使い魔一人一人に一部屋ずつ用意されているが、それと同時に、使い魔たちがくつろげるようにと、居間のようなスペースも設けられている。
 使い魔たちは自室にこもるのではなく、ここにいてくつろいでいることが多い。
 個人主義の彼らにとって、これは珍しいことである。
 やはりその辺りは、彼らの主人の性質が影響しているのだろうか。
 また、使い魔たちも本来は限夢界で暮らしているわけだから、もちろんそちらの世界にも、それぞれ大きな屋敷をかまえている。
 そんな屋敷の主人が、屋敷の一角に設けられた一部屋で満足しているのだから、彼らもなかなか殊勝なことである。
 まあ、必要がなければ、たいていはあちらの世界にいるのだから、別にそれでも不思議ではないのかもしれないけれど。
 使い魔……といっても、彼らの生活は人間のそれとさほど変わりはないので、使い魔たちにも、このような同様の空間が用意されているというわけである。
 そして今も、使い魔たちはそこに集い、何やら語り合っていた。
 そこへ竜桐が戻って来た。
 相変わらず、その顔に表情はない。
「あ……。竜桐さま。マスターのご用は終わりましたか?」
 戻ってきた竜桐に気づき、麻阿佐が他の使い魔たちとの談笑を中座して、竜桐に話しかける。
「ああ……」
 竜桐はどこか上の空である。
 そんな竜桐を見て、麻阿佐は首をかしげた。
「竜桐さま?」
 心配そうにすすすと竜桐に近寄り、顔をのぞき込む。
「なんでもない」
 竜桐は気まずそうに麻阿佐の顔を手で押しのけた。
 そしてすぐに、うかないその表情を、きっとしたひきしまった顔に戻す。
「お前たちに、話しておくことがある」
 談笑していた使い魔たちは、竜桐の言葉を聞き一斉に話をやめた。
 そして、竜桐に集中する。
 麻阿佐も、すっと使い魔たちのもとへと戻っていく。
 竜桐はソファに腰かける使い魔たちを見下ろした。
「新たな指令が下った。これから、二人を残し、残りは全て姫の護衛につく」
 使い魔たちは、一斉にざわつく。
 それぞれ顔を見合わせるなどしている。
「竜桐さま……。それは一体……」
 都詩が怪訝な顔で竜桐を見る。
 竜桐はそれに気づいたけれど、あえて知らぬふりをした。
 これから竜桐が語ろうとしていることを思えば、それが彼にとっての自然な行動なのだろう。
「お前たちも知っているだろう? 姫が世凪にさらわれたことは……」
「ええ、それでわたしたちは限夢界へ……」
 都詩は何を今さら……とでも言いたげに、顔をゆがめる。
 しかし、そんなことで表情を崩す竜桐ではない。たんたんと話を続ける。
「そして、世凪のことだから、まだ諦めてはいないだろう。そこで、しばらくは姫の護衛にまわることになった」
「ですが、それではマスターの護衛は……!?」
 身を乗り出し、衣狭が竜桐を凝視する。
 衣狭の横にいた都詩がさっと衣狭の袖をつかみ、それ以上身を乗り出さないようにと制止する。
 衣狭は不満げに都詩を見る。
 そんな二人を見て、竜桐は心を決めるようにうなずいた。
「大丈夫だ。都詩と衣狭は、マスターの護衛を」
 指名された都詩と衣狭は顔を見合わせ、一呼吸おいた後うなずき合う。
 竜桐からのその命令はいささか不服ではあるけれど、その尋常ならざる現在の状況を竜桐の表情から読み取ることができたので、瞬時にこの命令は適正なものだと判断できた。
 また、柚巴が世凪に狙われていることも、言われなくてもわかっている。
 だから二人の答えは決まっている。
「承知」
 都詩と衣狭は、力強くそう答えた。
 竜桐は二人の返事を確認すると、次は由岐耶たちの方へと体を向けた。
「そして、由岐耶、亜真(あしん)(たすく)は、わたしと一緒に姫の護衛にあたる」
 由岐耶も亜真も祐も真剣な眼差しでじっと竜桐を見つめ、また竜桐も彼らを見つめ返した。
 しかし、ここで腑に落ちないのが麻阿佐である。
「ちょ、ちょっと待ってください! では、わたしは……!?」
 麻阿佐が自分だけ名前を呼ばれなかったことを不審に思い、竜桐につめ寄る。
 つめ寄られてもなお、竜桐は冷静である。
 すっと、由岐耶たちから麻阿佐に視線を移す。
「お前は、まずはその傷を治せ。世凪にやられたばかりだろう」
 竜桐は呆れたように麻阿佐を見て、ぴっと人差し指で麻阿佐の傷を示した。
「あ……」
 麻阿佐はそこではじめて、自分がひどい傷を負っているということを思い出した。
 正しくは世凪ではなく、その従僕の梓海道だけれど、この場合はどちらでもいい。
 だた麻阿佐の負っている傷は、あちらこちら梓海道の爪に切り裂かれ、ひどい状態であることだけは事実。
 目に見える場所、ほとんどは包帯で覆われている。
 いささか大げさではあるけれど、これくらいしないと、この無鉄砲な麻阿佐はちっともそれを反省しない。
 それをわかっている使い魔たちに、わざと包帯ぐるぐる巻きにされてしまっていた。
 そして、この麻阿佐が暴走すると、事態がさらにややこしくなると誰もが知っている。
 たかが従僕ごときに、限夢界でも力のある方である麻阿佐がここまでやられるとは、梓海道の力は相当なものだろう。
 ……いや、梓海道ではない。
 従僕の力は従来、その主人の力に比例するものなので、世凪の力が普通ではないということになる。
「いいか。これは重大な任務だ。絶対にこのことは姫には気づかれてはならない。もちろん、その友人たちにもだ」
 竜桐が有無を言わせぬ態度で使い魔たちを見まわす。
 竜桐に見られた使い魔たちは、ごくりとつばを飲み込んだ。


「待ってください。竜桐さま」
 竜桐が自室に戻ろうと居間から廊下に出ると、その後を慌てて由岐耶が追いかけてきた。
 他の使い魔たちはまだ居間にいて、じっと何やら考えこんでいるようである。
 もちろん、彼らが考えていることは、今回の世凪の一件である。
 竜桐は立ち止まり、由岐耶へと振り返る。
「どうした? 由岐耶」
 由岐耶はためらうことなく、詰問するように竜桐に聞いた。
「竜桐さまがあそこまで言って、しかもマスターがそれをお許しに……いいえ、この場合は恐らく、マスターがおっしゃったのでしょうが、姫さまを守れ……ということは、この裏にあるものは、世凪だけではないのですね? そして、竜桐さま自ら姫さまの護衛にあたられるなど、どうも合点のいかないことが多すぎます」
「……」
 竜桐は威圧的に由岐耶を見下ろす。
 その態度は、お前は今、聞いてはならないことを聞いた。いいか。今ならまだ間に合う。その質問はなかったことにしろとでも言っているようである。
 たしかに竜桐にとっては、今はまだ触れられたくないことだった。
 しかし、由岐耶も負けてはおらず、竜桐に劣らぬ迫力で見つめ返す。
 じっと、無言で見つめる。
 由岐耶は何が何でも、竜桐からその答えを聞き出すつもりらしい。
 それは自分のためではない。柚巴のためである。
 柚巴をあらゆる危険から遠ざけるために、由岐耶には竜桐が隠しているだろうその情報が必要だった。
「……やはり、由岐耶は誤魔化せそうにないな」
 とうとう根負けしてしまったのか、ため息まじりに竜桐が言った。
「では……!」
 由岐耶の表情がさらに険しくなる。
「いいか。これは、他の者たちには黙っているのだぞ?」
「はい……」
 由岐耶は竜桐のその険しい表情を見て、息を飲む。
 真剣な眼差しを竜桐に向ける。
 その表情を見なくとも、この問いの答えは、決して外にもらしてはいけない重大なことだとはわかっているけれど、あらためて、その重大さに気づいてしまった。
 竜桐は一呼吸おいて、由岐耶に話しはじめる。
「姫は、今は何のお力もないが、いずれ必ず、我々を凌ぐ力の持ち主となる。わたしには、そう思えてならないのだ」
「それは、どういう……?」
 由岐耶は竜桐のその言葉を聞き、気の抜けたような、だけど目を見開き竜桐を凝視する。
 由岐耶には、竜桐が言っている言葉の意味がわからない。
「そこまではまだわからない。しかし、これはマスターの命令でもあるから、決して失敗は許されない」
「はい。それは承知しています。しかし……姫さまに、そのような力がおありだったか……?」
 由岐耶は納得がいかないというように首をかしげる。
「そのうち、お前にもわかる」
 竜桐が静かに言った。
 そして、じっと由岐耶を見つめる。
 由岐耶はやはりまだ納得がいかないようだけれど、無理やり納得することにしたらしい。
 きっと(くう)をにらみつける。
 そしてまた、竜桐に視線を戻す。
「……ところで、竜桐さま。今回、麻阿佐を任務からはずしたのは、怪我が原因ではありませんね?」
 また詰問するように、由岐耶が竜桐に聞いた。
 すると竜桐は、今度は案外簡単に、どこか困ったように答える。
「麻阿佐は、世凪とみると見境がなくなり、暴走するからな」
 由岐耶は竜桐のその竜桐らしからぬ表情と言葉に驚いたようだけれど、すぐに肩を落としてしまった。
「ああ……。あいつは、世凪を毛嫌いしていますからね。……まったく、いつまでたっても困った奴です」
 竜桐と由岐耶は目を合わせて、苦笑いを浮かべる。
 どうやら麻阿佐は、竜桐だけでなく由岐耶までも困らせているらしい。


 夏の休日。
 夏休みも、もうそこまでという日。
 かなり日差しも強くなってきている。
 照りつける太陽は、容赦なく地上を焦がしている。
 柚巴、庚子、多紀の三人は、先日あのたまり場、女子更衣室で約束したことを、遊園地に実行しに来ていた。
 その遊園地は街外れに位置しているけれど、休日ともなると、家族連れや、柚巴たちのような若者のグループでにぎわっている。
「姫さまは何を考えておられるのだ? 夏の、しかも休日。こんなところへ来られては、我々が警護しにくいではないですか」
 遊園地内にところどころ植えられた木の陰に身を寄せ、ぶつぶつと祐がぼやきはじめる。
 太陽はまた、区別することなく彼にも降り注いでいる。
 暑そうに額から流れ落ちる汗をぐいっとぬぐう。
 どうやらこの暑さも、彼をぼやかさせずにはいられなくしているらしい。
 ……元来、使い魔には、そのような概念はないが、体は反応するようである。
「まったく、お前は本当にすぐぼやく。いい加減にしないと、そのうち、愛想をつかされるぞ?」
 由岐耶が現れ、呆れて祐に声をかけた。
 どこからともなく、いきなりそこへすっと現れた。
 これは、人間にはなく彼らだけが持っている特殊な力の一つ。いわゆる、瞬間移動というもの。
「うるさいな〜。一体、誰が愛想をつかすって?」
 祐はもう我慢の限界とばかりに、不機嫌に由岐耶をじとりと見る。
「マスター。竜桐さま」
 祐の横で涼しい顔をしていた亜真が、さらりと言ってのけた。
 亜真もまた、いつの間にかそこにいた。
「……亜真……」
 由岐耶はさらに呆れてしまった。
 肩を落とし、頭を抱える。
「お前たち、遊びはそれくらいにして、しっかり姫を見ていろ」
 さらにそこへ竜桐がやって来て、三人を諭す。
 別に遊んでいたわけではないのだけれど……。
 ただこの暑さにやられぼやいていた祐を亜真がからかい、由岐耶がいさめていただけなのだけれど……。
 しかし竜桐にとっては、それは同じことである。
 三人寄って話していれば、それはもう遊んでいるということになる。
「それに、姫は我々が護衛をしていることをご存知ない。……知る必要もないがな」
 竜桐はきっと視線を遠くへ移す。
「わかっていますよ〜」
 そんな竜桐を見て、祐が気のない返事をした。
 竜桐と由岐耶は、目線をかわし苦笑いをする。
 亜真は相変わらず一人、涼しい顔をしていた。
 やはり彼らを焦がす太陽は、その勢いを衰えることはない。


「柚巴、こっち! 今度はこれに乗ろう!」
 庚子が手招きしながら、柚巴の名前を呼ぶ。
 太陽の日差しを体いっぱいに浴びているにもかかわらず、庚子のその表情は、さわやかでいっぱいだった。
 まるで暑さなど知らない、子供のように。
 庚子の指差す方向には、『イッツ・ア・スモール・ワールド』を歌いながら、メリー・ゴー・ラウンドが楽しげにまわっている。
 白馬やかぼちゃの馬車が、くる〜りくる〜りとまわっている。
「げ……っ。マジであれに乗るのか? 俺はご免だ」
 庚子が指差す先のメルヘンな乗り物を確認して、多紀がうなだれた。
 そんな多紀を見て、庚子はむっとする。
 もちろんその間に立たされた柚巴はうろたえている。
 どちらにつけばよいのか、はたまたどちらにもついてはいけないのか……。
「わかっているよ。誰もあんたなんか誘っていないだろ? 多紀はそこから写真でも撮っていな」
 庚子は使い捨てカメラを多紀に放り投げた。
 それをすかさず多紀がキャッチする。
 そして、これみよがしに、大きなため息をふうっともらす。
「か、庚子ちゃん」
 柚巴が慌てて庚子に声をかける。
 しかし庚子も、この後柚巴が何を言おうとしているのかわかっているので、柚巴の言葉は無視して、ぐいぐいと柚巴をメリー・ゴー・ラウンドの乗り場まで引っ張っていく。
 その様子を見て、多紀がカメラでぽんぽんと肩をたたき、ぽつりとこぼした。
「まったく、庚子は子供なのだから……」


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update:03/04/30