崩れゆく信頼
(2)

「ゆ、柚巴!?」
 庚子が困惑したように、牢の真ん中で不敵な笑みをもらし、ふんぞり返る柚巴の顔をのぞき込んだ。
 顔をのぞきこまれても、柚巴はまったく気にとめていないようで、無反応である。
 普段の柚巴では、とうてい考えられない。
 このような場合、柚巴ならば、必要以上のリアクションを見せるはずである。
 しかし、柚巴のリアクションはない。
 おろか、庚子のことすら気にとめていない。
 庚子は、とりとめのない不安に襲われる。
 こんな柚巴は、今まで見たことがない。
 これは、庚子が知る柚巴ではない。
「それにね、別にわたしは、本当は誰が巻き込まれようと関係ないの。そう……。わたしさえ無事でいればね」
 ようやく柚巴が庚子の顔を見たかと思うと、どこか嫌な感じのするにやりという笑みをのぞかせた。
 庚子の背に、ぞくっと悪寒が走る。
 柚巴がとても恐ろしくなった。
「わたしは、むかえが来るまで、しばらくここでくつろがせてもらうわ」
 そう言って柚巴は、そのまま牢の真ん中の床にどかっと座り込む。
 その横で、庚子は立ちつくしていた。
 呆然と柚巴を見下ろす。
「ゆ、柚巴……!?」
 庚子が動揺しはじめている。
 おろおろと、柚巴に触れようと手をのばす。
「う、嘘だろ? まさか、あの柚巴がそんなことを言うなんて……!?」
「さあ? どうかなあ〜? 嘘だと思うなら、そう思ってくれても一向にかまわないわ」
 のばされた庚子の手をぱしっと払い、柚巴は多紀顔負けのひょうひょうとした態度でそう言ってのける。
 その様子を見ていた鬼導院が、舌打ちをした。
「くそ……。これでは、こいつらも一緒にさらった意味がないではないか! かまわん。お前たち、許す。こいつらを解放しろ!」
「し、しかし、旦那さま……!」
「かまわん! どちらにしても、用があるのは御使威の娘だけだ!」
 そう言った鬼導院の顔には、たしかに焦りの色が見える。
 どうやら、どうしても柚巴が言うことを聞かない時のために友達もさらい、その友達の安全と引き換えに、柚巴に言うことをきかせようとしていたらしい。
 しかし柚巴には、一向に友達を思いやる気配がない。
 それどころか、自らその友情を放棄してしまっている。
 そこで、カードを奪われた鬼導院は、動揺する。
 悪役のはずであるのに、人を疑うということを知らない。
 とんだ間抜けな悪役である。
 鬼導院の命令通り、庚子と多紀が、渋々鬼導院の命令をきく部下たちによって解放される。
「柚巴……?」
 牢から出された庚子は、振り返るようにして柚巴を見つめる。
 しかし、柚巴は庚子と目を合わそうとはしない。
 一人牢の真ん中に座り、口笛すら吹いている。
「あら、良かったじゃない? 解放してもらえて。どうせ、あなたたち二人がいても、邪魔なだけだもの。何の役にも立たないのだから」
 小悪魔的な表情を浮かべ、ころころと笑う。
 あまつさえ、口元に手を持ってきて、女王さま笑いに転じる始末。
「だとさ、お嬢さん。ほら、さっさとしな! でないと、放してやらないぞ!」
 鬼導院の部下の一人が、乱暴に庚子を地下室から連れて行く。
 それに続いて、多紀も地下室から連れられ出て行く。
 それを横目でちらっと見届け、柚巴は馬鹿にしたように鬼導院を見る。
「案外、簡単に解放するのね? 鬼導院さん。いいの? あの二人を解放したら、ばれちゃうかもよ? あなたがわたしをさらったって」
「そんなものは、もうすでにばれているだろう?」
 おもしろくなさそうに、鬼導院がはき捨てた。
「それもそうね」
 楽しそうに柚巴が笑う。
 事実、柚巴と鬼導院の言うとおり、御使威側にばれていないはずがない。
 何しろ、御使威家には、あの優秀な使い魔が七人もついているのだから。
 今回の誘拐がばれないはずがない。
 そこまでよめていてもなお、柚巴をさらうとは、よほど勇気があるのか、それともよほどの馬鹿か――
「それにしても、驚いたよ。まさか、あの御使威のお嬢様の本性が、このようなものだったとはな」
 鬼導院は顔をひきつらせながら、牢の鉄格子の一本を悔しそうにぎりりと握り締めた。
「あら? これも一つの処世術よ?」
「まったく、たいした女だ」
 そう言って、鬼導院はそこに残っていた部下に目配せをし、部下たちを引き連れ去って行った。
 また、ぎしぎしと、その湿った地下室に床板が鳴る音が響く。
 それを見送り、柚巴がほっと小さなため息をもらした。


 再び、御使威家邸宅。
 相変わらず、あちこちで使用人たちがばたばたと駆けまわっている。
 これといって何ができるわけでもない。
 進展があるはずもない。
 それにもかかわらず、走りまわる使用人たち。
 彼らは走りまわっても仕方がないとわかっていながら、じっとしてはいられないので、結局、無意味に屋敷中を走りまわっている。
 そうすると少し落ち着くような気がしたから。
 それに気づいた竜桐は、困ったようにため息をもらし、玄関ホールへと向かう。
 竜桐は、この使用人たちをとめる気にはなれなかった。
 その柚巴を心配する気持ちは、皆同じだから……。
 そこへ、多紀が嫌がる庚子を連れて、御使威家の玄関先に姿を現した。
 それを見つけた竜桐が、二人に駆け寄る。
「庚子さん、多紀さん! 無事だったか!」
 庚子はふいっと視線をそらす。
 そして、多紀が静かに言った。
「……柚巴ちゃんは、鬼導院とかいう胡散臭い奴の家の地下牢にいます。俺たちも、今までそこで監禁されていました」
「多紀! 別にそんなことは教えなくたっていいんだよ。柚巴姫さまの優秀な使い魔だ。わたしたちが言わなくたって、とっくにお見通しだよ」
 庚子は込められるだけの嫌味を込め、胸糞悪そうにはき捨てる。
「ええ、まあ、たしかに。姫の居場所はわかっていた」
 竜桐が、そんな庚子に違和感を覚えながらもそう答えた。
 何があろうと嘘は言わない。それが竜桐である。
 しかし、そんな竜桐の融通がきかないところは、時に、さらに人の怒りをあおることにもなる。
 まったく、損な性分である。
 庚子はさらに不機嫌な顔をつくり、ぷいとそっぽを向いた。
「それじゃあ、もういいだろ? 多紀、わたしたちは帰ろう! これ以上、この家の面倒に巻き込まれるのはご免だ!」
 そう言って、すたすたと、足早に、数百メートル先に見える御使威家の門へと歩いて行こうとする。
「おい! 待てよ、庚子!!」
 庚子のそんな行動に気づいた多紀が、困ったように声をかけた。
「一体、どうしてしまったのだ? 庚子さんは……」
 そして竜桐も、ようやく庚子がおかしなことをみとめ、そんな庚子の態度が理解できないというように多紀に尋ねた。
 今まで、柚巴と庚子、多紀との関係を見守ってきた竜桐にとっては、この庚子の行動は信じ難いものだった。
 柚巴が今、さらわれている。
 にもかかわらず、無事救出されるのを見届けぬまま、そのまま帰ろうとする庚子が、竜桐には信じられなかった。
 庚子ならば、誰よりもうろたえ、誰よりも柚巴の無事を祈るに違いないと思っていただけに……。
 戸惑う竜桐に気づき、多紀はじっと竜桐を見る。
「……どうやら、俺たちは、柚巴ちゃんに騙されていたようですね?」
 多紀は冷たい視線を竜桐に向け、静かに言った。
「え……?」
「少なくとも、今の庚子はそう思っています」
 そしてころっと表情を変え、困ったように苦笑した。
 ということはつまり、庚子はそう思っているが、多紀はそうは思っていないということになるのだろうか?
 それでは多紀は、一体どのように思っていると……?
「あと……柚巴ちゃんが言っていました。あなた方が、必ず自分を助け出してくれるって」
 多紀はそう言うとぺこっと軽く礼をして、そのまま庚子を追いかけて行った。
 庚子はもう、門へとさしかかっていた。
 どうも、この多紀という少年の真意がつかめない。
 常々思ってはいたが、この少年はつかみどころがない。
 いつも人の一歩先を行き、全てを見透かしているような、そんな気さえする。
 竜桐はそう感じていた。
「一体、今のはどういう意味だったのだろうか……?」
 一人玄関先に取り残された竜桐は、眉間にしわを寄せ首をかしげた。
 屋敷の中では、相変わらず使用人たちが、ばたばたと走りまわっている。
「へえ〜。これはこれは、いいことを聞いたな」
 世凪が、ふってわいたように竜桐の目の前に現れた。
 宙に浮き、頭を下にぷよぷよと浮いている。
 そして、くるりと回転し、腕組みをする。
 にたにたと笑っている。
 瞬時に、竜桐の顔が険しくなった。
「世凪!?」
「なるほど、だからいくら探しても、この家の中には、柚巴も、柚巴の気配もなかったわけだ」
 からかうようにうんうんと首を縦に振りながら、舞い降りる世凪。
 すでにわかっていたことだけれど、からかうために、今わかったかのような言いまわしをしているのは明らか。
 世凪は、それが竜桐の怒りを誘うとわかっていて、あえて実行する。
 まったくもって、不愉快な男である。
 世凪は瞬時にきりりと表情をひきしめ、少し険しい顔つきで、世凪のすぐ横にひざまずき控えていた梓海道を見下ろす。
 主の顔つきにかわっていた。
「行くぞ。梓海道!」
 瞬間、世凪と梓海道の姿はそこにはなかった。
 世凪の言葉と同時に、二人は消えた。
「……」
 竜桐はそれを、唇をかみ締め、静かに眺めた。
「とうとうあの男にもばれてしまったか……。しかし、恐らく事はすでにすんでいるだろう」


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update:03/05/19