崩れゆく信頼
(3)

 そして、ここにも一つ。
 今まさに、崩壊しようとしているものがあった。
 麻阿佐である。
 竜桐の言葉を無視して、傷ついた体で限夢界まで戻って来ていた。
 使い魔たちは、召喚者の召喚なしでは人間界へやってこられないが、その逆、限夢界へ還るには、召喚者の命令はいらない。
 自分の意志で、自由に戻ることができる。
 いわば彼らには、限夢界へ戻る片道切符しか用意されていないようなもの。
 まったくもってこの使い魔制度は、使い魔たちにとっては自由のきかないものである。
 しかしそれも、人間界と限夢界、二つの世界の秩序を保つためには必要なものなのかもしれない。
「くそ……。どこにも、世凪の気配も姫さまの気配も感じない。何故だ……!!」
 麻阿佐がいらだちながら言った。
 限夢界の城下まで出て、そこの一角に今も残る、階級の低い限夢人たちが暮らす、ダウンタウンのような場所にやって来ていた。
 世凪の性格からして、恐らく、このようなところを好きとしているだろうと麻阿佐は予想していた。
 しかしここでは、世凪の気配すら感じられない。
 麻阿佐は焦っていた。
 そこへ竜桐の命令で遣わされたのか、衣狭がやって来た。
 その気配に気づき頭上に目線を移すと、そこに衣狭が浮いていた。
 おもしろくなさそうにちらっと衣狭を見ると、また目線を下へおろす。
「麻阿佐! やはりここにいたか!」
 衣狭は、自分に気づいていながらあえて無視をする麻阿佐にむっとし、すっと麻阿佐の前に降り立つ。
 その時、衣狭のグレーの髪が一筋の風に揺らされ、ふわっとたなびいた。
「何だよ、お前。どうして来たのだ? 竜桐さまは、世凪ではないと言っただろう? では、ここに来る必要はないだろう」
 きっと、衣狭をにらむ。
「落ち着け、麻阿佐」
 衣狭はわざとらしく大きくため息をつく。
「それとも何だ!? 竜桐さまは、俺をまったく信用していないというのか? お前をここに来させるってことはさ。どうせまた、俺が勝手な行動に出るとでも思われたのだろう? 竜桐さまは。――ふん。まあ、はずれてはいないがな」
 麻阿佐が憎まれ口をたたく。
 もうすでに、聞く耳もたないといった様子である。
 しかし、衣狭もそこで負けてはいられないので、あくまで食い下がる。
 困ったような視線を、麻阿佐にあびせる。
「そうではないだろう? 竜桐さまは、お前を心配して俺を遣わされたのだ。それに、犯人は世凪ではない」
「どこにそんな証拠があるっていうんだよ!?」
 麻阿佐の顔が、一瞬ぴくっとゆがんだような気がしたけれど、すぐに衣狭をきっとにらみつけ、力まかせに叫ぶ。
「落ち着けって、麻阿佐! それを言うならば、世凪だという証拠もどこにもないだろう」
「うるさい! どうせ俺は、マスターの使い魔の中では落ちこぼれだよ。だからってなあ、竜桐さまは、いつもいつも、俺のすることなすことにケチをつける! だから俺は、この手で姫さまを救い出して、俺も時には正しいのだとわからせてやるんだ!!」
 まるで駄々をこねる子供のように叫び散らす。
「……呆れてものも言えんな。正しい奴が、衝動にまかせて世凪に襲いかかり、そんな傷を負うか?」
 衣狭はあきれ返ってしまった。
 そして、頭を抱える。
 今の麻阿佐はもう、正しい判断ができないほどぶち切れていた。
 言っていることが支離滅裂である。
 何しろ、麻阿佐の目的が、姫さまを助ける≠ゥら、見返してやる≠ノ変わってしまっているのだから。
 そして、普段から麻阿佐はそのような考えを持っていたのだと、あらためて気づかされた。
 呆れと同時に、少し切ない、むなしい気持ちに衣狭はおそわれた。
 仲間のはずなのに……同じマスターに仕える使い魔なのに、どうしてそのような考えに至ってしまうのだろう?
 麻阿佐にそのような暗い感情を抱かせてしまった、自分たちのこの不甲斐なさ……。
 衣狭の心にそんな感情がよぎる。
 たしかに普段、間の抜けた奴などと麻阿佐のことを思ったりもしているが、そしてそれでからかって遊んでいるが、まさか麻阿佐自身がそこまで思いつめていたとは……。
 自分たちは、麻阿佐を追いつめていたのだと、反省せずにはいられない。
 しかしそうは思っても、衣狭は命令を遂行しなければならない。
 だから衣狭の口から発せられた言葉は、麻阿佐を一蹴するものだった。
 そしてまた、それが麻阿佐のためになるとも確信している。
「竜桐さまは、お前のそんなところを心配されているのだよ。後先考えず、衝動のままに行動する。それで一体、今までお前はどれだけの者に迷惑をかけてきたとおも……」
「御託はいい! とにかく、俺はやると言ったらやる!」
 麻阿佐は、衣狭に背を向けた。
 衣狭はそんな麻阿佐の腕を、乱暴につかむ。
「いい加減、頭を冷やせ。いつまでも馬鹿なことをするな」
「うるさい! お前たちなんかに、一体、俺の何がわかるっていうんだ!?」
 衣狭の手を振り払い、そう言って姿を消した。
 麻阿佐が消えた後には、むなしく一陣の風が吹く。
 風を操る麻阿佐らしい消え方である。
 麻阿佐のまわりには、いつもはさわやかな風が吹いていたはずだけれど、今日の風はどこか木枯らしのように冷たく、そして梅雨の時期のように湿気を含んでいた。
 それを言われては、次の言葉が見つからない。
 たしかに、麻阿佐が他の者のことをわからないように、他の誰にも麻阿佐のことはわからない。
 それが現実。
「……ったく。あいつは本当に短気なのだから……。肝心なことをまだ言っていないのに……。姫は、世凪ではなく鬼導院にさらわれたってのに……。――本当にあいつは、馬鹿だ」
 そうぶつぶつ言いながら、衣狭も姿を消した。
 衣狭の消えた後には、つむじ風が吹く。


 御使威家の玄関先。
 衣狭が限夢界から戻って来ていた。
 険しい顔の竜桐を前に、深刻な面持ちである。
「そうか。そんなことが……」
 竜桐が半分呆れたように、半分困ったように言った。
「はい。まったく、あいつにも困ったもので……」
「仕方がない。麻阿佐はいつまでたっても暴走を繰り返す。それがあいつなのだろう」
 竜桐は腕組みをし、ふうとため息をもらす。
「では、この後はどうすれば……」
 衣狭は確認するように、じっと竜桐を見つめる。
「かまわない。放っておけ。そのうち、どこからともなく、頭を冷やして帰ってくるだろう」
「ですが、姫の救出は……?」
 少し心配そうに衣狭が聞く。
 すると、きっと竜桐の表情が変わる。
「それは大丈夫だ。今、由岐耶たちを向かわせている」
「そうですか。では、わたしも今から鬼導院のところへ向かいます」
 衣狭の顔も、使命感に満ちた表情へと変わった。
「ああ、頼んだぞ」
 竜桐がうなずく。
 それを確認すると、衣狭はすっと姿を消した。
 竜桐は衣狭が消えていくのを、複雑そうに見守っていた。
 夜の闇が、そんな竜桐を嘲っているかのようだった。

「本当に困った奴だな、麻阿佐は……」
 衣狭が姿を消すことを待っていたかのように、弦樋が姿を現した。
 どこか覇気がない。
「マスター……」
 竜桐は、そこに弦樋がいることをわかっていたかのように、静かに言った。
 もちろん、竜桐は気づいていたけれど、あえてそれには触れなかった。
 弦樋が自ら姿を現すまで、いつまでも待つつもりだった。
 弦樋は、何とも言えぬ表情で竜桐を見る。
「それほどにも、麻阿佐を駆り立てる奴なのか? 世凪という男は」
 竜桐はじっと弦樋を見つめ、そして視線をそらす。
「はい……。彼らは……少し、似ているところがありますから……」
「ほう。それは興味深い。たとえば、どんな?」
「すぐ頭に血が上り、ぶち切れるところです」
 ため息まじりに竜桐が言う。
 まったく困った奴らだと、その顔が言っている。
 そんな竜桐の言葉を聞き、表情を見て、弦樋の表情が一瞬かわった。
「なるほど」
 楽しそうにうなずく。
 どうやら先ほどの一瞬の表情の変化は、困ったのでも驚いたのでもなく、ただたんにおもしろがっていただけのよう。
 案外、この弦樋という男は、その外見とは異なり、いい性格をしているのかもしれない。
 まあ、あの個性の強い使い魔を七人も従えているのだから、これくらいの器量がないとやっていけないのだろうけれど。
 他の使い魔に対してこのような発言をすれば、当然驚かれるだろうが、竜桐は顔色一つ変えていない。
 それは、竜桐がいつも冷静というだけの理由ではない。
 普段から、竜桐の前では、時折、弦樋はこのようなちょっとした素顔をのぞかせているのかもしれない。
 だから竜桐は主のそのような表情と、発言を目の当たりにしても、少しも動揺しなかったのだろう。
 竜桐はそんな弦樋に、困ったように微笑みかける。
「それより、心配ではないのですか? 姫のことは……」
「ああ。信用しているからね、君たちの腕を」
 そう言って、弦樋は屋敷の奥へと消えて行く。
 主からのこのような言葉は、使い魔たちにとって何よりの励みになる。
 それを知ってか知らずか、弦樋は時々思い出したように口にする。


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update:03/05/22