崩れゆく信頼
(1)

 御使威家邸宅。
 そこの一室で、弦樋は机の上に肘をつき、手を組み、その手に自分の額を押しつけ、沈黙を続けていた。
 何やら苦悩しているような、そんな苦々しい面持ちで。
「マ、マスター……」
 竜桐が少しの戸惑いをにじませ、苦しそうに呼びかける。
 しかし、弦樋はその体勢を保ったまま、ぴくりとも動こうとしない。
 それがまた、竜桐にいっそう苦しそうな表情をさせる。
「申し訳ありません。これは、完全に我々の落ち度です。いかようにもご処分ください」
 竜桐がそう言葉をしぼり出すと、その部屋全体に重苦しい空気が流れ、沈黙が続く。
「……」
「はい? マスター、今何か……!?」
 絃樋の口が微かに動いたような気がした。
 それを竜桐は見逃してはいなかった。
 弦樋の言葉を聞き取ろうと、弦樋の口もとに自分の耳を慌てて近づける。
 その竜桐の動作に気づき、弦樋はふうと大きなため息をひとつつき、顔を上げ、そして目を閉じた。
「いい。今は処分はなしだ。とにかく、柚巴を助け出すことが先決だ」
 弦樋は組んだ自分の手にまた額を押しつけ、ぼそりと言った。
 その様子を見て、竜桐は苦しそうに顔をゆがめる。
 それは明らかに、自分自身を責めても責めきれない……と、抱えきれない責任感にさいなまれているようで、見ている方も胸が苦しくなるようなそんな表情だった。
 今弦樋が抱いているその心の中の声にならない慟哭(どうこく)が、竜桐たちの頭に直接響き、訴えかけているようだった。
 竜桐も弦樋同様、その苦しみに支配されそうになるのを必死でこらえ、冷静を装う。
「はい。承知しております。今、亜真に気をたどらせて、由岐耶と祐には捜索にあたらせています」
 竜桐のその態度に合わせ、弦樋もまた冷静を装う。
 弦樋には、人前で、そして使い魔たちの前で、その苦しみを吐露することは許されていない。
「そうか……」
「あ、あの……!」
 こんな空気であるから、さすがの麻阿佐も、その場の空気がよめないほど鈍くは、馬鹿ではないので、そんな二人に遠慮しながらおずおずと声を出す。
「なんだ? 麻阿佐」
 すっといつもの無表情に戻り、竜桐が冷たく麻阿佐に聞く。
 すると麻阿佐は、一瞬のためらいの後、一呼吸おいて、意を決したかのように半分叫ぶように言った。
「あの……わたし、思うのですが、これはまた世凪の仕業では!?」
「……」
 弦樋と竜桐はじっと麻阿佐を見つめる。
 その目の色は、どこかさめたものだった。
 それに気づかず、麻阿佐は続ける。
「世凪が犯人ならば、ここでこんなことをしているよりも、限夢界に行った方が早いのではないでしょうか!?」
 麻阿佐がもっともらしいことを言う。
 真剣な眼差しで、期待に満ちた顔で、弦樋と竜桐の答えを待つ。
 麻阿佐は、自分の意見に、もちろん竜桐も同意するものだとふんでいる。
 しかし、先ほどの反応からもわかるように、竜桐の答えはそれを覆すものだった。
 決して同意するものではない。
「……犯人は、恐らく世凪ではない。奴はこんな手の込んだことなどせずに、もっと簡単に連れ去るだろう」
 竜桐の冷たい視線が麻阿佐に注がれる。
「しかし……!!」
「いい。お前はもう下がっていろ」
 食い下がる麻阿佐相手に、竜桐は疲れたように顔をゆがませた。
 それを見た麻阿佐は、さらに食い下がる。
「竜桐さま!!」
「下がれと言っているのだ!」
 竜桐が語気を荒げた。
 さすがにこうなると、麻阿佐も部屋を後にしないわけにはいかない。
 渋々と部屋から出て行く。
 そして部屋を出ると、ばんと乱暴に扉を閉めた。
 この辺が、麻阿佐が子供だと言われる所以である。
 そんな麻阿佐が去った扉を、困り顔でじっと竜桐は見つめていた。
「……竜桐さま、今のは少し……」
 麻阿佐が完全に去ったことを確認し、その気配すら近くにないことを認め、都詩が竜桐に困ったような目線を送る。
 この時にはすでに、竜桐はいつもの無表情に戻っていた。
 さすがは、いつも冷静沈着な竜桐である。
 まあ、これだからこの竜桐という男は、冷たいやら、冷めている……やらといった、あまりよい印象をもたれないのだろうけれど。
 竜桐という男は、どこか優しさに欠ける。
 ――そう、柚巴と、そして時折、弦樋を除いては……。
「いい。わかっている。しかし、麻阿佐は世凪に執着しすぎている。少しは頭を冷やさせねばならない」
「……そうですか……」
 納得がいったようないかないような、複雑な表情で都詩がつぶやく。
 たしかに麻阿佐には、世凪に執着するところがある。
 それを都詩も認めていたが、それにしても、今回のこの竜桐の麻阿佐に対する態度は、いささか厳しいものではないだろうかと、怪訝にも感じている。
「しかし、世凪ではないとすると、他には誰が……?」
 そんな都詩を半分無視するかのようなかたちで、衣狭が言葉をはさんできた。
 今の衣狭にとっては、麻阿佐がかわいそうがかわいそうでなかろうが、どうでもいい。
 衣狭にとってもっとも大切なことは、いかにして柚巴を見つけ、救出するか……ということ。
 竜桐や由岐耶、麻阿佐だけでなく、衣狭にとっても、柚巴は特別な存在だから。
 いや、弦樋に仕える使い魔にとっては、例外なくそうだろう。
 それは、娘のようであり、そして時には、友人、恋人のような、それぞれ抱える感情は違えど、誰もが柚巴を大切に思っていることは間違いない。
「……あと、予想ができるのは、佐倉のところの後継ぎと、鬼導院(きどういん)の……」
 衣狭の言葉を聞き、都詩が思い当たるところをあげるようにぼそっと言った。
「それだ!!」
 竜桐が、彼には不似合いな程声を張り上げて叫んだ。
「え? そ、それとは!? 竜桐さま?」
 目を真ん丸くし、都詩が慌てて竜桐に聞いた。
 自分のつぶやきに予想以上の反応を竜桐が示したので、かなり驚いている。
 竜桐は都詩の驚きや言葉を無視して、弦樋の方を向く。
 そして、確認するかのようにじっと見つめる。
「マスター! 奴らは、鬼導院家の奴らはたしか……!!」
 弦樋もその言葉を聞き、がばっと顔を上げた。
 そして、そこにいた使い魔たちをにらみつけ、叫ぶ。
「それだ! すぐに捜索にかかれ!」
 使い魔たちの表情が一瞬にして変わった。
 彼らも、弦樋と竜桐が言わんとしていることを、瞬時に悟ったらしい。


「なんだあ〜? 一体、この騒ぎは……」
 訳がわからないといったように首をかしげ、辺りを見まわしている。
 御使威家の玄関ホール。
 そこでぷかぷかと宙に浮く世凪。
 どうやら、性懲りもなく、またこちらの世界にやって来たよう。
 そこへ、少し慌てた様子の竜桐がやって来た。
「おい、竜桐。この騒ぎは、一体何だ!?」
 世凪はすかざず、竜桐の腕をつかむ。
 すると竜桐は、うっとうしそうに世凪を見上げる。
 もちろん、それに蔑みの色をおりまぜることを忘れてはいない。
「放せ! 今はお前の相手をしている暇はない!」
 竜桐はそう言って、世凪のつかむ腕を振り払おうとする。
 しかし、容易に振り払うことはできず、世凪につかまれたまま。
 苦々しく世凪をにらみつける。
「……話せ。一体、何があった?」
 そんな竜桐相手にもまったくひるんだ様子なく、世凪は逆にすごんで竜桐をにらみつける。
 そして、すっと地面に降り立った。
「お前に話すことは何もない」
 わかっていたことではあるけれど、時が時なだけに、その世凪の偉そうな態度に、竜桐は一瞬かちんときた様子だった。
 しかし、ここでまともに世凪の相手をするほど馬鹿でもないので、静かに口を開き、さっと世凪の手を振り払う。
 そして、またばたばたと屋敷の奥へと駆けていった。
「世凪さま……。この騒ぎは、一体……?」
 去り行く竜桐を怪訝そうに見る世凪の後ろから、梓海道がすっと現れ、声をかけた。
 世凪は竜桐の去っていった方向をじっと見つめながら、ぽつりとつぶやく。
「これは……何かあるな。調べろ、梓海道」
 一瞬にして、世凪の表情は険しくなる。
「かしこまりました」
 梓海道はそれが当たり前かのように表情一つ変えず、一礼したままの姿ですうっと姿を消した。
 ざわつく御使威家の玄関ホールには、何やら考え込む世凪だけが取り残されてしまっていた。


 名の知れた高級住宅街。
 その一角に、鬼導院の屋敷はあった。
 それはさながら、京都の高級料亭を感じさせるような日本家屋である。
 その屋敷はかなり古い屋敷なのか、地下には座敷牢があった。
 しかしそれはトップシークレットらしく、よほどこの屋敷に精通した者しかその存在を知ることはない。
 どうやらこの座敷牢は、この屋敷の持ち主のちょっと特殊な趣味からつくられたもののようにも感じる。
 その座敷牢に、柚巴と庚子、多紀は閉じ込められていた。
 じめじめとした湿気臭さが、やけに鼻につく。
「ちくしょう! 一体いつまで、わたしたちをここに閉じ込めておく気だよ!」
 どうやら、かなり長い時間そこに閉じ込められているらしく、庚子がとうとう我慢ができなくなったのか、いらいらしはじめた。
 どんと、牢の鉄格子を蹴る。
「ごめんね……。庚子ちゃん、多紀くん……。わたしのせいなの。わたしのせいで、二人とも巻き込んじゃって……」
 そんないらだつ庚子を目の当たりにし、その罪悪感から柚巴は泣き崩れてしまった。
「ゆ、柚巴! そういう意味で言ったのじゃない。誰もあんたのせいだなんて思っていないよ!」
 慌てて庚子が柚巴に駆け寄り、抱き寄せる。
 そして、苦しそうに切なそうに表情をゆがませる。
「ごめんね……。ごめんね……」
 柚巴もしゃくりあげながら庚子に抱きつく。
 そんな柚巴を、庚子は大切そうに見つめる。
 その時だった。
 ぎしぎしと床がきしむ音がして、座敷牢がある地下の部屋に、数人の男が入ってきた。
 そして、小太りの脂ぎったいやあな顔の男が、柚巴の姿を確認し、にやりと微笑んだ。
 そのにやりと笑う顔がまた、この男の陰湿さをよく表現している。
「やあ、お目覚めのようだな。御使威家のご息女さま」
 そう言ったのは、にやりと微笑んだ、数人の男たちが並ぶ一歩前に出た、その小太りの中年男である。
「……鬼導院……」
 その男を確認し、柚巴が苦々しくつぶやいた。
 そして、すっと庚子を引きはなす。
 庚子は、そんないつもとは少し様子の違う、ぴりぴりとした柚巴を不思議そうに見つめる。
 多紀は牢のいちばん奥の壁にもたれかかり、きっと鬼導院をにらみつけている。
「やはり、あなただったのね。おおかた、わたしをさらって、父を思い通りに操ろうという魂胆でしょう?」
 柚巴は鬼導院をにらみつける。
 目をそらすことなく、鬼導院をとらえ続ける。
 その目には、その顔には、先ほどまで、庚子にすがり泣いていた様子はもうない。
「ご名答。そこまでわかっているのなら、おとなしくしていていただこうか」
 悪巧みを簡単に見破られても、あくまでひょうひょうと悪びれもせず開き直る。
 柚巴はそんな鬼導院に非難の眼差しを向け、何かを悟ったかのように口を開いた。
「……いいわ。おとなしくしていてあげる。だけど……二人は放して。この二人は関係ないでしょう?」
 そう言った柚巴は柚巴には似合わず、どこか鬼導院を見下したような目をしていた。
 しかし、鬼導院にはまったくこたえてもいないし、通じてもいない。
「……御使威家では珍しく、何の力も持たないお前のような小娘に、何を言われようが怖くはないな」
 くくくっと、鬼導院は笑う。
 明らかに柚巴を挑発している。
 しかし、柚巴も負けてはいなかった。
 そんなあからさまな鬼導院の挑発にはのらない。
 逆に、柚巴が鬼導院を挑発しはじめる。
「へえ……。あなた、あんなでまかせ、信じていたの?」
 今まで決して見せたことのないような、不敵な笑みを浮かべた。
「考えてもみなさいよ。力のある人間が、自らの力を誇示すると思う? ことわざにもあるでしょう? 能ある鷹は爪を隠すと……。あの噂はね、わざと流したのよ」
 くすくすと、ついには馬鹿にするように笑い出した。
 そして、つづけて、「あ〜っはっはは!」と高らかに笑う。
 鬼導院はぎりりと歯をかみ締め、悔しそうに顔をゆがめる。
 予想外の柚巴の不遜な態度に、鬼導院は計画を崩されたようである。
 ここまできたら、もはやハッタリの勝負ともいえよう。
 どちらが先にボロを出すか……ただそれだけの勝負のように感じる。
 しかし、この時の柚巴はどこか違っていた。
 ハッタリなどではなく、演技をしているのでもない。
 恐ろしいことに、それがまぎれもなく真の姿のようだった。
 その柚巴の様子は、庚子と多紀をとりとめのない不安に陥れることになる。


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update:03/05/09